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階段

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匿名ユーザー

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階段 03/12/15

  こう、階段を昇っていて踏み外してこける時に、上手く手が出たならば冷汗一筋で平然を装って登り続けることが出来るね。これが何か荷物を持っていたりポケットに手を入れていたりすると悲惨です。手が出ない時は反射的に顔を庇うべくまず膝がその皿を呈して段の角に向かいます。これを受身と考えるには痛すぎます。それでも階段の角に膝ならば皿が割れなくても痛みは多少じっとすれば我慢出来ます。悲しいのは膝が出るより先に階段の角に脛を当てた時です。何しろ踏み外した瞬間全体重を乗せて角を脛で蹴るに等しい荒業であります故に、これは涙の出すことも忘れるくらい痛い。

  しかもそれが登りのエスカレイタであってごらんなさい。御存知のようにエスカレイタは一段一段が観覧車のように回転している。その回転がずれないように外れないように溝がある。つまりエスカレイタの段の角は鋸のように凶悪な刃を剥いている。そこに全体重をかけて脛から倒れるとどうなるか。熊の爪痕のような疵になります。しかもこの上なく痛い。一体に脛とは弁慶の泣所と申しましてそれは筋肉が付きにくいからでありますが、中にはここに筋肉が付いている人もいる。空手の人は付いていますね。ここの筋肉は何も特別な鍛錬が必要なわけではなくて、例えば恒常的に自転車に乗っておれば自然と盛り上がります。昔の日本では汲取式便所でありまして、また水洗となっても和式のしゃがむ姿勢の便所がまだ結構残っておりますが、あのしゃがむ行為とは即ち「うんこ座り」と呼ばれるもので、ヤンキーの特技でもあるわけですが、あの姿勢もまた脛の筋肉が鍛えられるわけです。「洋式便所は和式便所に比べてきばり具合が心許無い」というのは、和式の姿勢ならば尻の穴を閉めたくても閉められないからでありまして、それでも便秘時にひり出そうとしたら太過ぎて「このままでは切れる!」と必死に閉める場合は、少し腰を浮かせると締まります。すると硬ったい太っとい糞が輪切りとなって少しづつ落とせるわけですね。この場合は実に盛大にお釣りがくるわけですが、それを避ける為にも瞬間腰を上げる。この動きもまた脛の筋肉に効果を齎します。括約筋と前脛骨筋を知らず鍛えていた和式便所の衰退はそのまま締まりのない日本人化を意味しております。しかし肛門が詰まっているのに何故息が苦しくなるのでしょうか。脛のあたりは皮膚が張っておりますからかさぶたになってもすぐ割れてなかなか完治しません。しかも痒い時はもう一方の足の踵あたりで掻くわけですが、これは指で掻くの違って加減が効かず気付けば滲出液が滲んでいる。

  階段を昇っている時にこけるのはまだよい。例えとっさに出した手が階段の奥の蹴込ま滑り込んで突き指したとしてもそこで動作は一旦静止するからだ。昇っている階段を踏み外してしまい、爪を立てようとしながら空しく滑り落ちる姿というものはドリフ以来通常見ることはない。

  階段を降りる際に踏み外した場合はより悲惨な騒ぎになる。踏み外した瞬間咄嗟に横に飛んで段々と平行になって片足を直角に真っ直ぐ出せば支っかえて止まることが可能だが、不幸にして武道の経験があれば思わず身に染み付いた受身を反射的にとるわけで、当然頭から突っ込む以上前回り受身であって、しかしこの場合にあっては回転が加速するだけであるから一番下まで階段の角を腕やら背骨やらで痛めながら転げ落ちることになる。踏み外して咄嗟に後ろに体重をかけると転がり落ちては行かないが放り出した荷物は何故か必ず一番下まで落ちることになっている。うまく段に腰掛けるように尻を乗せることが出来れば最も被害は少ない。ただし角で腰骨を打つとしばらくは起き上がれない。

  いずれの場合も足首の損傷は避けられず、また精神的な打撃も多大であるからして二段飛ばしの階段疾走は極力しない方がよいとの結論だ。
 
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