有り得ざる邂逅 ◆cNVX6DYRQU


人別帖を見ればわかる事だが、この御前試合には、複数の参加者が同一の名前を持っている例が幾つかある。
まあ、人別帖を見た参加者の多くはこれを重視せず、精々主催者に対する不審を募らせる程度であったが。
しかし、これらの複数ある同じ名前は書き間違いでも単なる同姓同名でもなく、間違いなく同一人物なのだ。
本来なら一つの世界に一人しか居ない筈の人物が狭い島に幾人もひしめき、時には刃を交わす。
この御前試合がまともなものではない事の一つの証左と言えるだろう。

ところで、彼等のような、俗に言う平行存在の出会いについては、ある仮説が存在する。
そうした有り得ない現象が起きるとこの世の理が乱され、宇宙全体に破滅的な波及効果が及ぶというものだ。
ただし、これはあくまでも仮説。そして、この島の現実はその仮説を真っ向から否定しているように見える。
何せ、二人の佐々木小次郎が出会い、それどころか斬り合っているのに何ら異変は起きていないのだから。
仮説は所詮仮説に過ぎなかった……これが最も合理的な考えであろう。
だが、そうだとすれば何故この御前試合には同じ名前の人物が幾人も呼ばれたのだろうか。
御前試合の参加者に相応しい者を選んだら、たまたま同名の者が混ざっていたという考えもあるだろう。
しかし、重複して参加した剣士の多くが、序盤の内に退場している事実が、この考えの説得力を失わせている。

この島に呼ばれた三人の佐々木小次郎の内、死亡した二人は宮本武蔵に敗れた、或いはこれから敗れる筈だった剣士だ。
無論、勝負は時の運であり敗れた事が剣士として劣っている事に必ずしも直結する訳ではない。
しかし、巌流島の決闘の勝敗を分けたのが、武蔵の戦術に乗せられた小次郎の未熟さである事はよく指摘されるところである。
他にも優れた剣士はいくらでもあるのに、どうしてこの二人がわざわざ呼ばれたのか。
同様の議論は、犬塚信乃についてより顕著に成り立つ。
二人の信乃の内、一人はこの島にいる他の剣客達に劣らぬ達人だが、既に死亡したもう一人は明らかに力量が不足していた。
真剣を持ちながら木刀しか持たない赤石剛次に手もなく敗れたのを手始めに、
参加者の中では未熟な腕しか持たなかった九能帯刀に圧倒され、最後は伊烏義阿の不意打ちに対応すら出来ず討たれたのだ。
この結果を見ると、死亡した佐々木小次郎や犬塚信乃の全てが公正な選考の結果として選ばれたとは考えにくい。
むしろ、「同名の剣士が複数参加している」という状況を作る事が主催の目的だったと考える方が納得できるのではないか。

先程、二人の佐々木小次郎が出会っても何も起きなかったと述べたが、それはあくまで表面上の事。
ひょっとしたら、常人には認識できない次元において、とんでもない事が起きている可能性も否定は出来ない。
もっとも、この問題についてこれ以上考えるのは無意味だという考えもあるだろう。
佐々木小次郎二名と犬塚信乃一名が死亡した以上、今後この島で同名の剣士が出会う事は有り得ないのだから。
同一存在の有り得ない出会いに如何なる効果があろうとも、今後はそれが発揮される機会はない……一見そう思える。
未熟な者が混ざっていたとは言え、彼等三人のこうも早い死自体が、或いは破滅を防がんとする世界の意志の顕れだろうか。
しかし、忘れてはならない。この御前試合の主役は剣士だが、他に欠かせぬ脇役が存在する事を。

「剣か……」
そう呟いた新免無二斎がいるのは呂氏神社の本堂。
佐々木小次郎との戦いで十手の一本を失った無二斎は、神社に目を付け、家捜しの結果、御神体らしき大剣を見付けたのだ。
神社を荒らすなど罰当たりと思う者もいるだろうが、戦国期の人間にしては合理的な無二斎は神罰など信じない。
それよりも、探し回って漸く剣を見つけた事を喜ぶべきか、それが大剣だった事に失望すべきか、無二斎は考えていた。
大剣は間合いと威力に優れるが、当理流が十手や小太刀・二刀を含む事からわかるように無二斎の得意は小振りの剣。
こんな大剣で、無二斎本来の剣技の強みを十全に発揮する事が出来るかどうか。
むしろ、重い剣を携帯する事で疲労が増し、いきなり襲撃された際の俊敏さが損なわれる分だけ損かもしれない。
そんな事を考えながらも、取り敢えず剣の柄に手を掛ける無二斎。
その剣の名は村雨。神社に祀られるのに相応しい、破邪の剣である。

