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卵
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卵 2003/07/24
「料理が出来る」なる言葉、正しくはカロリ計算と金銭バランスを考慮してなお美味しい食事を作ることが出来るという意味であったが、最近では「腹を壊さず食べることが出来る」と解釈されている。そしてそこに調理の文字はない。
手前はこのマガジンにて過去、失敗した事例ばかりを取り上げてきたわけだが、その理由は、単に「おいしーい。感激!是非試してみてね!」のような気色悪い内容のものなど読みたくないからであって、読みたくないものは書かないことにしているから自然どたばたが中心になるわけであって、そうなると当然失敗ばかりを連ねることになり、結果として「料理が出来ない人」の烙印を押される。確かに舌が細切れになりそうな名前の料理など近付きもしないが、ただ日常、発想力にはそこそこ自信があるのでここに華やかな戦歴が立ち並ぶ。
卵を二パック買った日に突然「明日から旅に出よ」これで卵二十個をどうにかして処理しなければならなくなる。大抵は一週間で帰ってくるが、一週間で大抵賞味期限が切れることになっている。当然浮かぶのは「卵尽くし」であるが、それ以外に方法はないが、それでも普段食べ慣れた卵料理が一堂に会して目の前に並ぶのはいかにも辛いので何か手立てを考えねばならない。
さて、どうするか。まず手勢を確認しておこう。米。油。塩。マヨネーズ。めんつゆ。わさび。舞台を確認しておこう。カセットコンロ。ホットプレート。炊飯器。電気ポット。電子レンジ。一瞬炊飯器に卵を全て溶き入れ、ケーキのような卵焼きでも作ろうかと思ったが、それを食べきることがおよそ不可能であることが判る程度には賢いので却下される。それにしても卵二十個とはかなりの体積である。試しに二十個の卵をそのまま胃の中に収めるところを想像してくれ。涙の代わりに白身が溢れそうだろ?鼻血の代わりに黄身が垂れそうだろ?耳糞の代わりに殻が詰まりそうだろ?
茹卵はどうか。調味料ならいくつかあるし、うまいこと半熟にすれば平らげることが出来るかもしれない。半熟卵を二十個。十個ならどうにかなりそうだが、二十個はどうだろう。しかし何故、旅立ちたくなるその日に限って「お一人様卵二バック百円タイムサービス」に駆け寄ってしまったのか。
目玉焼きを作り続けて焼けたものから食べてゆけば、理論上は片付く。しかし「根性」を必要とする理論は、理論とは認められない。全て煎卵にしてご飯のおかずにしてみるか。しかしご飯がおかずになりそうなので却下される。煎卵でおにぎりでも作るか。具をご飯にして。覚えている頭の動きはここまでであって、うんざりしたからまずは五個茹でてみる。味に飽きる前に「調理法を考えていて飽きる」というアホらしさに目覚めた瞬間である。冷凍保存を考えつくことはなく、当時近所に住んでいたクラブの先輩の家に行けば酒盛りが始まるし、後輩の家に行けば酒盛りを始めねばならない。どうしても自力で朝までに処理しなければならない。焦っていたせいか、まだ固まっていなかった茹でかけ卵を五つ連続して啜り、「よしわかった。五個ずついこう」しかし次の五個が失敗であった。卵焼きにしたのだが、卵五個分の卵焼きとは、ホットケーキ並の厚さを誇るのであって、マヨネーズを引き伸ばしてみてもお好み焼き風にしかならない。そしてマヨネーズは胸焼けの元であって、計十個片付けたら既にげんなりしている。「残りは朝食べよう」
あのな、朝から卵を十個も食べてられるか。せめて昨晩茹卵にしてめんつゆで煮込んでおればよかった。せめてあと三つぐらいは卵スープにでもすればよかった。「朝に卵十個」と決めていたからご飯も炊いていない。えい面倒な。一気に喰ったるぞ。卵十個を全て丼に割り、電子レンジに放り込んで「ケーキふう目玉焼きの塊」を作ろうと目論んだ。しかし電子レンジは思ったよりも軟弱であって、卵十個に素早く火を通す実力はない。いい加減待って、もういいだろうと開けてみるとただ表面だけがうっすら白くなっているだけで、中の方は透明のままぷるるんと揺れている。見なかったことにしてもう一度閉め、「見つめる鍋は煮えない」を実践するべく一旦忘れることにして荷造りを始め、やがて完全に忘れてトイレに入って神妙な顔で「何かを忘れている気がする」と何かを思い出そうとしていたら、「ぼん」「ぼぼん」「ぼん」「ぼ」「おああ爆発しとるがなあああ」
十個分の卵は約七個分に目減りしており、飛び散った黄身を拭き取ってささくれ立った白身にめんつゆをかけてむさぼりながら、一人暮らしで卵を二パック買うことの愚かさの味を噛み締めて、やがて旅立ったのは大学二年の秋のこと。
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