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漢字一字
辞書 | 説明 |
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廣辭林新訂版 | (無記載) |
新訂大言海 | (無記載) |
角川国語辞典新版 |
名・自サ変 ①像。映像。すがた。 ②心にうかぶすがた・かたち。おもかげ。 |
大英和辭典 |
〔名〕[一]像,肖像. [二]【光】像. [三]影. [四]ヨク似タモノ,ソノ通リノモノ,生キ寫シ. [五]【心】心象. [六]【美】形象. [七]【修】象喩〔シヤウユ〕. [八]【數】像. |
その他の品詞一箇条目は文の終わりなどで「(~という、~の)イメージで」。二箇条目は「(~を、~が、~として)イメージする」「(~の)イメージがある」。三箇条目は文の終わりなどで「~をイメージ(して)」の形で翻訳。
直訳音写語は「像」或は「想像」か。果てしなく多義の生贄言葉。全ての転義は日本語の「想像」又は「思い」からと思われる。
カタカナ語話者はこの語の日本語をすっかり忘れているのか知らないが、「日本人が」、或は、「日本語で」今も用いる語は普通に「想像」。
また、「~そうなイメージ(がある)」は「そうな」に思いや印象の意味があり、普通に考えて二重表現である。これ対する自然な日本語訳は、普通に「イメージ」という言葉を省いて「~そう(だ)」となる。
「○○さんはすぐにバテそうなイメージがある」は日本語で「○○さんはすぐにバテそう」、「~がある」の形で言いたい場合「○○さんはすぐにバテそうな感じがある・する」などと言う。
英語に於いては「ある程度はっきりした形のある物、目で捉えられる物や形、即ち、像」を言い、「それらの有り様から感じる様子」、「感じ」或は「思っていること」を云う語ではない。
カタカナ語では全く逆を表しているか。訳語は「想像」より「妄想」のほうが適しているか。この意では専ら口語では「思い込み」などの言葉を用いる。「思い込みが激しい」。
従っては、「勝手なイメージ」を「勝手な想像」と直訳するのも良いが、日本語には、その句を一つとして謂う単語に「思い込み」や「妄想」、用語としては「先入観」などを用いる。
カタカナ語話者は、事ある毎に「イメージ、イメージ」と言って、「妄想・思い込み」でしか物を語れない常に頭の中お花畑状態、または、現実に起こっている事を真正面から受け止められず、全て非現実(夢)で起こっている事として捉えてしまう一種の精神病か、或は「偏見・先入観」の度が過ぎているか。どちらにせよ、そのホドが酷いようであれば、精神病となるという可笑しさ。
名詞「認識、理解、思考、偏見、妄想」、動詞「思い浮かべる、想像する、想定する」等等の意味は英語に無し。
それらの意味で物を言っているという自覚が無さそう、或いは、翻訳が進んだ言語(日本語)を母語としていないなどの由で、そのような言葉の用い方などが既に失われていそうなカタカナ語話者はどうやって他言語に翻訳するのか疑問。「妄想」で語っていることの理解・自覚が無さそうな時は特に。
また、古くから、あらゆる事柄を抽象的に濁して言う日本語表現に「もの」という言葉を用い「物を言う」や「物を思う」がこれである。「ものを覚えない」「ものをくれてやる」。
原語単位
image=像
カタカナ語単位
イメージ=妄想