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滑る

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滑る 04/04/09

  遥か昔「バナナの皮で滑る」というのはある種の成語か固定されたイメージに因るものと思い込んでいて、実際多少は滑るだろうが大袈裟にすっ転ぶ事はないだろうと考えていた。バナナの皮とは外側が艶やかな黄色で内側は白く所々筋が垂れている。あれを見る限り外側を下に内側を直接踏んだらすーと滑るだけのことだろうと思っていたのだ。

  バナナの皮は捨て置くと忽ち小蝿が発生するので素早く処理されるから、実際にバナナの皮を踏む機会など滅多にない。また通常道端には落ちていないのであって、これは歩きながらバナナを齧るような奴がいないのか、いるにしても単に巡り合わせが悪いだけなのかどうか、とにかくバナナの皮を踏んですっ転ぶ姿を見たことはなかったし自分ですっ転ぶこともなかった。にも関わらず「バナナの皮で滑る」という言葉の普及率は完璧に近いもので、この落差にはいつも不信があった。

  一人暮らしを始めると買物に行く機会が劇的に増えるのだが、部屋を綺麗にと心掛けている頃はバナナを買っても床に捨て置くなどあり得ない事で、しかもごみ箱に捨てておいても小蝿が発生するから、やがて「小蝿が湧かないようこまめにゴミを処理しよう」とは考えず、「小蝿の湧かないようなゴミの出る買物をしよう」とひとつ賢くなったつもりになる。こうなるとますますバナナの皮を踏みつける機会が遠のくわけだ。

  バナナの皮を踏んだのは偶然のことだった。ある観光地の公園で、ベンチの横にゴミ箱がある。ゴミ箱は緊密に詰め込まれていてこれ以上押し込むと一斉に溢れてしまうという、表面張力擬きの状態であった。そのベンチは道から外れていて弁当を広げるに相応しい佇まいをしており、周りにはゴミ箱への格納を拒否されたゴミが散乱しており、そして夢見がちな弁当派の必需品であるバナナの皮が砂利道に落ちていた。

  「砂利道であるからさほど滑ることはなかろう」「この道は寂れているから見ている人は誰もいない」「外側が上になっているから大丈夫だろう」「踏んでみようか」まだ日本国の法律上は未成年であった愚かな若者はバナナの皮を踏む決心をした。立ち止まってから恐る恐る踏むのはどうにもわざとらしいので普通に歩きながらさりげなく右足で踏んだところ、直後右足が真っ直ぐに伸びきり、それは何故だと考えようとした瞬間背中で地面にぶつかった。転がったまま、つまりバナナの皮で滑ったのだということが理解出来るまで多少の時間を要したが、「そんなに大袈裟に滑る筈がない」とも考えていた。咄嗟に手を付く暇もないほど急激な転倒であって、伸びきった右足の膝関節に少し違和感を覚えつつ起き上がって見たバナナの皮は、擦り切れていた。

  つまりバナナの皮は柔らかいのであって、柔らかいとは即ち組織が崩れやすいのであって、組織が崩れやすいとは即ち流動するのであって、流動するとは即ちワックスと同じことなのだ。ワックスの塊を踏みつけた場合、その塊の下に段差があろうとも隙間に潜り込み段差を埋め表面が平らとなって摩擦係数は限りなく零に近くなる。バナナの皮も同じことであって、皮の上から加重した場合柔らかい組織が砂利の隙間に潜り込み一瞬で表面が平らになり、あとはそのまますっ転ぶだけだ。

  ぼろぼろになったバナナの皮を見てそれを理解し、「バナナの皮で滑る」という言葉は文字通り洒落にならないほどよく滑ることを納得し、やがて右膝の違和感も消えたので歩き出そうとしたら、少し先には既に踏まれたバナナの皮があった。それを踏んだ人もバナナの皮の滑り具合を正しく認識したであろうことを想像して、若者はしゃがみ込み、バナナの皮を砂利の下に埋めた罠を仕掛けてその場を去った。
 
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