夢現聖杯儀典:re@ ウィキ

願い、今は届かなくても

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 ―――揺蕩う光の中で、わたしは思う。

 都市のあらゆる場所に遍在する意識、都市のあらゆる場所を俯瞰できる高次の麓にわたしはいて。
 けれども、わたしは、どこにもいない。

 わたしの手はどこ。足は。
 わたしの胸は、腹は、顔はどこにあるの。

 全て、全てを《奪われて》しまった。
 今はただ、偽物の翼だけが与えられて。

 ―――揺蕩う光の中で、わたしは思う。

 ―――誰かがわたしを呼ぶ声を。
 ―――あるはずのない、わたしへの呼びかけを。





   ▼  ▼  ▼





【解析深度2】

【高密度情報制御を確認】

【情報構造体へのアクセスを開始】

【検索実行
 検索終了
 検索結果】

【…………】

【情報マトリクスを取得】

【オブジェクト記録を参照:碩学機関■■トが記す】

 ………。

 ……。

 …。

 ――――――――――――――――――。


『クリッターとは』

『都市インガノックに現出した、凶暴な大型の異形41体。
 かつての《復活》の日から1か月の間に、クリッターたちは50万もの人々を虐殺したという。
 人々はクリッターを"災害"として扱った。生物として捉える者はいない。
 物理的手段で打ち倒すことができない以上、そうする他にないからだ。
 銃弾も毒も、クリッターには通用しない。
 御伽噺の幻想生物を模したクリッターたちは、人間を害するようにと何者かによって定められているという。
 通常の幻想生物と違うのは、体のどこかにあるゼンマイ螺子。
 クリッターの体には必ずそれがある。
 体長3m~30mの大型であり、特定の弱点以外の物理的な破壊力は決してクリッターを傷つけない。
 恐慌の声という、生物の精神を硬直させる音を放つ。別名を"クリッター・ボイス"。

 …………。

 何かを一つ歪めただけで。
 41の■■は荒ぶるクリッターとなった。
 クリッターの生み出す恐怖は、41の生■れ■■った■の感じた恐怖は、人々を苦しめ続けた。
 そして人々は完全に記憶を失う。恐怖に上書きされて。


 そう、それは―――
 それは、かの地に集った20の命と、20のサーヴァントのように―――』



『………………』



『《奇械》とは』

『都市インガノックで語られる、最期に残った御伽噺。
 人々の背後に佇む影の如き異形41体。
 あらゆる御伽噺を捨て去ったインガノックで唯一残る、人々に《美しいもの》を見せるとされる御伽噺。
 クリッターと同じくあらゆる物理的破壊力を受け付けず、あらゆる干渉によって破壊されない。
 彼らは人々と緒で繋がり、単眼を持ち、安らぐ歌を好むとされている。成長すれば口を形成し慟哭するとも。
 クリッターと違いあまりに目撃情報が少ないため、確定的な情報は存在しない。
 しかし、人々はまことしやかに語る。彼らは何かを思っているのだと。
 限りなく無垢である彼らは、人々を見つめ、思うのだと。
 それはまるで、心を学んでいるかのように―――』

 ………。

 ……。

 …。

 ――――――――――――――――――。





   ▼  ▼  ▼





「……眠った、か」

 夜の帳が下りた民家の一室にて。ギーの声が微かに反響した。
 目の前にはベッドの上で眠りにつく少女の姿。静かな寝息を立てて、何かを夢見るように。


 帰宅した後、ギーとはやてはいくらか言葉を交わした。
 はやてが気を失った後、一体何が起こったのか。北条加蓮との関係性、そのサーヴァントについてなど。
 それを、はやては黙って聞いてくれた。今までは聖杯戦争という現実から目を背け、そのようなもの一顧だにしなかったけれど。今は、きちんと見据えるように、こちらの話を聞いてくれた。

「なあ、ギー」
「なんだい、はやて」
「もしかして、もしかしてなんやけどな。
 北条さんみたくみんなで一緒に逃げ出してしまおう、そう考える人がもっとたくさんおったらな」
「……」
「もしそうだったら、きっと何とかなるって。そう思うんや」

