伊168

「伊168」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

伊168 - (2013/09/18 (水) 18:38:23) の最新版との変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

#image(No126_.jpg) #contents() &autolink(id=wikibody) ---- **CV ---- 中島愛 ---- *予備知識 ~大日本帝国海軍の潜水艦について~ ---- 伊168の解説を行う前に、知っておくとより理解が深まると思われる、当時の日本の潜水艦の特色について解説する。 度重なる軍縮条約により、日本は軍艦保有に歯止めがかけられてしまう。 そこで、帝国海軍は対米戦に備えて「漸減邀撃作戦」を構想していた。(波状攻撃で相手の戦力を削っていく、というような意味) 要約は、日本近海に来襲してくる米艦隊を補助戦力ですり減らし、消耗した相手を決戦兵力である戦艦部隊で仕留めるというもの。 ここで言う補助戦力とは空母や島に設けられた基地から発進する航空機、巡洋艦が率いる駆逐艦部隊、そして潜水艦部隊のことを指す。 ドイツやアメリカではタンカーや輸送艦を主な標的とする「&bold(){通商破壊}」を潜水艦の主な任務としていたのに対し、日本は「&bold(){敵艦隊の撃滅}」を最も重要な目標として掲げていたのである。 (ただしアメリカも潜水艦通のニミッツ提督が通商破壊重視に舵を切るまでは、日本同様潜水艦を艦隊決戦の補助兵力として見ていたので、一概に日本だけが特異というわけではない) 決戦前に敵主力艦を襲撃しなければならないことから、艦隊に随伴出来る速力と航続力、それに太平洋の荒天にも耐える凌波性を備えた高性能な潜水艦を求め、多くの艦型が造られた。 よく知られたものとしては、列強海軍国で計画を取り止めた「航空機搭載潜水艦」を開発。 初期には小型偵察機を搭載したが、大戦末期には攻撃機を3機も搭載する 「潜水空母」ともいう大型艦を戦闘に投入した。(伊四〇〇型潜水艦) さらに自動懸吊装置、重油漏洩防止装置等日本海軍独特の考案による優れたものが作られたが、実際の戦争が漸減邀撃構想とはまったく違った形で行われた結果、それらの力が存分に発揮される機会は少なかったと言える。 なまじ高性能なだけに建造に資金と時間がかかり、ただでさえ資源と工業力に劣るのになおさら非効率的な運用が行われてしまった。(これは潜水艦に限った話ではなく貧乏国あるあるだったりする) ちなみに額面では欧米各国の潜水艦と肩を並べられる高性能艦のように見えるのだが、運用側が艦隊随伴能力を意識しすぎたことや、欧米各国よりも圧倒的に基礎工業力が低いため、 隠密行動を第一とする潜水艦で最も重要な静粛性はお察しレベルであり、同盟国ドイツのとある武官からは「よく今まで生き残ってこれたな」と呆れるのを通り越して逆に感心された程。 また潜水艦勤務経験の長かった米海軍のニミッツ提督からは、ガ島での潜水艦輸送について &bold(){「古今東西の戦争史において、主要な兵器がその真の潜在威力を把握理解されずに使用されたという稀有の例を求めるとすれば、それはまさに第二次大戦における日本潜水艦の場合であろう」} と酷評されている。 以上のことから、戦後、「日本もアメリカのようにそこそこの性能で量産に向いた潜水艦を作り、通商破壊を重視した戦略をとるべきだった」という批判が生まれることになる。 ただし、日本の潜水艦も対米戦初期にはインド洋などで通商破壊作戦を行なっており、ある程度の戦果をあげてはいる。 ついでなので、大日本帝国海軍の潜水艦の呼称について。よく「伊xx」と呼ばれているが、その意味は以下のとおり。 「伊」=排水量1000トン以上 ちなみに「呂」=500~1000トン 「波」=500トン以下 である。 ---- *史実情報 ---- #ref(I-68.jpg) 正式名称は「伊号第一六八潜水艦。