あきつ丸

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あきつ丸 - (2014/01/02 (木) 04:17:39) のソース

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*CV
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声優さんの名前

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*解説:陸軍特種船
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あきつ丸の史実説明を行う前に、陸軍特種船について簡単に説明したいと思う。
陸軍特種船は迅速な上陸戦を行うべく建造された上陸用舟艇母船や大型揚陸艇などのことで、ここでは主に上陸用舟艇母船の方を扱う。
その役割は現在の揚陸艦と同じで、武装した兵員や戦車・火砲を搭載した上陸用舟艇を随時発進させることにある。
運用は陸軍工兵隊、1943年以降は陸軍船舶兵部隊(暁部隊)により行われていた。

帝国陸軍は大正時代末、第一次大戦におけるガリポリ上陸作戦の失敗や、日本の地理条件を鑑み、将来行われるであろう上陸戦に備えた軍備の開発を始める。
その結果帝国陸軍が開発したのが上陸用舟艇『大発動艇』と『小発動艇』であった。
この二つの揚陸艇は1932年の第一次上海事変における上陸戦で多大な戦火を上げたが、しかしまたこの上陸戦はひとつの問題点も明らかとした。
上陸用舟艇は確かに迅速な兵員・機材の上陸を可能としたのだが、その前の段階。つまり上陸前の兵員・荷物積載の時点にまだ問題があったのだ。
第一次上海事変では以下の手順で兵員・機材の揚陸が行われていた。
1:輸送船が空荷の上陸用舟艇を海面に下ろす。
2:上陸用舟艇に縄梯子や船備え付けのクレーン(デリック)で兵員や機材を載せる。
3:上陸開始。
だがしかし、縄梯子やデリックによる兵員・貨物積載は海面状況によっては難しい場合もあり、また大規模な上陸戦においては非効率的で、奇襲作戦にも不向きだった。
そのために陸軍はより迅速で簡単な上陸戦を行える、上陸戦専用の輸送船の開発に着手したのである。
なお、陸軍が船舶の運行を行うというのも妙な話だが、これはこの当時の帝国海軍は対米艦隊決戦のための戦闘艦を整えるのが精一杯で、輸送船の整備など期待できなかっためであった。
しかも当時はまだ世界的にも、陸軍の使用する輸送船の運用を陸軍の船舶部隊が行うことは普通だった面もある。

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特種船「神州丸(しんしゅうまる)」。機密保持のため「龍城丸(りゅうじょうまる)」、MT船、GL船などの仮名も使われた。

こうして1934年に竣工した上陸戦専用の輸送船、陸軍特種船の第一船が「神州丸」であった。
「神州丸」は船内に全通式の舟艇格納庫を持ち、上陸戦時には船尾に設けられた扉が開いて、そこから兵員・馬匹・機材を既に搭載した上陸用舟艇を着水・発進させることができた。
さらに「神州丸」は上陸戦時の航空支援も鑑み、上部甲板に航空機格納庫と火薬式の射出機も備えていた。
ここから射出された航空機は作戦行動を行った後、接収した敵飛行場への着陸か、それでなければ乗員を脱出させ、どこかに不時着させることとなっていた。
海軍による設計協力もなされたこの「神州丸」は世界初の強襲揚陸艦と言われ、その存在は軍機扱いとされながらも上陸演習や支那事変で大きな運用実績を築いたのであった。

だがしかし、「神州丸」もまだ不満点が幾つか残る船であった。
まずは防諜上の面で、巨大な箱型の上部構造物などの特異すぎる外観が不利と働いたことである。
更に「神州丸」の航空機運用設備は航空機の発達により、ものの数年で陳腐化してしまう羽目となり、また実際に使う機会も非常に少なかった。
そしてこれは「神州丸」の欠点ではないが、陸軍には大量の船舶を維持・運用するだけの予算がなかったのである。
陸軍はこれらの問題点を洗い出すとともに、量産型の陸軍特種船の建造に着手したのである。

量産型陸軍特種船は大きく分けて三タイプあり、甲型・甲小型・丙型に分けられる。
甲型は全通式の揚陸甲板や通常の民間船よりも強力なクレーンこそ備えているものの、外観は通常の貨客船と大きく変わること無く、平時は民間の船会社によって貨客船として運用される船であった。
甲小型は甲型を小型化、砕氷機能を付与したタイプであった。
そして丙型は航空母艦にも似た全通式の航空甲板を有し、「神州丸」で想定された航空支援をより確実なものとした船である。
これらに加え、戦時中には甲型・丙型の戦時標準型であるM甲・M丙型も建造された。