 それは難しいだろう。
 脳裏に浮かんだその言葉を、ギーは口には出さず呑みこんだ。
 現実の何たるかをギーは知っていた。世界はそんな簡単に行かないのだと、かの異形都市において彼は嫌というほど思い知らされている。
 上手く行くことなど一つとしてなかった。救いたかった命は容易くその両手をすり抜け零れ落ちていく。
 例え現象数式などという御伽噺めいた力を会得しても。その不文律だけは変わることがなかった。

 幾ばくかの後、はやては早めに床に就いた。疲労が限界に来ていたのだろう。
 今日一日の半分近くを気絶という形で過ごしたはやてであったが、そもそも気絶と睡眠とは全く異なるメカニズムでもたらされるものだ。積み重なった疲労は失神では癒されるどころかその嵩を増して、故にギーの現象数式で損傷を修復したとしても、多くの睡眠を彼女は必要とした
 零落した精神状態からスムーズな睡眠状態への移行が心配されたが、それはどうやら杞憂だったらしい。今はこうして、無垢な寝顔を晒している。


「……さて」

 主の就寝を確認すると、ギーはおもむろに立ち上がり、音を立てることなくその部屋より退出した。
 近くで寄り添っておきたいのは事実であったが、今やそうも言ってられないだろう。何故なら行われているのは聖杯戦争、文字通りの殺し合いであるために。
 ギーはサーヴァントとしての本分を果たそうと行動していた。すなわち、はやてを生きて元の場所へと帰すための手段の模索である。

(今日一日でもたらされた情報は、はっきり言ってしまえば量に乏しい。しかし……)

 それでも考えることはできるはずだ。欠けたピースを埋め合わせ、その先の何かを見通すこともまた。

(まずは情報を整理しよう。今日遭遇したサーヴァントは都合四騎。西享の艦娘が二騎、異邦のヒーロー、そして精巧に作られたレプリカのサーヴァント)

 思考を巡らせる。自身の拙い脳を使って、有り合わせの情報から何かを探る。
 たかが四騎、されど四騎のサーヴァントの情報。全てを確定させるサンプルとしては少なすぎるが、しかしある種の違和感を感じ取ることはできた。
 それは―――

(不可解な内訳だ。あまりにも被造物が多すぎる)

 それは、出会ったサーヴァントたちの多くに共通する事柄であった。

 サーヴァントとは人類史にその名を残し、人々の信仰を勝ち取ることで英霊に昇華された人間霊のことだ。
 人類の歴史に数多存在する戦、あるいは伝説に綴られる魔性退治。それら史実や英雄譚に語られる英雄たちが、死後に精霊種となって英霊の座へと押し上げられたのが英霊であり、その英霊を劣化現界させたのがサーヴァントである。
 つまるところ、人理に刻み込まれた英雄であるところの彼らは、当然ながら「人」であることが大半だ。
 無論、半神や半魔、半妖といった混血の英雄も数多いるが、それとて主体は人間である。純粋な魔であっても、あくまでそれは「生物」としての在り方だ。
 ならば、例えば武器や消耗品といった「物」が英霊となることはあり得るのか?
 正否だけを言うならば、それは確実にあるだろう。人の信仰は対象を選ばぬものだし、そうした考えを論ずるまでもなくギーの前には器物英霊が姿を現している。
 そう、それ自体は何もおかしなことではない。この場合問題なのは数だ。

 器物英霊は確かに存在するが、前述した通り英霊とはあくまで「人」が多くを占める。まして魔どころか、そもそも生物ですらない被造物のサーヴァントなど、数はたかが知れていよう。
 恐らく百の英霊を集め、その中に一騎いたなら僥倖。そのレベルでしかあるまい。確率としては一度の聖杯戦争で邂逅すること自体が珍しい存在。しかし―――

(ワイルドタイガー以外、僕が出会ったサーヴァントは全て"それ"だ。偶然と考えるには符号が過ぎる、そこに一体何の意図がある?)

