山城

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山城」を以下のとおり復元します。
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CV
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藤田咲

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史実情報
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 日本初の自国設計・自国建造の純国産超ド級戦艦である扶桑型戦艦の2番艦として横須賀海軍工廠で建造された。

 35.6cm 連装砲塔6基・12門 の重武装、当時としては高速の22.5ノットの扶桑型戦艦は世界最大・最強の戦艦となる はずであったのだが山城は就役 する前から時代遅れの戦艦というレッテルを貼られることになる。

 事の発端は就役前年に行われたジュットランド沖海戦、 第一次世界大戦最大にして唯一の主力艦隊同士による決戦となったこの海戦では、日本戦艦のお手本とされたイギリスの巡洋戦艦部隊がドイツの重装甲戦艦と激突、イギリス巡洋戦艦部隊が数発の直撃弾で次々と撃沈していく一方でドイツの重装甲戦艦は数十発も被弾してもなお航行し、イギリス型巡洋戦艦の欠点と装甲防御の重要性を見せ付けることになった。

 35.6cm 連装砲塔6基を船体にまんべんなく配置した扶桑型は装甲防御に致命的な欠点を有しており、自慢の攻撃力もバラバラに配置された主砲の射撃指揮が難しく、一斉射撃を行うと爆風と衝撃により艦の上部構造物、艦橋等に傷害を与えるというありさま・・・

 日本海軍の大きな期待を背負って建造された扶桑型戦艦であったが、このようにあまりにも大きな欠点を持っていたため4隻の建造予定だったのを二番艦の山城でキャンセル、残りの二隻は再設計の上で伊勢型戦艦として建造されることになる。

 さて、このような欠陥を抱えていたとしても作ってしまった以上は使うしかない、欠点が見つかれば改装を行い、また欠点があるので改装を行い ということを繰り返した結果、艦隊で行動した期間よりもドックで改装を行っていた期間のほうが長いという、“艦隊にいる方が珍しい艦”と言われてしまう。 

 特に昭和5年からは 船体、主砲、主機、艦橋、兵装、煙突にいたるまで、大規模な改装を5年間の歳月をかけて行ったが根本的な性能不足はいかんともしがたかった。

このため太平洋戦争でも内地で練習艦として多くの時間を過ごし、ミッドウェー海戦 では第一艦隊第二戦隊として伊勢、日向、扶桑 と共に出撃するも戦争の主役は赤城や飛龍有する航空艦隊であり、低防御、鈍足の旧型戦艦部隊には活躍の機会は巡って来ない。
ミッドウェー海戦後の空母戦力の不足を補うために伊勢型と共に航空戦艦改装を検討されるも、結局改造されることなく内地での待機・練習艦任務を続けることになる。

艦齢はすでに25年を超え、鈍足で時代遅れの戦艦にもはや出番はないかと思われたが、時代は安穏な余生を許しはしなかった。

1944年10月、ダグラス・マッカーサー率いるアメリカ軍部隊がフィリピン、 レイテ湾に上陸。フィリピン奪還は本土と南方資源地帯の連絡が途絶されることを意味していた。
軍上層部はここで米軍との一大決戦を決心、たび重なる敗戦で戦力が枯渇していた海軍は扶桑型戦艦二隻に出撃を要請、西村中将の下で姉妹艦である戦艦扶桑と共に、重巡最上、駆逐艦山雲、満潮、朝雲、時雨を率いてレイテ湾に突入、米上陸部隊を撃退するよう命令を下される。

10月22日15時30分にブルネイを出撃した山城率いる西村艦隊は 航空機による援護が望めない圧倒的な劣勢下にもかかわらず、さまざまな幸運が重なり24日には全艦無事にレイテ湾の入り口、スリガオ海峡付近に到着した。