竣工時の名称は「伊号第六八潜水艦」で、専門的な分類では「海大Ⅵ型a」に属する。 #ref(I-168.jpg) 海大型は潜水艦を艦隊決戦での補助兵力として位置づけた帝国海軍が、艦隊に随伴して、その先鋒として敵艦隊を待ち受ける、いわば「潜水駆逐艦」 的な運用を想定して開発した大型潜水艦であり、伊-68はその第6グループ前期型の一番艦として就役した。 それまでの海大型はスイスのズルツァー社やドイツのMAN社で生産されたディーゼルエンジンを採用していたのだが、伊-68からはこれらを参考にした 日本が独自に開発した艦本式ディーゼル2基を初めて搭載。 その結果、英米の潜水艦の水上速度20ノットに比較し、本艦は23ノットという&bold(){世界最高速を誇る潜水艦}として竣工した。 ただし、当時の日本の工作精度の問題もあって出力は出る代わりに不安定なエンジンで、不調も多かったという。 また、内殻のフレームが初の外肋骨式であるため、安全深度にも余裕があり、最新型潜水艦のパイオニアとして、その名をとどろかせた。 生まれは呉海軍工廠、竣工してからも呉鎮守府に所属した。 なお、海大型各艦は艦番号が建造中の巡潜型とダブルブッキングするのを避けるためか、1942年5月の改称にて元の番号にそれぞれ100を足している。 伊-68が伊-168になったのもこの時からとなった。 開戦後の戦果としては、図鑑紹介にも書かれた通り、あのミッドウェー海戦の激戦の後、損傷していた米空母「ヨークタウン」に留めを刺したことが有名。 それ以前にも、真珠湾攻撃に参加。この奇襲により、米軍は日本軍の上陸を懸念。実際に1942年9月、ドーリットル初空襲に負けじと「伊25」の艦載機が空襲を仕掛けている。 アッツ島攻撃に参加した後、アリューシャン方面で輸送作戦に従事。 1942年6月5日のミッドウェー海戦のときは、ミッドウェー島に艦砲射撃をかけ、米機動部隊を誘い出すという任務を受けていた。 この任務は呉からミッドウェー諸島までの往復を行う任務で、「[[伊-168]]」の航続能力的に少々心細いものでもあった。 だが海軍はミッドウェー島を占拠することありきで、「ミッドウェー島で補給してこい」と「[[伊-168]]」を送り出したという。&bold(){慢心ここに極まれりである}。 当日に任務を遂行したが、この時点で米機動部隊は前もって奇襲をかけるため出撃しており、その奇襲によって空母「[[赤城]]」「[[加賀]]」「[[蒼龍]]」が被弾。 残された「[[飛龍]]」が米空母「ヨークタウン」に決死の反撃を行っていた。 6月7日、その「[[飛龍]]」を撃沈させ、損傷した「ヨークタウン」他「エンタープライズ」「ホーネット」などの帰還部隊に「[[伊168]]」は奇襲を仕掛ける。 「ヨークタウン」を囲む輪形陣の護衛隊に近寄った「[[伊168]]」は、誤って魚雷の射程圏外である超至近距離まで近づいてしまうも、艦長が360度の敵前回頭という妙策を持ってして適正な射程内まで「ヨークタウン」との距離を離すことに成功。 放った魚雷は「ヨークタウン」に2発、また偶然護衛の駆逐艦「ハンマン」にも1発が命中。翌日「ヨークタウン」は沈み、見事に日本機動部隊の仇をとった。 この、「ヨークタウン」「ハンマン」撃沈が、日本がミッドウェー海戦であげた唯一の戦果である。 余談だが当時の艦長の田辺中佐は戦後、アメリカ海軍にヨークタウン撃沈時のことで「何故あの時回頭したんだ」と何度も詰問されたという。 また当然ながらミッドウェー島での補給もできなかったため、復路は爪に火を灯すような片舷航行で、とにかく燃料を節約しながら帰ることとなった。 最終的に呉に帰ってきた時、「[[伊-168]]」の重油タンクにはたった1トンの重油しか残っていなかったという。 その後は北に南に出撃して各種活動を行い、撤退直前のガダルカナル島への輸送任務も行なっている。図鑑の台詞にある「あの大変な島への輸送任務」とはこのことであろう。 しかしそんな伊168にも遂に最期の時が訪れる。1943年7月27日、ラバウル方面ニューハノーバー島沖で米潜水艦「スキャンプ」と遭遇。