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甲型特種船の一隻、「吉備津丸」。特種船は所有会社側に事情がなければ、主に「津」の字が使われた((例外が大阪商船の命名ルールに則った「摩耶山(まやさん)丸」など))。

陸軍特種船は「神州丸」を含めて10隻が建造されたが、実際に上陸戦に供されたのは「神州丸」と量産型一番船の「あきつ丸」だけであり、多くは通常の輸送船として使用された。
これは緒戦以降に帝国陸軍が大規模な上陸作戦を行う機会が殆どなくなり、輸送には海軍艦艇を用いることが多くなってしまったためでもある。
そしてそのほとんどは太平洋戦争で他の民間輸送船と同じく戦没し、終戦まで残っていたのはM甲型の「摂津丸」とM丙型の「熊野丸」のみであった。
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*史実情報
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上述したとおり、量産型陸軍特種船の一番船として1942年1月に兵庫の播磨造船所にて竣工した。
船体は民間の貨物船をベースにしており、上陸用舟艇の格納・発進設備と航空甲板を備えた、現代の強襲揚陸艦を彷彿とさせる作りとなっている。
航空甲板はエレベーターと船内格納庫も備えた本格的なものであったが、民間船ベースのため速力が21ktと遅く、重量のある機体や滑走距離の長い機体は発進が不可能だった。
そのためか、当初の搭載予定機は全金属機ながら軽量で翼面荷重の低い九七式戦闘機が選ばれていた((まだ次世代の一式戦闘機「隼」の配備が進んでいない背景もあっただろうが、一式戦では多分滑走距離が足りなかったと思われる))。

初陣は1942年3月1日の蘭印作戦におけるジャワ島上陸作戦で、「あきつ丸」は「神州丸」改め「龍城丸」とともに第16軍の揚陸任務に参加。
「あきつ丸」はジャワ島のメラク海岸における陸軍第2師団の揚陸を担当し、ジャワ島上陸作戦を成功に導いたのであった。
だが、上陸作戦の最中に沖合でABDA艦隊残党と日本艦隊が戦闘を繰り広げており(バタビア沖海戦)、重巡「[[最上]]」が上陸地点を背にした敵艦隊に向けて酸素魚雷を発射。
この酸素魚雷は敵艦隊には当たらなかったものの、数十キロ先にいた「龍城丸」に直撃。「龍城丸」はそのままメラク海岸に着底することとなった。
司令官の今村均陸軍中将も海に投げ出されてしばらく重油漂う海で泳ぐ羽目となり、無線機も水没したため第16軍も一時司令部機能を喪失することとなっている。

ジャワ島上陸作戦の後、「あきつ丸」、ひいては陸軍は大規模な上陸作戦を経験することも無かった。
「あきつ丸」自身もその飛行甲板から艦載機を発艦させることもなく、民間徴用の輸送船に混じってひたすら南方への輸送任務に就いていた。
ただ、「あきつ丸」の場合は持ち前の飛行甲板と格納庫を活かし、車輌や一式戦闘機「隼」の輸送を担当することも多かったと言う。まるで海自のおおすみ型輸送艦である。

大戦後期、米軍の潜水艦の跳梁跋扈が激化し、輸送船の被害も目に見えて増えていった。
海軍でもやっとその被害の大きさに気づいて対潜任務と船団護衛用の海防艦の本格的建造に行いだしたが、これも焼け石に水なのは明らかであり、陸軍も独自の船団護衛戦力を捻出せざるを得なくなる。
そこで戦力として見出されたのが、航空機運用能力を有する「あきつ丸」であった。
陸軍は1944年4月に「あきつ丸」に対潜哨戒機を搭載した、対潜空母へと改造する事を決定。同年7月までに制動装置・着艦装置の装備と飛行甲板の拡幅、甲板上のデリック撤去などの工事が行われた。
(「あきつ丸改」はこの対潜空母への改造後の姿と思われる)
その搭載機には当時実用化されたばかりの茅場製作所製の弾着観測オートジャイロ「カ号観測機」が内定していたが、爆雷搭載量が少ないことと生産の遅れがネックとなり、取り消されている。
そして最終的にはSTOL性能と低速巡航性に優れ、爆雷搭載量も多い三式連絡機が艦載されている。
「あきつ丸」は同年8月から3ヶ月間日本・朝鮮半島間での対潜哨戒任務に就いたが、何も戦果は上げてはいない。

