名刀の鞘 ◆cNVX6DYRQU
(二十三人か、多いな)
城下を目指して海岸沿いの木立の中を南下する椿三十郎は、果心居士の言葉に軽い衝撃を受けていた。
最初に出会った
辻月丹も、仁七村で見掛けた三人も、三十郎が今まで出会ったのは殺し合いなどする気のない者ばかり。
そのせいで少し楽観的に考えていたが、どうやら主催者の言葉に乗せられた連中は意外と多いようだ。
まあ、殺し合いに否定的な者ばかり集めてはこんな御前試合など成り立たないのだから、当然かもしれないが。
とすると、三十郎がこれまでそうした剣客に出会わなかったのは単に幸運だったからか、それとも……
(危険な連中は、隠れて隙を伺ってやがるのかもしれねえな)
八十人で互いに殺し合い最後の一人になろうと思えば、六七人は自分の手で討たなければなるまい。
前に推測したようにこの御前試合の参加者が達人ばかりだとすると、それは如何に腕の立つ者にも簡単な事ではなかろう。
加えて、仁七村の者達のように徒党を組む者も居る訳で、それに真っ向から勝負を挑むなど無謀の極み。
御前試合を叩き潰すのではなく勝ち抜こうとするなら、隠れ潜み、隙を見せた者から狩って行くのが現実的な策だ。
こう考えれば、今まで積極的に他者を探そうとしなかった三十郎が、危険な剣士に出会わなかったのも頷ける。
(今もその辺に隠れて俺を狙ってる奴がいるかもしれないな)
ふと、そんな考えが三十郎の胸に浮かぶ。
「隠れてないで、出て来たらどうだ?」
殆ど冗談で言ってみた三十郎だが、その言葉が終わらぬ内に微かな気配が生じたのを感じて思わず剣に手を掛ける。
次の瞬間、頭上の木の枝がざわめき、何者かが飛び降りて来るのを感じた三十郎は、抜き打ちを放つ。
だが、斬ったのは人影と共に降りて来た葉のみ。肝心の敵……
香坂しぐれは、足指で枝を抓み、落下を一時的に止めたのだ。
そうして三十郎の居合いをやり過ごしたしぐれは、再び落下して一撃を放った。
地面を一転してこの一撃をかわした三十郎は、相手の武器が脇差でなければやられていたと、肝を冷やす。
実際には、しぐれの攻撃に三十郎の命を奪おうと言うまでの殺気がなかった為も大きいのだが、そこまではわからない。
殺意を籠めずとも十分に鋭い剣と、先程までの推論から、三十郎がしぐれを危険人物と認識したのは仕方ない事だろう。
互いに背を向け、肩越しに睨み合う三十郎としぐれ。
長刀を持つ三十郎は、脇差を構えるしぐれより間合いの点では有利だが、得物の長さが違い過ぎる為、懐に潜られると厄介だ。
三十郎は、全神経を集中させて、しぐれの動きを読み取ろうとした。
厄介な相手に行き会った。
志々雄真実の姿を死人した瞬間、
伊藤一刀斎は即座にそう悟った。
一刀斎にそう思わせた要因としては、包帯に覆われた異相や血の臭いもあったが、最大のものは自分に向けられた殺気。
恐ろしく烈しい殺気でありながら、そこに憎しみや怒りはまるで感じられず、むしろ愉悦の気が内包されている。
目の前にいるのは、強敵と命の遣り取りをする事を第一の喜びとする剣鬼。
かつては自身もそうであったし、若い剣士はそうであるべきとも思うが、今の一刀斎には、相手になってやる気はない。
一刀斎は既に人斬りに倦み、己の全てである剣法を敢えて封印する事で、悟りを得ようとしている身の上だ。
本来ならば、志々雄の姿を見た瞬間に踵を返して逃げ出すのが正解だっただろう。
だが、位置が悪い。一刀斎の感覚が正しければ、ここは地図の表記で言うとほノ伍の北東の隅に当たる筈。
北には志々雄、東には水地。
逃げるとすれば南か西しかない訳だが、そうすると巳の刻以降の立ち入りを禁じられた地域の只中に戻る事になる。
巳の刻まではまだ間があるが、そろそろ主催者の挑発に乗せられた剣士が集まり始めてもおかしくない頃だ。
そんな事を考えていた為に、一刀斎は逃げる機会を逸した……いや、或いは、上の理屈はただの言い訳かもしれない。
この強敵と戦ってみたい……その想いが一刀斎の胸の中で燻っていた事は、否定できないのだから。
「悪くねえな。さあ、楽しもうか」
「すまぬが、俺はもう人は斬らない。斬り飽いた」
挑発的とも言える一刀斎の言葉に、志々雄はにやりと笑って答える。