WW2当時の米海軍で最も代表的な潜水艦であるガトー級と、潜水艦同士1対1の対決となる。 しかし浮上中の「[[伊168]]」は圧倒的に不利な位置であった。「[[伊168]]」の放った魚雷を「スキャンプ」は深く潜って躱し、潜望鏡深度まで上がってから4発の魚雷を撃ちこんで「[[伊168]]」を葬った。 1943年10月15日除籍。 余談だが、1971年に放送されたタツノコプロ制作の戦記物アニメ「アニメンタリー 決断」の第12話では本艦の活躍が取り上げられている。 興味があればレンタルビデオ・DVD店で見てみるのも一興だろう。 |>|>|艦歴| |発注|>|昭和6年度計画| |起工|1931年6月18日|呉海軍工廠にて建造| |進水|1933年6月26日|「伊号第六八潜水艦」と命名| |就役|1934年7月31日|呉鎮守府籍となり第12潜水隊に編入| ||1940年10月19日|予備艦となる| ||1941年11月11日|第3潜水戦隊第12潜水隊に属し、佐伯を出航| ||1941年11月23日|ハワイ作戦に参戦| ||1941年12月14日|21回の爆雷攻撃を受け、後部発射管室浸水の被害を受ける| ||1942年1月9日|呉入港。修理を実施後、出航し、その後単独訓練を行う| ||1942年5月20日|「伊号第一六八潜水艦」に改名| ||1942年5月23日|呉出航| ||1942年6月2日|ミッドウェー海戦に参加| ||1942年6月5日|ミッドウェー島を砲撃| ||1942年6月7日|米空母「ヨークタウン」駆逐艦「ハムマン」を撃沈| ||1942年6月19日|呉入港。26日佐世保へ回航| ||1942年11月18日|呉へ回航し、入渠修理を実施| ||1942年12月15日|呉を出航。22日、トラックに到着| ||1943年1月1日|佐世保入港。ガダルカナル島に食料を輸送するも、米魚雷艇二隻の攻撃により6割の陸揚げで中止| ||1943年1月14日|呉入港| ||1943年2月22日|北方に派遣となり呉を出航| ||1943年3月5日|横須賀を出航| ||1943年3月13日|幌筵島に到着。キスカ島、アッツ島方面で活動| ||1943年5月9日|横須賀入港| ||1943年7月12日|呉を出航。22日、トラック着| ||1943年7月25日|トラックを出航し、ラバウルへ航行| |戦没|1943年7月27日|ニューハノーバー島沖で米潜水艦「スキャンプ」の雷撃により戦没| ||1943年9月10日|ラバウル北方で亡失と認定| |除籍|1943年10月15日|| ---- *台詞一覧 ---- |状況 |台詞|関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介| 伊168よ。何よ、言いにくいの? じゃあイムヤでいいわ。よろしくね。 | | |秘書クリック会話①|司令官、慣れてくれた? イ・ム・ヤ、だよ?|| |秘書クリック会話②|私、今は浮き輪に乗ってるけど、ホントは潜るとすごいのよ!|当時世界最高峰の潜水艦である| |秘書クリック会話③|あっ、後ろから見てたの? スマホとかで遊んでたんじゃないからね。|時代考証無用(史実モノだけど)| |戦績表示時|司令官宛の報告があるみたいよ。|| |編成選択時|さぁ出撃よ、伊号潜水艦の力、見ててよね!|| |装備時①|やだ、私どんどん強くなっちゃうわね!|| |装備時②|司令官が望むなら、これもいいかな……?|COLOR(white):意味深| |装備時③|ワオ! 大漁大漁!|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |補給時|はい、補給いただきました!|| |ドック入り|うう~、助かるわぁ~|| |ドック入り(重傷)|こんな傷、大したこと無いんだから! ……あ、あんまり痛くはしないでね……。|COLOR(white):意味深| |建造時|新型艦が出来たわ! どんな艦だろう?