原文(画面スクショ)
日本語訳
"Fairy Fay"
1887年12月26日の夜、コマーシャルロードの裏路地で切り裂きジャックに殺害されたと言われた身元不明の女性。彼女の死は2人の人物によって主張された。
フェイがホワイトチャペル・マーダー(切り裂きジャックの別称)の被害者だと主張した1人目の人物は、報道記者であり歴史家のテレンス・ロバートソンだった。彼は1950年10月29日発行のレイノルドニューズ(イギリスの新聞)に、「『フェアリー・フェイ』はマイタースクエア通りにあるパブから近道を使って帰宅途中、切り裂きジャックに殺害された女性の名前である」といった内容の記事を寄せている。しかし当時のマイタースクエア通りにパブは一軒も存在しない。
事件が起こった当時、エドモンド・レイド捜査警部は納得いくまで当該女性の死亡について調査を続けたが手がかりとなる情報が見つからずに捜査の打ち切りをスコットランドヤードに報告したそうだ、とロバートソンは語る。このことからもフェアリー・フェイはあくまで報道記者の想像上の人物に過ぎないことが窺えるだろう。ロバートソンは注目を集めるような経歴を綴っていったが、1970年1月31日にニューヨークで自ら命を絶った。
2人目の人物はトム・カレンだ。彼は著書である"Autumn of Terror"の中でフェアリー・フェイについて言及している。その内容はおおよそロバートソンが語ったものと同じだが、一つだけ違う点がある。それは「フェアリー・フェイは身体を切断されていた」という点だ。
スコットランドヤードの発表によると、レイド警部の捜査記録に「フェアリー・フェイ」という名前の被害者はいない。また、1887年12月26日もしくはそこに近しい日付の夜に「フェアリー・フェイ」が殺害されたという記録はどの新聞記事にも見られなかった。どの死亡記録にも彼女の名前は存在しなかったのだ。サラ・フェイヤー、アリス・ファーバー、エマ・フェアリーといったような似た名前は1886年12月~1887年12月の死亡記録に残されていたが、しかしいずれの女性も殺人事件の被害者ではなかった。
以上を踏まえ、切り裂きジャックについて研究する者の大多数の間で「フェアリー・フェイは報道陣によってでっち上げられた架空の被害者である」とされている。
備考
①Fairy Fayの推定死亡日は1887年12月26日
②切り裂きジャックの事件が起こったとされるのは1888年8月31日~11月9日
③エドモンド・レイド捜査警部が切り裂きジャックについて捜査していたのは1888年
④テレンス・ロバートソンがフェアリー・フェイについて言及したのは1950年10月29日
⑤トム・カレンがフェアリー・フェイについて言及したのは1966年
となる。
- LDDのフェイに右腕が無いのは、トム・カレンの唱えた説を落とし込んだものだと考えられる。
最終更新:2021年07月24日 18:47