 被造物、創られた存在、すなわち製造主が別個に存在するサーヴァント。
 それらが多く呼び寄せられたのは一体何故か?
 聖杯の裏側にいる何者かの手引きか、あるいはこの冬木という複製都市の性質に惹かれたか。しかしならば、何故聖杯戦争の舞台そのものを一から作り上げる必要があった?
 偽りの都市、偽りの民衆。NPCと呼ばれる模造された人間たち。現象数式の目で見てもなお、影としか映らなかった彼ら。
 考えるまでもなく、この聖杯戦争はその成り立ち自体が奇妙に過ぎるのだ。複製された都市、人形ばかりの街、異世界からの招致、七日経てば崩壊する世界。何もかもが荒唐無稽で常識も良識も逸脱し過ぎている。
 複製。作製。人工物。それらが指し示すものは一体何であるのか。

 必ず理由があるはずである。存在理由もなしに被造物は存在しない。
 そう、例えばインガノックにて発現した、41の■■■■もそうであったように―――

「―――ッ!?」

 脳裏にその単語が奔った瞬間、耐えがたい頭痛がギーを襲った。
 思わず顔を顰め、揺れる体を支えるために荒く壁に手をつく。ずり落ちるように、膝から崩れた。

「……今のは」

 幾ばくかの後、ギーは荒い呼吸で何とか立ち上がった。痛みは既に消えている。しかし、今の痛みは何であったというのか。
 いや、そもそもの話。

「クリッター……?」

 自分は何故、今の場面でそんなものを思い浮かべたのかと。
 微かな疑問が、ギーの中で鎌首をもたげた。

(クリッター、41の大型異形。僕は何故、今それを想起した?
 馬鹿な、あんなものは関係ない。あれは単なる災害だ)

 クリッター、都市インガノックにて暴威を振るい、人々を10年に渡って苦しめた「災害」の総称だ。
 彼らは異形の生物の姿をして、しかし人々は生物ではなく災害や現象として彼らを扱った。決して死なず滅びない以上、生物ではあり得ないからだ。
 だが被造物ではない。人は災害や現象を造り出すことはできない。
 故に、今のギーが思い浮かべるには不適な代物であるはずだったが。

「……記憶に、欠落があるのか?」

 あり得ない話ではなかった。サーヴァントとは想念を基に形作られる存在であるため、召喚者の意向次第ではその性質を異とすることもある。
 代表的な例ではバーサーカー化させての狂化の付与であるとか、クラス違いによる性質の変化であるとか。極めて微小ではあるが、そうした変化をもたらすことは可能である。
 ならば、考えられることは一つ。
 複製都市という舞台、創られたサーヴァントたち、記憶の欠落。
 それらは全て、何者かの手が加えられた結果であるとするならば―――

(……いや)

 結論を出すにはまだ早いだろう。そうギーは思考を打ち切った。
 推測に推測を重ねても、出てくるのは更なる不確定な推測だけである。一日目が終わった段階で、考えることではなかったのかもしれない。

(ともかく情報が必要だ。マスターにサーヴァント、どんなに小さなものでもいい。手がかりを掴まなければ先には進めない)

 霊体化して外へ出る。はやての自室には簡易ではあるが工房化の術式を布いているから、少なくとも魔力反応によって他者に感知される心配もない。
 鉄火場に彼女を巻き込む必要はない。全ての苦難は自分が背負う。

「今からだと、新都の捜索が妥当か」

 そうして、冬木東側の新都へと足を向けて。





「だめだよ」
「あそこは」
「きみを、のみこんでしまう」





 ふと、背後より声がかかり。
 ギーはその歩みを停止させた。

「……呑みこむ?」

 不可解な言葉だった。しかしその意味を問うても、背後の彼は何かを言うことはなかった。
 けれど彼が嘘を言うとは考えづらく、ならば今新都に向かうのは下策であるということは理解できる。

(そうすると、今回の索敵は深山町を重点的にするしかないことになるが、だったら一度ワイルドタイガーと合流するのが得策か)

 ギーは午後に出会った一人の精悍な男を想起する。彼は現状唯一の友好的な陣営であり、深山町を拠点に活動をしているサーヴァントだ。
 そして彼の宝具は疑似サーヴァント召喚という人海戦術にも秀でた代物であり、ギーの当面の目的である情報収集にも役立つであろうことは想像に難くない。

 彼らがいるはずである避難場所については既に聞いている。今から向かえば大した時間もかかるまい。
 東へと向けていた足を反対側へ回し、ギーは音もなくその場を後にした。