|| |艦隊帰投時|作戦終了、艦隊が帰還したわ。|| |出撃時|敵の船底に、大穴開けてあげるから!|恐らく八九式魚雷のこと。至近距離で爆発すれば敵艦に大穴を開けることもできた| |戦闘開始時|さ、いらっしゃい!|| |攻撃時|魚雷1番から4番まで装填、さぁ、戦果を上げてらっしゃい!|「伊号第一六八型潜水艦」は艦首に4門、艦尾に2門の魚雷発射管を備える| |夜戦開始時|夜は私たちの世界よ、仕留めるわ!|夜は海上に突き出した潜望鏡も、発射した魚雷の航跡も見えにくく、潜水艦有利| |夜戦攻撃時|密かに近づいて、確実に沈めるの。|潜水艦は発見された時点でアウト| |MVP時|やったぁ! 海のスナイパー、イムヤにお任せ! 正規空母だって仕留めちゃうから!|史実でも米空母「ヨークタウン」に留めを刺している| |被弾小破①|嘘、気づかれた!?|| |被弾小破②|やば、急速潜行! 急いで!|急速潜行する時は、バラストタンクに水を注入する他に、推進力によって発生した揚力を利用して深く潜る| |被弾カットイン|あう、水着が破けちゃうじゃない!|| |撃沈時(反転)|COLOR(white):ああ、もっと太陽を浴びていたかったな…。海の底はもう…飽きたよ…|COLOR(white):| |時間|台詞|関連する史実や元ネタ、解説など| |00:00|マルマルマルマル。夜12時よ。|| |01:00|マルヒトマルマル。深夜よ。明日の仕事とか学校とか、大丈夫?|| |02:00|マルフタマルマル。ホント夜型ね。|| |03:00|マルサンマルマル。大丈夫? ホント明日予定とか無いの?|| |04:00|マルヨンマルマル。イムヤ、もうしーらない。|| |05:00|マルゴーマルマルよ。え、イムヤの声聞きたかったの?|| |06:00|マルロクマルマル。司令官、思いっきり朝だよ。|| |07:00|マルナナマルマル。さ、働くわよ。|| |08:00|マルハチマルマル。私って、結構朝強いんだから!|| |09:00|マルキュウマルマル。さぁ、お仕事お仕事ぉ!|| |10:00|ヒトマルマルマルです。お昼までは全力で行きましょう!|| |11:00|ヒトヒトマルマル。頑張ればきっと美味しいランチが待ってるわ!|| |12:00|ヒトフタマルマル。美味しいランチ、ゲットです!|| |13:00|ヒトサンマルマル。司令官と一緒のお昼、嬉しいな!|| |14:00|ヒトヨンマルマル。さあ、午後も頑張って出撃よ!|| |15:00|ヒトゴマルマル。三時のあなた……あなたの惨事……きゃぁ、なんか怖い!|シャレになりません| |16:00|ヒトロクマルマルよ。もう夕方ね。|| |17:00|ヒトナナマルマル。司令官頑張って!|| |18:00|ヒトハチマルマル。御飯作るよ!ご飯!|| |19:00|ヒトキュウマルマル。あたしカレーしか作れないけどいーい?じゃあ一緒に作ろっか!一時間後、一緒に食べようね!|恐らく海軍カレー| |20:00|フタマルマルマル。ちゃんとカレーできた?それじゃ一緒に、いただきます!|| |21:00|フタヒトマルマル。なんか晩御飯食べると、お腹いっぱいで眠くなる……。|| |22:00|フタフタマルマル。お風呂入ってくる!|| |23:00|フタサンマルマル。司令官、今日も一日お疲れ様でした!|| |放置時|司令官、イムヤのこと……嫌いになったの?|COLOR(white):きらいじゃないよ| ---- *コメント 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=コメント/伊168) ---- *タグクラウド #tag_cloud(sort=num) ---- *関連ページ #related(sort=timestamp) ---- ▼wikiレンタル代価広告