「無理するなよ。あんたの剣気は、まだまだ斬り足りないって言ってるぜ?」
そう言われてしまうと、一刀斎にも簡単には反論できなかった。
実際、志々雄と相対して以来、一刀斎の心は久方ぶりに高揚しているのだ。
まるで、若き日に強敵との果し合いを行った時のように……いや、ここまでの昂ぶりは生まれて初めてかもしれない。
剣士ならば強敵と闘いたい欲求があるのは当然、この欲望を抑えるのも悟りを開く為の修行、とも言えるだろう。
しかし、相手は恐らく一刀斎が闘争心と技を総動員しても勝てるとは限らない程の強敵。
当然の事ながら、斬られて死んでしまえばどんな悟りも無意味となる。
戦うべきか、逃げるべきか。戦ったとして勝てるのか、逃げたとして逃げ切れるのか。
心を一つに定められぬままに、一刀斎は
志々雄真実と睨み合っていた。
睨み合う椿三十郎と
香坂しぐれ。しかし、そうしていたのは一瞬、しぐれは振り向くと突進して来る。
三十郎としては、間合いを詰められると不利な以上、大刀の間合いに居る内に倒す以外にない。
素早く振り向きざまの一撃を放つ三十郎。とはいえ、まだしぐれを殺すまでの気はなく、途中で刀を峰に返した。
だが、それは余計な気遣い。三十郎の剣は、しぐれに届く前に、降って来た太い枝に遮られ、振りが遅れる。
その枝は、しぐれが先程まで足場としていたもの。
しぐれは飛び降りる前にその枝に切れ込みを入れておき、自重で枝が落ちるタイミングを見計らって動いたのだ。
剣が枝に遮られて出来た間隙を突いてしぐれは三十郎の懐に飛び込み、脇差による一撃を叩き込む。
だが、ここで、しぐれを殺さぬ為に刃を返していた事が、三十郎に幸いした。
峰で叩かれた枝がしぐれに向かって飛び、しぐれはそれを切り裂いてから三十郎を攻撃した為、三十郎を捉え切れない。
結果として、しぐれの脇差は、身を捩じらせた三十郎の肩を浅く突くに留まる。
それでもまだ、三十郎の至近距離まで近付いたしぐれが有利と見えたが、次の瞬間、その身体が跳ね飛ばされた。
三十郎が腰に差した鞘を掴み、左手で引き抜きつつの突きでしぐれを打ったのだ。
「やっぱり、名刀には鞘が付いてないとな」
「ならば…お前は名刀ではない…な」
そう三十郎の軽口に返すと、しぐれは跳躍して小太刀の葉の茂みの中に身を隠す。
逃げたか……と思った三十郎だが、一瞬後、気付いて駆け出し……いや、逃げ出した。
正面から戦えば、間合いの差と両手が揃っている事で三十郎が有利。
しかし、気配を消す事と身軽さにおいてはしぐれが大きく優っている。
先程は三十郎の思い付きがたまたま当たっていたおかげでしぐれを炙り出す事が出来たが、次はそう都合良く行くまい。
木立の中で隠れつつ襲われれば、不利なのは三十郎の方。
全力で駆けて木立を抜け出し、周囲を見回してみるが、しぐれの姿は見られない。
一瞬、遠ざかった木立の中から自分を見詰める鋭い視線を感じたように思うが、それもすぐに消えた。
取り敢えず息を付いて、三十郎は再び歩き出す。
これまで、三十郎は、未知の力を主催者を警戒し、警戒心の殆どをそちらに向けていたが、それだけでは不十分のようだ。
参加者の中にも他者を殺そうとする者が多くおり、どうやらその者達は腕が立つ上に狡猾さを併せ持っている。
主催者を倒そうとする剣士が、月丹のように暢気な者ばかりであれば、危ういかもしれない。
機会があれば、自分のような者が、危険な剣士の数を減らしておくべきだろうか。
この御前試合が予想以上に過酷な物と感じた三十郎は、警戒を深めつつ城下へと向かうのであった。
【ほノ陸 平原/一日目/朝】
【椿三十郎@椿三十郎】
【状態】:肩に軽傷
【装備】:やや長めの打刀
【所持品】:支給品一式、蝋燭(5本)
【思考】基本:御前試合を大元から潰す。襲われたら叩っ斬る
一:
柳生十兵衛から情報を得るため城下へ向かう
二:名乗る時は「椿三十郎」で統一(戦術上、欺瞞が必要な場合はこの限りではない)
三:
辻月丹に再会することがあれば貰った食料分の借りを返す
四:危険な剣士を見付けたら、なるべく倒す
【備考】
※食料一人分は完全消費しました。
※人別帖の人名の真偽は判断を保留しています。
