天龍

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天龍 - (2014/10/28 (火) 18:14:17) のソース

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CV
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井口裕香

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史実情報
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 帝国海軍の天龍型軽巡洋艦一番艦。艦名は遠州灘に注ぐ河川、天竜川に由来する。
 姉妹艦の[[龍田]]に遅れて1919年11月20日に横須賀海軍工廠にて竣工した。
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 二等巡洋艦としては筑摩型防護巡洋艦以来久々の新造艦で、高速・重火力を発揮しての単艦偵察や水雷戦隊の指揮任務を敢行できる近代型軽巡洋艦として建造された。
 第一次大戦の折に、帝国海軍は観戦武官を英国に送るなどして、欧州大戦の経験を生かすべく戦術の研究に取り組んでいた。
 この際、近代型軽巡の始祖となった英海軍アリュシーザ級をはじめとする「偵察艦(スカウター)」の有用性に着目した。
 「偵察艦」は艦隊前方に散会、単艦で偵察行動を行う「艦隊の目」であり、戦略上特に重要な役割を果たす艦である。
 偵察艦の行動によって得られた敵艦隊の情報は、戦略にも大きく寄与しており、高速力・重武装の偵察艦が各国から着目されていたのである。

 また、ドイツ帝国海軍が多数の有力な水雷部隊を有しながら決定的な防御策が無かったため、英国海軍に撃破された戦訓から、
「水雷戦隊旗艦として駆逐艦を率い、襲いくる敵艦隊を退けられる巡洋艦」と言う、帝国海軍の水雷戦での巡洋艦ドクトリンもこの時に生まれることとなった。
 
 こうした背景を踏まえ、八四艦隊計画下で構想されたのが天龍型軽巡である。

 設計はアリュシーザ級軽巡を範に取り、それを帝国海軍風に改良・強化した艦となった。 
 艦体は当時の最新鋭駆逐艦である磯風型を純粋に拡大したものであり、アリュシーザ級よりも500tほど軽量な3200t程度の艦体になっている。
 ちなみに天龍型の前型となる筑摩型防護巡洋艦は排水量5000tで、約5分の3程度に小型化されたが、武装は総合的に見れば逆に強化されており、
また最大速力も筑摩型が26ktなのに対し、天龍型では7ktも優速な33ktを記録していた。小さくても凄い奴なのである。

 外見上の特徴は、艦首が滑らか曲線を描くスプーンバウ艦首で、これは当時帝国海軍が実用化した艦隊決戦用兵器「一号機雷」対策のために依っていた。
 一号機雷は機雷同士をワイアーで繋留し、敵艦の艦首が繋留ワイアーを引っ掛けると、引きずられた機雷が敵艦船腹に直撃する仕組みの繋留機雷である。
 帝国海軍は艦隊決戦に先立ち、軽巡と駆逐艦が敵艦隊の進路にこの機雷をバラ撒き、敵艦隊を漸減する作戦を主眼においていた。
 その為、大正時代の建艦計画下で就役した帝国海軍の艦艇は、戦艦から駆逐艦に至るまで、一号機雷の繋留ワイアーを乗り越えられるスプーン艦首を採用したのである。

 主砲は伊勢型戦艦で実用化された、日本人の体格にマッチする50口径14cm砲速射砲で、弾の重量は軽いが速射性能が高い優秀な火砲であった。天龍型はこの砲を4基備えた。
 雷装では日本巡洋艦では初の53.3cm魚雷に対応し、三連装水上発射管を装備した。竣工時の魚雷発射管は可動式で、発射時には発射側の舷まで移動する必要があった。
 しかし、この形式は高速航行時には移動不可能という欠点を抱えており、後の改装で駆逐艦同様の中心線上に旋回式発射管を置く配置に改装された。
 機関には蒸気タービンが用いられている。手本のアリュシーザ型では直結タービン方式が採用されたが、この方式はエネルギー効率が悪いという欠点があった。
 その為、天龍型では間に減速ギアを挟み、適切な速度にまで減速させてからスクリューシャフトに伝える、ギアードタービン方式が採用された。
 この方式はエネルギーのロスが少なく、機関出力はアリュシーザを1.1万馬力上回る51000馬力を記録した。
 なお参考程度であるが、天龍型就役の5年前に就役した[[扶桑]]姉様の機関出力は40000馬力である。

