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戦 04/01/05

  そもそも犯罪がなくなれば警察は必要ない存在となるのであって、同様に戦争がなければ軍隊も必要なくなる。ニュージーランドの軍隊がそのままレスキュー隊に生まれ変わったのは、あの地域で戦争の危険がなく、また将来に渡って戦争には参加しないとする意思表示でもあった。

  戦争の遂行をより効果的に行うべく成立した近代国家は、だから国家の存在と存続の為に戦争を繰り返さなければならず、従って戦争の無い世界とは寝言も真っ青の世迷言であって理想を理想をと叫ぶことの自由が保証されている場合に規制する術はないが、これは一種の害毒でもあるから冷徹に現実を見なければならない。

  戦争と戦争の間に平和があり、平和と平和の間に戦争がある。クラウゼヴィッツは戦争を論じる中で国家のあり方を遠く見ていた。マキャヴェリは君主を論じる中で戦争のあり方を遠く見ていた。戦争はやめられないし止まらない。戦争は政治の一種である。政治は戦争の一種である。人間が二人いれば喧嘩が起きて当然であるところ、その人間が集まって動かす国家と国家が喧嘩をしな筈が無い。

  狡兎死して走狗煮らると言う。常に兎を探す必要がある。兎がいなくなれば?飼い馴らした兎を繁殖させて放ち、それを狩ることになるだけだ。その構造は古今変わりがないから勝ち過ぎてはいけない。仮想敵の存在があってこそ戦争の遂行を効果的に行う国家の経営が楽になる。

  敵は本能寺にあると言われてそれを信じる無邪気な羊を選ぶのか。何故見えるものを見ようとしないのだ。
 
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