弟子と向き合う◆cNVX6DYRQU
首を切り裂かれた弟子が眼前で死んでおり、その間近には刀に手を掛けた剣士。
この状況では、
斎藤弥九郎が自分を仏生寺弥助殺害の下手人と見なしてもおかしくないと、
千葉さな子にもわかっていた。
どうにか誤解を解かなくては、と思うのだが、言葉が出て来ない。
何せ、弥助が如何にして死んだのか、さな子にもまるでわかっていないのだから。
それに、結果的に殺しはしなかったが、つい先刻、さな子と弥助が斬り合いを演じたのは間違いない事実なのだ。
悩むさな子。弥九郎もまた惑っているのか、無言のまま時が過ぎ……鐘と太鼓の音が響き渡る。
「
トウカさん!」
妖人の話が終わるより先に、さな子は駆け出していた。
久慈慎之介が死んだ……あの声の告げたのが真実ならば、そういう事になる。
トウカの名は呼ばれなかったが、彼女達と交戦していた
志々雄真実の名も同じく。
つまり、トウカと志々雄は未だ闘い続けているかもしれず、久慈が斃されたという事は、彼女は苦戦している可能性が高い。
その考えに到ったさな子は、弥九郎の疑問を解く事をひとまず放り出し、トウカの援軍に行く事にしたのだ。
弥九郎なら後で話せばわかってくれるという、弥九郎への甘えとも信頼とも言える見通しがあっての判断だったのだが……
「久慈さん……」
弥九郎を捨てて元の河原に漸く戻ったさな子だが、そこに居たのは既に死亡した久慈慎之介のみ。
もしや場所を移して戦っているのかと周囲を見回しても、見える範囲にはトウカも志々雄も居なかった。
更に良く周囲を観察すると、その場には久慈のものと思しき以外にも、血痕が二つ。
その二つの血痕が別々の方向に続いている所を見ると、トウカと志々雄の勝負は痛み分けに終わったという事か。
しかし、血痕の一つはかなり大量であり、その主は相当の重傷を負ったと考えられる。
まずはそれを追って南に向かおうとしたさな子は、残して行く久慈の遺体に目を遣った。
彼をこのまま野ざらしにしておくのは忍びないが、今は生きて、助けを必要としているかもしれないトウカが優先だ。
罪悪感を押し殺し、さな子は呟く。
「ごめんなさい、久慈さん」
「その御仁が、久慈慎之介殿か?」
「え?」
何時の間にか、弥九郎がさな子を追って河原まで来ていた。
「はい。この先の旅籠で会って、お互いに助け合って行こうと言ったのに、私は肝心な時に……」
「とすると、あの声が言っていたのは完全に出鱈目ではないという事か。それにしては、吉村の名は呼ばれなかったが」
「え?あの、仏生寺さんなら呼ばれていたような……」
「仏生寺?誰の事だね?」
「はい?」
誤解を解く以前に、二人の持つ情報に大きな齟齬がある事に、彼等は今やっと気付いたのであった。
早朝から帆山城の門付近で激しく斬り合う数人の男達。
城には、その勝負の様子を、安全な上方から見物している一人の少年が居た。
「剣呑な奴等だな。あんな連中とはやり合いたくないもんだ」
少年は
高坂甚太郎。忍者顔負けの身軽さで天守の屋根に上り、先刻から島内各所を眺めていたのだ。
二刀流の男が逃げ出し、代わって老人が現れた所で、甚太郎は城門から目を離し、別の場所を観察し始める。
忠の珠を取り損ない、仁の珠を渡した男を見失った事で、珠を使って安全を図る策略は破綻したが、
島を一望できる天守に陣取る事で、より簡単に敵を避ける事が出来るようになった。
忍者顔負けの感覚と体術を持つ甚太郎にとって、天守の屋根は己の能力を最も活用できる場所の一つだろう。
ここなら居ながらにして島全体の様子を把握できるし、同じ事を考えた者が後から上って来ても地の利はこちらのもの。
もっとも、後者の方の心配ははじめから無用だったかもしれない。
