睦月

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睦月 - (2014/12/11 (木) 15:24:35) のソース

#image(No031.jpg)

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*CV
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日高里菜

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*Illustrator
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???


*史実情報
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第一次世界大戦最大の海戦、イギリス軍ドイツ軍合わせて総計200隻以上の艦艇が参加した、史上名高いジュットランド海戦でのこと。
ドイツ水雷戦隊が魚雷襲撃を仕掛けようとして、イギリス駆逐艦隊に完璧に阻止され、為す術無く敗北したエピソードがある。
日本の日本海軍が計画した八八艦隊型駆逐艦は、この戦訓を取り入れ、敵駆逐艦隊を砲力において圧倒することに大きな比重が置かれていた。
この思想は、同時期に計画された、世界初の20センチ砲搭載巡洋艦「古鷹型」においても取り入れられている。

さて、ワシントン条約の後、大幅に軍事力を制限された日本が導き出した答えのひとつは、水雷戦隊による敵主力艦への漸減作戦。
軍令部は、この襲撃任務を満足に行うことのできる、艦隊型駆逐艦の建造に躍起になった。
対米6割に抑えられてしまった日本、今までは米軍を相手に八八艦隊型駆逐艦による水雷攻撃が例え失敗したとしても、その後ろには主力艦隊が控え、なお米軍と互角の戦いを交えられるようになっていた。 戦力には響かないようになっていたのである。
しかし、今のワシントン条約後では、水雷戦隊による米主力艦への魚雷襲撃が失敗した場合は、即ち、6割の主力艦で10割の米主力艦を撃滅しなければならないことを意味している。
戦力差は歴然。日本海軍が猛練習を積んだとして、勝ち目は無いに等しかったのだ。

日本の駆逐艦、つまり睦月型に求められる能力は、この軍令部の要求から察することが出来る。

「決戦場と予想される内南洋まで独力で進出しうる強靭な耐波性と、敵主力艦に対する襲撃を余裕で行える重雷装」

この軍令部の要求に応えるべく、こうして睦月型1番艦「[[睦月]]」は開発された。
今まで駆逐艦として主力であった「峯風型」と「神風型」でも、その役目は十分果たせるのだが、致命的な問題があった。魚雷兵装である。
こうして、対米決戦を睨んだ、初の本格的国産駆逐艦の開発が進められた。

#image(Mutsuki.jpg)

できあがった駆逐艦「[[睦月]]」は、簡単に言えば神風型の53センチ魚雷を61センチ魚雷に換装したマイナーチェンジ艦型。
峯風型と神風型の使用していた53cm魚雷から、建造当時は最新鋭の61cm魚雷を搭載。
峯風型、神風型が、連装発射管3基という装備方法を採ったのに対し、本型は日本駆逐艦としては初の三連装発射管を採用し、これを2基搭載することになった。
そして本型は、日本駆逐艦として初めて、全発射管分の予備魚雷6本を搭載した。
神風型も予備魚雷を搭載しているが、予備はたったの2本だけ。
これは、駆逐艦母艦、あるいは補給艦、基地などからの補給を受けずに、二度の水雷戦が可能なことを意味しているのである。
(ただし次発装填装置を使用し、数分で装填が可能な初春型以降に比べれば、かなり時間がかかる。その上構造的に後部の発射管にしか供給できない問題もあった。)

しかし、これら魚雷関連設備の大増強は、神風型と比べて総重量が約17tも増加することになり「睦月型」はかなりの重量負担を強いることになった。
この結果、本型は重心が上昇することになる。また装甲は、その後に続く「特型駆逐艦」よりかなり薄い。その理由は魚雷の保有スペースを確保するためである。
また重量増加にもかかわらず峯風型から機関の変更がなかったため、速力面では艦によっては40ktをマーク出来た峯風型などに比べて速力は大幅に低下した。
しかしその代わりに波切りの悪いスプーンバウではなく、ダブルカーヴドバウを採用したため航洋性はそれまでの駆逐艦よりも上がっている。

睦月型は大正12年度計画で12隻の建造が計画され、太平洋戦争における睦月型駆逐艦は、旧式艦ながら61センチ魚雷を持つ有力な水雷戦力として扱われることになる。

昭和10年、青森県八戸沖の演習中に北上してきた台風から発生した三角波を受け艦橋が潰れ艦橋より操舵不能になる。
(睦月型は艦橋の天井に骨組の上に天幕を張っているだけ)
上妻隆千代一等水兵が応急操舵輪に取りつき、以後の操艦を行ったことにより沈没は免れる。

