テスト中

最終更新:

匿名ユーザー

- view
管理者のみ編集可

鏡 04/08/10

  己の正しい姿を正確に把握しているならば、歪んで見える己の姿を見ても動揺する事がなく鏡が歪んでいると冷静に判断出来るが、かつて己の姿を直視した経験を持たない者なら歪んだ姿を己の実像として受け入れるか、歪んでいる事に気が付かない。

  鏡が歪んでいるのだと即座に理解出来るなら態勢を崩すことはなく迷うこともない。

  歪んだ姿を己の実像と信じている者が歪んでいない正しい姿を見せつけられたとき、俄かに信ずる事は出来ずに正しい姿を否定してしまうのみならず、正しく映す鏡を受け入れずに攻撃し、破壊さえすることもある。

  歪んだ鏡を歪んでいると認知して対処出来るならそれに越したことはないが、問題は鏡が一見鏡であると気付かない場合だ。映りの良さに鏡とは信じられない場合、または鏡ではないと見えるもの、鏡ではないと偽りの前提を付されたもの、それらに映るものを正しい姿であるのか歪んだ姿であるのか、歪んでいるならばそれは鏡なのか映っているものなのかを正しく見極めることは難しい。

  貴方にとっての鏡とは何なのか。その鏡は自ら手に入れたものなのか。仮に渡された鏡であったなら中に映る自らの姿は歪んでいないか。鏡を通してしか見る事が出来ないのなら、せめて正しく映る鏡を選びたいと願うことが間違っていると思うかい?
 
TOTAL ACCESS: -  Today: -  Yesterday: -
LAST UPDATED 2025-11-08 12:50:48 (Sat)
 
ウィキ募集バナー