島のあちこちに見られる死体と戦闘は、多くの剣士が、甚太郎とは違って旺盛な戦意を有する事を示している。
この分なら、甚太郎が高見の見物を決め込んでいる内に、他の参加者はどんどん傷付き死んで行ってくれそうだ。
「へへへ、剣術では俺以上の奴がゴロゴロいるかもしれねえが、知恵ならこの高坂甚太郎様が一番さ」
「己の智に溺れ、気配を消すのを忘れる悪癖は直せと言った筈だぞ、甚太郎」
いきなりの背後からの声に、慌てて飛び退いて振り向くと、そこには立ち去った筈の二刀流の男……
宮本武蔵の姿があった。
甚太郎は当然、城に近付く者には注意していたのだが、城から離れる者はどうしても軽視しがちになる。
その為、去ると見せ掛けておいてすぐ城に戻った武蔵に、一杯食わされた形だ。
もっとも、武蔵が騙そうとしたのは甚太郎ではなく、先程まで戦っていた男達なのだろうが。
彼等と老人の成り行きを見届けようと密かに屋根に上り、先客である甚太郎を見付けたというところか。
しかし、いくら気が逸れてたとはいえ、甚太郎に気付かれずにここまで近付くのは並大抵の事ではない。
この男は、剣術だけではなく、体術や隠密の技にも長けていると見える。
そうでなくても、目の前の男の腕前と凶暴性は見せ付けられたばかり。
武蔵の手にした木刀が動いた瞬間、甚太郎は迷わず、大地に向かって跳躍していた。
無論、考えなしに飛び降りた訳ではない。ここに陣取る時に、いざという時の逃走路は計算済み。
階下の屋根に着地すると駆け、跳び、ぶら下がり、また駆け……
遂に一度も立ち止まる事なく地面に達し、最後は竹竿を突き立てて衝撃を逃がし、軽やかに着地する。
そのまま立ち去ろうとした甚太郎だが、頭上に気配を感じ慌てて飛び退く。
武蔵が、甚太郎と全く同じ経路を辿って追って来たのだ。
竹竿の代わりに木刀で地を突き、さすがに甚太郎ほど鮮やかにはいかず地面に一転して立ち上がる武蔵。それにしても……
「お侍さん、厳つい顔して、身軽だねえ」
「俺が何の下心もなくお前を弟子にしたと思ったか。お前が俺の剣術を学んだのと同様、俺はお前の偸盗術を盗んだ」
逃げ道を塞がれた形になり、会話で相手の気を逸らそうとする甚太郎だが、武蔵の答えは彼にとっては意味不明。
「何だい、俺は誰の弟子にもなった覚えはねえや!」
「確かに。その歳では未だ俺には会っていまいな」
噛み合わない会話。しかし、武蔵はその食い違いに少しも頓着する事なく、甚太郎の間合いに踏み込んで来た。
こうなると甚太郎も、こういう手合いは言葉では止められないと悟り、竹竿を槍のように構えると一気に突き出す。
まずは右目、次いで左目を狙って突き、武蔵を容易には寄せ付けない。
意外と鋭い槍先に焦れたのか、武蔵は腰の刀を抜いて二刀の構えになると、二本の刀を交差させ竿を挟み込もうとする。
「おおっと!」
だが、甚太郎もさるもの。素早く竿を引っ外すと、武蔵の水月に思い切り突き込む。
武蔵が大きく下がって辛うじてかわし、甚太郎がこの分ならいけるかと思ったその時、武蔵が再び口を開く。
「進退は良くなった。だが、目付けはそうではないと、教えた筈だ」
そして、刀から手を離して木刀を両手で握ると、大きく跳躍した。
落下の勢いで竹竿ごと脳天を叩き割ろうというのだろうが、武蔵が一気に勝負を賭けて来た事は甚太郎にとっても好都合。
如何な達人でも、空中に居る時に、木刀で防御できない攻撃で重心を狙われれば、避ける事は不可能な筈。
武蔵の木刀と体幹の動きに全神経を集中し、僅かな隙を見出して、渾身の突きを繰り出す……瞬間、甚太郎の体勢が崩れた。
甚太郎必殺の突きを妨げたのは、武蔵の刀。
武蔵が手放したのを見て、甚太郎はその刀から注意を外してしまったが、武蔵は無為に刀を捨てたりは決してしない。
