熊野

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熊野 - (2013/08/28 (水) 06:40:16) のソース

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*CV
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ブリドカット セーラ 恵美 

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*史実情報
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最上型重巡洋艦4番艦「[[熊野]]」、本艦の特筆すべき点は、その日本海軍史上随一の悲壮な&bold(){最期}である。
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ロンドン海軍軍縮条約により、日本は艦艇の保有数に制限がかかった。
「最上型」は、その条約失効を狙って、表向きには軽巡洋艦として建造されたものの、実質は重巡洋艦にすぐさまモデルチェンジできるような設計となった。
第四艦隊事件により「最上型」は船体強度に問題があることが判明したため、船体線図が途中で改正された。
そのため「[[最上]]」「[[三隈]]」とは船体形状に違いがあり、「鈴谷型」([[鈴谷]]・[[熊野]])と分類されることもある。
また、ボイラーが「[[最上]]」「[[三隈]]」の重油専焼罐大型8基小型2基の計10基から、重油専焼罐大型8基に変更されている。
そのため、第3砲塔と艦橋構造物との間の大型吸気トランクがなく、一番煙突の太さもボイラー数の減少の分だけ径が細くなっている。
1934年4月5日、川崎重工業神戸造船所にて起工。1936年10月15日に進水し、1937年10月31日就役する。
1939年に当初主砲として搭載されていた15.5cm3連装砲をに20.3cm連装砲に換装。重巡となった。

太平洋戦争開戦後は、マレー上陸作戦に参加、、1942年3月1日にはバタビア沖海戦、6月5日から7日にかけてミッドウェー海戦に参加する。
この戦いで同じ第七戦隊に所属していた姉妹艦「[[最上]]」と「[[三隈]]」が衝突し、「[[三隈]]」が沈没、「[[最上]]」が大破する。
その後、インド洋での通商破壊作戦に従事すべく、損傷のなかった同型艦「[[鈴谷]]」と共にマレー半島のメルギに進出した。
出撃前の8月7日、米軍はガダルカナル島とショートランド諸島に上陸を開始し、ガダルカナル島の戦いが始まる。
「[[熊野]]」と「[[鈴谷]]」は通商破壊作戦を中止してトラック泊地へ向かい、8月22日に南雲忠一中将率いる第三艦隊(南雲機動部隊)と合流した。
機動部隊における「[[熊野]]」の役割は、第十一戦隊の戦艦「[[比叡]]」、「[[霧島]]」と共に前衛部隊として米軍の攻撃を通報・吸収する役目だった。つまり「&bold(){駆逐艦兼おとり}」。
8月24日の第二次ソロモン海戦ではB-17爆撃機と交戦。10月26日の南太平洋海戦では、空母「[[翔鶴]]」「[[瑞鶴]]」「[[瑞鳳]]」からなる機動部隊本隊の直衛に編入されて戦った。
「[[鈴谷]]」は前衛のままであった。その後は1944年6月19日のマリアナ沖海戦に参加した。

ここまで見ても、主要な海戦にはほぼ全て参加していることが分かる。
そんな本艦は、その命燃え尽きる最期まで激戦を繰り返した。
「[[熊野]]」は最期の1ヶ月間に魚雷6、8本を喰らい、爆弾10発の多大な被害を受けているのである。

時は1944年10月25日、日本が「天王山」と称したレイテ沖海戦。
この戦いがあるまで、日本の重巡戦力はソロモン沖海戦でダメージを受けるも、主力の「妙高型」「高雄型」「利根型」は全艦が稼働しており、最上型も「[[三隈]]」を除く3隻が無事であった。
だが、このレイテ沖海戦により、参加した重巡13隻のうち、なんと6隻が海の底に沈んでいってしまう。
その中の、サマール沖海戦に参加した「[[熊野]]」は味方の空母を守るべく、煙幕を張りながら果敢に敵陣に突っ込んだ。
だがその一瞬の隙を突かれ、米駆逐「ジョンストン」からの魚雷を受けて&bold(){艦首錨孔より前を吹き飛ばされ、さらにその後の空爆によって左舷缶室が浸水}してしまう。
「ジョンストン」はその後、戦艦「[[榛名]]」の怒濤の反撃と「[[雪風]]」の雷撃が決め手となり海中に没するも、「[[熊野]]」は航行不能に陥る。
しかし必死の応急処置により、何とか12ノットの速力が出せるようになった「[[熊野]]」はレイテ突入を断念、撤退を開始する。
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ここから「[[熊野]]」の永い永い日本本土への旅が始まった。