【ほノ漆 木立の中/一日目/朝】
【
香坂しぐれ@史上最強の弟子ケンイチ】
【状態】疲労中、右手首切断(治療済み)、両腕にかすり傷、腹部と額に打撲
【装備】蒼紫の二刀小太刀の一本(鞘なし)
【所持品】無し
【思考】
基本:殺し合いに乗ったものを殺す
一:木立に隠れて体力を回復させる
二:
富田勢源に対する、心配と若干の不信感
三:
近藤勇に勝つ方法を探す
【備考】
※登場時期は未定です。
辰の刻を告げる鐘が鳴り響く。
もうかなりの時間、志々雄との睨み合いを続けている一刀斎は、このままではまずいととうに悟っていた。
志々雄の闘気は凄まじく、このまま睨み合いを続けて気死させるのは至難の業。少なくとも巳の刻までには絶対に無理だ。
巳の刻までこの場に留まって何が起きるかはわからないが、それを試してみる気は一刀斎にはない。
志々雄一人と相対していてさえ、己の戦意を抑えるのに苦労していると言うのに、更なる危険が加わったらどうなる事か。
このまま対峙を続ける訳にはいかないが、今から背を向けてほノ伍に駆け戻るのもまた剣呑。
一刀斎は、ついに打って出る覚悟を決めた。
と言っても、切り掛かる訳ではなく、その気勢で剣気をぶつける事で志々雄を守りに入らせ、その隙にすり抜けるのだ。
その狙いを持って一刀斎は剣気を高め、それに応じて志々雄も力を溜める。そして、一刀斎は剣気を解き放った。
剣がぶつかり合う音が響き、一刀斎は驚愕に眼を見開く。
もっとも、志々雄が一刀斎の予想を超える動きをしたという訳ではない。
予想外の動きをしたのは一刀斎の方。剣気だけをぶつけるつもりが、渾身の一撃を志々雄に叩き付けていたのだ。
擬態を見抜かれぬよう本気で高めた剣気と、志々雄の凶暴な闘気に呼応して、一刀斎の身体が意志を超えて動いていた。
己の行為に狼狽し、慌てて剣を引く一刀斎。結果としては、それで正解だったと言って良いだろう。
あのまま押し込んでいれば、志々雄が受け太刀を押し返し、一刀斎の刀を斬鉄剣で切断していたであろうから。
無論、志々雄も容易く逃がしはしない。剣を回して大地に擦らせると、摩擦でその刃先に炎が生まれる。
斬鉄剣が燃料となるべき脂を残していない為に、炎は一瞬で消えるが、肝心なのは発火するまでに上昇した刃先の高温。
それが斬鉄剣の周囲に陽炎を生じ、一刀斎に剣の軌道を正確に見究めさせない。
身を引いて志々雄の斬撃をかわす一刀斎だが、斬鉄剣に袂を切られ、次の瞬間、体勢を大きく崩された。
志々雄が
香坂しぐれとの対戦で出来た斬鉄剣の刃毀れを利用し、そこに一刀斎の着物を引っ掛けたのだ。
一刀斎は袂を引かれるのに逆らわず、その方向に跳ぶ事で、志々雄の追い討ちの拳をかわすが、無理な跳躍で地に膝を付く。
そんな一刀斎に対し、斬鉄剣を構え直した志々雄は、大上段からの気勢の乗った振り下ろしで両断せんとする。
この体勢では回避も防御も不可能と悟った一刀斎は、自身も志々雄の胴を目掛けて渾身の横薙ぎを放つ。
二筋の剣撃が交錯し、志々雄の左手が空を切る。そして次の瞬間、相手の剣を受けて弾き飛ばされたのは志々雄の方。
一刀斎の剣の方が紙一重だけ早かった形だが、そもそもの剣速において志々雄が劣っていた訳では決してない。
なのに一刀斎が競り勝った理由の一つは、一刀斎の無理。腕を痛めかねない、本来の限界を越えた斬撃を放ったのだ。
そのせいで、志々雄に剣を当てながら、それを引いて斬る余裕すらなく、叩いて弾き飛ばすに留まる。
まあ、人を斬らぬと誓った一刀斎にとってはその方が都合が良い訳で、だからこそこんな一撃を放った訳だが。
そして、もう一つの理由は志々雄の失策。あの時、志々雄は両手ではなく片手で剣を握っての一撃を放っていた。
一刀斎が回避を試みた場合、その方が自由が利くからだが、相手が反撃に出た時点で両手斬りに切り替えても良かっただろう。
そうしていれば、重力を味方に付けた志々雄の切り下ろしの方が早く一刀斎を両断していた公算が高い。
しかし、志々雄はそれをせず、開いた左手を空しく動かし、存在しない鞘を掴んで一刀斎の薙ぎを受けようとしたのだ。
もし、志々雄の事に鞘が差されていれば、速くとも鋭さに欠ける横薙ぎは鞘を切断できずに砕くしかなく、