1944年11月、フィリピンを防衛する部隊を援護するため、陸軍は優秀な新型装備を装備した精鋭・第23師団の転戦を決定。
シンガポール行きの高速タンカーで構成されたヒ81輸送船団にフィリピンへの軍隊輸送船を随行させることとした。
第23師団の輸送任務は重要な任務であるため陸軍が直々に行うこととなり、そのため輸送船には陸軍特種船の4隻が供された。
「あきつ丸」もこの輸送船の一隻として船団に加入したのである。
ヒ81輸送船団は空母「神鷹」や多数の海防艦が護衛に投入されており、その対潜能力も決して低くない。
その上対潜哨戒機などの装備は輸送に支障をきたすため、「あきつ丸」は対潜武装と部隊を陸揚げして、この任務に就いたのである。
11月14日、「あきつ丸」を含むヒ81船団は伊万里湾を出港する。
しかし、既にこの時、日本海軍の暗号を傍受していた米海軍はその進路上に狼を放っていたのだ。

1944年11月15日正午、五島列島沖。ヒ81船団を待ち伏せていた米潜水艦「SS-393 クイーンフィッシュ」は目当ての羊の群れを見つける。
日本海軍の厳重な警戒網を難なく突破した「クイーンフィッシュ」は、輸送船の一隻に狙いを定めた。
それこそが、「あきつ丸」であった。
程なくして「あきつ丸」に、「クイーンフィッシュ」の放った魚雷が命中。
被雷による爆発で自衛用の爆雷、積み荷の弾薬が次々誘爆し、乗員や乗船中の第23師団の兵員2046名を載せたまま数分のうちに転覆、沈没してしまった。
戦局に翻弄された特異な陸軍特殊船「あきつ丸」は五島列島沖に、その姿を消したのであった。

なお、ヒ81船団はその後、陸軍特殊船「摩耶山丸」と護衛の空母「神鷹」を失っている。
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*台詞一覧
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|状況    |台詞|関連する史実や元ネタ、解説など|
|自己紹介|自分、あきつ丸であります。艦隊にお世話になります|      |
|秘書クリック会話①|提督殿、見たところこの部隊の編成には偏りがあるな、趣味でありますか?|やっぱり駆逐艦は最高だぜ!|
|秘書クリック会話②|将校殿、いや提督殿。このあきつ丸に御用でしょうか?|陸軍では「大尉殿」「連隊長殿」といった具合に、目上に対しては階級や役職のあとに「殿」を付けて呼ぶ|
|秘書クリック会話③|提督殿、そういう事はよその娘(こ)でお願いしたい|憲兵さんこちらです|
|戦績表示時|報告は随時確認されるがよろし||
|編成選択時|あきつ丸、いざ出航する||
|装備時①|ふむ、日々の手入れが行き届いておりますね||
|装備時②|この強化、感謝であります|陸軍特有の語尾「であります」は、雑多な方言をしゃべる地方出身者たちの言葉を統一する一種の標準語であった。ちなみに元は長州弁である|
|装備時③|まずまず、であります||
|>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)|
|補給時|ありがたい、のであります||
|ドック入り|ここが海軍の入渠ドックか||
|ドック入り(重傷)|海軍の入渠ドック、実にいい。はぁ||
|建造時|これが海軍工廠とゆうものか。あ、新しい艦が建造された。報告する||
|艦隊帰投時|艦隊が帰投したのであります||
|出撃時①|あきつ丸、いざ出航する||
|出撃時②|よーし、奴らを倒して陸を目指すぞ||
|戦闘開始時|自分には、敵艦隊が見えるのであります||
|攻撃時|それ、着弾(ちゃくだーん)・・・今|陸軍砲兵部隊の弾着観測の言葉である|
|夜戦開始時|大発、エンジンに火は入っているな||
|夜戦攻撃時|もう少し近づいて乗り込むであります||
|MVP時|自分、まだまだであります。精進するのであります||
|被弾小破①|う、自分被弾したのであります||
|被弾小破②|-||
|被弾カットイン|これでは将校殿にも、提督殿にも顔向けできない||
|撃沈時(反転)|COLOR(white):---||

|時間|台詞|関連する史実や元ネタ、解説など|
|00:00|-||
|01:00|-||
|02:00|-||
|03:00|-||
|04:00|-||
|05:00|-||
|06:00|-||
|07:00|-||
|08:00|-||
|09:00|-||
|10:00|-||
|11:00|-||
|12:00|-||
|13:00|-||
|14:00|-||
|15:00|-||
|16:00|-||
|17:00|-||
|18:00|-||
|19:00|-||
|20:00|にーまるまるまる、陸の潜水艦ですか?まるゆ?知りませんね|まるゆの建造が秘匿扱いされていたから?|
|21:00|-||
|22:00|-||
|23:00|-||
|放置時|提督殿。自分、待機も任務の一つでありますが、隊に所属してから少し寂しいと思うようになったであります||

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