【D-5/住宅街/二日目 深夜】

【キャスター(ギー)@赫炎のインガノック-what a beautiful people-】
[状態]健康
[装備]なし
[道具]なし
[思考・状況]
基本行動方針:はやてを無事に元の世界へと帰す。
1.ワイルドタイガーによる人海戦術を頼りたい。避難場所へと向かう。
2.脱出が不可能な場合は聖杯を目指すことも考える(今は保留の状態)。
3.例え、敵になるとしても――数式医としての本分は全うする。
[備考]
白髪の少女(ヴェールヌイ)、群体のサーヴァント(エレクトロゾルダート)、北条加蓮、黒髪の少女(瑞鶴)、ワイルドタイガー(虎徹)を確認しました。
ヴェールヌイ、瑞鶴を解析の現象数式で見通しました。どの程度の情報を取得したかは後続の書き手に任せます。
北条加蓮の主従と連絡先を交換しました。
自身の記憶に何らかの違和感を感じとりました。
新都で"何か"が起こったことを知りました。
























 その時、ギーはふたつのことに気付かなかった。

 ひとつは、はやての自室に安置されたとある本。
 彼の"右目"でも辛うじて見通すことが精一杯であったとある書物が、沈殿した漆黒が如き昏い色を明滅させていたということ。
 そして、もうひとつは。


「――――――――――」


 全てを俯瞰する高みにて。
 ギーの行動をも見下ろす白い何者かがいたということに。

 少なくとも、この時点で。彼が気付くことはなかった。


【D-5/住宅街/二日目 深夜】

八神はやて@魔法少女リリカルなのはA's】
[状態]下半身不随(元から)、睡眠
[令呪]残り三画
[装備]なし
[道具]なし
[金銭状況]一人暮らしができる程度。
[思考・状況]
基本行動方針:日常を過ごしたかった。けれど、もう目を背けることはできない。
1.戦いや死に対する恐怖。
[備考]
戦闘が起こったのはD-5の小さな公園です。車椅子はそこに置き去りにされました。
北条加蓮、群体のサーヴァント(エレクトロゾルダート)を確認しました。
自室に安置された闇の書に僅かな変化が生じました。これについての度合いや詳細は後続の書き手に任せます。
自室一帯が低ランクの工房となっています。魔力反応を遮断できますが、サーヴァントの気配までは消せません。





   ▼  ▼  ▼





 それは白色の詩編。天使のように輝いた、一人の少女の物語。

 そこはにせもののお城でした。命がない街、そのまんなかに建つ大きな大きな学び舎に、少女はいました。
 城壁もないのに、番兵もいないのに、ふしぎと外に出ることができない。でんと構えた、そこは学び舎のお城です。
 少女には大好きな男の子がいました。とてもかしこい男の子です。少女には理解できないくらいに、あたまの良い子です。いつもだれかに振り回されて、けれど心からの笑顔をうかべる、だいすきな男の子。

 男の子は三つ、少女におしえてくれました。「ありがとうの意味」。「愛してるという意味」。そして「生きることはすばらしい」ということ。
 三つの大切なおもいを、男の子は少女におしえてくれました。

 少女は、それをうれしく思いました。男の子がいったことばを、少女もまた信じました。信じて、きえました。だって少女はもう死んでいたから。
 信じました。信じて、だからきえました。けむりのように、まぼろしのように。跡形もなくなって、きえてしまって。もう動きません。ふれることもできません。

 きえてしまった少女をみて、男の子は嘆きました。だれもいなくなってしまった虚空を掻き抱いて、必死に少女のなまえをさけびます。
 だけど、そのおわりを変えることはできません。もう少女は死んでしまっているから。
 死んでしまったひとは生き返らない。失ってしまったものは戻らない。それはどこまでも、当たり前のことでした。

 でも、少女はこんげんと約束しました。だから、道化師がやってきます。

 ほら、道化師がきました。灰色の空にふわふわ浮いて。白いひかり。天使のわっか。白いつばさ、ふわふわ引き連れて。嘲り、嗤いながら、ゆらゆら。
 道化師は少女にいいました。

『時間だよ。チク・タク』
『諦める時間だよ、チク・タク』

 すると少女は、ぽろぽろ、ぽろぽろ。くずれて、こわれて。
 ぱしゃりとはじけてきえました。水のようにくずれました。水のようにこわれました。

 少女は嘆きます。こわれるのは別にいい。ただ、あの人に伝えたかったと。言葉にしたいことがあったと、嘆きます。
 道化師は嗤うだけです。だれも助けてはくれません。なぜなら少女は《奪われて》しまったから。
 大好きだった男の子も、赤いやみの中にきえてしまいました。
 だれも、少女をみつけることができません。


 でも―――

 もしも―――

 あなたが―――


 ………。

 ……。

 …。

 ―――――――――――――――――。





   ▼  ▼  ▼





 そこはただ、セピアの色で満ちていた。

 不思議な空間だった。
 例えるなら、広くて長いトンネルのようで。
 例えるなら、打ち捨てられたアーケード街のようで。
 セピア色に満ちた、薄暗い回廊。遠くに何か光のようなものが見える。
 無機質なまでに機械的に組み上げられた、しかし有機的なまでに人の情念が籠ったような場所。
 それはまるで誰かの心の中であるかのように、現実離れした浮遊感と幻視的な揺らぎが存在していた。

「きみは、だれ?」

 人影がふたつあった。
 ひとりは子供。漆黒という概念から不純物を根こそぎ精錬し、それを糸にしたかのような黒髪と、陶器のように滑らかな年若さを体現する肌を持った、男か女かも分からない中性的な子供。
 ひとりは少女。その総身は頭の先から足先までもが白く、万年雪を人の形に押し込めたかのような純白を誇る少女だ。その背には、これまた輝くような白の翼を持ち、けれど決して羽ばたくことはなく。その姿はまるで天使のようで。

 道化師の白い仮面と鋼鉄の義肢が吊り下げられ、天井の隙間から光が零れ、石畳に新緑の生命が芽吹くその中で。
 "人"ならざるふたりは静かに邂逅を果たしていた。

「……わたしは」

 口を開く。それは、白い少女が。
 表情は変わらず諧謔も含まれず、怜悧な能面が如き面持ちで。

「わたしは、誰でもないわ。誰なのか、もう忘れてしまったもの」

 それは悲嘆でもなく、諦観でもなく。ただ事実として少女は言った。
 周囲に満ちる静寂が如く、その声には否応ない死の気配が滲んでいた。いや、厳密に言うならば止まっているのだ。生も死もない狭間の停滞に、天使の少女は沈殿している。
 だからこその死の気配か。限りなく酷似し、しかし限りなく遠いその感触。この世ならざる天の御使いの有り様か。

「そう。きみは、《奪われた》んだね。キーアのように、レムルのように」

 黒髪の子は言った。哀れみではない。少女と同じく、ただ事実として淡々と。
 しかし纏う気配は生に満ちて、天使の少女とは対極に合った。いや、厳密に言うならば彼は自由なのだ。世界からも、時間からも、因果からも解き放たれて。黒いものの束縛すらも失って。

 彼らふたり、互いに生きてはおらず死んでもおらず。その大部分を同じものとして。
 けれど決定的に違うのは、奪われたのか与えられたのか。その一点のみであった。

「だからきみは何もできない。見ていることしか、見つめることしかできない。そのはずだった」
「わたしの声は誰にも届かない。わたしには誰の声も届かない。そのはずだった、あなたと違って」

 今こうして、ふたりは確かに向かい合って言葉を交わしている。
 それは本来許されないことだった。全ての権利を《奪われた》少女には、できないことだった。

 けれど、何故か不可思議な確信がそこにはあって。
 現実ならぬ虚構にて、彼らは一時の邂逅を果たすのだ。

「きみは《奪われた者》。未来を、可能性を、そして命を」
「あなたは《可能性そのもの》。だから未来も命も持たない」

 故にふたり、それを無意味と理解しながら。

「きみはもう死んでしまった」
「あなたはまだ生きていない」

 ただ、言葉のみを交わす。

「きみはまるで天使みたいだ」
「あなたはまるで影のよう」

 それきり、言葉はなくなった。セピアの空間に再びの静寂が満ちた。
 天使の少女はくるりと、黒髪の子に背を向けた。向かう先は、通路の果ての眩い光。

「もう行くんだね」
「ええ」
「何のために?」
「待つために」

 こつこつと、空間に響く靴の音。硬質の音を反響させる。
 遠ざかっていく背中が見えた。それは舞い散る羽根のように、儚く、淡く。

「わたしは待ち続ける。全てが終わるまで、誰かが果てへと行き着くまで。死ぬことも生きることもなく。
 チク・タクと、音を響かせながら」

 元より、少女の居場所など世界の何処にも存在しない。
 偽物で形作られた異形都市。夢が夢であるはずの数式領域。現実の何たるかを体現する西享。異邦たる惑星カダス。その何処にも彼女は在ることはない。
 世界に在らざる外側、黄金螺旋階段の麓を除くならば。

 故に彼女は待ち続ける。未だ暴かれぬ真実の眠る場所、根源が降り立った世界の果てにて。
 王も支配者も失って、なおも未練に縋りつく誰かの妄執が根付く場所にて。

「喝采なんていらない。喝采なんていらない。わたしはただ待ち続けるだけ。
 そしてそれこそが、この都市の真実である」

 茫洋と歩むその右手には、少女には似つかわぬ白銀の懐中時計。
 どれほど古いものなのか。既に朽ち果て、表面には幾多の罅が刻まれている。
 チクタク、チクタク、時計の音が聞こえる。それは壊れた懐中時計から、ただ何かを待ち望むように。

「黄金螺旋階段の名の下に、現在時刻を記録した。
 ……さようなら、優しいあなた。全てに意味などないけれど、わたしはあなたに会えて良かった」
「ぼくは」

 さよならを告げる天使の少女に。
 黒髪の子は、無垢な声をかけた。

「ぼくは、見ているよ。彼も、彼女も。そしてきみも。
 ぼくにはもう、からだがないから。見ていることしかできないけれど」

 黒髪の子は語る。まるで心に触れるように。
 心の声が響くこの空間にて。人々を想い、見つめてきたかのように。

「ぼくは見ている。きみも、あの男の人も。例え異界に消えてしまっても、魂の輪廻は存在するから」

 ―――だから、諦めないで。

 その声に。
 天使の少女は、ふわりと柔らかな笑みを浮かべて。

「……ありがとう」

 一言。
 たった一言だけ、お礼を言った。

「ありがとう、名前も知らないあなた。わたしはもう、その権利すら奪われてしまったけれど。
 螺旋の頂上に至るのが、あなたのような人であることを願っているわ」

 それきり、振りかえることもなく。
 眩い光が乱舞して、一瞬の後に天使の少女は光の向こうへと消えて行った。
 残響する声だけが、天使の少女を今に遺す。あとには黒髪の子がひとりきり、取り残されるだけだった。

「……ぼくも」

 呟かれる言葉は誰のために。
 新緑が芽吹く石畳。それを照らす一筋のか細い光の中に、黒髪の子は立っていた。

「ぼくも願うよ。どうか、きみたちが」

 黒髪の子はひとつを願う。
 ただ、手を伸ばすことなく、光差す空を見上げて。
 ただ、眩さに細めた視線を、光差す空へと向けて。

 どうか、全ての彼らが。
 全ての子が、大人が、男が、女が。友人たちが、恋人たちが。

 ―――どうか。
 ―――諦めることのないように。

 彼は空へと願う。
 ただ雫を落とす鈍色の雲の向こうへと。天に坐して輝く太陽へと。
 強く、願う―――


『???/???/???』

【《天使》@Angel Beats!】
[状態]その姿は天使のようで、しかし根源存在によりすべてを《奪われた者》。
   可能性を奪われた人の《できそこない》にして、偽なる翼を与えられた白き《御使い》
[装備]■■
[道具]白銀の壊れた懐中時計
[金銭状況]■■
[思考・状況]
基本行動方針:待ち続ける。
1.■■
[備考]
※誰からも、世界からでさえも。彼女を認識することはできない。その権利すらも、彼女は《奪われた》。
※少女はただ待ち続ける。黄金螺旋階段の麓にて、チクタクと音を響かせながら。




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