同時に突入するはずだった主力の戦艦大和、武蔵などの新鋭戦力を有する栗田艦隊が米航空部隊の猛攻で到着が遅滞していたため西村中将は単独でスリガオ海峡に突入することを決意、25日未明にスリガオ海峡に達した西村艦隊だったが待ち伏せていた戦艦6隻、重巡洋艦4隻、軽巡洋艦4隻、駆逐艦26隻、魚雷艇39隻 の集中攻撃にさらされてしまう。
深夜3時8分から駆逐艦と魚雷艇の波状攻撃が始まり、まず戦艦扶桑が駆逐艦メルヴィンの魚雷4本を受け戦線離脱、20分後に弾薬庫に引火して轟沈、次に駆逐艦「マクデルマット」、「モンセン」、「リメイ」より魚雷27本の攻撃を受けて駆逐艦山雲、満潮、朝雲が被雷、撃沈してしまった。戦艦山城にも魚雷2本が命中して速力が低下する。
4時前にレイテ湾入り口で「丁字陣形」で待ち受ける米戦艦、米巡洋艦部隊と遭遇、すでに艦隊は半減し、援護も望めない戦況下であったが西村中将は山城から「ワレ魚雷攻撃ヲ受ク、各艦ハワレヲ顧ミズ前進シ、敵ヲ攻撃スベシ」と命令を下し重巡最上、駆逐艦時雨と共に突撃を行った。
3時50分、米艦隊は距離13500mでレーダー照射による砲撃を開始した、山城も最上と共に反撃を試みるもレーダー装備が整っていない両艦は有効な反撃を行えず、大口径弾300発、小口径弾4,000発の砲撃を一方的に打ち込まれることになる。 
最上は敵の砲弾が機関部に命中 して戦線離脱、山城も駆逐艦からの雷撃を受け速力が低下、その後火薬庫に引火して大爆発を起こした。
爆発により艦橋は崩れ落ち、戦闘能力は完全に失われたが、それでもなお山城は1、2番主砲から反撃の砲撃を行ったという。
しかしまもなく力尽き艦長篠田勝清は総員退去を命令するも、わずか2分後の4時19分 、右舷に傾斜し艦尾より転覆、沈没して27年の長い生涯を終えた 。

山城の1400名あまりの乗組員のうち生存者は2名のみ。
当初は多数の生存者が海面を漂っていたが、多くが米軍の救助を拒否して自決、また近くの島に上陸した少数の生存者も丸腰だったため殆どが原住民の襲撃により殺害され たという。


国家の期待を一身に受けながら生まれる前から時代遅れといわれ、国運をかけた大戦では同時期に作られた金剛型が大活躍するのを尻目に本土での待機の日々を過ごし、戦力枯渇と共に引き出されるも最新のレーダー装備の敵艦隊に一方的に攻撃される。

生まれたその日から最後の撃沈の日まで時代に翻弄され続けた不運な艦であった。


※参考資料
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%9F%8E_(%E6%88%A6%E8%89%A6)
http://www.ne.jp/asahi/kkd/yog/gf4_5.htm

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台詞一覧
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|状況    |台詞|関連する史実や元ネタ、解説など|
|自己紹介|扶桑型戦艦姉妹、妹のほう、山城です。あの、扶桑姉さま、見ませんでした?|スリガオ海峡海戦時、旗艦山城は扶桑の落伍に気付かなかったと言われている|
|秘書クリック会話①|扶桑お姉さま?||
|秘書クリック会話②|不幸?私が?ち、違いますから|扶桑型はその悲惨な運命から日本海軍随一の不幸な艦とされている|
|秘書クリック会話③|姉さま!? なんだ…提督か||
|戦績表示時|手紙…不幸の手紙かしら…!?||
|編成選択時|扶桑型戦艦山城、出撃します!||
|装備時①|姉さまより先でいいのでしょうか?||
|装備時②|近代化改装…これで、欠陥戦艦とは言わせないし|史実参照、残念ながら何回改装しても欠陥でした・・・|
|装備時③|不幸だわ…||
|>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)|
|ドック入り|わたし…大体ドックにいますよね…|「艦隊にいるほうが珍しい戦艦」の異名より|
|ドック入り(重傷)|艦隊にいるほうが珍しい戦艦って…ひどい言い方するのね|扶桑型は多くの欠陥を抱えており、その対処のために度々ドック入りしていた|
|建造時|姉さま?新しい艦ができたみたい||
|艦隊帰投時|艦隊が帰ってきました…||
|出撃時|姉さま…山城、必ず帰ってきます!||
|戦闘開始時|敵艦隊発見!砲戦、用意して!||
|航空戦開始時|姉さまも戦っているかしら…|改のみ・夜戦攻撃時と同じ|
|攻撃時|主砲、よく狙って……ってー!||
|夜戦開始時|いよいよ夜戦…いやな予感がするの…|撃沈した戦いが夜戦であった|
|夜戦/航空攻撃時|姉さまも戦っているかしら…|山城は姉妹艦扶桑と共にでスリガオ海峡で夜戦を戦った&br()台詞は航空戦開始時と同じ|
|MVP時|えっ?私が活躍したの…?うそ、そんな!?…本当!?姉さま、見ててくれた!?|旧型戦艦である山城は長らく後方に置かれ、活躍の機会はなかった|
|被弾小破①|痛い!やっぱり不幸だわ…||
|被弾小破②|被弾!?弾薬庫に火は回ってない!?|弾薬庫への引火が致命傷となった|
|被弾カットイン|やだ、魚雷…?各艦は私を省みず前進して、敵を撃滅してくださ~~~い!|スリガオ海峡の夜戦にて、多数の魚雷が命中した山城から、西村祥治中将は&br()「我魚雷を受く。各艦は我に省みず前進し、敵を攻撃すべし」と残存艦に指令を出した|
|撃沈時(反転)|COLOR(white):扶桑姉さま…あちらの世界でもご一緒に…||


