夢現聖杯儀典:re@ ウィキ

白銀の凶鳥、飛翔せり

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「ウチの妹がすみません!」

 そんな声がコンビニに響いた。ちょうど6時を回った頃の、早朝の出来事だった。
 通勤前に立ち寄ったコンビニ、その店内。気になって見遣れば中学生くらいの女の子が棚から商品を落としたようで、高校生くらいの少年―――言葉からすると少女の兄か―――が店員に謝っているようだった。
 そんなことで大袈裟だなと思うもそれは店員も同じようで、バイトで入っているらしき若い店員の顔に浮かんでいるのは怒りではなく困惑の苦笑いだ。

「あの……失礼しました!」
「いや、別に構いませんよ。次からは気を付けてくださいね」

 これまた大袈裟に頭を下げる少女に、同じく謝り倒す兄の姿。そんなことをすれば【不必要に目立つ】だろうに、不器用というか世渡りが下手というか、そんな感想を男は抱いた。
 客は自分と彼ら二人を除いて四人ほどか、程度の差はあれ全員が二人のことを注目していた。自分のことではないにも関わらず、どうにも居心地の悪さを感じてしまう。

「……まあいいか」

 ひとまずの興味を失くし、男は雑誌コーナーに並べられた週刊誌を手に取る。誌名は見ていない、どの雑誌を取ろうがどうせ内容は似たようななのだから。
 パラパラと適当にページを捲っていると、目の前を件の兄妹が通り過ぎて行った。鞄と制服から察するにもう登校するのだろうか。学生も大変だなと他人事に思いながら、再び視線を雑誌へと移す。
 開かれたページには、ここ数日の連続失踪事件が大きく報道されていた。

「どうにも物騒だね、最近は」

 思わず声に出てしまうのも仕方がないだろう。ここ数日だけで既に数十人以上の人間が原因不明の失踪を遂げている。性別、年齢、職業、一切関連性なし。あまりにもバラバラすぎて警察でも捜査が行き詰っているとか。
 他にも首をナイフで刺された男の死体が挙がってみたり、何かが爆発したような破壊痕が見つかったり、平和な冬木とは思えないほどに物騒な事件が連続している。

「世も末ってことなのかね」

 似合わない厭世を気取りながら、なおも男は気だるげにページを捲るのだった。









 ◇ ◇ ◇

「さっきはごめんな、あやめ
「いえ……」

 コンビニから歩いて少し、音無とあやめはそんな会話を交わしていた。
 言葉尻から感じる謝意は本物であるが、その原因となった出来事に対してはどこまでも無機質な感情しか抱いてないような印象を受ける。少なくとも、彼らには先ほどまでの動転した様子など微塵も感じられない。

「だけど、これでいくらか【紹介】することはできた。暫くは安心だな」

 【紹介】―――それはすなわち、音無がこの世界に留まるための最低限の工程だ。だがその最低限でさえ、いざやってみれば中々に苦労するものだった。
 あやめを紹介するにあたって最も適した人材(生贄)は音無自身の知り合いだ。コンタクトを取るのは容易く、あやめを妹なり従妹なりと紹介するにしても不自然にはならない。だが知り合いにばかり【紹介】し続けてはすぐに人材は枯渇するし、疑いの目はすぐさま音無自身へと向けられてしまう。
 だからこそ音無が選んだのは不特定多数の見知らぬNPCへの紹介だった。幸いなことに面と向かって自己紹介しなくともあやめの存在を周囲に示すだけで紹介は成立するらしく、先ほどのような失態なりを演じて注目を集めれば周囲にあやめを紹介したことになるのだ。
 無論、これが他のマスターに捕捉される危険性に富んだ行為であることは自覚しているが、しかし。

(まさか生徒会の面子にいきなり【紹介】するわけにもいかないしな。当面は騙し騙しで行くしかないか)

 そういった理由もあって、まだ学校関係者には一切手を出していない。序盤は少しでも音無に嫌疑の目が向くようなことは避けて、最低限のラインを綱渡りのように歩いていくのが最善策だと理解している。
 ……タイムリミットである七日目が近づけばその限りではないのだが。

 通行人の少ない通りを音無は歩く。徐々に日が昇り、しかし多くの人々は未だ眠っているような、そんな時間。生徒会長としての責務を果たすため、普通の学生ならば起きてもいないような現在、音無は学校を目指していた。
 面倒な役職であるが、しかし音無は聖杯戦争におけるメリットを度外視しても、この生徒会長という立場を好いていた。SSSの訓練のおかげで体力だけは有り余っているし、何より周りには偽物とはいえ死後の世界を共に過ごした友人たちがいる。少々情けなくはあるかもしれないが、この日常も悪くはないと、音無はそう思っていた。

(と、もうすぐ学校だな)

 思考に没頭していた頭に、遠目から見える学校の姿が飛び込んでくる。
 音無にとって学校とは特別な場所だ。友人たちがいて、こなすべき仕事があって、当然思い入れもある。しかしそれ以上に、学校は音無にとって最大の戦場でもあった。
 刃も銃弾も飛び交わない、体を張って誰かと戦うこともない。けれど、人を使い、人を探り、他者を殺すための砦。それが音無にとっての学校だ。

 戦場に向かうと思えば自然と身が引き締まる。背後にあやめがいることを気配だけで確認し、歩みの速度を上げようとした、その時。

「―――音無さん、おはようございます!」

 自分を呼ぶ声が、背後から聞こえてきた。









 ◇ ◇ ◇

 そこには何もなかった。
 暗く空虚な部屋、まず第一に物がなかった。家具も、食器も、小物の類もそこにはない。精々が部屋の中心にぽつんと置かれた小さな机と、その上に乗っている学校関係の書類程度だ。
 生活感というものがごっそりと削げ落ちていた。彼にとってその部屋はただ眠るだけの場所であり、そこで人間らしい生活を行う気など更々ないとでも言うかのように。

