もうすぐ一日が終わろうかという真夜中。とっくのとうに日は沈み、街は深い夜の闇に包まれている。
だがそんな時間でも人の営みは決して止まることはない。街中には明かりが溢れ、道には多くの人が行き交っている。
それは都市部に限ったことではなく、音無のいる寂れた住宅街も例外ではなかった。流石に新都ほどではないが、窓から外を見れば電灯の明かりがちらほらと。こんな夜中でも人が起きているのは珍しくない。
人の活気。それは偽りの都市であるここでも何ら変わることはないようだ。
そしてここにも、夜更かしをする若者が一人。
だがそんな時間でも人の営みは決して止まることはない。街中には明かりが溢れ、道には多くの人が行き交っている。
それは都市部に限ったことではなく、音無のいる寂れた住宅街も例外ではなかった。流石に新都ほどではないが、窓から外を見れば電灯の明かりがちらほらと。こんな夜中でも人が起きているのは珍しくない。
人の活気。それは偽りの都市であるここでも何ら変わることはないようだ。
そしてここにも、夜更かしをする若者が一人。
「……どうにも蒸し暑いな」
うちわを仰ぎながら億劫に呟く。音無結弦はこうして毎晩、モラトリアムの終了宣言を待っているのだ。
B-4に位置する安アパートの一室。そこが聖杯戦争に際して音無に与えられた仮の居住地だ。一見してボロボロだと分かるそこには、エアコンは勿論のこと扇風機すら存在しない。真夏ではないとはいえ夏場に差し掛かった冬木において、それは些か以上に不便だと音無は痛感していた。
何故ここまでボロいアパートが割り振られたのかと当初は疑問に思ったが、それもすぐさま解消した。この冬木における音無の立場は「両親と妹を亡くしながらも医大を目指し懸命に努力する苦学生」というものだ。
これを知った時は、正直腸が煮えくり返ったと音無は述懐する。立地が云々ではなく、その境遇に。両親も妹も本物じゃない虚構の存在だということは百も承知だが、それでもいい気分はしない。
B-4に位置する安アパートの一室。そこが聖杯戦争に際して音無に与えられた仮の居住地だ。一見してボロボロだと分かるそこには、エアコンは勿論のこと扇風機すら存在しない。真夏ではないとはいえ夏場に差し掛かった冬木において、それは些か以上に不便だと音無は痛感していた。
何故ここまでボロいアパートが割り振られたのかと当初は疑問に思ったが、それもすぐさま解消した。この冬木における音無の立場は「両親と妹を亡くしながらも医大を目指し懸命に努力する苦学生」というものだ。
これを知った時は、正直腸が煮えくり返ったと音無は述懐する。立地が云々ではなく、その境遇に。両親も妹も本物じゃない虚構の存在だということは百も承知だが、それでもいい気分はしない。
だが少なくとも身分を保証されているのは僥倖である。せいぜい利用させてもらうさと嘯きつつも、今はそれよりこの蒸し暑さを何とかしたいところだ。
そういえば冷蔵庫に冷やしておいた麦茶があったなと思い立ち、音無は重い腰を上げる。あり合わせのコップに氷もなしに麦茶を注ぐと、テーブルで絵本を読んでいる少女に声をかけた。
そういえば冷蔵庫に冷やしておいた麦茶があったなと思い立ち、音無は重い腰を上げる。あり合わせのコップに氷もなしに麦茶を注ぐと、テーブルで絵本を読んでいる少女に声をかけた。
「なあ、あやめ。お前も何か飲むか?」
あやめと呼ばれた少女は、呼びかけられた一瞬だけびくりと震えるも、すぐに落ち着いて音無のほうを見やった。
ちょっとだけ戸惑っているような、微妙な表情。その白磁の肌には一切の汗が浮かんでいない。
冬場みたいな厚着なのにな、と音無は思う。やはりというべきか、手弱女に見えてもそこはサーヴァント。彼女にとっては気温の影響など取るに足らないことのようだ。
ちょっとだけ戸惑っているような、微妙な表情。その白磁の肌には一切の汗が浮かんでいない。
冬場みたいな厚着なのにな、と音無は思う。やはりというべきか、手弱女に見えてもそこはサーヴァント。彼女にとっては気温の影響など取るに足らないことのようだ。
「えと……それじゃあ、蜜柑のものをお願いします」
「OK、ちょっと待っててくれ」
「OK、ちょっと待っててくれ」