「霧?」
周囲を覆う靄に気付いた東郷重位は、霧が出て来たのかと辺りを見回すが、すぐにそれを作ったのが己である事に気付く。
より正確には、犯人は重位の刀の一本。
高嶺響との死闘の中で、重位が使った刀が水気を発し、それが霧となって周囲を覆ったのだ。
そこに思い至って重位は眉をひそめる。この刀を使って闘死した瀬田宗次郎の事を思い出したのだ。
重位が持つ刀の内でも、質においてはこの水気を発する刀がすば抜けている。
加えて、剣に付着した血や脂を刃から発する水が洗い流してくれるのは便利だし、火攻めなどを受けた際には助けとなろう。
しかし、良い事ばかりではない。現に瀬田宗次郎は剣から発した水気の為に手元が狂い、重位に敗れたのだから。
剣に頼り過ぎる者は剣の為に滅ぶのかもしれぬ。
雲燿の剣を解禁した今、下手に名剣にこだわって足をすくわれるよりも、質は並でも余計な仕掛けのない刀を使うべきか。
そんな事を考えながら、腰に差した刀の柄にそっと触れる重位。
その剣の名は村雨。鎌倉公方家に代々伝わる重宝である。

「何という事を……」
それを見付けた伊藤一刀斎の口から、思わず呻き声が洩れる。
ここは伊庭寺へと向かう街道脇の水田にある畦道。
街道や村の中を通って、また近藤のような者に出会ってはたまらないと、一刀斎は田の中を通って北へと向かっていたのだ。
そして一刀斎はこれを見付けた。無惨にも頭に刀を突き立てられた道祖神を。
刺されている刀はなかなかの上物。剣士がこれ程の刀をむざむざ捨てるとは思えぬから、これは試合の主催者の仕業だろう。
そう言えば、白洲の男は得物を自分で探せと言っていた。
あれはつまり、島内にあらかじめ得物が用意されているという事を含意し、これがその一本という事だろうか。
それにしても、剣をわざわざこんな形で置いておくとは、どうも主催者は神仏に含む所があるらしい。
もっとも、主催は神仏に興味などなく、単に剣を目立たせて見付けやすくしただけという可能性も皆無ではないが。
街道から外れた位置と夜の暗さの為、今までは発見されずに来たが、高い位置で刃が剥き出しにされたこの刀は目立つ。
もう少しして日が昇れば、光が刀身に反射され、名刀を求める参加者を引き寄せる恰好の目印となったであろう。
無論、一刀斎は、支給された太刀を自ら捨てたくらいで、剣が欲しいなどとは全く思っていない。
とはいえ、道祖神をこんな有様で放置しておく訳にもいくまいと、一刀斎は剣に手を掛けて引き抜く。
主催者の涜神の道具として使われたこの刀もまた、号を村雨といった。

「村雨」を手にした途端、「彼」は間近に二つの気配を感じる。
気配は茫洋としていたが、その主が己に劣らぬ熟練の剣客である事が直感的にわかった。
そして「彼」は、反射的に「村雨」を構えると、必殺の一撃を繰り出す。
新免無二斎のゆったりとした動きでありながら測り知れない強さと大きさを内に秘めた流水の剣が、
東郷重位の光としか形容しようがない……もしかしたら光さえも超えているかもしれない超神速の雲燿の剣が、
伊藤一刀斎の一切の雑念がなくそれ故に何者にも防ぐ事ができない無想の剣が、同時に打ち込まれ、交錯する。

一撃を放った無二斎が我に返ると、そこは元の神社の中。人の気配など何処にも感じられなかった。
古来、聖域における神秘体験を通して剣術の奥義を悟ったと称する剣客は枚挙に暇がない。
しかし、合理的な無二斎はそのようなものは一切信じず、全て幻覚か流派に箔を付ける為の作り話と切り捨てている。
自分自身が奇妙な体験をした今回もその考えが揺らぐ事はなく、気配を感じたのは己の錯覚とあっさり断じた。
それでも今の出来事に収穫がなかった訳ではない。
大きさから敬遠していた神体の剣だが、実際に振ってみると、思いのほか使い勝手が良かったのだ。
神社に祭られてはいたが、本来は拝むのではなく実戦で使用する為の剣だったのだろうか。
何にしろ意外と良い拾い物だったと、無二斎は村雨を抱え、当初の予定通り、南へ、城下へと向かうのだった。

夢の中で師に諭され、剣法封印を自ら解いたばかりの重位。当然、今の一瞬の光景をただの錯覚とは考えなかった。
重位の認識では、これもまた師の導きか、それとも神の啓示か、とにかくあの気配は島内にいる剣客の誰かの気配。
善吉なり神仏なりがその気配をここで感じさせた意味は、この島には重位に劣らぬ剣客がいるのだという警告。
あの時、二つの気配が放った一撃は、重位の雲燿の太刀にすら劣らぬ凄まじい奥義、と見えた。
あれ程の剣客が相手では、示現流の奥義を尽くそうとも勝利は約束されず、少しでも質の良い剣を使うべきだろう。
名刀を持ちながらその為に敗れた少年を忘れた訳ではないが、あれは要は少年が天に見放された為に起きた事。
ならば、天が重位を見放そうとしても力尽くで捕まえておけるだけの強い意思さえあれば問題ない訳だ。
その結論に達した重位は、村雨を鞘に戻すと、武田赤音が向かったと思しき西方に向けて、真っ直ぐ歩き続けるのだった。

一刀斎は、かつて鶴岡八幡宮に参篭し、不意に感じた気配を斬る事によって無想剣に開眼した経験を持つ。
あの時の気配が果たして八幡神の啓示だったのか、それとも自身の心が見せた幻覚なのか、一刀斎にはわからない。
しかし、そこで得た無想剣の奥義は本物であり、一刀斎にとっては気配の正体よりもそちらの方が重要だ。
今回も同様、一刀斎にとって気配の正体は瑣末な問題に過ぎず、今の出来事でより重大な事実に気付いていた。
それは、刀を持った状態で剣客と出会えば、今の一刀斎はその者を斬ってしまうという事である。
再び剣を捨ててしまえば、他者を斬る心配は無いだろう。だが、それは「斬らない」のではなく単に「斬れない」だけだ。
ただ人を殺めぬ事だけを考えるのならそれでも良いが、一刀斎の目的は剣法を封印する事により悟りを開く事。
太刀を捨てる事で、物理的に剣を振るう事を不可能にするだけではとても剣法封印とは言えまい。
この鞘すらない抜き身の剣を持ちながら、如何なる状況でも決してそれを使わない……それでこそ真の剣法封印。
そこまでやってこそ、剣の無明を晴らし悟りを開く道が見えて来よう。
心を決めると、一刀斎は剣を持ったまま、北の伊庭寺に向けて歩き出す。

三者三様に納得し、それぞれの目標に向けて歩き出す剣豪達。
それにしても、島内の離れた場所にいるこの三人が邂逅したように見えたあの一瞬は何だったのだろう。
ただの錯覚か、同じ名を持つ剣が共振したのか、或いは島内に巣食う何者かの意志か……
言える事は一つ、仮に、同じ名を持つ複数の者が出会う状況を作ろうとしている者がいるのなら、
この御前試合の場では、人よりも剣を媒介とする方がずっと確実だという事である。
凄まじい技量を持つ達人がいくらでもいるこの島では、彼等三人のような大剣豪ですら、いつまで生き残れるかは計り難い。
しかし、もし彼等が討たれるような事があっても、優れた剣である村雨は、殺害者によって使い続けられるだろう。
故に、いずれ三本の村雨が一堂に会する時が来る可能性は、それなりに高いと言える。
その時、何かが起きるのか、何が起きるのか……。何処かで女の哄笑が響いた気がした。

【ろノ肆 呂氏神社/一日目/早朝】

【新免無二斎@史実】
【状態】健康
【装備】十手@史実、村雨@里見☆八犬伝
【所持品】支給品一式
【思考】:兵法勝負に勝つ
一:城下に向かう
二:もう少し小さな刀が欲しい
三:陶器師はいずれ斃す

【へノ陸 水田/一日目/早朝】

【東郷重位@史実】
【状態】:健康、『満』の心
【装備】:打刀、村雨丸@八犬伝、居合い刀(銘は不明)
【所持品】:支給品一式×2
【思考】:この兵法勝負で優勝し、薩摩の武威を示す
   1:次の相手を斬る。
   2:薩摩の剣を盗んだ不遜極まる少年(武田赤音)を殺害する。
   3:殺害前に何処の流派の何者かを是非確かめておきたい。

【ほノ陸 水田/一日目/早朝】

【伊藤一刀斎@史実】
【状態】:健康
【装備】:村雨@史実(鞘なし)
【所持品】:支給品一式
【思考】 :もう剣は振るわない。悟りを開くべく修行する
一:刀を決して使わない
二:伊庭寺に向かう
三:挑まれれば逃げる
【備考】
※一刀流の太刀筋は封印しました

※村雨@史実:江戸時代の刀工津田越前守助広作の刀。八犬伝に登場する村雨との直接的な関係はない(多分)



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昔飛衛と言う者あり 伊藤一刀斎 名刀の鞘
名刀妖刀紙一重 新免無二斎 悪夢の終わり
夢十夜――第二夜『喪神/金の龍』―― 東郷重位 すれ違い続ける剣士達

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最終更新:2010年12月02日 20:43