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 張邈は、後漢後期の人物。弟に張超
陳留太守のとき、誅董卓の挙兵に参加した。曹操とは親友の間柄だったが、陶謙を攻めた留守に呂布を迎えて謀叛した。兗州を巡る争いの末に敗れ、袁術の許に落ち延びようとしたが自らの兵に殺された。
 別の説では、後に袁術が帝号を僭称するのを諫めた言葉が残る。


情報

張邈
孟卓
本貫地 東平国寿張県
家柄 寿張張氏
幼年評 (おさな)くして俠を以って聞く。窮に振るって急を救い、家を傾けて愛(愛執)無し。士は多くこれに帰す。
起家 辟召公府
官歴 高第(公府) 騎都尉 陳留太守
死去 興平二年(195)十二月、袁術に詣って救いを請い、自らその兵の殺す所と為る。
,渾名 八厨


事跡



年表




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最終更新:2016年03月24日 02:45