おずおずと、控えめに答える。段々打ち解けては来たがこの押しの弱さは変わらないな、などと音無はミカンジュースをコップに注ぎながら苦笑した。
モラトリアム期間を通じて、音無はあやめと打ち解けられるよう心がけてきた。例えば食事を共にしたり、互いの身の上話をしてみたり、他愛のないものばかりではあったがそれなりに効果があったと思いたい。
今あやめが読んでいる絵本も、その一環だ。昔話に通じるあやめを見て、ならばと思い立ち外国の童話を読み聞かせてみたところ、思いのほか好評だったため奮発して(というか調子に乗って)何冊か買ってしまったのだ。
高校生にもなって絵本をレジに持っていくのは少々恥ずかしかったが、あやめがほんの少し見せてくれた笑顔を思えば気恥ずかしさも報われるというものだ。
……直後にあやめが字を読めないことに気付き、絵本を朗読しつつ簡単な字を教える羽目になったのは少々誤算ではあったが。
モラトリアム期間を通じて、音無はあやめと打ち解けられるよう心がけてきた。例えば食事を共にしたり、互いの身の上話をしてみたり、他愛のないものばかりではあったがそれなりに効果があったと思いたい。
今あやめが読んでいる絵本も、その一環だ。昔話に通じるあやめを見て、ならばと思い立ち外国の童話を読み聞かせてみたところ、思いのほか好評だったため奮発して(というか調子に乗って)何冊か買ってしまったのだ。
高校生にもなって絵本をレジに持っていくのは少々恥ずかしかったが、あやめがほんの少し見せてくれた笑顔を思えば気恥ずかしさも報われるというものだ。
……直後にあやめが字を読めないことに気付き、絵本を朗読しつつ簡単な字を教える羽目になったのは少々誤算ではあったが。
自分の分の麦茶と一緒にジュースを持っていくと、あやめは律儀に絵本を閉じて正座して待っていた。そう固くならなくていいから、と笑いながら声をかけて音無もテーブルの脇に座り、あやめにコップを渡してから自分のコップに口をつけた。
本来サーヴァントに食事の必要はないが、それでも音無はこの数日間あやめと飲食を共にしている。多少は魔力の足しにもなるし、前述した交流にも繋がるからだ。
ジュースを美味しそうに飲むあやめの姿は、やはりサーヴァントなどではなく普通の子供にしか見えない。微笑ましいと、素直にそう思う。頭にねじ込まれた聖杯戦争の知識がなければ、今でも彼女のことをサーヴァントなどとは思えなかっただろう。
本来サーヴァントに食事の必要はないが、それでも音無はこの数日間あやめと飲食を共にしている。多少は魔力の足しにもなるし、前述した交流にも繋がるからだ。
ジュースを美味しそうに飲むあやめの姿は、やはりサーヴァントなどではなく普通の子供にしか見えない。微笑ましいと、素直にそう思う。頭にねじ込まれた聖杯戦争の知識がなければ、今でも彼女のことをサーヴァントなどとは思えなかっただろう。
―――生きていれば、初音もこんな風に育っていたのだろうか。
ふとそんなことが脳裏に浮かんで。しかしすぐさま打ち消した。
くだらない感傷だと自分でも分かっている。目の前の少女は決して自分の妹などではない。だがしかし、理性は違うと叫んでも感情を止めることはできなかった。
どうしようもなく、音無はあやめを妹の生き写しであると感じてしまっている。
くだらない感傷だと自分でも分かっている。目の前の少女は決して自分の妹などではない。だがしかし、理性は違うと叫んでも感情を止めることはできなかった。
どうしようもなく、音無はあやめを妹の生き写しであると感じてしまっている。
(本当に、ムシのいい話だよな)
つくづく痛感する。当初は目的のための踏み台としかあやめを見ていなかったのに、今ではこの有様だ。非情になると決めておいて、願いのために他者を犠牲にすると誓っておいて、それでも安い情に流される。
だが不思議とそんな自分の感情に嫌悪はない。それはあやめの境遇に同じ死者としてシンパシーを抱いたからなのかもしれない。
だが不思議とそんな自分の感情に嫌悪はない。それはあやめの境遇に同じ死者としてシンパシーを抱いたからなのかもしれない。
自分達は同じ死者だ。だが最後には報われた自分と違って、この少女は何も幸せになっていない。