ネームシップ「[[睦月]]」の活躍としては、1937年からの日中戦争により中支、南支方面に進出。
太平洋戦争開戦時は第4艦隊第6水雷戦隊第30駆逐隊に所属し、第1次、第2次ウェーク島攻略作戦に参加。
その後もラバウル方面、ラエとサラモア、ブーゲンビル島、モレスビーの各攻略作戦に参加した。
1942年7月24日に一旦横須賀港へ帰港するが、アメリカ軍のガダルカナル島上陸により8月14日にラバウルに向け横須賀を出港、ソロモン方面へ進出する。

8月25日、ガダルカナル島攻撃の帰途、敵機により撃沈された「金龍丸」生存者の救助活動をしていたが、アメリカ陸軍B-17の3機に爆撃されサンタイザベル沖で沈没。
生存者は同型艦「弥生」に救助された。同年10月1日除籍。

|>|>|艦歴|
|発注|1923年|大正12年度計画艦|
|起工|1924年5月21日|佐世保海軍工廠|
|進水|1925年7月23日|第十九号駆逐艦|
|就役|1926年3月25日|睦月型駆逐艦1番艦「睦月」と命名|
||1937年|日中戦争により中支、南支方面に進出する|
||1941年12月8日|第1次ウェーク島攻略作戦に参加|
||1941年12月21日|第2次ウェーク島攻略作戦に参加|
||1943年1月7日|ラエ・サラモアの戦いに参加|
||1943年11月2日|ブーゲンビル島沖海戦に参加|
||1942年7月24日|横須賀港へ帰港|
||1942年8月24日|ガダルカナル島の戦いに参加すべく横須賀を出撃|
|沈没|1942年8月25日|ガダルカナル島攻撃の帰途、撃沈された「金龍丸」の救助活動中、米軍に爆撃され沈没|

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*台詞一覧
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|状況    |台詞|関連する史実や元ネタ、解説など|
|自己紹介|睦月です。張り切ってまいりましょー|      |
|秘書クリック会話①|およ?提督?睦月、呼んだ?||
|秘書クリック会話②|なんですかなんですか~?||
|秘書クリック会話③|そんなに私のことが気になりますか~いひひ…||
|戦績表示時|なんか、手紙届いてるよ?||
|編成選択時|睦月の艦隊、いざ参りますよぉ!||
|装備時①|おぉう、このみなぎるパワー、睦月、感激!|ヒデキ、感激!|
|装備時②|睦月、負ける気がしないのね。てへっ||
|装備時③|およ?||
|>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)|
|ドック入り|ちょっと、休みたいのね||
|ドック入り(重傷)|ふぇぇぇ私としたことが・・・情けないのです・・・||
|建造時|新型登場!じゃじゃ~ん!||
|艦隊帰投時|作戦完了のお知らせなのです!|クリスマス終了のお知らせか|
|出撃時|みんな! 出撃準備はいいかにゃぁ~ん?||
|戦闘開始時|睦月、砲雷撃戦始めるよ!||
|攻撃時|てぇーい!||
|夜戦開始時|この勝負、睦月がもらったのです!||
|夜戦攻撃時|主砲も魚雷もあるんだよっ|さやかネタ|
|MVP時|睦月をもっともっと褒めるが良いぞ!褒めて伸びるタイプにゃし~えへへへへ…||
|被弾小破①|ふあっ!|ファッ!?|
|被弾小破②|うぇぇん…睦月、装甲紙なんだけどぉ…|睦月型は旧式艦であり、また元から装甲が薄い|
|被弾カットイン|にゃっ、こ・・・この程度ならまだ・・・!||
|撃沈時(反転)|COLOR(white):少しは、役に、立てたの、か、にゃ……||

|時間|台詞|関連する史実や元ネタ、解説など|
|放置時|にゃ~… 提督ぅ~、睦月ちょっと退屈ですぅ~…||


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*同型艦
&bold(){睦月} ― [[如月]] ― [[弥生]] ― [[卯月]] ― [[皐月]] ― 水無月 ― [[文月]] ― [[長月]] ― [[菊月]] ― [[三日月]] ― [[望月]] ― 夕月
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*コメント
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*関連ページ
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