 ―――自分のあるべき場所はここではない。

 冗談ではなく本気の思いだ。故に、そこには墓場のような静寂だけが満ちていた。

 ベッドの上で何かが動く。布団もシーツも敷かれていないベッドに横たわっていたのは、小さな少年だった。
 10歳程度の利発そうな少年。その印象を裏切らず彼は弱冠10歳にして中学校の教師を任せられるほどの秀才だ。そしてそれだけでなく、彼は魔術師でもあった。

 少年が動く。ぱっちりと目を開け、緩慢な動きで洗面台へと向かう。まるで幽鬼の如き様相で、その顔からは一切の表情が抜け落ちていた。
 顔を洗う。視界にかかる靄が晴れ、ぼやけていた景色が鮮明に瞳に飛び込んでくる。映るのは、相変わらずの暗い部屋だけだったが。

 少年―――ネギ・スプリングフィールドの心は、正しくこの場所にはなかった。
 あるのはただの憧憬。既に過ぎ去った過去と、今ここにある幻のみ。かつて掴めなかったものを幻視して、叶うはずだった光景を夢想するのみ。


 端的に言うならば―――ネギは学校生活というものに完全に依存していた。


 彼の願いは死者の復活だ。彼の受け持つクラスの生徒であり、最も頼れるパートナーであり、そして恐らくは、最も大事だった人との再会。
 彼女のいない景色は色褪せ、元の日常は決して戻らない。だからこそ彼は奇跡を求め、聖杯に縋るまでに追い詰められて、この偽りが支配する虚構の街にまでやってきた。

 そこで目の当りにしたのは、かつてと同じ日常であった。
 誰も死なず、誰も失わず、誰も彼もが笑い合う情景。それは、ネギが心底に願い焦がれたもので―――



「……行ってきます」



 買い置きのパンを乱雑に口に押し込み、最低限の身支度を整え、スーツに袖を通せばあとは用済みとでも言うように外へ出る。
 事実、もうここに用はない。自分のいるべきはかつての3-Aだけ。あとのことは、知ったことではない。

"おはようマスター。昨日はちゃんと眠れたかな"

 ランサーから念話が入る。彼には周辺の警護を任せてあったのだが、穏やかな口調から察するにどうやら杞憂だったようだ。

"大丈夫ですよランサーさん。倒れてしまわないくらいに休むことはできましたから"
"それは良かった……けど、食事はきちんと摂ったほうがいい。また雑に終わらせたでしょ"

 ここ数日繰り返されてきた問答。食事の重要性など言われるまでもなく承知しているが、仕方ないだろうと思う。なにせ、どれほど頑張っても少量しか喉を通らないのだから。

"それも倒れないくらいには摂ってますよ。それよりランサーさん、引き続き索敵をお願いします"
"……分かったよ。何かあったら連絡するから、道中は気を付けてね"
"ええ。ランサーさんもお気を付けて"

 それだけで念話は終わった。何もランサーのことを疎んじているわけではない。ここ数日の間に様々なことを話し合い、それなりに信頼関係は築き上げたと自負している。しかしそれだけだ。あくまで関係はビジネスライクに、余計な情を挟まないようにしている。
 ……情を抱けば、ランサーのことまで抱え込んでしまいそうだから。

「……あ、そうでした」

 そこでネギは、はたと止まった。そういえば気持ちを入れ替えていなかった。陰鬱な表情は2-Aには似合わない。ネギは無理やりに顔をこね回し、固まっていた表情筋を解きほぐす。
 離された掌から現れたのは、先ほどまでの濁りきった表情ではなく、快活な笑顔を浮かべる少年だった。別に無理をしているわけではない。学校生活のことを思えばいくらでも笑顔は湧いてくる。
 それが例え、偽りのものだったとしても。

「……あれ?」

 取りとめのない思考に浸っていると、前方に人影が見えた。ネギの勤務する学校の制服を着こんだそれは、ネギはおろか彼のクラスの生徒よりもなお大きい。
 背丈からして高等部の生徒だ。そして、ネギはその人物に見覚えがあった。

「―――音無さん、おはようございます!」

 だから、その背中に向かって大声であいさつをした。あいさつは朝の基本だ。教師として、ネギは朝のあいさつを決して怠らない。

 驚いたように振り返る彼は、しかし一瞬の後に破顔する。そして歩き来るネギを待つと、彼もまたあいさつを返した。

「おはようございますネギ先生。俺のことをご存じなんですね」
「はい、高等部とはいえ生徒会長さんですから。そういう音無さんも僕のことを知ってるんですね」

 彼の名前は音無結弦。ネギの通う学校の高等部で生徒会長の役職に着いている生徒だ。ネギは中等部の教師だが、流石に顔と名前は知っている。
 そういうわけで自分は彼のことを知っているが、彼のほうも自分のことを知っているとは思わなかった。ネギの質問を受けた音無は、少しだけ困ったような笑みを見せると控えめに答えを返す。

「いえ、子供先生の噂は有名ですからね。嫌でも知ってるというか……」
「あー! 子供扱いしないでくださいよ、これでも僕は先生なんですから」

 ぶんぶんと大袈裟なくらいに腕を振り回しながら抗議するネギに、すいませんと笑う音無。朗らかな、他愛もない雑談。二人はこの時が初対面であったが、どうにも馬が合うようで話は大いに弾んだ。
 ネギはクラスの、音無は生徒会の苦労をぼやき合い、二人揃って笑いあう。それはどこにでもあるような、ありふれた朝の風景だった。

「そういえばネギ先生、身近で困ったことや変わったことってありませんか?」

 ふと、そんな質問が飛んできた。
 ネギはそれについて特に疑問を持たず、うーんと首を捻り答える。

「僕の周りだと特にないですね。でもなんでそんなことを?」
「あー、えっと、これでも生徒会長ですからね、俺は。一応みんなの悩みとかは聞かなくちゃいけない立場ですし。
 それに、最近嫌な事件が多いですから」

 その答えに、ネギは真面目な人なんだなーという感想を抱いた。いいんちょさんのように勤勉で、それでいてアスナさんのような親しみやすさも感じる。生徒会長という役職を任されるだけのことはあると、ネギは思って。

「確かに最近は危ないことがよく起きますね。なんだか心配です」
「俺も同感です。なので生徒会でも注意を呼びかけたほうがいいって、風紀委員長に提案されまして」

 暫く会話を続けていると、遠目に見えていた学校にも大分近づいていた。
 到着ですね、という音無の声を聴いた、その時。


"―――マスター、敵襲を受けた!"