#image(No126_.jpg) #contents() &autolink(id=wikibody) ---- *CV ---- 中島愛 ---- *Illustrator ---- ショボン ---- *予備知識 ~大日本帝国海軍の潜水艦について~ ---- 伊168の解説を行う前に、知っておくとより理解が深まると思われる、当時の日本の潜水艦の特色について解説する。 度重なる軍縮条約により、日本は軍艦保有に歯止めがかけられてしまう。 そこで、帝国海軍は対米戦に備えて「漸減邀撃作戦」を構想していた。(波状攻撃で相手の戦力を削っていく、というような意味) 要約は、日本近海に来襲してくる米艦隊を補助戦力ですり減らし、消耗した相手を決戦兵力である戦艦部隊で仕留めるというもの。 ここで言う補助戦力とは空母や島に設けられた基地から発進する航空機、巡洋艦が率いる駆逐艦部隊、そして潜水艦部隊のことを指す。 ドイツやアメリカではタンカーや輸送艦を主な標的とする「&bold(){通商破壊}」を潜水艦の主な任務としていたのに対し、日本は「&bold(){敵艦隊の撃滅}」を最も重要な目標として掲げていたのである。 (ただしアメリカも潜水艦通のニミッツ提督が通商破壊重視に舵を切るまでは、日本同様潜水艦を艦隊決戦の補助兵力として見ていたので、一概に日本だけが特異というわけではない) 決戦前に敵主力艦を襲撃しなければならないことから、艦隊に随伴出来る速力と航続力、それに太平洋の荒天にも耐える凌波性を備えた高性能な潜水艦を求め、多くの艦型が造られた。 よく知られたものとしては、列強海軍国で計画を取り止めた「航空機搭載潜水艦」を開発。 初期には小型偵察機を搭載したが、大戦末期には攻撃機を3機も搭載する 「潜水空母」ともいう大型艦を戦闘に投入した。(伊四〇〇型潜水艦) さらに自動懸吊装置、重油漏洩防止装置等日本海軍独特の考案による優れたものが作られたが、実際の戦争が漸減邀撃構想とはまったく違った形で行われた結果、それらの力が存分に発揮される機会は少なかったと言える。 なまじ高性能なだけに建造に資金と時間がかかり、ただでさえ資源と工業力に劣るのになおさら非効率的な運用が行われてしまった。(これは潜水艦に限った話ではなく貧乏国あるあるだったりする) ちなみに額面では欧米各国の潜水艦と肩を並べられる高性能艦のように見えるのだが、運用側が艦隊随伴能力を意識しすぎたことや、欧米各国よりも圧倒的に基礎工業力が低いため、 隠密行動を第一とする潜水艦で最も重要な静粛性はお察しレベルであり、同盟国ドイツのとある武官からは「よく今まで生き残ってこれたな」と呆れるのを通り越して逆に感心された程。 また潜水艦勤務経験の長かった米海軍のニミッツ提督からは、ガ島での潜水艦輸送について &bold(){「古今東西の戦争史において、主要な兵器がその真の潜在威力を把握理解されずに使用されたという稀有の例を求めるとすれば、それはまさに第二次大戦における日本潜水艦の場合であろう」} と酷評されている。 以上のことから、戦後、「日本もアメリカのようにそこそこの性能で量産に向いた潜水艦を作り、通商破壊を重視した戦略をとるべきだった」という批判が生まれることになる。 ただし、日本の潜水艦も対米戦初期にはインド洋などで通商破壊作戦を行なっており、ある程度の戦果をあげてはいる。 ついでなので、大日本帝国海軍の潜水艦の呼称について。よく「伊xx」と呼ばれているが、その意味は以下のとおり。 「伊」=排水量1000トン以上 ちなみに「呂」=500~1000トン 「波」=500トン以下 である。 ---- *史実情報 ---- #ref(I-68.jpg) 正式名称は「伊号第一六八潜水艦。竣工時の名称は「伊号第六八潜水艦」で、専門的な分類では「海大Ⅵ型a」に属する。 #ref(I-168.jpg) 海大型は潜水艦を艦隊決戦での補助兵力として位置づけた帝国海軍が、艦隊に随伴して、その先鋒として敵艦隊を待ち受ける、いわば「潜水駆逐艦」 的な運用を想定して開発した大型潜水艦であり、伊-68はその第6グループ前期型の一番艦として就役した。 それまでの海大型はスイスのズルツァー社やドイツのMAN社で生産されたディーゼルエンジンを採用していたのだが、伊-68からはこれらを参考にした 日本が独自に開発した艦本式ディーゼル2基を初めて搭載。 