#image(No092.jpg) #contents ---- *CV ---- 藤田咲 ---- *Illustrator ---- ??? ---- *史実情報 ---- #image(shiranui.jpg) 「不知火」は[[陽炎]]型2番艦として浦賀船渠で1937年8月に起工、1939年12月に竣工し 同時に第18駆逐隊に編入され、11月15日、第2艦隊第2水雷戦隊に編入された。 「不知火」の名を持つ駆逐艦としては、日本海海戦にて第五駆逐艦隊旗艦として活躍した、英ソーニクロフト社製の初代に続き二代目。 なお、「不知火」とは九州八代海や有明海で夏の夜に発生する一種の蜃気楼現象であり、近代以前は妖怪のしわざ扱いされていた。 一方姉の名の「[[陽炎]]」は夏の真昼間、カンカン照りの時に起きる現象であり、陰陽対をなす言葉がそのままキャラにも反映されているのではないだろうか。 太平洋戦争開戦時には、同型艦「[[陽炎]]」、朝潮型「[[霞]]」「[[霰]]」と共に第18駆逐隊に属し、機動部隊の警戒隊として行動した。 1941年11月26日、ハワイ攻撃機動部隊の護衛として単冠湾を出港、ハワイ作戦(真珠湾攻撃)に参加した。 1942年1月8日、柱島泊地を出港し機動部隊とラバウル攻撃に従事、 以後、2月には第2航空戦隊のポートダウィン攻撃、ジャワ南方機動作戦、4月のセイロン沖海戦に参加し、 4月23日、呉に入港し入渠修理を行った。5月にサイパンに進出、6月のミッドウェー海戦に攻略隊の護衛として参加した。 6月28日、横須賀から水上機母艦「[[千代田]]」、「あるぜんちな丸」の護衛としてキスカに向かった。 7月5日、第18駆逐隊はキスカ島沖で濃霧のため仮泊中していたが、あまりに沖合であり無防備に過ぎた。 案の定、米潜水艦「グロウラー」(SS-215)の雷撃を受け、「不知火」は右舷第一缶室に魚雷が命中、 艦体が断裂しかかり大浸水を起こして沈没に瀕するも、応急処置によりどうにか沈没を免れた。 この時の第18駆逐隊の被害はこれだけでなく、「[[霰]]」は一発目が命中後反撃に転ずるも二発目が命中、艦体が真っ二つに折れて轟沈し104名が戦死、 司令艦の「[[霞]]」も魚雷一本を受け艦首が破断大破、大火災が発生し10余名の死者を出した。 第18駆逐隊はたった一撃で「陽炎」以外の全艦が壊滅するという事態に陥ったのである。 米潜水艦「グロウラー」艦長はこの功績によって感謝状が授与された一方、 第18駆逐隊は「何をしていたのか」「油断していたのではないか」と海軍内で非難の矢面に立たされ 最終的に第18駆逐隊司令宮坂義登大佐が責任を取り切腹自決するに至った。 艦体が千切れかかった「不知火」の航行は困難を極めたため、救難隊は仕方なく1番煙突より前方を破壊切断し、 後進で曳航することによりどうにか帰還することができた。 8月15日、第18駆逐隊は解隊し、「不知火」は9月3日から翌年11月15日まで舞鶴工廠で1年以上にわたって大修理を実施した。 1944年1月、ウェワク輸送に従事、3月に呉工廠で水中探信儀装備工事を実施し、4月、北方部隊に編入され大湊、千島方面の護衛活動を行った。 6月に25ミリ機銃を増設し、6月末まで再び北千島方面で北方作戦に従事し、さらに硫黄島輸送、 8月12日、「[[木曾]]」「[[多摩]]」「[[霞]]」と共に父島への輸送に当たった。 10月25日、レイテ沖海戦において志摩艦隊に属し、「[[那智]]」の指揮下「[[足柄]]」「[[阿武隈]]」「[[霞]]」「[[潮]]」「[[曙]]」とともにスリガオ海峡に突入。 しかし、志摩艦隊は先行した西村艦隊の「[[扶桑]]」「[[山城]]」が炎の塊と化している惨状を目の当たりにして愕然となり、 さらに旗艦「[[那智]]」が大破炎上漂流中の「[[最上]]」と衝突損傷したため進撃を断念。