ただ1艦、西に向けて進んでいた「[[熊野]]」は、途中で直掩部隊に出会う。水上爆撃機「瑞雲」3機、艦上攻撃機「天山」1機である。
上空から見る「[[熊野]]」は艦首が吹き飛ばされて艦様が変わっており、これを&bold(){損傷した敵艦と判断}した直掩部隊は次々と「[[熊野]]」に襲い掛かった。
幸い、命中弾こそ無かったものの、友軍機の錬度も落ちていて、敵味方の識別すら満足に出来なくなっていることを艦長は痛感したという。
その後、今度は雷爆連合35機が来襲し、「[[熊野]]」は防空戦闘を開始、サンベルナルジノ海峡で単艦死闘を繰り広げる。
魚雷と爆弾の全てを回避、約30分に渡った空襲を切り抜けた。
しかし翌日10月26日には、80機もの米軍機による急降下爆撃を受ける。
&bold(){艦橋左舷、煙突付近に3発命中し右舷缶室にも被害}を受け、一時航行不能に陥るも回復、10ノットでコロンに向かう。途中3回空襲を受けたが奇跡的に無傷であった。

コロン湾で補給を受け、今度はマニラ湾で修理を受けるために航行を続ける。駆逐艦「沖波」の護衛もあり、被害無くして10月28日にマニラ湾に入港した。
マニラ湾では、レイテ沖海戦によって甚大な被害を受けた「[[那智]]」などの多数の艦艇が入港しており、ドックを待つ艦が狭い湾に入り乱れごった返す始末。
このため連合艦隊司令から、「マニラで応急措置を施し内地で修理を行え」との命令を受ける。
艦首が吹き飛ばされてマトモに投錨できない「[[熊野]]」は給油艦「隠戸」に横付けして速力を治すための応急修理のみを行い、日本へ戻ることになった。
この修理によって、速力は15ノットに回復し、船団の護衛つきで、大破して5ノットの速力しか出せなくなった重巡「[[青葉]]」と共に中継地点のサンタクルーズ港へ向かう。

11月5日、マタ31船団を護衛してマニラを出港しサンタクルーズへ移動する。この頃「[[熊野]]」には別に困ったことがあった。
2週間前のサマール沖海戦からの撤退から相次ぐ空爆に応戦し続けた結果、&bold(){弾薬が欠乏していた}のである。
幸いにしてこの航海時には空爆も受けずに無事サンタクルーズ港へ辿り着き、「[[青葉]]」からも弾薬を分けてもらうが、それでも不足を補うことは出来なかった。
これが、「[[熊野]]」の最期に大きく響くこととなる。

11月6日、サンタクルーズ港を出港しバシー海峡へと一行は向かう。しかし、この海峡は米潜水艦の潜伏地域でもあったのだ。
リンガエン湾から北にかけて、米軍は潜水艦を常時展開し、日本の最も重要な航路の一つを見張っていたのである。
案の定、突入するや否や、米潜水艦「ブリーム」「グイタロ」「レイトン」「レイ」の4隻が船団を襲撃。
35分に渡った合計4回に渡る雷撃攻撃。その4回目に「レイ」から放たれた4本のMk18魚雷。その内2本を「[[熊野]]」はかわしきれなかった。
その魚雷は&bold(){1本が艦首に命中し1番主砲の前で船体切断、もう1本が1番機械室に命中し機械室全室浸水}。これによりたちまち航行不能に陥ってしまう。
油槽船「道了丸」に曳航され11月7日、1.5ノットで命からがらサンタクルーズ港へ戻った「[[熊野]]」だが、その2日後に台風が襲来。あわや沈没かと思われたが一命をとりとめた。
しかし復水器の破損や蒸気漏れのため、台湾の高雄に到着するまでに必要な真水500tが不足、ドラム缶を使い&bold(){川から真水を毎日30tずつ運んで復旧}させている。
途中で小規模の空襲もあったが、11月21日までに缶1基と主機1基を整備。速力6ノットが可能になった。しかし度重なる応戦によって弾薬の窮乏は深刻な事態となっていた。