 とは言え、小型な艦体に無理やり大出力機関をねじ込んだ代償として、同じような構造的特性を持つ[[夕張]]同様の居住性の悪さと、拡張性の無さが指摘されている。
 特に後者は致命的で、後年の天龍型の著しい陳腐化の原因となってしまった。

 なお、本来天龍型は8隻が建造され、7200t型の大型巡洋艦3隻との二本立てで運用される予定であった。
 しかし、水雷戦隊旗艦としての能力を持たせるには小型すぎること、さらに仮想敵アメリカ海軍が天龍型より強力な、大型巡洋艦(後のオマハ級軽巡)を建造したことが判明。
 天龍型では武装に心もとなく、会敵した際になぶり殺しにされるのではないかと考えられたため、天龍型の建造は2隻で中止となり、以降はより大型の5500t型軽巡に移行した。
 

 天龍の初陣は1920年のシベリア出兵で、1928年まで水雷戦隊旗艦を務めた後、支那方面の派遣艦隊や潜水学校練習艦などの地味な任務に就いた。
 太平洋戦争においては南洋方面に展開した第4艦隊第18戦隊に所属。旧式艦ながらも前線に立ち、緒戦のウェーキ島攻略作戦に参加。
 第一次ソロモン海戦においては第八艦隊に随伴し、連合軍泊地にて米駆逐艦パターソンを撃沈せしめた。

 1942年12月18日、駆逐艦[[荒潮]]、[[涼風]]、[[磯波]]、[[電]]とともにマダン上陸作戦に参加する輸送船の護送任務に就いたが、マダン東北東16kmの海域で米潜水艦SS-218アルバコアと遭遇。
 アルバコアの発射した魚雷のうち1~2本が機関室に直撃し、同日23時戦没する。
 天龍は後に日本艦船11隻を撃沈する悪夢の潜水艦の、最初の供物となったのである。
 
 なお天龍型と[[球磨]]・[[多摩]]には主砲・雷装を完全に撤去し、高角砲を多数搭載。[[大和]]型に随伴する防空巡洋艦への改造案があったが、結局実現はしなかった。
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台詞一覧
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|状況    |台詞|関連する史実や元ネタ、解説など|
|自己紹介|俺の名は天龍。フフフ、怖いか?|      |
|秘書クリック会話①|なんだ、戦闘か?||
|秘書クリック会話②|夜戦に行くなら俺を外すなよ?|第一次ソロモン海戦では夜戦にてパターソンを撃沈し、連合国軍南方部隊の壊滅に寄与した|
|秘書クリック会話③|俺の装備が気になるか?世界水準軽く超えてるからな。…何?古いって?馬鹿な!|完成当初は確かに世界水準超える武装であった。&bold(){完成当初は}|
|戦績表示時|手紙だ。ちゃっちゃと読め||
|編成選択時|天龍、水雷戦隊。出撃するぜ!||
|装備時①|俺をこんなに強化しちゃって大丈夫かー?|大丈夫だ、問題ない|
|装備時②|これこれ!こういうの欲しかったんだよ~早く打っ放してぇなぁ…||
|装備時③|ぃよっしゃあっ!||
|>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)|
|ドック入り|コラ!俺を第一線から下げるなっての!|一時期練習艦にされていたことがある|
|ドック入り(重傷)|おい!俺を戦線離脱させるな!死ぬまで戦わせろよ!||
|建造時|新参者の登場だってよ|1919年(大正8年)進水の古参艦|
|艦隊帰投時|やっと作戦完了で艦隊帰投かぁ…遅ぇなぁ…ちゃっちゃとやれよ~|字面とは裏腹にそのセリフには彼女本来の優しさが見え隠れする天龍ちゃんかわいい|
|出撃時|そう来なくっちゃな。抜錨だ!||
|戦闘開始時|天龍様の攻撃だァ!うっしゃぁ!||
|攻撃時|怖くて声も出ねぇか?オラオラ!||
|夜戦開始時|夜戦突入!ビビッてんじゃねェぞ!||
|夜戦攻撃時|硝煙の匂いがサイコーだなぁ、おい||
|MVP時|ったりめーだろぉ、俺が一番強いんだからよ!||
|被弾時|くっ||
|被弾時|くっそがぁ…っ!||
|被弾カットイン|この俺がここまで剥かれるとはね…イイ腕じゃねェか。褒めてやるよ…!||
|撃沈時(反転)|COLOR(white):ちっ…これじゃ前にも後にも進めねーな… …龍田、悪りぃ、先に逝くぜ…|COLOR(white):天龍戦没は龍田戦没の2年前であった|

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コメント
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