戦果はなく、コロン湾に帰投した。 2日後の27日、レイテ沖海戦で損傷した「[[鬼怒]]」の救助に向かったが発見できず、 帰途に米空母艦載機の攻撃によりフィリピン諸島シブヤン海にて沈没。荒艦長以下全員が戦死した。 同年12月10日に除籍された。 &table_color(table1,#ddd){} |>|>|~艦歴| |起工|1937年08月30日|於浦賀船渠| |進水|1938年06月28日|| |就役|1939年12月20日|第18駆逐隊へ編入| ||1942年07月04日|キスカ島にて米潜水艦の雷撃を受け大破| ||1942年08月13日|第18駆逐隊解隊に伴い舞鶴鎮守府所属へ変更| ||1943年09月3日|舞鶴海軍工廠に入渠| ||1943年11月15日|戦列復帰| ||1944年03月31日|第18駆逐隊再建に伴い同隊へ編入| ||1944年10月25日|スリガオ海峡海戦(捷一号作戦)に参加| |戦没|1944年10月27日|軽巡洋艦「鬼怒」捜索の帰途、シブヤン海にて攻撃を受け沈没。乗組員全員戦死| |除籍|1944年12月10日|| ---- *台詞一覧 ---- &table_color(table2,#ddd){} |~状況 |~台詞 |~関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|不知火です。ご指導ご鞭撻、よろしくです| | |秘書クリック会話①|不知火に何か御用ですか|| |秘書クリック会話②|お呼びですか指令|| |秘書クリック会話③|何でしょうか?不知火に落ち度でも?|もちろん不知火のみの落ち度ではないが、所属の第18駆逐隊壊滅は海軍内で非難の的となり、結果駆逐隊司令が責任を取り切腹したという過去を持つ| |戦績表示時|通信が入っています|| |編成選択時|水雷戦隊出撃します|「すいらいせんたん」とは言っていない、いいね?| |装備時①|良い改装ですね 助かります|| |装備時②|あら…いい強化 感謝します|| |装備時③|まあまあね|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|まだ航行できますが…ご命令ならば|| |ドック入り(重傷)|じっとしてるのは性に合いませんね|| |建造時|新造艦が完成したようです|| |艦隊帰投時|作戦が終了しました|| |出撃時|期待に応えてみせます|| |戦闘開始時|沈め…|| |攻撃時|それorつまらぬor沈め|| |夜戦開始時|徹底的に追い詰めてやる|我々の業界ではご褒美です| |夜戦攻撃時|弱いのね…|もっと蔑むように罵ってください!| |MVP時|つまらないわね。もっと骨のある敵はいないの|| |被弾小破①|そんなので…不知火は沈まないわ|| |被弾小破②|「くっ!」or「んっ!」or「うっ!」|| |被弾カットイン|ウッフフ・・・不知火を怒らせたわね・・・|中破・大破すると他の艦娘とは違い不敵な表情になる| |撃沈時(反転)|COLOR(white):死なばもろとも・・・あなたも一緒よ・・・!|| ---- *同型艦 [[陽炎]] ― &bold(){不知火} ― [[黒潮]] ― 親潮 ― 早潮 ― 夏潮 ― [[初風]] ― [[雪風]] ― [[天津風]] ― [[時津風]] ― [[浦風]] ― [[磯風]] ― [[浜風]] ― [[谷風]] ― [[野分]] ― 嵐 ― 萩風 ― [[舞風]] ― [[秋雲]] ---- *コメント ---- 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=不知火/コメント)