跳躍した時、落下中の刀を足で蹴り飛ばし、それが甚太郎の足を傷付けたのだ。
そのまま甚太郎の頭を叩き割ろうとした武蔵だが、その瞬間、甚太郎の懐から光が発して武蔵の眼を射抜く。
咄嗟に眼を瞑った為に武蔵の剣の精度が僅かに落ち、甚太郎は紙一重で身をかわして距離を取る。
しかし、武蔵が竹竿の上に着地する事までは防げなかった為、飛び退く際に得物を放棄するしかなかった。
素手でこの強敵に立ち向かうのは不可能だが、逃げようにもうまい脱出路が見出せない。
敢えて逃げ道を探すなら、傍らにある井戸に飛び込むくらいだろうが、果たしてそれで武蔵が諦めてくれるか。
それでも他に手がなければ仕方ないと甚太郎は覚悟を固めるが、武蔵はすぐには仕掛けず、上段の構えのまま話しかけて来る。
「この型は未だ完成には至らぬ。完成形は、城門付近に居るであろう老人と、恐らくは水干姿の男が知っていよう」
いきなり己の技の解説を始める武蔵だが、甚太郎はそれを無視して密かに足で地を探り、遂に「それ」を探り当てた。
言いたい事を言い終えて踏み込んでくる武蔵に対し、甚太郎は瞬時にしゃがみ込み、武蔵が飛ばした刀を掴む。
それを素早く構えた瞬間、刀の刀身が武蔵に向かって飛び出す。
甚太郎が投げたのではない。刀の目釘が緩んでいた、いや、武蔵が手放す前に密かに緩めていたのだ。
刀身が自分の方に飛んで来たのも計算の内であったのか、武蔵は落ち着いて木刀を振り下ろし、刀を甚太郎に跳ね返す。
刀には仕込み柄の仕掛けがしてあり、今度はその刃が甚太郎の心臓めがけて飛来する恰好となる。
咄嗟に柄を投げ付けて井戸に向け跳躍する甚太郎だが、飛び込む寸前、武蔵の木刀がその背骨を打ち砕いた。
絶命した甚太郎の骸が井戸の中に落ちて行き、武蔵はふと眉を顰める。
井戸と言えば、甚太郎の娘お菊は、井戸に身を投げて命を落とし、亡霊となって夜な夜な化けて出たという。
無論、武蔵はそんな話は知らないし、また、武蔵は亡霊などという者には、恐れるどころか注意を払う価値すら認めていない。
武蔵が怪訝に思ったのは、甚太郎が落ちてから何時まで経っても、水音なり井戸の底に衝突した音なりが聞こえて来ない事。
まさか、この井戸は尋常の井戸ではなく、地獄だの異界だのにでも繋がっているのだろうか。
だが、武蔵がその事に気を取られたのは一瞬、彼はこの異常事態を究明しようともせず、歩み去る。
そもそも、異常と言うならば、ここで高坂甚太郎に出会った事自体が有り得る筈のない事であった。
高坂甚太郎は、武蔵が駆け出しの剣客であった頃に、その才を見込んで弟子とした男である。
しかし、やがて甚太郎は辻斬りに興じるようになり、更にその目的が術技を試すのではなく金銭を得る事になるに到り、
最早、甚太郎が真摯に己の剣を習う事はなく、また自身も甚太郎から学ぶ事は学び尽したと考えた武蔵は彼を破門する。
その後の事は武蔵も噂でしか知らないが、透破の頭目となり、幕府と結んで風魔小太郎を斃すなどして威を張り、
やがて幕府と敵対して、瘧に罹って動けずに居る所を襲撃されて捕えられ、刑場の露と消えたという。
その死んだ筈の甚太郎が生きて、しかも武蔵と出会ったよりも更に若い姿でこの御前試合に参加していた。
もう一つ奇妙な事に、あれは確かに若き日の甚太郎であったと思えるのに、技倆では武蔵の知る甚太郎を上回っていた事。
確かに甚太郎は才に恵まれてはいたが、竹竿一本で二刀を持つ武蔵をたじろがせる程ではなかった筈。
もしも武蔵に弟子入りした甚太郎にもあれ程の武才があれば、辻斬り程度で手放す事はなかったであろうに。
奇怪かつ、御前試合の真実を探る上で興味深い事実だが、武蔵はそれについて深く考えようとはしていない。