その結果、英米の潜水艦の水上速度20ノットに比較し、本艦は23ノットという&bold(){世界最高速を誇る潜水艦}として竣工した。 ただし、当時の日本の工作精度の問題もあって出力は出る代わりに不安定なエンジンで、不調も多かったという。 また、内殻のフレームが初の外肋骨式であるため、安全深度にも余裕があり、最新型潜水艦のパイオニアとして、その名をとどろかせた。 生まれは呉海軍工廠、竣工してからも呉鎮守府に所属した。 なお、海大型各艦は艦番号が建造中の巡潜型とダブルブッキングするのを避けるためか、1942年5月の改称にて元の番号にそれぞれ100を足している。 伊-68が伊-168になったのもこの時からとなった。 開戦後の戦果としては、図鑑紹介にも書かれた通り、あのミッドウェー海戦の激戦の後、損傷していた米空母「ヨークタウン」に留めを刺したことが有名。 それ以前にも、真珠湾攻撃に参加。この奇襲により、米軍は日本軍の上陸を懸念。実際に1942年9月、ドーリットル初空襲に負けじと「伊25」の艦載機が空襲を仕掛けている。 アッツ島攻撃に参加した後、アリューシャン方面で輸送作戦に従事。 1942年6月5日のミッドウェー海戦のときは、ミッドウェー島に艦砲射撃をかけ、米機動部隊を誘い出すという任務を受けていた。 この任務は呉からミッドウェー諸島までの往復を行う任務で、「[[伊168]]」の航続能力的に少々心細いものでもあった。 だが海軍はミッドウェー島を占拠することありきで、「ミッドウェー島で補給してこい」と「[[伊168]]」を送り出したという。&bold(){慢心ここに極まれりである}。 当日に任務を遂行したが、この時点で米機動部隊は前もって奇襲をかけるため出撃しており、その奇襲によって空母「[[赤城]]」「[[加賀]]」「[[蒼龍]]」が被弾。 残された「[[飛龍]]」が米空母「ヨークタウン」に決死の反撃を行っていた。 6月7日、その「[[飛龍]]」を撃沈させ、損傷した「ヨークタウン」他「エンタープライズ」「ホーネット」などの帰還部隊に「[[伊168]]」は奇襲を仕掛ける。 「ヨークタウン」を囲む輪形陣の護衛隊に近寄った「[[伊168]]」は、誤って魚雷の射程圏外である超至近距離まで近づいてしまうも、艦長が360度の敵前回頭という妙策を持ってして適正な射程内まで「ヨークタウン」との距離を離すことに成功。 放った魚雷は「ヨークタウン」に2発、また偶然護衛の駆逐艦「ハンマン」にも1発が命中。「ハンマン」は直後に轟沈し、翌日「ヨークタウン」も沈没。見事に日本機動部隊の仇をとった。 この、「ヨークタウン」「ハンマン」撃沈が、日本がミッドウェー海戦であげた唯一の戦果である。 余談だが当時の艦長の田辺中佐は戦後、アメリカ海軍にヨークタウン撃沈時のことで「何故あの時回頭したんだ」と何度も詰問されたという。 また当然ながらミッドウェー島での補給もできなかったため、復路は爪に火を灯すような片舷航行で、とにかく燃料を節約しながら帰ることとなった。 最終的に呉に帰ってきた時、「[[伊168]]」の重油タンクにはたった1トンの重油しか残っていなかったという。 その後は北に南に出撃して各種活動を行い、撤退直前のガダルカナル島への輸送任務も行なっている。図鑑の台詞にある「あの大変な島への輸送任務」とはこのことであろう。 しかしそんな伊168にも遂に最期の時が訪れる。1943年7月27日、ラバウル方面ニューハノーバー島沖で米潜水艦「スキャンプ」と遭遇。WW2当時の米海軍で最も代表的な潜水艦であるガトー級と、潜水艦同士1対1の対決となる。 しかし浮上中の「[[伊168]]」は圧倒的に不利な位置であった。「[[伊168]]」の放った魚雷を「スキャンプ」は深く潜って躱し、潜望鏡深度まで上がってから4発の魚雷を撃ちこんで「[[伊168]]」を葬った。 1943年10月15日除籍。 余談だが、1971年に放送されたタツノコプロ制作の戦記物アニメ「アニメンタリー 決断」の第12話では本艦の活躍が取り上げられている。 