ここまで、あの手この手で復旧を行い、命がけで航海を続けた「[[熊野]]」だが、その悲願=日本への帰還はついに達成されなかった。

11月25日朝、出航準備が整う寸前、アメリカ連合艦隊によりサンタクルーズ港を含む一帯は大規模空襲を受ける。
「[[熊野]]」は被害を出さなかったものの、応戦によって残弾は約3000発となり、&bold(){1つの砲門から放てる弾薬は80発にも満たなくなってしまった。}
そして同日14:30分、米空母「タイコンテロガ」から放たれた艦載機が、回避運動もままならない「[[熊野]]」に対して集中砲火を浴びせる。
&bold(){艦橋後部に1弾、艦橋後部右舷に連続して2本の魚雷が命中、一番砲塔左舷横と飛行甲板左舷にも1本ずつ命中。爆弾も3発から5発が二番砲塔左舷に降り注いだ。}
左舷に傾いた「[[熊野]]」はそのまま転覆、艦長以下400名も一緒に海に沈んでいった。1944年11月25日、15時30分のことあった。
サマール沖海戦での撤退から1ヶ月、満身創痍の身体ながら、計15回以上に及ぶ空襲を傷だらけになりながらも切り抜け、あらゆる措置を施してまで日本へと帰ろうとした「[[熊野]]」。
その思いはついに届くことなく、フィリピン島サンタクルーズ沖にその身を沈めて果ててしまった。
彼女が最期に夢見たのは、なんだったのであろうか。
レイテ沖海戦では同型艦「[[最上]]」「[[鈴谷]]」も沈没。「[[熊野]]」の沈没により最上型は全艦戦没してしまった。
「[[熊野]]」のラスト1ヶ月の決死の戦いは、&bold(){日本の物資、物量における弱体化}を象徴づける一つのエピソードといえるものである。
1945年1月20日除籍。
なお、途中まで一緒だった「[[青葉]]」は無事に日本に帰還。呉で浮き砲台となって終戦まで戦い抜いた。

1968年12月2日、観光中のダイバーがサンタクルーズ沖で海底に沈んだ「[[熊野]]」を発見し、遺骨約50柱を海底から持ち帰った。


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*台詞一覧
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|状況    |台詞|関連する史実や元ネタ、解説など|
|自己紹介|ごきげんよう。わたくしが重巡熊野ですわ||
|秘書クリック会話①|あら提督、熊野になにか御用?||
|秘書クリック会話②|今頃ご出勤? のろまなのねえ… |会社によって出勤時間はバラバラなので決してそんなことはない。|
|秘書クリック会話③|この熊野に気安く触るなんて、提督もなにか勘違いされているのではなくって? ||
|戦績表示時|提督に軍令部よりおしかりのご連絡ですわ|多大な損失を出せば当然軍令部からのおしかりがやってくる。それも冷徹に|
|編成選択時|承りましてよ||
|装備時①|貰ってあげてもいいけど…||
|装備時②|あまり下品な兵装は嫌よ?|日本は小柄の艦形に無茶な兵装を施すために、紳士の国イギリスからの印象は悪かった|
|装備時③|よろしくてよ||
|>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)|
|補給時|なんかもう、いっぱいですわ||
|ドック入り|まあ、お風呂は嫌いではないけれど||
|ドック入り(重傷)|全身エステ、フルコースでお願いするわ||
|建造時|あら、また新しい子を雇ったの?良いけれど…||
|艦隊帰投時|艦隊が帰投いたしましたわ||
|出撃時|承りましてよ||
|戦闘開始時|一捻りで黙らせてやりますわ||
|航空戦開始時|とぉぉ↑おう↓!!||
|攻撃時|ひゃあー! or 一捻りで黙らせてやりますわ||
|夜戦開始時|夜戦?どこかの馬鹿が好きでしたわね|間違い無く「川内」さんのこと|
|夜戦攻撃時|とぉぉ↑おう↓!!||
|MVP時|MVP、それは今どきのレディの嗜みの一つでもありますわ。ありがたく頂戴いたします|COLOR(white):マジか|
|被弾小破①|服が汚れたじゃない!||
|被弾小破②|きゃぁっ!な、何をするんですの!?||
|被弾カットイン|わたくしに、このような格好をさせるとは…ありえませんわ||
|撃沈時(反転)|COLOR(white):こんな所で沈むなんて…&br()故郷の神戸で、可愛い服を着て、神戸牛を食べたかった…ですわ|COLOR(white):「熊野」は神戸生まれの神戸育ち。満身創痍で日本を目指すもついに帰れなかった|

|時間|台詞|関連する史実や元ネタ、解説など|
|00:00|深夜0時ですわ||
|01:00|1時よ?お肌に悪いわ。熊野の美貌に対する挑戦なの?||
|02:00|提督?いつまで起きていらっしゃるの?2時よ||
|03:00|深夜3時ですって?ありえませんわ!||
|04:00|深夜4時よ…付き合ってられませんわ||
|05:00|も~!深夜っていうか、朝5時ですわ!||
|06:00|6時よ、ちゃんと目をお開けなさいな||
|07:00|7時になりましてよ。提督のおかげで寝不足でしてよ?|提督のいびきがうるさかったのか、はたまた夜の営みが激しかったのだろうか|
|08:00|8時ですわ。私の髪、つくってくださる?||
|09:00|もう9時よ、遅刻でなくって?|帝国海軍の始業は午前8時である|
|10:00|あら?今日は何もありませんの? 10時ですのに…||
|11:00|11時…仕方ないので、付き合ってあげますわ||
|12:00|12時。わたくし、ランチにはサンドイッチを所望しますわ|サンドイッチは元々貴族の間で嗜まれていた|
|13:00|提督?わたくしコンビニとやらのサンドイッチ、初めていただきましたわ。意外にいけるんですのね…&br()ああ、13時ですわ||
|14:00|14時よ。食事の後は仮眠をとりますの。では、ごきげんよう、提督||
|15:00|15時ね。仮眠の後はスッキリするので、勉強も仕事も、艦これも、効率が良いと言われているわ|仮眠は一般的に15分から30分が良いとされている&br()だがそれ以上を過ぎると脳の活性を妨げたり、夜眠れない原因の一つとなる|
|16:00|提督、16時ですわ。熱心に何を見てらっしゃいますの?||
|17:00|17時。熊野はエステの予約がありますの。そろそろ失礼させてもらっていいかしら||
|18:00|18時。わたくし、エステ中でしてよ?提督。遠慮してくださるかしら||
|19:00|19時ね。はあ、気持ちよかった…あら、提督。いらしたの?||
|20:00|提督、20時よ。ローズヒップティーでも、ご一緒にいかが?|「ビタミンの爆弾」との異名を持つハーブティーの一種&br()特にビタミンCを非常に多く含み、肌荒れを始め様々な症状に効果的|
|21:00|21時になりましたわ。遅めのディナーも、よろしいんじゃなくて?||
|22:00|22時。わたくし、美容のため仮眠いただきますわ||
|23:00|23時です、提督。夜はこれから、どうされるのかしら||
|放置時|くぁ、ふわぁ、あぁ、あぁ…わたくし、ちょっと眠くなってきましたわ…||
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