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コメント
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- wikipediaを参考に色々みながら史実情報追加、山城さんの不幸と自分の文才の無さに涙が止まらないよ;;  -- 名無しさん  (2013-05-03 15:05:53)
- ドック入り	わたし・・・だいたいドックにいます。>~ドックにいますよね?  -- 名無しさん  (2013-05-12 02:48:46)
- ちょこっと元ネタ追加  -- 名無しさん  (2013-05-20 01:53:22)
- ドック入りする度に顔面修復してる整形美女である ※実際に入渠ドックへ突っ込むとよくわかります  -- 名無しさん  (2013-05-23 01:32:03)
- CV)藤田 咲  -- 名無しさん  (2013-06-07 09:37:32)
- 姉ともども悲壮感漂いすぎだろ……大丈夫、うちの艦隊じゃ主力だから!  -- 名無しさん  (2013-06-07 22:26:59)
- 艦隊帰投時の台詞、ものすごく疲れ切っているように聞こえるのは何か元ネタがあるのだろうか  -- 名無しさん  (2013-06-13 18:01:29)
- 史実ではたまに出撃してもなにもできず空しく帰投するばかりだったから、そのせいではないだろうか。  -- 名無しさん  (2013-06-18 20:49:15)
- 立ち絵の手が変・・・  -- 名無しさん  (2013-06-26 04:26:54)
- 原住民という表現になんか悪意を感じるな。旧軍がそれほど当時のフィリピン人から恨まれてたって話でしょ。  -- 名無しさん  (2013-06-27 23:52:16)
- 「姉さま!? なんだ…提督か」ってひどすぎる・・w  -- 名無しさん  (2013-06-28 21:33:51)
- 実際、当時は「未開の原住民」がいっぱいいたんだよ。台湾でも漂着民が殺される事件が起きてる。  -- 名無しさん  (2013-06-29 03:28:16)
- フィリピンのそれは違うけどな。普通にバターンとかで恨み買ってたし、第一台湾の事件とは規模も桁違いだ。  -- 名無しさん  (2013-07-01 15:59:21)
- 旗艦時の「艦隊が帰ってきました」はボロ戦艦故華々しい戦果上げる他の艦の見送りばっかだったからでしょ  -- 名無しさん  (2013-07-01 16:59:42)
- 原住民に粘着してる人がいるけど、違うなら典拠を出して書きなおせばいいじゃない。ここで暴れても仕方ないよ。  -- 名無しさん  (2013-07-02 21:34:43)
- 服破れ絵が図鑑と戦闘中で違う・・・よね?  -- 名無しさん  (2013-07-11 19:38:38)
- 改造すると扶桑姉妹とも露出が増えて立ち絵が微妙に変わりますね  -- 名無しさん  (2013-07-11 21:47:02)
- あれ?でもシュトランド海戦って結局イギリス側の勝ちじゃないの?  -- 名無しさん  (2013-07-14 18:50:46)
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