いきなりあの白洲に導かれ、そこから瞬時に城下に飛ばされた事を考えても、今回の事に妖術使いが絡んでいるのは確実。
そして、妖術によって起きた不思議な現象を不思議と認める事は、妖術使いの術中に嵌る第一歩。
余計な事は思い悩まずに、起きた事象をあるがままに受け入れ、斬るべきものを斬ればそれで良いのだ。
故に甚太郎の復活と若返りには特に反応を見せなかった武蔵だが、弟子との再会自体に感じるところがなかった訳ではない。
そもそも、あそこにいたのが甚太郎でなければ、老人の監視を優先し、無視するか追い払うだけで済ませただろう。
己が一の太刀を盗んだ事が老人に知れるか、という重要な情報を逃してまで立ち合ったのは、相手が甚太郎だったからこそ。
そして、彼との勝負で使って見せた技もまた甚太郎を意識したもの。
夢想権之助との立ち合いで開眼した十字留め、鎖鎌使い宍戸某との勝負で編み出した飛刀術、
佐々木小次郎との決闘で使った跳躍斬り、そして、この島に来てから会得した一の太刀。
全て、武蔵が甚太郎と別れた後に得た、したがって、甚太郎にとっては初見である筈の技ばかり。
武蔵がこのようにしたのは、既知の術では甚太郎が対策を考えているかもしれないから、というだけではない。
仮に自分が敗れたとしても、甚太郎が正しく己の剣を継承できるように、という考えも確かにあった。
自身の勝利と声望・立身にばかり執着して、弟子の育成には不熱心だったと言われる事もある武蔵だが、
大事なのは剣術の進歩であり、弟子が己の剣を乗り越えて更に発展させるならそれも良い、という観念も持っている。
しかし、武蔵の考えによれば、最強の剣は
最高の剣士が使ってこそ真に最強たり得るのであり、
最高の剣士と呼ぶに相応しい者は、己、即ち宮本武蔵をおいて他におるまいとの自負を強く持っていた。
強すぎる自負が弟子育成の妨げとなり、
塚原卜伝・上泉伊勢守・
伊藤一刀斎等が己に匹敵する実力の弟子を育てたのに対し、
武蔵の場合は、剣士と言うより盗賊である高坂甚太郎が、弟子の中で最も名を馳せると言う惨状を招いたのかもしれない。
しかし、その強い自負が修行の助けになったからこそ、今の自分があるのだと、武蔵は考えている。
才に於いては弟子中で最も優れていた甚太郎ですら、後継者には成り得なかった。
それならそれで構わない。己一代で究極の剣を完成させてしまえば、後継者など必要ないのだから。
そして、この御前試合は、武蔵にその剣の完成の為に必須の経験を積ませてくれそうだ。
弟子を殺した直後でありながら、武蔵の眼は過去ではなく未来に、真っ直ぐ向けられていた。
【高坂甚太郎@神州纐纈城 死亡】
【残り五十一名】
【へノ参/城壁の内側/一日目/午前】
【宮本武蔵@史実】
【状態】健康
【装備】中村主水の刀@必殺シリーズ、木刀
【所持品】なし
【思考】
最強を示す
一:一の太刀を己の物とする
二:一の太刀を完成させた後に老人(塚原卜伝)を倒す
【備考】
※人別帖を見ていません。
「とすると、我等は別々の時からこの島に招かれた、という事になるな」
「そうみたいです。他にも、
柳生十兵衛や但馬が存命だと言っていた座波さんは二百年以上も前の過去から、
竜馬さんを死んだ筈と言った薫さん達は、多分ずっと先の世から来たのだと思います」
「そうか……」
参加者が時を越えて呼ばれたのではないかとは、人別帖を見、
奥村五百子とのすれ違いを経験した時から感じていた事だ。
さな子の話はその点では筋が通っており、とすると、人別帖にあった剣豪達の名も、まず騙りではないという事になる。
だが、弥九郎がまず気にしたのは、数百年の時を隔てた剣豪達よりも、自身とさな子が呼ばれた時の一、二年の差であった。
宮本武蔵と弥九郎を立ち合わせようと思ったなら、時を越える妖術が必要なのは理の当然。
しかし、ほぼ同時代に生きる自分とさな子をどうして微妙に異なる時期から呼ぶ必要があったのか。
さな子によると、彼女が来た時点で弥九郎は存命だったと言うし、五百子によれば、七十過ぎまでは生きるらしい。
にもかかわらず、何故、今の時点で弥九郎はこの御前試合に呼ばれたのか。もしや……
(剣士としての我が道行きはここまでという事か)
確かにこの頃、肉体の衰えを顕著に感じ始めてはいた。
既に弥九郎の剣客としての力量は頂点に達しており、以後は加齢による衰えが鍛錬を上回って行く、というのなら辻褄は合う。
無論、これは推測に過ぎず、主催者の真の狙いなど、わかりはしない。
重要なのは、弥九郎がさな子との呼ばれた時期のずれからこのような考えに到り、それに己が納得してしまった事。
自分で自分の進歩を信じられない程に覇気が衰えては、剣士として大きな飛躍は難しいだろう。
剣の道半ばにして、歩みを止めざるを得ない……それが真実だとしても、弥九郎は絶望まではしていなかった。
何故なら、弥九郎には後を継ぐべき息子達や才能溢れる弟子達が無数に居るからだ。
そもそも、どれだけ傑出した剣客であろうと、一代で極められるほど、剣術は浅いものではない。
師が作り上げた技法を弟子が継承し、更に発展させてまたその弟子に伝える。神代の昔より、剣術はそうして発展して来た。
剣士の使命は、先人から受け継いだ剣術を更に発展させる事と、後に続く者にそれを正しく伝える事の二つ。
今まではこの二つを両立させていた弥九郎だが、そろそろ後者の方に専念すべき時期が来ているという事だろうか。
となると、これからは、弟子に正しく剣を伝えられているかに、より留意しなくてはならないという事であり。
(吉村……)
結局のところ、話はここに帰結する。
吉村がいきなり切り掛かって来た、さな子はそう言った。
確かに、吉村の物と思しき破損した刀に、かなりの血曇りが残っていたのは事実だ。
吉村がさな子の言うような行動をしていたのなら、あれも、吉村が好んで戦いを挑み、人を殺めた痕である可能性が高い。
吉村豊次郎……彼は、弥九郎の弟子の中でも、最も天秤に恵まれ、誰よりも剣に真摯だった男。
確かに、無学な上に粗暴な面もあったが、その心底は子供のように無垢で純粋だと、弥九郎は見ていた。
粗暴さは周囲の吉村に対する蔑みや恐れの反映であり、愛情と信頼を与えてやれば、必ず心正しい剣士に出来ると。
その信念の下に弥九郎は熱心に吉村を教え、吉村も良くそれに応えてくれたと、弥九郎は思っている。
他で学問道徳を習っていない分だけ、吉村は弥九郎の剣を、より忠実に写し取ったと考えて良いだろう。
「武」とは矛を止めるという事を表しており、真の武術を学んだ者ならば、どんな異常事態でも己の争心を抑えられる筈だ。
弥九郎は吉村にその心も伝えたつもりだが、それが伝わっておらず、吉村が短気を起こし、結果、己をも害したとすれば……
「さな子殿」
何やら考え込んでいた弥九郎に背後から呼びかけられて、さな子が振り向こうとした瞬間、凄まじい殺気が叩き付けられる。
殺気に続いて弥九郎の剣が振り下ろされ、さな子の身体は、事態を把握するよりも早く動いていた。
「見事!」「そんな、どうして……」
弥九郎の木刀に頭蓋を砕かれるよりも一瞬早く、さな子の咄嗟の居合いが、弥九郎を存分に斬ったのだ。
「斎藤先生、どうしてこんな事を!?」
重ねて問い質すさな子に、弥九郎は消えようとする意識を辛うじて繋ぎ止めて答える。
「私は師として吉村を信じた。信じてやりたかった。吉村は決して不義の剣を振るうような者ではないと。
吉村が道を踏み外していないのならば、そなたの言葉は偽りであり、吉村を手に掛けていないとの言葉も信用に足らぬ。
仇を討ってやろうと思ったのだが、及ばなかったようだ」
「そんな、嘘です!だって、本当に私を殺そうとしたなら、あんな闘い方……」
さな子は、技では弥九郎に対抗できるかもしれないが、剣客としての経験や精神力では遠く及ばない筈。
だから、弥九郎がさな子を本気で討つならば、経験や気力が生きる長期戦に持ち込もうとするのが道理。
それなのに、自分から短期決戦を挑んで来るとは、わざとさな子に己を斬らせたとしか思えない。
だが、弥九郎は最後の力を振り絞って首を振る。
「そなたが吉村を殺し、虚言で私を騙そうとしているのならば、その心の歪みが剣にも顕れ、一瞬の遅滞を生む筈。
しかし、そなたの剣には一点の曇りもなかった。……すまぬ」
誰に向けられたものかわからない謝罪の言葉を最期に、弥九郎の息は絶えた。
「どうして……」
さな子にはどうしても納得できない。まあ、彼女のような修行中の若い剣士には弥九郎の気持ちが理解できないのは当然だ。
彼のような者にとっては、弟子達の師匠としての側面が、剣士としての側面と同等以上に重要になる。
即ち、愛弟子が道を踏み外したというのは、自身が道を踏み外したのとほぼ同義。
特に、神道無念流では、剣士には正しい心が必須であり、心が乱れた者ならば剣術を学ばない方が良いとまで言う。
弥九郎が正しい心を伝えられず、弟子が道を踏み外すならば、弥九郎のしているのは不義の暴剣を撒き散らす事でしかない。
そのような弟子を生み出す師匠は存在しない方が良い、という事になる。
だから、弥九郎は吉村……仏生寺弥助を、信じるしかなかった。
自ら死を選んだのではなく、さな子に一瞬の勝負で勝ち、弟子の正義を証明する以外に、弥九郎が生きる道はなかったのだ。
無論、弥九郎も心底ではさな子の言葉に理を認め、だからこそこんな乱暴な手段に訴えたという面もあるのだろうが。
そのような弥九郎の心の機微は今のさな子にはまだ理解できないが、一つだけ、あらためて認識した事がある。
つまるところ、剣士は剣によってしか、真の意味で語り合う事はできないのだという事だ。
あれだけ学識深い弥九郎ですら、剣によってさな子の言葉の真偽を判定し、剣によって己の人生に始末をつけた。
この先、さな子が己と立場を異とする剣士に出会った際、語り合うのも解り合うのも言葉ではなく剣によるしかあるまい。
その為にも、そして、座波・仏生寺・斎藤の誰一人として、生かして救う事が出来なかった悲劇を繰り返さぬ為には、
己の剣をもっともっと研ぎ澄まし、人の心の歪み・苦悩すらも切り裂けるようにするしかないのだろう。
過去への深い悔恨を抱えながら、少女はどうにか未来に眼を向けようと、己を奮い立たせていた。
【斎藤弥九郎@史実 死亡】
【残り五十名】
【はノ伍 やませみの北/一日目/朝】
【千葉さな子@史実】
【状態】健康 疲労中程度
【装備】物干し竿@Fate/stay night 、童子切安綱
【所持品】なし
【思考】
基本:殺し合いはしない。話の通じない相手を説き伏せるためには自分も強くなるしかない。
一:南に向かう。
二:トウカは無事だろうか?
三:
緋村剣心の援護に向かう。
四:龍馬さんや敬助さんや甲子太郎さんを見つける。
五:間左衛門の最期の言葉が何故か心に残っている。
【備考】
※二十歳手前頃からの参加です。
※実戦における抜刀術を身につけました。
※御前試合の参加者がそれぞれ異なる時代から来ているらしい事を認識しました。
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最終更新:2010年12月02日 19:02