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バス
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匿名ユーザー
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バス 04/05/14
バス停というのは不思議に楽しいもので、停留所名の中には既に行政上葬られた地名が眠っていたりするから見逃せない。
いつか小田原市のどこかに「一里塚」という停留所を見たことがあり、正月の名所として晴着姿の記念写真を撮りたくなるわけだが、生憎なことにそこは幹線国道沿いであり、しかも歩道は申し訳程度の幅しかなく、記念写真を撮るためバス停に群がると歩行者は滞留し、歩行者の便を考えてバス停から一列に並んで歩行スペースを空けると今度は撮影者が轢かれる運命にあり、随分勿体無いと考えたものだ。あのあたりは道路を拡げるか、いっそ停留所の位置を変更して記念写真撮り放題の名所として開き直ればよいのだ。近くに神社があるならば強引に停留所を移植すれば相乗効果も見込める。
鯰峠だか岡山あたりの県境で見たバス停の名前は忘れたが、一日一本というバス停を見たことがあった。確か九時台に一本だけあり、誰が、何処から、何処へ、何故、どうやって、何のために、利用するのか見当も付かない停留所であって、そもそも一日一本では帰って来れないではないかとの疑問が浮かばないのは、ここに帰って来てここで降りる奴はいないという確信があったからだ。そうなるとここから乗る奴もいない筈という結論になるわけであり、今もって存在の理解出来ないオブジェとして記憶している。ちなみに手前が何故そこに居たのかと言えば、偶然にも「大阪から九州まで自転車で行く」という余りにも若過ぎる時代の暴走の結果ゆえだ。あの辺は峠峠また峠、歩道に「斜度9%」なる黄色の看板を見たのは後にも先にもあの時限りであって、その看板を見た瞬間の思考推移は今でも鮮明に覚えている。
「直角90度を100%として、10%で9度、1%で0.9度、つまり8.1度の登り坂」
柳生の里の京都側の県境にも一日一本のバス停があった。一本だったか。数本だったか。峠の茶屋と書かれている朽ち果てた看板は営業を停止したことをその汚れ具合が示しており、丁度雨が降っていたので雨宿りをしつつ運休で絶対に来ないバスを待っていたこともある。
よくよく考えてみるとバス運が悪い。乗っていた奈良市内の循環バスが渋滞に絡め取られ、運転手がマイクで「しばらく動きませんのでここで降りて歩く方はどうぞ」と言い、扉を開けたので、早速降りると、一分もしないうちに渋滞はみるみる動き出し、さっき降りたバスがさりげなく手前を追い越して行った。運転手は目を合わせてくれずに去っていった。しばらく先で渋滞に捕まってこちらが歩いて追い越してやったら気も晴れただろうが、当然そのようなことはなく、次に来たバスに乗るのも癪だから意地になって目的地まで歩き通した。バスは酔うから嫌いだ。。酔わなくても色々あるから嫌いだ畜生。
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