親の愛を受けず、人の温もりを知らず、生贄にされて死んだかと思えば今度は永遠の孤独を与えられた。
ふざけている。何よりも悲しいのは、それほどまでに報われない生涯を送ってきた彼女が、それでも誰かを恨んでいないということだ。
だからこそ、音無はあやめの願いを叶えたいと切に望んでいる。誰も彼女の味方にならなかったなら、せめて主である自分が彼女の味方にならねばと義憤を抱いている。
少なくとも、既に音無の心中からは彼女を見捨てるという選択肢は消え去っていた。
親の愛を受けず、人の温もりを知らず、生贄にされて死んだかと思えば今度は永遠の孤独を与えられた。
ふざけている。何よりも悲しいのは、それほどまでに報われない生涯を送ってきた彼女が、それでも誰かを恨んでいないということだ。
だからこそ、音無はあやめの願いを叶えたいと切に望んでいる。誰も彼女の味方にならなかったなら、せめて主である自分が彼女の味方にならねばと義憤を抱いている。
少なくとも、既に音無の心中からは彼女を見捨てるという選択肢は消え去っていた。
(だからこそ、俺たちは二人で……)
瞬間。
―――視界の端に。
―――踊る道化師の姿。
―――踊る道化師の姿。
ありえないものが見えた気がした。ちらりと視界の端に映ったそれは、しかし驚愕と共に振り返った時には何処にもない。
幻でも見たのだろうか。不意の異常に高鳴る心臓の鼓動を抑え、姿勢を戻そうとした、まさにその時。
幻でも見たのだろうか。不意の異常に高鳴る心臓の鼓動を抑え、姿勢を戻そうとした、まさにその時。
『第一の夜を盲目の生贄達が踊り狂う。遍く願いよ、輝くが良い。これこそが、聖杯戦争の始まりである』
全ての始まりを告げる声が響き渡った。
◇ ◇ ◇
……今度は幻覚でも幻聴でもないようだ。
頭の中にはっきりと、聖杯戦争の開始を告げる声が聞こえてくる。囁くような、不気味な声。
それは対面に座るあやめも同じようで、小さく可愛らしい顔に不安げな表情を浮かべている。
頭の中にはっきりと、聖杯戦争の開始を告げる声が聞こえてくる。囁くような、不気味な声。
それは対面に座るあやめも同じようで、小さく可愛らしい顔に不安げな表情を浮かべている。
「……とうとう始まったか」
音無とあやめの願いを叶えるための戦いが、今始まったのだと実感する。
ふと、体が小刻みに震えているのが見えた。覚悟を決めたつもりだったのに、心のどこかに未だ恐怖があるということか。
ふと、体が小刻みに震えているのが見えた。覚悟を決めたつもりだったのに、心のどこかに未だ恐怖があるということか。
「……ますたー」
「大丈夫、大丈夫だ」
「大丈夫、大丈夫だ」
心配そうに声をかけるあやめに応えながら、音無は思考を巡らせる。
戦争が始まったとはいえ、今すぐどうこうというわけではない。まず自分がやるべきは怪しまれないこと。そして他のマスターを探ることだと考える。
だとすれば自分は普段どおりに学校へ通い生徒会長の役割を果たしつつ、あやめに学校内や周辺を探らせるのがベストだ。本来ならサーヴァントは互いの気配を察知できるが、あやめの気配遮断スキルは別格だ。相手のサーヴァントの気配だけ察知して、こちらの気配は悟らせない。そうして首尾よく他のマスターを探り当てることができたならば。
戦争が始まったとはいえ、今すぐどうこうというわけではない。まず自分がやるべきは怪しまれないこと。そして他のマスターを探ることだと考える。
だとすれば自分は普段どおりに学校へ通い生徒会長の役割を果たしつつ、あやめに学校内や周辺を探らせるのがベストだ。本来ならサーヴァントは互いの気配を察知できるが、あやめの気配遮断スキルは別格だ。相手のサーヴァントの気配だけ察知して、こちらの気配は悟らせない。そうして首尾よく他のマスターを探り当てることができたならば。
(そのマスターを暗殺する、それが最善手だな)
自分達は、はっきり言って戦闘能力は皆無に近い。三騎士はおろかアサシンやキャスターといった比較的弱い部類のサーヴァントですら、こちらを殺すには十分だろう。
だからこそ狙うのはマスターだ。強大な力を持つサーヴァントとは違い、マスターは例え魔術を操ろうが武術を極めようが常人だ。殺す手段はいくらでもある。