 念話から、切羽詰ったようなランサーの声が届けられた。









 ◇ ◇ ◇

 ―――下手な道化は朝靄に踊り狂う。

 しろがね―――加藤鳴海はサーヴァントを求め彷徨う。
 戦争の開始を告げる声が響くよりも前から、彼は偽りの街を駆けていた。

 願いに泣く少女のために彼は己の拳を振るう。マスターは傷つけず、死人であるサーヴァントのみを打ち倒し、少女の手に失われた願いを握らせるために。
 だからこそ、休んでいる暇など彼にありはしない。敵を探し、見つけ、殺す。七日という限られた時間の中で行うには酷く過酷な道程であるが故に。安息を望むことは決して許されない。
 しかし。

「……」

 しかし、彼は今、何をするでもなく一か所を見つめていた。朝の静けさに満ちたその場所は、学校。
 小中高一貫のマンモス高、そこは彼のマスターたる本田未央が本来通うべき場所だ。
 倒すべきサーヴァントを探していた最中、ふと目についたのがここだ。きっかけとしては本当にそれだけで、すぐに探索を再開するつもりだったのだが。それでも思うところがあってここにいる。

「どうすりゃいいんだろうな、俺は」

 本田未央がここに来ることはない。
 彼女はモラトリアムを含め、既に何日も無断欠席を繰り返している。殻に閉じこもり、笑顔は曇り、心は荒み、友人の来訪さえ遮って。現実を、聖杯戦争を無視するかのように。
 そんな彼女にしてやれたことが、果たして鳴海にはあっただろうか。道化のように笑い、心配ないと励まし、全ての泥は自分が被ると胸を叩いて。
 そんなものが、一体何になるというのか。

 嫌なことにワケなど必要ない。クソッタレで悪趣味な殺し合いになぞ、血も見たことのない彼女が進んで関わるほうがおかしい。けれど、それでも彼女には笑顔でいてほしいと切に願っている。
 しかし、自分にできたことは、何もない。

『こんにちは。ナルミ』

 ……視界の端で道化師が踊っている。
 普段は努めて無視するようにしている。この幻は、無様な道化(お前)には何もできないと囁いてくるから。

「……黙れ」

 意味のない返答を口にする。道化師の幻は嘲笑を浮かべたままだ。
 うるさい黙れ。今度は口には出さず心の中で吐き捨てる。嘲笑うだけで何もしてこない幻など、構うだけ無駄だと理解している。

「……日が出てきたな。もう戻らねえといけねえか」

 強さを増す日の光を浴び、呟く。既に日は昇り、朝の静けさは起き出した人々の喧騒にかき消される頃合いだ。NPCたちの姿もちらほらと見え始め、本格的に一日が始まろうとしている。
 闘争の時間ではない。仮に今ここで戦うとなれば、少なからぬ人々を巻き込むことになるだろう。

 鳴海は霊体化したまま民家の屋根に飛び移り、一直線にマスターの住む家へと向かう。一晩かけた索敵が無駄になったのは痛いが、ここからはマスターの警護を目的に変えるべきだろう。
 まだ聖杯戦争は始まったばかりだ。焦っても結果は出ないことを、鳴海はよく知っている。

『こんにちは。ナルミ』

 今日二度目の呼びかけ。それを聞くのと同時、鳴海の足が止まる。
 道化師の幻にではない。鳴海の感覚が、近くにサーヴァントがいると告げている。
 気配探知。サーヴァントは、互いの気配を感じ取ることができる故に。

(どこだ、どこにいる……!?)

 一瞬だけ霊体化を解き、勢いよく地面を蹴り上げる。
 徐々に強まる気配を頼りに、屋根から屋根へと飛び移りながら周囲を血眼になり探す。民家から民家へ、群衆から群衆へ。次々と視線を移し、気配の出所を探る。

『こんにちは。ナルミ』
『繁みの中をよく見てご覧』

 ―――自然と、その囁きに従って視線を動かしていた。

 視線の先、そこは住宅地から離れた雑木林。
 そこに、超常の気配を放つ誰かが、いた。

「―――見つけた!」

 急速に近づいていく視界の中央、そこに白髪のサーヴァントの姿を収める。獲物を狙う肉食獣さながらの動きで鳴海は身を屈め、地を這うように走り抜ける。
 向こうも接近するサーヴァントの気配に気づいたようだが、遅い。既にこちらの攻撃準備は終わっている。

 振り上げた拳は白髪のサーヴァントの身を捉え、その体を遥か後方へと吹き飛ばした。









 ◇ ◇ ◇

 走り去っていくネギを、音無は何もできずただ見つめるしかなかった。
 突然のことだった。もうすぐ校門に着こうかという頃、ネギが「すいませんが先に登校しててください!」と大慌てで言い放ち、そのまま子供とは思えない猛スピードで路地を駆けて行ったのだ。
 声をかける暇もないとはこのことで、ある意味不意打ちを食らったようなものだ。音無は半ば呆然と見送るも、いつまでもこうしちゃいられないなと校門を潜ろうとして。

"……あの、ちょっといいですか?"

 その声に足を止める。しかし焦ることなく歩みを再開し、あやめの言葉の続きを待つ。

"魔力の反応がありました。多分、サーヴァント同士で戦ってるんだと思います"
"分かった、ありがとうな。それで、場所は分かるか?"

