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伊藤若冲 - (2008/08/16 (土) 11:19:54) のソース
&sizex(6){&bold(){伊藤若冲}} 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか &ref(itoujyakuchu.jpg) &sizex(5){&color(red){概略}} &bold(){伊藤若冲}(いとうじゃくちゅう)は江戸時代の絵師。別号斗米庵(とべいあん)。写生的、装飾的な花鳥画と、水墨画に異色の画風を作り上げた。正徳6年~寛政12年(1716~1800) &sizex(5){&color(red){人物史}} 京都・錦小路の青物問屋「枡源」の跡取り息子として生まれる。23歳のとき、父源左衛門の死去の伴い、四代目枡屋(伊藤)源左衛門を襲名する。「若冲」の号は禅の師であった[[相国寺]]の禅僧、大典顕常から与えられた居士(在家の仏教信者)号である。『老子』にある「大盈(だいえい)は冲(むな)しきが若(ごと)きも、其の用は窮(きわ)まらず(=大きく満ちているものは何もないように見えるが、その働きは窮めることができない)」から引用された。大典の書き遺した記録によると、若冲という人物は、絵を描くこと以外、世間の雑事には全く興味を示さなかったという。商売には熱心ではなく、酒もたしなまず、生涯妻も娶らなかった。40歳のときには、家督をすぐ下の弟に譲ってはやばやと隠居し、念願の作画三昧の日々に。独学で[[琳派]]や諸画を学び独自の画風を極めた。晩年は[[石峰寺]]の門前に住まい、同寺山内に置く石仏づくりに励んだ。この間に描いた同寺観音堂160面の円層花卉図は現在、信行寺本堂の天井画として残る。85歳で没し、[[石峰寺]]と[[相国寺]]に墓がある。 &sizex(5){&color(red){作風と代表的な作品}} 作品には山水画は少なく、身の回りにいる動物や鳥獣魚介、植物、野菜を題材にしたものが多い。中でも花鳥、とくに鶏の絵を得意とした。代表作の「動植綵絵(どうしょくさいえ、動植物を描いた彩色画の意)」は若冲が[[相国寺]]に寄進したものであるが、のちに皇室御物となり、現在は宮内庁が管理している。長い間「奇想の画家」としての扱いを受けてきたのだが、平成12年(2000)に京都国立博物館で開催された『没後200年特別展 若冲』が話題となり、全集が出版され、テレビ番組で取り上げられるなど、世間での認知度が急速に高まってきている。 動植綵絵 30幅 宮内庁三の丸尚蔵館所蔵 [[鹿苑寺>金閣寺]]([[金閣寺]])大書院障壁画50面 [[承天閣美術館>相国寺]]所蔵 重要文化財 仙人掌群鶏図(さぼてんぐんけいず) 大阪府・西福寺所蔵 重要文化財 蓮池図襖 大阪府・西福寺所蔵 重要文化財 &sizex(5){&color(red){その他}} 平成17年(2005)第2回京都検定1級出題 「高倉錦小路の青物問屋に生まれ、独自の花鳥画を完成、特に鶏図を得意とした江戸中期の画家は誰か。」 &sizex(5){&color(red){リンク}} 作品を収蔵する博物館・美術館 承天閣美術館 http://www.shokoku-ji.or.jp/jotenkaku/ 京都国立博物館 http://www.kyohaku.go.jp/ 細見美術館 http://www.emuseum.or.jp/ ---- #amazon(text,image,409699264X)