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宿敵
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匿名ユーザー
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宿敵 04/09/18
仮想敵を設定すれば内部の争いはひとまず棚上げされる。
この構造を集団から個人の規模にまで縮小してみると面白い。仮想敵とはつまり宿敵のことであるから、宿敵を設定したならば自らの闘志や不安心・恐怖心その他雑念を糾合して最大限の力を発揮し易くなる。
しかしながら仮想敵を設定した場合の致命的な欠点とは、仮想敵が消えた場合に於ける目標の喪失であり、これを個人規模に適用すれば宿敵の喪失がそのまま目標の喪失に繋がる。自らの力を効果的に発揮させる為の方法として宿敵を設定することは人類の長い経験則で知られているから今も尚有効であるが、自らの存在理由を宿敵に依存させる事が真の力であると言えるだろうか。
「ライバルは自分だ」というありきたりで陳腐極まる台詞があって、しかしこれは上の構造から考えると核心を突いているように思える。外部に仮想敵を設定せず、内政に意を尽くした末に御忍びの民情視察で「偉いさんなんて必要ない」の言葉を聞き、平和に安堵する政治を考えるならば、自らの中にある様々な課題や難題を統合しようと尽くすことが真の力、新の強さに辿り着く道ではないか。
仮想敵の消滅後に生ずる集団の迷走に比し、宿敵の消滅後には個人もまた暫し迷走や暴走を始める。新たな目標を設定すればそれで済む事でもあるが、その目標を達成したらまた喪失感に襲われて、また目標を設定して、繰り返される輪行は単なるその場凌ぎであることを否定出来るのか。それで得た力が真の強さと断言してよいのか。
自らの内に強さを求めるのは茨の道であることが知れていて、それでも尚苦難と連れ立ち歩み続けた末に到達する境地には限りない地平が拡がっているだろう。そこに立てば何人をも寄せ付けることのない圧倒的な存在となり得ることだろう。打ち倒し治めるべきが宿敵ではなく自らであることに思いを致せば、「ライバルは自分」の言葉を新たなる角度から見ることが出来るに違いない。
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