興味があればレンタルビデオ・DVD店で見てみるのも一興だろう。 &table_color(table3,#ddd){} |>|>|艦歴| |発注|>|昭和6年度計画| |起工|1931年6月18日|呉海軍工廠にて建造| |進水|1933年6月26日|「伊号第六八潜水艦」と命名| |就役|1934年7月31日|呉鎮守府籍となり第12潜水隊に編入| ||1940年10月19日|予備艦となる| ||1941年11月11日|第3潜水戦隊第12潜水隊に属し、佐伯を出航| ||1941年11月23日|ハワイ作戦に参戦| ||1941年12月14日|21回の爆雷攻撃を受け、後部発射管室浸水の被害を受ける| ||1942年1月9日|呉入港。修理を実施後、出航し、その後単独訓練を行う| ||1942年5月20日|「伊号第一六八潜水艦」に改名| ||1942年5月23日|呉出航| ||1942年6月2日|ミッドウェー海戦に参加| ||1942年6月5日|ミッドウェー島を砲撃| ||1942年6月7日|米空母「ヨークタウン」駆逐艦「ハムマン」を撃沈| ||1942年6月19日|呉入港。26日佐世保へ回航| ||1942年11月18日|呉へ回航し、入渠修理を実施| ||1942年12月15日|呉を出航。22日、トラックに到着| ||1943年1月1日|佐世保入港。ガダルカナル島に食料を輸送するも、米魚雷艇二隻の攻撃により6割の陸揚げで中止| ||1943年1月14日|呉入港| ||1943年2月22日|北方に派遣となり呉を出航| ||1943年3月5日|横須賀を出航| ||1943年3月13日|幌筵島に到着。キスカ島、アッツ島方面で活動| ||1943年5月9日|横須賀入港| ||1943年7月12日|呉を出航。22日、トラック着| ||1943年7月25日|トラックを出航し、ラバウルへ航行| |戦没|1943年7月27日|ニューハノーバー島沖で米潜水艦「スキャンプ」の雷撃により戦没| ||1943年9月10日|ラバウル北方で亡失と認定| |除籍|1943年10月15日|| ---- *台詞一覧 ---- &table_color(table1,#ddd){} |~状況 |~台詞 |~関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介| 伊168よ。何よ、言いにくいの? じゃあイムヤでいいわ。よろしくね。 | | |秘書クリック会話①|司令官、慣れてくれた? イ・ム・ヤ、だよ?|| |秘書クリック会話②|私、今は浮き輪に乗ってるけど、ホントは潜るとすごいのよ!|当時世界最高峰の潜水艦である&br()北浦共笑の「私、脱いでもすごいんです」より?| |秘書クリック会話③|あっ、後ろから見てたの? スマホとかで遊んでたんじゃないからね。|時代考証無用(史実モノだけど)| |戦績表示時|司令官宛の報告があるみたいよ。|| |編成選択時|さぁ出撃よ、伊号潜水艦の力、見ててよね!|| |装備時①|やだ、私どんどん強くなっちゃうわね!|| |装備時②|司令官が望むなら、これもいいかな……?|COLOR(white):意味深| |装備時③|ワオ! 大漁大漁!|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |補給時|はい、補給いただきました!|| |ドック入り|うう~、助かるわぁ~|| |ドック入り(重傷)|こんな傷、大したこと無いんだから! ……あ、あんまり痛くはしないでね……。|COLOR(white):意味深| |建造時|新型艦が出来たわ! どんな艦だろう?|| |艦隊帰投時|作戦終了、艦隊が帰還したわ。|| |出撃時|敵の船底に、大穴開けてあげるから!|恐らく八九式魚雷のこと。至近距離で爆発すれば敵艦に大穴を開けることもできた| |戦闘開始時|さ、いらっしゃい!|| |攻撃時|魚雷1番から4番まで装填、さぁ、戦果を上げてらっしゃい!