 その問いに、あやめは指さすことで応えた。その指が示す先は、先ほどネギが走り去っていった方向と一致する。
 そうか、とだけ呟き、音無は少しだけ考え込んだ。数秒かその程度の時間が過ぎ音無が口を開く。

"……あやめ、今から俺の言うことをよく聞いてくれないか"

 あやめの指さす方向を見つめながら、音無は戦争に勝つための一手を打ち出した。


 ◇ ◇ ◇


「ぐっ……!」

 突如として出現した銀髪のサーヴァントの殴打により、ランサーの体は重力を振り切り雑木林の奥へと飛ばされる。
 その尋常ではない威力に、ランサーは生前に戦った鯱の名を冠する喰種を想起する。しかしこの一撃はかつてのそれとは比較にならないほどに強大だ。ガードした両手が軋むように悲鳴を上げている。
 無数の枝をへし折りつつも何とか空中で体勢を整え、危なげなく着地する。首を擡げた視線の先、距離にして20m向こうにその姿はあった。銀と黒の長髪をたなびかせ、筋肉で膨れ上がった威容を誇るサーヴァント。

「……随分と、手荒な挨拶ですね」

 返答はない。偉丈夫は黙して構えるのみ、清廉な構えとは裏腹にその口元は凄絶に歪んでいる。
 背中を刺すようなどす黒い殺気がはっきりと感じられる。悪鬼羅刹が如き形相は、この場が交渉や妥協で終わるものではないことを如実に示していた。

 戦いは避けられない。誰ともなしにそう確信すると、ランサーは主の少年に念話を送る。
 雑事を行いながらも意識は決して相手から離しはしない。こちらもまた戦闘の構えを取り、告げる。

「邪魔をするなら容赦はしない。いずれ通るべき道だ、貴方には今ここで」

 倒れて貰う。その言葉が放たれるより先に、ランサーとしろがねは同時に踏み込んだ。


 地を蹴る脚に力を込め、20mの相対距離が急激に削り取られていく。
 徒手空拳を得手とするしろがねに、しかしランサーは迷うことなく正面から突っ込む。相手の能力は不明だが、動きを見るに速度はこちらのほうが上であるのは確かだ。それなら、このまま相手の懐へ潜り込んで先手を取るのがベストの選択。上手くすれば、向こうが行動を起こすより早く勝負がつく。
 二歩の跳躍でしろがねへ近接。踏み込んだ左足を軸に身を捻り、握りこんだ右拳を真っ直ぐに突き出す。
 果たしてランサーの狙い通りしろがねの鳩尾に拳がめり込む。カハッ、と空気が漏れる声にもならない音が聞こえた。
 いかなサーヴァントとて人の形をとる以上、肉体的な弱点も人と似通ってくるのは必然だ。これが致命の一撃になるとは思わないが、それでも動きを鈍らせることはできるだろう。


「……それがどうした」



 ―――そんなことを、一瞬でも思ってしまった。 



「軽すぎるぜ英雄様よ、てめえの力はそんなもんか?」
「―――!?」

 右腕に激痛が走る。上から落とされたしろがねの左肘が殴り抜いたままの右腕をへし折り、渇いた木切れが砕けるような音を反響させた。

(折れたか、これだから僕の体はッ……!)

 常人ならばそれだけで戦闘不能になる負傷、しかしランサーにとってはかすり傷にも等しい。傷口から肉の線のようなものが走り、負傷箇所を即座に修復する。
 だが修復にかかる一瞬、それがしろがねに行動する猶予を与えていた。懐に潜り込んでいたはずのランサーの体は引き離され、両者の間には50センチほどの間合いが開く。
 言うまでもなく、徒手空拳を扱うしろがねが最も得意とする距離である。

「ヒュッ―――!」

 裂帛の気合と共に大砲もかくやという威力の拳が唸りを上げる。
 大気を裂きながら迫りくるそれは、逸らされたランサーの頭部のすぐ脇を通り抜けた。文字通りの間一髪。ランサーの髪が一房千切れ飛び、視界の後ろへと消えていった。
 空しく宙を穿つ拳はしかし瞬時に戻され次の一撃へと繋がれる。二撃、三撃、四撃。流れるように繰り出される連撃は一分の隙も無駄もなく、ランサーはただ紙一重の回避を繰り返すのみ。
 そう、紙一重。それは圧倒的力量差による余裕などでは断じてない。全神経と気力をフルに動員して、やっとのことで避けているに過ぎない。

(駄目だ、打ち込める隙がない……!)

 これが生半可な威力であれば多少の負傷など度外視した攻めも可能だっただろう。けれどしろがねの打撃は全てが必殺。牽制・様子見など存在せず、あるのは敵皆滅ぶべしという漆黒の殺意だけ。
 破壊に塗りつぶされた精神とは裏腹に、握る拳は殺意に曇ることなく機械じみた精密さでランサーを追い詰める。速度で上回るはずのランサーは、しかし着実に逃げ道を封じられ回避に徹することを強いられていた。
 こと近接格闘においてしろがねはランサーを圧倒していた。膂力、技術、場数、経験、そのどれもが届かない。しろがねの生涯をかけて練り上げられた功夫はランサーに反撃の余地を与えることは決してない。

「集中すんのはいいけどよ―――足元がお留守だぜ?」
「げあ、ァが……ッ!?」

 しろがねの右膝がランサーの鳩尾にめり込んでいた。辛うじて衝撃を後ろに逃がし、ランサーは転がるように後ろへ飛ばされる。
 ここに至り、ランサーはいつの間にかしろがねの『拳の動き』のみを追っていたことに気付く。無造作に放たれた膝蹴りは、しかし下への注意を疎かにしていたランサーの死角より放たれ明確な膂力の差を以て打ち据えた。
 体はくの字に捻じれ、穿たれた鳩尾は目に見えて分かるほどに陥没している。口からは血反吐をまき散らし、四肢は激痛に打ち震えまともに立つことさえ覚束ない。

「百戦錬磨とは世辞にも言えねえな。本当にこれが【英雄】なのかよ」

 挑発の言葉に応えるだけの余裕はない。倒れそうになる体をなんとか足で支える。急速に再生を果たしつつある脇腹を抑えつつ、歩くように近づいてくるしろがねをランサーは睨め上げた。

 両者の力量差は明白であった。力で劣り、硬さで劣り、技量でさえ劣るランサーには決して埋められない差がそこにはある。
 勝ち目はない。そう、仮にランサーが一人きりであったなら。この状況を打破することは不可能に近かっただろう。
 しかし。



「―――魔法の射手(サギタ・マギカ)戒めの風矢(アエール・カプトゥーラエ)!」



 中空から割り込む声は突然に、暴風を伴う十一の魔弾が殺到する。
 放たれる魔力を察知してかしろがねは後ろに跳躍し、風切音と共に襲来する風矢を回避した。
 声はランサーたちの真上から聞こえてきた。見上げずともそれが誰なのか、ランサーには分かった。

「遅くなってすみません、ランサーさん!」
「……ごめん、助かった」

 自身の身長すら超える長杖に跨り掌を翳す少年の姿がそこにはあった。
 ネギ・スプリングフィールド。ランサーの主たる小さな魔術師だ。


 狙いが逸れた風矢は、しかし地面に当たる直前に軌道を変え尚もしろがねの動きに追随する。
 しろがねへと迫る十一の風矢、それは一つ一つが大岩すら粉砕する威力を以て縦横無尽に襲い掛かる。

「ハアッ!」

 けれど届かない。振り上げられたしろがねの蹴りが弧を描き、風の魔弾を迎撃する。それは軌道上にあった一矢を蹴り砕くのみならず、振り抜いた衝撃で残る十の矢すらも諸共に粉砕した。
 これこそがサーヴァントか、余人の操る魔術など意にも介さずと言わんばかりの所業は矢の繰り手たるネギを少なからず驚嘆させた。ネギの放つ魔弾の全て、それらはしろがねに掠り傷一つ与えることも許されないまま霧散する。

 だが。

「なっ、にぃ……!」

 しろがねの脚と直接衝突した一矢、それは蹴り砕かれると同時に糸がばらけるように拡散し、しろがねの体を縛るように拘束した。
 魔法の射手はごく基本的な攻撃魔術であるが、そのシンプルさ故に乗せる魔力の属性により多様な追加効果が発生する。
 ネギが最も得意とする属性は風。その属性に付随する効果は、捕縛。

 しろがねの驚愕の声にネギの口元がニヤリと歪む。戒めの風矢はその名の通り破壊ではなく拘束を目的とした魔術だ。対象の無力化と言えば比較的人道的な攻撃魔術であるが、この場においてネギは博愛精神に基づいて風矢を放ったわけでは断じてない。

「その隙、逃がしはしない」

 ネギの目的、それはすなわち共闘者への支援。怒涛の攻め手から解放されたランサーが、その背から赤黒い触手を生やししろがねへと迫る。再生は既に完了している。掛ける言葉は静謐なれど、向けられる殺意は暴風のように行き場を求めて渦巻いていた。
 跳ね上がったランサーから振り下ろされる長大な触手、それはランサーの腰部から生やされた彼の象徴たる宝具の具現だ。何ら特異な力を持たない代わり、純粋に強大な筋力を誇る破壊の赫子。今や四条にも分裂したそれは死の風となってしろがねへと落とされた。

「ぐっ……お、らぁッ―――!!」

 しかししろがねとて負けてはいない。修羅場に身を置く戦いの英霊なれば、瞬時に気を滾らせ迎撃する。放たれた崩拳は風矢の縛鎖さえも引き千切って、微塵と砕けよとばかりに赫子の中心部を打ち貫く。

 ―――大気そのものが爆発したかのような轟音が辺りに鳴り響く。
 衝撃で木々が揺れ、無数の葉が渦巻いて宙へと舞う。数瞬の無音と拮抗の後、両者の体は大きく動き、ひときわ巨大な轟音を響かせた。





 果たして、正面衝突に競り勝ったのはランサーの側だった。





 頭上の有利に加えて風矢の妨害による動作の遅れ、それが両者の勝敗を分けた。
 赫子はしろがねを容赦なく地に叩き伏せ、彼の姿が見えなくなるほどの粉塵を巻き上げる。音もなく降り立ったランサーは、しかし決して無傷ではなく半数の赫子を半ばから砕かれていた。

「終わった……のでしょうか」
「ううん、まだ終わっちゃいない」

 言うが早いかランサーは着弾地点へと残りの赫子を伸ばす。音速すら超過して砂煙の中心へと伸ばされる赫子は、しかし粉塵ごと両断する一閃により斬り飛ばされた。

「やってくれるじゃねえかよ、ランサーッ!」

 吹き散らされた粉塵の中から血気に吼えるしろがねが現れる。左腕に処刑刀の如き巨大な刃を携えて、血に塗れた形相は些かの戦意の減衰も見られない。
 聖・ジョージの剣。ランサーの赫子と同じく、しろがねたる彼が英霊として在る象徴。それは数多の自動人形を破壊してきた逸話を昇華し撃滅の宝具としてしろがねの手に降り立つ。

「……さあ、今度は僕らの番だ」

 打ち砕かれた二本も、斬り崩された二本と同じく既に再生を終えている。ランサーの合図と共に四本の赫子はしろがねへと向き直り、次の瞬間に怒涛の勢いで突撃を開始した。

 四条の黒錐が曲線的な幾何学模様を描き、避ける隙間を埋めるようにしろがねへと迫る。逃げ場を失ったしろがねは震脚の踏み込みと共に四のうち二本の赫子を弾き飛ばし、辛うじて胴体への直撃を避けた。
 だがそれだけだ。残る二本の赫子はしろがねの脚と肩を裂き、弾かれた二本も瞬時に再生を終えて槍の如くしろがねを襲う。続けざまに二度の震脚の音が響き、再度赫子が弾かれるもその隙間から別の赫子が襲いくる。

 先ほどと同じ一方的な展開。しかし、今度は攻守が反対に入れ替わっていた。当初ランサーを圧倒していたはずのしろがねが、しかし今はランサーの攻撃に対処できず防戦一方を強いられている。
 そこにあるのは必死に追いすがるしろがねと付かず離れずの距離を保つランサーという構図。それはすなわち、リーチで勝る赫子による射程距離外からの攻撃。速度で劣り、手数で劣り、手の届く距離でさえも劣るしろがねには決して埋められない差がそこにはある。
 嵐のような乱撃がしろがねを襲う。時に殴り飛ばし、時に蹴り砕き、時に剣で斬り飛ばしながらも、四条の赫子全てを捉えることは叶わない。砕かれようが切断されようが一瞬の間もなく再生する赫子とのイタチゴッコ、二本の腕と一つの脚でカバーできる範囲外からの攻撃に、徐々にしろがねの体が削られていく。
 そして。

「がッ!?」

 赫子による包囲網。その間隙を縫うように繰り出された一撃が遂にしろがねの足を捉え、その身を地面に縫い付ける。
 右太腿、その中心を赫子の穂先が貫通している。常人ならば十分致命傷となるそれは、しかしそれでもしろがねを止めるには至らない。己が体を縛る赫子を砕かんと、しろがねは拳を打ちつけようとして―――



「―――闇夜切り裂く一条の光(ウーヌス・フルゴル・コンキデンス・ノクテム)我が手に宿りて敵を食らえ(イン・メア・マヌー・エンス・イニミークム・エダット)



 近接するしろがねとランサーの遥か後方、そこから呪を唱えるネギの声が響く。
 しまった、しろがねは咄嗟に思考するも、しかし回避は間に合わない。
 意識が外に向いた一瞬の隙をついてランサーの赫子が駄目押しとばかりにしろがねの四肢を貫く。左の太腿と両の肩を貫かれ、大の字を描くように磔とされたしろがねに、雷の鉄槌が振り下ろされた。



「―――白き雷(フルグラティオー・アルビカンス)!」



 ―――白い極光が迸り。
 ―――直線状の全てを焼き払う。

 握られた右手から導き出された白雷は高熱をも伴ってしろがねの全身を包み込んだ。瞬時に破壊する。
 ランサーですら目を細めるほどの光を放って、凄まじいまでの電流を爆砕するように残して。

 木々で囲まれた辺り一帯を揺らして。
 光が消えた後、残されたのは残響のみ。









 ◇ ◇ ◇


「今度こそ……」
「うん。今度こそお終いだ」

 空気の焼ける音を聞きながら、ネギとランサーはようやく戦闘の構えを解いた。
 光が晴れた後には何もなかった。あのサーヴァントを倒し消滅させたのかと一瞬思ったが、首を振るランサーに否定される。

「マスターの魔術が当たった瞬間、撤退していく彼の姿が見えたよ。
 ……ごめん、今回は取り逃がしたみたいだ」
「いえ、それよりランサーさんが無事で―――」

 良かった。そう言おうとした瞬間、かくん、と糸が切れたように倒れこむ。べったりと尻餅をついて、しかし右手に握る杖は放さない。
 震えていた、びくびくと。石にでもなったかのように体が固まり、時折痙攣するように震える。
 無理もない、未だ幼い少年にとっては初めてにも等しい本気の殺し合いだったのだから。

「ほら、立てるかい?」
「あ、ありがとうございますランサーさん……」

 ランサーが少年の手を掴み引き上げる。強張ってはいるものの、その表情に陰りはなかった。

「それでなんだけど。マスター、これからどうするつもりかな?」
「え?」

 言われて、数瞬考えた後はっと気付く。辺りを見渡してみればそこにあるのは凄惨な破壊の痕だ。言うまでもなく、かなり目立っている。

「日が昇っている内からこんなに暴れたんだ。どこかの陣営に見られた可能性もある……というか、見られたって前提で考えたほうがいいだろうね。
 正直このまま学校に行くのは悪手だ。けど、欠勤して誰かに目をつけられる可能性もなくはない。
 だから、君が選ぶといい。学校に行くか、行かないか」

 ランサーの言葉はどこまでも従僕のそれだ。自らの意見を口に出せど、決定権の全てをマスターに一任している。

「……分かりました。僕は―――」

 それを受けて、ネギが出した方針は―――

【C-2/学園北の雑木林/一日目 午前】

【ネギ・スプリングフィールド@魔法先生ネギま!(アニメ)】
[状態]戦闘による肉体・精神の疲労。戦闘・再生・魔術使用による魔力消費。若干膝が笑ってる。
[令呪]残り三画
[装備]杖(布でぐるぐる巻き)、スーツ姿(葉っぱや枝でちょっと汚れている)
[道具]鞄(授業用道具一式にその他諸々)
[金銭状況]中学教師相応の給料は貰っている。
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯を手に入れ神楽坂明日菜を蘇らせる。
1.このまま学校に向かうか、それとも……
2.明日菜さん……
[備考]
  • 敵サーヴァント(加藤鳴海)を確認しました。
  • 住居の位置等の設定は後続の書き手に任せます。
  • 学校に行くか行かないかの選択は後続の書き手に任せます。

【ランサー(金木研)@東京喰種】
[状態]右腕と腹部に強いダメージ(ほぼ回復済み)
[装備]黒い服
[道具]なし。
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯を手に入れる。
1.マスターと共に戦う。
[備考]
  • 敵サーヴァント(加藤鳴海)を確認しました。









 ◇ ◇ ◇


「……チィッ」

 戦いの場から少し離れて。学園北の田んぼ道に鳴海の姿はあった。
 体中の至るところに大小多くの傷を穿ち、雷撃により全身を焼かれ、それでも彼は倒れない。
 完敗だ、光に紛れて撤退しなければ確実にやられていた。戦いの内容において白髪のサーヴァントに負けていたとは思わないが、それでもこの一戦において自分が負けたのは事実であると自戒する。
 心が曇る。敗北というのはいつになっても苦いものだ。だがそれ以上に、幼い子供を戦いに巻き込んでしまった負い目のほうが大きいと鳴海は自覚していた。

「……慣れるわけねえよな、やっぱりよ」

 ぽつりと、そんな呟きが漏れた。
 先の戦いにおいて、魔術を行使し勇敢に戦った少年のことを思い出す。年のほどは10歳くらいか、まだ小さいというのに立派なものだと素直に思う。
 けれど、あんな子供まで戦いに駆り立てられることは、どう言い訳したって悲しいことで。

(だからこそ俺はサーヴァントだけを倒す。子供たちの未来を潰すことは誰だろうと許さねえ)

 言葉もなく鳴海は霊体化し、その歩みを己がマスターの家へと向ける。完全に日が昇った今、サーヴァントと交戦するのは愚策でしかない。
 昼は子供たちが健やかに育まれる時間だ。真っ当な人々が生を謳歌する時間だ。
 自分のような悪魔が殺し合うのは、夜だけでいい。

 鳴海は一人歩く。抱く決意に迷いはなく、その拳はただ少女のために。



 ―――ふと、枯草に少し鉄錆が混ざったような香りがした。




【B-2/田んぼ道/一日目 午前】

【しろがね(加藤鳴海)@からくりサーカス】
[状態]全身に強いダメージ(再生中)、霊体化
[装備]拳法着
[道具]なし。
[思考・状況]
基本行動方針:本田未央の笑顔を取り戻す。
1.全てのサーヴァントを打倒する。しかしマスターは決して殺さない。
2.一旦未央のいる家へと戻る。日が沈んだら再び索敵を開始する。
[備考]
  • ネギ・スプリングフィールド及びそのサーヴァント(金木研)を確認しました。ネギのことを初等部の生徒だと思っています。









◇ ◇ ◇

 全身をボロボロにした大男が田んぼ道の真ん中に降り立ち、そのまま音もなく姿が掻き消えた。そんな一連の光景を目にした者は誰もいない。
 ただ一人、臙脂色の服を纏った少女以外は、誰も。

 少女―――あやめはくすんだ緋色の衣を纏い、濡れ羽のような黒髪を流し、静かにそこに立っていた。
 その姿はあまりにも自然で完全に景色へと溶け込み、余りにも目を引く姿でありながら、それでもなお注視しなければ見逃してしまいそうになる。
 いいや、実際に見えないのだ。少女はどこまでもこの景色の一部であり、普通の人間とは存在を異とする者なのだから。

 誰にも見られない。認識されることを許されない。永遠の孤独を宿命づけられた少女。
 彼女はそうして、逃げ帰る偉丈夫のサーヴァントを追跡してここまで来ていた。

「……行きます!」

 よし、と気合をひとつ。サーヴァントの姿を確かに収め、目元と口元を引き締めると小走りで田んぼ道を駆ける。

 校門前で音無がネギと別れた直後、あやめは3つの命令を音無から下された。
 それは要約すれば、敵サーヴァントの戦闘を偵察し、できるならば拠点やマスターを把握し、遅くとも正午には戻ってこいというもの。
 規格外の気配遮断を持つとはいえ、常人並みの戦力しか持たない彼女にとっては非常に危険な仕事なのは明白だ。明らかに乗り気ではなかった様子の音無に、しかし彼女は大丈夫ですと大手を振って応えた。

 そして。
 そして、今に至る。二騎のサーヴァントの戦闘を遠目で観察し、余波を食らわないよう立ち回り、離脱した単独のサーヴァントを追って彼女は今ここにいる。
 気配を辿り静かに歩く。昔懐かしい静かな畦道、田畑には多くの緑が茂り、都会の喧騒とは無縁な空気がそこにはあった。現代の便利な暮らしをあやめは好いていたが、それでもこの空気が一番肌に合うと感じる。

 ふと、一陣の風が吹いた。それはあやめの後ろから吹き付け、幾枚かの葉を巻き込みながら前方へと流れていった。
 その風は、まだ夏場も過ぎてないというのに、どこか枯れた草の匂いがした。


【B-2/田んぼ道/一日目 午前】

【アサシン(あやめ)@missing】
[状態]霊体化
[装備]臙脂色の服
[道具]なし
[思考・状況]
基本行動方針:ますたー(音無)に従う。
1.ますたーに全てを捧げる。
2.音無の命令に従いサーヴァント(加藤鳴海)を尾行、拠点とマスターを特定する。しかし危険そうな場合は撤退も視野に入れる。
3.尾行の結果に関わらず、正午までには学園まで戻り音無に知り得たことを報告する。
[備考]
  • 音無に絵本を買ってもらいました。今は家に置いています。
  • サーヴァント(加藤鳴海)を尾行中です。気配を辿りつつちょっと離れながらついて行ってます。
  • ネギ・スプリングフィールド及びそのサーヴァント(金木研)を確認しました。ネギがマスターであると確信しています。
  • サーヴァント(加藤鳴海)を確認しました。
  • 彼女が音無から受けた命令の詳細は以下の通りです。
1:サーヴァント同士の戦闘を偵察、ただし目視できる程度以上は近づかない。
2:戦闘が終わってもマスターを捕捉できなかった場合、敵サーヴァントを追跡し拠点やマスターを特定する。ただし少しでも危険そうであれば即座に撤退する。
3:結果に関わらず、正午までには帰還すること。