それで生じる一瞬の遅滞の間に、志々雄の斬鉄剣が一刀斎に届いていたであろう。
だが、志々雄はとうに鞘を失っており、その為に目算が狂って一刀斎に後れを取る結果となった。
志々雄真実ともあろう者が、己が鞘を持たない事を忘れるという失策を犯したのは、気力の消耗に拠る部分が大きい。
強敵への対処をすぐに決められず、長々と睨み合いをするに到らせた一刀斎の悩みが彼を助けたとも言えるし、
志々雄の鞘を奪い、激戦で消耗させた千石・トウカ・しぐれ等が、結果として見ず知らずの一刀斎を救った形でもある。
渾身の一撃で志々雄を跳ね飛ばした一刀斎はしばらく全力で駆け、追ってくる気配がない事を確かめてから振り返る。
すると、志々雄は一刀斎を追おうともせず、その場に座り込んでいるようだ。
消耗した状態で闘い続ける愚を悟ったか、逃げる者よりもで主催者の挑発に乗せられて来る剣士と闘う方が面白いと踏んだか。
どちらにせよ、強敵と戦いながら、斬らずして逃げる事に成功した一刀斎は手応えを感じていた。
危うい場面は幾つもあって完全とはとても言えないが、この調子で行けば、悟りへと到るのも不可能ではあるまいと。
志々雄の振り下ろしで皮一枚だけ切られた頭から流れる血を軽く拭い、一刀斎は晴れ晴れとした顔で北へと向かう。
【ほノ伍 北東の隅/一日目/午前】
【
志々雄真実@るろうに剣心】
【状態】疲労大、軽傷多数
【装備】斬鉄剣(鞘なし、刃こぼれ)
【道具】支給品一式
【思考】基本:この殺し合いを楽しむ。
一:しばらく休んで体力を回復させる
二:土方と再会できたら、改めて戦う。
三:無限刃を見付けたら手に入れる。
※死亡後からの参戦です。
※人別帖を確認しました。
【にノ伍 南東の隅/一日目/午前】
【
伊藤一刀斎@史実】
【状態】:疲労小、頭部に掠り傷
【装備】:村雨@史実(鞘なし)
【所持品】:支給品一式
【思考】 :もう剣は振るわない。悟りを開くべく修行する
一:刀を決して使わない
二:伊庭寺に向かう
三:挑まれれば逃げる
【備考】
※一刀流の太刀筋は封印しました
かつて、椿三十郎に「本当の名刀は鞘に納まっているもの」と諭した者がいた。
それが正しいかどうかはさておき、この言葉を発した女人は、鞘を剣を封印する物として捉えていたようだ。
しかし、それは決して「鞘」の本義ではない。
鞘の主目的は、刃自体を保護する事であり、それは、いざという時の為に、剣の鋭さを保たせる為である。
結局のところ、「斬る」事こそが剣の主眼であり、鞘もまたそれを補助する為にこそ存在する道具。
そして、剣士達は鞘に当初の目論見を越えた機能を持たせているが、それ等はどれも剣の「斬る」機能を助ける為のもの。
中でも居合い切りは最も良く知られたものだし、他にも鞘を武具として攻防に使う技は数多い。
結局の所、刀は何処までも「斬る」ものであり、それは剣士もまた同様。
今回、四人の剣士が二つの血闘を演じたが、四人の中で戦いに積極的な、言わば抜き身の刀は
志々雄真実一人のみ。
椿三十郎と
香坂しぐれは、相手が挑んで来ない限り戦うつもりはない、鞘の内にある刀に喩えられる剣士達であった。
にもかかわらず、互いの警戒心が呼応し、刺激し合い、最終的には命の遣り取りをする事になる。
更に
伊藤一刀斎は、何があっても人を斬るまいと固く心に決めた、封印された剣。
それでさえも、志々雄に強い殺気を向けられれば無視できず、相手に剣を叩き付ける結果を生み出す。
今回の二つの闘いでは死者は出なかったが、それはただの結果。
厳しい戦いを経験した剣士達は、その刃の鋭さを増し、他の剣士達を巻き込み更に激しい戦いを引き起こすであろう。
強敵と出会えば闘うのが剣士の本能であり、これは剣士自身の意志でもそう簡単に止められるものではないのだ。
そうした剣士の本質に敢えて逆らい、新たなる境地を求めるのも、剣を究めた剣客に許された権利の一つではある。
しかし、その道は非常に険しく、
伊藤一刀斎のような剣聖にすら、成就させるのは簡単ではあるまい。
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最終更新:2023年09月10日 11:14