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基準
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匿名ユーザー
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基準 04/09/27
基準とする軸を決定すると比較が楽になるのは視野が狭くなる代わりに簡便であるから多用される。
ウィスキィはストレートで飲む主義だから、ストレートで試してみて口に合うかどうかを確認するわけであって、薄めると香りが強くなるからと利く時だけ薄めても意味がない。普段から水割りしか飲まない者ならばどの銘柄でも水割りで試すのが当然の話であり、ストレートで飲む者が常にストレートで試すことに何の不審があるというのか。元々薄めることを前提に混合されたカラメルウィスキィは最初から数に入っていない。薄めることを前提にしてあるからストレートで飲む場合えぐ味が率直に表現されるから一度で懲りる。
小学生の頃は食堂などで品書から何かを選ばねばならない時に、選ぶのが面倒で何処へ行っても必ず親子丼を頼んでいた。しまいには親の方が親子丼のありそうな店を選ぶほどになり、親子丼の味が全ての基準となっていた。
今では親子丼傾向は完全に消えているが、代わりに手羽先傾向が残っている。カクテルならばブラディメアリ傾向で、骨煎餅は滅多になくて悔しいのだが、その基準だけを目安に全体の評価を下してしまう悪癖を持ち合わせているから始末に困る。
海外旅行で国の比較をする際に、基準を風景・物価・人情・酒・女のどれに置こうがひとつの筋を通したら比べることが出来る。それはその国に対して余りにも一面的な情報に限定されてしまう反面、様々な国の一面を寄せ集めることになるわけであって、面が集合すれば多面体となり評価対象と基準の逆転に繋がり、そこで視野が入れ替わる。
分野が違うものを比べても仕方がないことを弁えた上で、無意味な比較を行うならばよいのだが、弁えずか意図的に無視して行われる比較を相手にしてはいられない。そして比較が出来ないならば、それぞれの美点を見出すことに力を注げばよい。それが難しいから基準を決めて比較したくなるのだが、そのあたりは如何ともしようがない。
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