 ◇ ◇ ◇


「子供先生はマスターの可能性あり、か」

 朝の生徒会室には冷たく無機質な空気が充満している。その中央で、音無は独りごちた。
 あの一瞬、子供先生が取った行動は怪しさに満ちていた。普通ならばちょっとおかしいと思う程度だろうが、それが同じマスターとなれば話は違う。サーヴァント同士の戦闘が勃発し、それと同時に突如として戦闘が行われている方向へと駆け出した彼。白か黒かで聞かれたら限りなく黒に近い。
 だが。

(……ここはあやめの報告待ちだな。早合点は死に繋がる)

 それでも現状は黒に近いグレーでしかない。殺害という手段を用いるには、まだ証拠不足と言えるだろう。魔術師でもない自分には遠距離の念話ができない以上、今できることはあやめが帰ってくるのを待つ他にない。
 そもそもあやめの宝具なしでは自分は碌に戦えないのだ。ひとまず落ち着こうと、安っぽいパイプ椅子にどっかりと座る。
 緊張に固まった体に朝の冷気が染み渡る。夜中はあれほど暑かったのに、今は涼しいを通り越して少し寒いくらいだ。

(マスター探しも一苦労だな。情報だけは入ってくるだけマシかも知れないけど……子供先生といい、【これ】といい)

 鞄からメモ帳を取り出し、紐の付箋をなぞり目当てのページを開く。そこには、教師からの相談内容がそのまま書き写してあった。

「本田未央、一年生。生徒会長として気にかけておいてほしい、ねえ」

 申し訳なさそうな顔で頼み込んできた年若い新任教師を思い出す。頼みごとと言えば気にかけておいてほしいの一言だけで、具体的に何をしろということもなかったが。
 それでも、生徒会長とはいえ一生徒に頼むかと思えるような事情が、彼女にはあった。


 元々、この生徒のことは既に音無も知っていた。何せ候補生とはいえ現役の高校生アイドルだ。その噂は嫌でも耳に入ってくる。
 曰く、元気溌剌で親しみやすい好人物。当然友人はたくさんいて、誰にでも分け隔てなく接する人格者。
 曰く、多忙なアイドル活動と学業をしっかりと両立させる努力の人。それでいて成績は悪くなく、クラスでも中心的な存在である。
 曰く、曰く、曰く。音無から働きかけなくても彼女についての情報はいくらでも入ってくる。それは大半が彼女に好意的なものであったが、しかし中には悪意の混じったものも含まれていた。


「何日も続けて無断欠席。おまけに理由は病気や怪我じゃない、か」

 確かに彼女はここ数日欠席しているが、公には風邪が欠席理由とされている。しかし人の口に戸は立てられないというべきか、既に学校中に上記の噂が蔓延していた。
 理由は失恋だとか、アイドル業の不振だとか、引きこもりだとか、果ては自殺未遂や精神病という説まで流布している。実態はどうであれ、少なくとも彼女と同じクラスのクラス委員は躍起になって本田未央を通学させようとしていると、一年生の役員は語っていた。
 様々な噂が流れているが、しかし的を射ていると感じるものは少ない。当然ながら尾鰭がついているのだろうし、誰も直接確かめた者はいないのだから。
 常ならば、音無はそんな噂に興味を示すことはあまりない。精々が世間話の端っこに出てくる程度で、真実を確かめようとか、そんな風に入れ込むことはない。
 しかし、今回は話が違う。あからさまに怪しいこれを見逃すほど、音無は鈍感なつもりはない。

(モラトリアムと聖杯戦争の開始に前後するタイミングで突然の無断欠席。真相がどうあれ確かめる必要はあるな)

 NPCは固有のパーソナリティを持ち十人十色の個性を有するが、それでも本質は聖杯戦争のために用意されたものだ。それが突如として、仮初とはいえ己の本分である学校生活を放り出すとは考えにくい。
 子供先生同様まだ確証は持てないが、マスターの可能性は十分以上に存在すると言える。
 幸いこちらには教師のお墨付きがある。自宅を訪れるにも不自然にはならない理由もある。あやめを連れて本田未央の家へ赴き、そこにサーヴァントの気配があったならば―――

(殺す、殺すさ。俺にはそうするだけの覚悟がある)



 机に置かれたメモ帳がぱさりと捲れ、次のページが露わになる。
 そこには、本田未央と同様に【仲村ゆり】についての記載があった。



 本田未央と同じく、彼女もまたここ数日学校に来ていない。

 本田未央と同じく怪しさの極みとも言える情報。しかしゆりがマスターであると、音無はどうしても信じられなかった。
 何故なら彼女は奇跡を望まない。神を憎み、奇跡を厭い、全ての未練を断って【卒業】したのが彼女である故に。

 我欲のために犠牲を強いる催しに加担するなど。
 奇跡の産物たる聖杯に彼女が何かを託すなど、どうして考えることができようか。


【C-2/学園・高等部の生徒会室/一日目 午前】

【音無結弦@Angel Beats!】
[状態]健康
[令呪]残り三画
[装備]学生服
[道具]鞄(勉強道具一式及び生徒会用資料)、メモ帳(本田未央及び仲村ゆりについて記載)
[金銭状況]一人暮らしができる程度。自由な金はあまりない。
[思考・状況]
基本行動方針:あやめと二人で聖杯を手に入れる。
1.生徒会長としての役目を全うしつつ、学校内や周辺にマスターがいないか探る。平行してあやめを『紹介』する人間も探す。
2.あやめの報告を待ち、戦闘を行っていたサーヴァントのマスターを特定できたならば暗殺を検討する。
3.放課後になったら本田未央の自宅に赴く。
4.子供先生はマスター……なのか?
5.ゆり……まさかな
6.あやめと親交を深めたい。
[備考]
  • 高校では生徒会長の役職に就いています。
  • B-4にあるアパートに一人暮らし。
  • コンビニ店員等複数人にあやめを『紹介』しました。これで当座は凌げますが、具体的にどの程度保つかは後続の書き手に任せます。
  • ネギ・スプリングフィールド及び本田未央の行動から彼らがマスターなのではないかと疑っています。しかし確証はありません。


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