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 种岱は、後漢後期の人物。种暠の子。再三の察挙辟召徴詔を受けるが、官に留まらず布衣無官で死去した。


情報

种岱
公祖
本貫地 河南尹洛陽県
家柄 洛陽种氏
种暠
起家 徴詔
官歴 議郎
学を好んで志を養う。
死去 庶子にて卒
死後評 淳和にして理に達し、詩書に耽悦し、富貴もその慮を回らすこと能わず、
万物もその心を(さわ)がすこと能わず。(李燮
追贈 李燮が異賞を請うが、果たせず。


事跡

 学を好んで志を養った。*1
 孝廉茂才に挙げられ、公府辟召されたが、官に就かなかった。公車が到って特に徴召し、これに応じて議郎となったが、やはり辞めて、布衣の身で病卒した。

 生前、种岱と李燮李固の子)は同じく議郎に徴された。李燮は种岱が卒したと聞くと、痛惜甚しく、上書して种岱に礼を加えることを求めた。曰く、
「臣が聞きますに、仁義が興れば則ち道徳が(さか)え、道徳が昌えれば則ち政化が明らかなり、政化が明らかになって而して万姓は寧んじる、と。伏して故処士の种岱を見ますに、淳和にして理に達し、に耽悦し、富貴もその慮を回らすこと能わず、万物もその心を(さわ)がすこと能いませんでしたが、名を()けて永からず、奄然として殂殞しました。若し槃桓(躊躇)して進むに(はばか)らざれば、等輩(同等の人材)は皆すでに公卿でありました。昔、先賢の没には加贈の典が有り、周礼には盛徳にて銘・誄*2の文が有りました。しかるに种岱には生きて印綬の栄え無く、卒して官謚の号も無く、未だ忠を建て用を功さずとは雖も、而して聖恩の抜す所と為れば、遐邇(遠きも近きも)(つぶ)さに()ることでしょう。宜しく異賞有るべきです」
 朝廷はこの上書に従うことはできなかった。


年表




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関連項目・人物

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最終更新:2016年02月11日 21:28

*1 再三官に召されながら、高い志を有して在野で生涯を終えたことを言うのだろう。

*2 「周礼」の司勳に曰く「凡そ功有る者、王の太常に銘書する」。また曰く、「卿大夫の喪、謚誄を賜う」と。