幸いなことにあやめの宝具は暗殺にうってつけと言える。隠蔽無効化を持つサーヴァントには無力となるのがネックだが、そこは入念に下調べをすれば回避可能な範疇だろう。
だからこそ狙うのはマスターだ。強大な力を持つサーヴァントとは違い、マスターは例え魔術を操ろうが武術を極めようが常人だ。殺す手段はいくらでもある。
幸いなことにあやめの宝具は暗殺にうってつけと言える。隠蔽無効化を持つサーヴァントには無力となるのがネックだが、そこは入念に下調べをすれば回避可能な範疇だろう。
つまるところ、全ては敵マスターを捕捉しなければ始まらないわけで。
「……寝るか」
今できることと言えば、学校に備えて眠ることくらいしかなかった。緊張で固まった体をなんとか動かして布団に横たわる。
もちろんあやめには「サーヴァントの気配がしたら起こしてくれ」と頼むのを忘れない。あやめは分かりましたとだけ呟くと、霊体化して部屋から消え去った。
もちろんあやめには「サーヴァントの気配がしたら起こしてくれ」と頼むのを忘れない。あやめは分かりましたとだけ呟くと、霊体化して部屋から消え去った。
明かりが消えた真っ暗闇の中で、過去の情景が頭に浮かんだ。
SSSとしての日々や、天使と呼ばれた彼女の記憶。それはとても輝いていて、その全てが自分の誇りであると確信できる。
今の自分からみれば、それはあまりにも眩しすぎた。
SSSとしての日々や、天使と呼ばれた彼女の記憶。それはとても輝いていて、その全てが自分の誇りであると確信できる。
今の自分からみれば、それはあまりにも眩しすぎた。
これでいいのかと思う時があった。かつての仲間に語った「卒業」の意思を裏切るのかと自問したこともあった。
けれど、けれど。
それでも、この身には何物にも代え難い願いがあって。
死者の願いを掬うのは、奇跡しか存在しないのだ。
けれど、けれど。
それでも、この身には何物にも代え難い願いがあって。
死者の願いを掬うのは、奇跡しか存在しないのだ。
【B-4/アパート・音無の部屋/一日目 深夜】
【音無結弦@Angel Beats!】
[状態]健康、睡眠中
[令呪]残り三画
[装備]なし
[道具]なし
[金銭状況]一人暮らしができる程度。自由な金はあまりない。
[思考・状況]
基本行動方針:あやめと二人で聖杯を手に入れる。
1:生徒会長としての役目を全うしつつ、学校内や周辺にマスターがいないか探る。平行して、あやめを『紹介』する人物も探す。
2:あやめと親交を深めたい。
[備考]
[状態]健康、睡眠中
[令呪]残り三画
[装備]なし
[道具]なし
[金銭状況]一人暮らしができる程度。自由な金はあまりない。
[思考・状況]
基本行動方針:あやめと二人で聖杯を手に入れる。
1:生徒会長としての役目を全うしつつ、学校内や周辺にマスターがいないか探る。平行して、あやめを『紹介』する人物も探す。
2:あやめと親交を深めたい。
[備考]
- 高校では生徒会長の役職に就いています。
- B-4にあるアパートに一人暮らし。
- あやめの詳しい『紹介』状況は不明ですが、すぐに『紹介』しなければ危ないわけではないようです。詳細は後続の書き手に任せます。
【アサシン(あやめ)@missing】
[状態]健康
[装備]なし
[道具]数冊の絵本。
[思考・状況]
基本行動方針:ますたー(音無)に従う。
1:ますたーに全てを捧げる。
[備考]
[状態]健康
[装備]なし
[道具]数冊の絵本。
[思考・状況]
基本行動方針:ますたー(音無)に従う。
1:ますたーに全てを捧げる。
[備考]
- 音無に絵本を買ってもらいました。
- 霊体化して音無の部屋にいます。サーヴァントの気配を感じたら音無を起こすつもりです。
BACK | NEXT | |
002:開戰 | 投下順 | 004:探し物は見つかりましたか? |
002:開戰 | 時系列順 | 005:穿たれた夢-シンデレラは笑えない- |
BACK | 登場キャラ | NEXT |
000:黄金のホーリーグレイル-what a beautiful phantasm- | 音無結弦 | 013:白銀の凶鳥、飛翔せり |
アサシン(あやめ) |