テスト中
評
最終更新:
匿名ユーザー
-
view
評 04/11/01
あらゆる芸術に於いて、本質的にそれまでの価値観から脱却することが出来た場合に限り、後世で評価される。
芸術とは本質的に価値観からの脱却を求めて苦闘してきた歴史を内包しているが故に、一般論をもって芸術を語るなど笑止の極みだ。
誰でも簡単に理解出来るものならばそれは斬新ではない。誰にも理解出来ないものならばそれは芸術かもしれないが評価はされない。歴史に残りたいと欲するならば一般論では包めないものを創り出す必要がある。
仮にそれが成功した場合、批評する側もまたそれまでの価値観から脱却した見解を述べる必要がある。でなければ正しい評価を下していることにはならないからだ。新しいものに対しては新しい考え方が要求されるわけで、これを意識しているかどうかが批評家の生命線となる。
それまでの価値観や過去の遺物を引き合いに出した上で新しい地平を切り開く批評をせず、ただ理解の及ばないものに対する怯えから無闇な攻撃をして害を撒き散らすような馬鹿は相手にしなければよいだけなのだが、厄介な事に「簡単に理解出来る攻撃」であればあるほど支持を得易い。
難解な文章で韜晦したつもりの場合は相手にされない場合も多く、それは良識の作用ではなく遠巻きに眺めているだけの誤魔化しである。失敗しても反応がないから安全策として多用されがちだ。
「正しい批評はどうあるべきか」という問に正答はない。批評は物事の後に提出されるものであり、それは不変の立場であってはならない。価値観が変わり、対象が変わり、全てが流動する中で対象の持つ価値観との距離や角度を適切に示した上で展開されることが望ましいのだ。
TOTAL ACCESS: - Today: - Yesterday: -
LAST UPDATED 2025-11-08 12:52:03 (Sat)
TOTAL ACCESS: - Today: - Yesterday: -
LAST UPDATED 2025-11-08 12:52:03 (Sat)