|「伊号第一六八型潜水艦」は艦首に4門、艦尾に2門の魚雷発射管を備える| |夜戦開始時|夜は私たちの世界よ、仕留めるわ!|夜は海上に突き出した潜望鏡も、発射した魚雷の航跡も見えにくく、潜水艦有利| |夜戦攻撃時|密かに近づいて、確実に沈めるの。|潜水艦は発見された時点でアウト。&br()またヨークタウン追撃時には機関を停止しての無音航行で敵艦隊の真下をくぐり、ゆっくりと回頭。&br()9時間もかけて確実に仕留められる位置取りまで近づいてみせた。| |MVP時|やったぁ! 海のスナイパー、イムヤにお任せ! 正規空母だって仕留めちゃうから!|史実でも米空母「ヨークタウン」に留めを刺している| |被弾小破①|嘘、気づかれた!?|| |被弾小破②|やば、急速潜行! 急いで!|急速潜行する時は、バラストタンクに水を注入する他に、推進力によって発生した揚力を利用して深く潜る| |被弾カットイン|あう、水着が破けちゃうじゃない!|| |撃沈時(反転)|COLOR(white):ああ、もっと太陽を浴びていたかったな…。海の底はもう…飽きたよ…|COLOR(white):| ---- *時報 ---- &table_color(table2,#ddd){} |~時間|~台詞|~関連する史実や元ネタ、解説など| |00:00|マルマルマルマル。夜12時よ。|| |01:00|マルヒトマルマル。深夜よ。明日の仕事とか学校とか、大丈夫?|| |02:00|マルフタマルマル。ホント夜型ね。|| |03:00|マルサンマルマル。大丈夫? ホント明日予定とか無いの?|| |04:00|マルヨンマルマル。イムヤ、もうしーらない。|| |05:00|マルゴーマルマルよ。え、イムヤの声聞きたかったの?|| |06:00|マルロクマルマル。司令官、思いっきり朝だよ。|| |07:00|マルナナマルマル。さ、働くわよ。|| |08:00|マルハチマルマル。私って、結構朝強いんだから!|| |09:00|マルキュウマルマル。さぁ、お仕事お仕事ぉ!|| |10:00|ヒトマルマルマルです。お昼までは全力で行きましょう!|| |11:00|ヒトヒトマルマル。頑張ればきっと美味しいランチが待ってるわ!|| |12:00|ヒトフタマルマル。美味しいランチ、ゲットです!|| |13:00|ヒトサンマルマル。司令官と一緒のお昼、嬉しいな!|| |14:00|ヒトヨンマルマル。さあ、午後も頑張って出撃よ!|| |15:00|ヒトゴマルマル。三時のあなた……あなたの惨事……きゃぁ、なんか怖い!|シャレになりません| |16:00|ヒトロクマルマルよ。もう夕方ね。|| |17:00|ヒトナナマルマル。司令官頑張って!|| |18:00|ヒトハチマルマル。御飯作るよ!ご飯!|| |19:00|ヒトキュウマルマル。あたしカレーしか作れないけどいーい?じゃあ一緒に作ろっか!一時間後、一緒に食べようね!|恐らく海軍カレー| |20:00|フタマルマルマル。ちゃんとカレーできた?それじゃ一緒に、いただきます!|| |21:00|フタヒトマルマル。なんか晩御飯食べると、お腹いっぱいで眠くなる……。|| |22:00|フタフタマルマル。お風呂入ってくる!|| |23:00|フタサンマルマル。司令官、今日も一日お疲れ様でした!|| |放置時|司令官、イムヤのこと……嫌いになったの?|COLOR(white):大好きだよ| ---- *同型艦 海大VI型a &bold(){伊168} ― 伊169 ― 伊70 ― 伊171 ― 伊172 ― 伊73 ---- *コメント 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=伊168/コメント) ---- *タグクラウド #tag_cloud(sort=num) ---- *関連ページ #related(sort=timestamp) ---- ▼wikiレンタル代価広告

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: