ラノロワ・オルタレイション @ ウィキ

勝者なき舞台

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勝者なき舞台 ◆EA1tgeYbP.



 コンクリートの密林を一体のケモノが飛び回る。
 林立するビルからビルへと飛び移るケモノの名前は白純里緒という。
 右に、左に縦横無尽に飛び回り、彼が今行っているのは彼の縄張り、自らが目覚めた場所の地形の把握である。

 確かに彼が今、最も優先するべき目的はただ一つ。

 両儀式

 黒桐幹也

 この両者の探索である。

 ――特別であるが故に外れてしまった存在である自分。だが、自分しかいないということは、特別性の証明であるのと同時に――孤独だ。
 だから、彼は二人を求める。
 世間から外れた殺人鬼である自分と同じ、いやそれ以上の殺人鬼である少女、両儀式。
 外れたはずの自分さえ受け入れてくれる青年、黒桐幹也。
 彼にはこのどちらかが必要だった。さもなければきっと、一人きりの異常者(しらずみりお)を自分自身が受け入れられない。

 だが黒桐幹也はともかく、両儀式とは出会う前に下準備が必要だった。
 両儀式はある意味、彼などよりもはるかに優れた人殺しだ。そんな彼女の前にのこのこと姿を見せるのは、あまりにも危険だ。

 ……ならば、どうするべきか。
 その答えこそ、今彼のおこなっている行為、地形の把握だ。
 この密林の街を知り尽くし、彼の庭と変えたなら――これから先はそこに潜み姿を隠すのも、そこに迷い込んだ獲物を探し出し、狩るのも彼の思いのままだ。

「……ん?」
 そして、しばしの時が過ぎ。
 手当たり次第に壁を伝い、地を駆けていた彼の動きがふと、止まる。
 一般人であっても何とか聞き取れるであろう「声」を、ケモノの鋭敏な感覚を備える彼の聴覚がうるさいほどに感じ取ったのだ。

『……達のような愚か者は先の言葉全ては覚えきれないか。簡潔に伝えてやろう。
優勝したいと願うような愚か者はエリアD-4ホールへ来て己が愚劣さをあの世で後悔せよ!』

 ……北のほうから聞こえてきたその声に白純里緒は笑みを浮かべる。
 どうやらここに殺人鬼がいるということも知らずに、誰彼構わず戦いを挑む、そんな大馬鹿がすぐ北のエリアにいるらしい。

「ははは! 良いじゃないか」
 ちょうどいい、一人目の獲物にはふさわしい馬鹿だ。貴様の望みどおり、自分が生き残ると考えている殺人鬼が貴様の元に行ってやろう。
 彼は一路北へと向かう。

 ……が程なくして、彼の動きは再び止まる。
 とあるビルの屋上から見下ろすその下に、最も会いたいと願っていた相手の一人。黒桐幹也の姿を眼下に収め。 



 ◇ ◇ ◇



「はぁ……はぁ」
 一歩走るそのたびに、両足の膝の裏がじくりと痛む。
 そこは少し前に僕がちょっとした事件に巻き込まれた際に大怪我をしたところだ。ふだんはそれほど痛みはないけれど、今のように走ったり、激しく動かしたりすると痛んだりする。
 ……けれど困ったことに、今はそんな泣き言が言える状況ではなかったりする。

「はぁ……大……丈夫?」
 苦しいのを我慢して後ろを振り向き、僕の少し後を一人の少女がついてきているのを確認する。
 僕の少し後ろを走る少女、吉田さんは少し苦しそうな表情でかなり息を切らしながらも、こくんと確かに頷く。

 ――そろそろ休まないとダメかな。
 そんな彼女を見ながら僕はそう判断を下した。きっと彼女はまだ走れるとか言うかもしれないが、いくら走れても、それ以外の余力がなくなるのは問題だ。
 少し前方にある細い通路、少しずつ走る速さを落としながらそこに入ると僕はそこで立ち止る。はあ、と一度大きく息をつくと、今更のように額からじっとりとした汗が浮き出してきた。

「……えっと……はぁ、ここで……大……丈夫なんでしょうか」
 少し遅れて通路に入ってきた吉田さんの問いかけに、僕は正直にわからないと答える。

 そもそも今までの逃走自体、意味があるものかどうかはわからないのだ。

 ――いきなり僕達がこんな全力疾走をやらされる羽目になったのは、とりあえず僕のことを信用してくれたらしい吉田さんとお互いの探し人を求めて、それまでいた場所から出た少し後、さっき出てきたばかりのホールから行われた「宣言」のせいだった。

 その宣言の内容をまとめると
「自分はいまD-4にあるホールにいるから、殺し合いに乗った参加者はここに来い。そうじゃない脱出を願う参加者は、彼の大事な人が他の参加者に殺されてしまう前になんとしても脱出する方法を見つけ出せ」
 ということになる。

 ……彼の発言内容からすると、そこまで危険な人物ではなかったかもしれないし、大事な人のために自分のいるところへ積極的に他者を害そうとする危険人物を集めようとする気持ちには、正直一部共感できるところもある。
 でも、僕らのいた場所でそんな物騒な発言をしたことに関しては文句を言いたい。

 マイクか何かを使ったあの宣言がどこまで聞こえたかはわからないけど、最低でも周囲にある八エリアには聞こえたことだろう。そして、確か参加者が全部で六十人いてエリアが全部で三十六。
 ――つまり、数字の上での計算だと最低でも七人から八人、全部海のエリアがあったり、端の方より真ん中のほうに多く人が集められていると仮定すると、それ以上の参加者があの宣言を聞いたことになる。

 あの宣言を聞いた参加者全員が僕らのように他人を傷つけたくはないと思ってくれていればいいけど、それは正直言って高望みもいいところだろう。
 だからとりあえず、開けた場所が多い西のほうよりも姿を隠せそうなビルが立ち並ぶ南へと向かい、ビルの影で休んでいるというのが今の状況。

 このままここでもう少し息を整えて、それからビルの影を縫うように隣のエリアに移動。
少なくともあの宣言を聞いた戦闘を好まない参加者達がきっと同じように下した決断だと信じて、ホールの周囲のエリアから離脱する。
 そんな僕の考えはものの数分で瓦解した。

 かつかつ

 不意に聞こえてきた人の足音に僕と吉田さんは緊張する。
足音の主は真っ直ぐに僕らのいるビルの近くまで向かってくると、不意に立ち止る。

「…………」
「…………」

 待つことしばし。すぐ近くにいる誰かはまるで動く気配を見せないけれど、いつまでもこうして「誰か」が立ち去ってくれるのを待っていられない。僕は小さく息を吐くと吉田さんに隠れているように無言で指図し、ビル影からできるだけこっそりと辺りの様子をうかがった。

「――――」

 そこにいた人影を見つけたとき、驚きのあまり一瞬息もできなかった。
 そこにいた「彼」は、まるで式そのものだった。
 女物のスカートと、赤い皮製のジャンパー。肩口で切りそろえたバラバラの髪と、中性的な顔立ち。
 ただ髪は金色で、瞳はカラーコンタクトでも入れているのか兎みたいに真っ赤だった。

 いつからこちらに気がついていたのか、彼は僕が覗き込んだ途端にこちらと視線を合わせてやあ、と気軽な調子で声をかけると近付いてきた。

「久しぶり、三年ぶりかな黒桐君」
「えと、お知り会いなんですか?」
「……吉田さん」
 彼の敵意のなさそうな様子に緊張がほぐれたらしく、顔を出してきた吉田さんに僕は声をかけるのと同時に、デイパックを彼女へと差し出す。

「吉田さん、今すぐにこれをもって逃げるんだ。あの人が南のほうから来たから多分、そっちのエリアは今のところ危険は少ないと思う」
「……え? 黒桐さん!?」
 驚いた吉田さんがバッグを受け取るのも待たずに地面に落とすと、唯一バッグから抜き取った道具、あの不必要に大きい刀をさやに収めたまま不恰好ながらも構え、彼の目から吉田さんの姿を隠すように立った。
 そんな僕を見た彼は残念そうに肩をすくめる。

「…………その様子じゃ、色々わかっているみたいだね。ふむ、しかし僕は何かヘマでもしたかな? 君と最後に話したファミレス以来、痕跡は全て絶っていた筈なんだけど」
 彼の問いかけに僕はそうですね、と頷いた。
「……貴方にミスはなかったと思います。ただ、ヒントはありました。十一月にあるマンションが取り壊されたことは知っているでしょう? その直前にマンションの住人を調べる機会があったんです。
そのとき、貴方の苗字を見つけました。僕はそれがずっと気になっていた。だってあのマンションは普通じゃなかった。あそこに居た以上、貴方は何らかの形で式に関わっていることになるんです」

 金色の髪をかきあげて、先輩――白純里緒は、ああ、と頷いた。
「なるほど、マンションの名簿とはね。荒耶さんもつまらない小細工をしてくれたものだ」
 そう言うと先輩は困ったふうに笑った。
 その雰囲気は、僕の知る昔の先輩とかわっていない。

「……先輩、貴方は」
 ……この人は本当は変わっていないんじゃあ? そんなわずかな期待を込めて、僕は彼に殺し合いに乗る気はないのか尋ねようとする。
 そんな僕を見て、先輩は寂しそうに笑う。

「……本当は近い将来、キミに再会することを僕は予想していたんだ。だからそのときに備えて、いろいろと準備をしてきたんだけど……全部無駄になってしまった。まあいいさ。そうだね、ついでだから後ろにいる彼女も聞いていくといい、たわいもない昔話なんだけどね」
 ――そして白純里緒は僕と、動くタイミングを逸していた吉田さんへと告白をはじめた。

 ……それは四年前に起こった事故のような殺人事件の話であり
 ……それは彼が黒い魔術師と出会い、人間を捨てた物語であり
 ――そして、それ以降重ねられ続けてきた彼の罪と、その原因、彼の起源の物語だった。

 最初は物静かに語っていた彼の様子は、話が進むにつれて、息は荒くなり、肩は震え始め、内側からこみ上げてくる激しい感情を無理矢理に押さえつけるものへと変化していく。

「……先輩」
 その様子があまりにも痛々しく、辛そうだったから僕は思わず彼へと近付いた。
 その途端、だん、と強い力で僕は壁へと押さえつけられて、あっさりと手にしていた刀を取り落とした。
「黒桐さん!」
「……い、いいから行って」
 僕は先輩に壁に押さえつけられた姿勢のままで、もう一度吉田さんに逃げるように指示を出す。
 それでもまだ彼女は逃げるのを渋っていたけど、僕を押さえつけたまま小さく震えつづける先輩をみて、僕の再度の促しにようやく逃げ出してくれた。
「……あ、その……無事でいてください」
 最後にそう言い残した彼女の姿は、すぐに路地裏を曲がって見えなくなる。
 白純里緒はそんな彼女には目をくれることもなく、うつむいたまま震えている。僕を押さえつける力はとても強いままだったけれど、僕にはそれが恐ろしいものだとは思えなかった。
 その力の大きさは彼が抱える絶望の大きさだ。……僕にはそれを振りほどくことはできなかった。

「――助けてくれ、幹也」
 聞こえないぐらいの小声で先輩が呟く。僕はそれにも答えられなかった。

 ……一体どのくらいそうしていたのだろう。

 長いのか短いのかよくわからない時間が過ぎ去ったその後、不意に彼は力を緩めると後ろ向きに大きく下がり、大通りまで後退した。
「――けほっ、……せ、先輩?」
「ごめん…………黒桐君。ずいぶん無駄な時間を使わせてしまったね。キミはもう行くといい。……そして二度と僕の前に現れないでくれ。次に会う時は僕は君を殺すことになるかもしれない」
「そんな!」
「もう無理なんだよ、黒桐君。ここには荒耶さんも蒼崎橙子もいない。いや、仮にいたとしてもきっと俺は手遅れさ。だったら……行ける所まで行ってやるさ」
 そう言い捨てると、彼はオリンピックの金メダリストのような凄い速さで道を北のほうへと走り去っていった。
 後に残された僕は自分の無力さを嫌というほどにかみ締めていた。

 ……それでもやらなくちゃいけないことはいくらでも残っている。僕はのろのろと落ちていた刀を拾うと、路地裏を歩き出す。
 また一人増えてしまった探し人。まず間違いなく一番近くにいる、さっき別れた少女の姿を探して僕は歩き出した。


 ◇ ◇ ◇


 それほどの距離も稼がずに立ち止まると、白純里緒は慎重に周囲の物音を探った。
 こちらのほうへと向かう足音は一切ない。
「そう、それが正解だぜ、幹也」
 先ほどまで見せていた気弱な表情はどこへやら、白純里緒は一転してにやりとした笑みを浮かべる。

 ――起源に覚醒したものは確かに自己の人格を失ってしまう。だが、その人格が二重人格のように分かたれてしまうことはない。
「人殺しを好まない白純里緒」という人格が残っていたのであれば、彼は起源という衝動には負けずに、人を殺してしまうということもなかった。
 ……彼がつい先ほど告白した四年間の罪とは、起源など関係がない、紛れもない白純里緒が自らの意思で他者を殺し、食べてきたという証明に他ならない。

 ならば何故、彼は先ほどのようなつまらない演技をしたのであろうか。

 その理由は簡単だ。
 白純里緒は黒桐幹也に対しては、同じ外れた殺人鬼である両儀式に対する場合とは異なり、自分を受け入れてくれる仲間としての役割を求めている。
 そのためにも平気で他者を傷つける自分のような存在になってもらっては困るし、あっさりと他の誰かに殺されてしまっても困る。
 のこのこと自分から危険に向かって突き進むようでは、たった一つの生き残りをかけたこの舞台、命が幾つあっても足りない。
 だからこその演技、不安定な面を見せる危険かもしれない人物を演じてみせたというわけだ。
 危ないことからは逃げ出す。黒桐のような一般人にこれ以上の護身策などありはしない。

「……でも、あいつは邪魔だな」
 当面危険からは逃げるという判断をするであろう黒桐幹也。ただ、その彼も先ほどのように自分よりも弱い人間を逃がすため、囮となって自分から危険へと立ち向かうかもしれない。
 ――そんなこと許せるはずもない。

 白純里緒は手近なビルの屋上へと一気に駆け上がる。その運動能力は先ほど黒桐幹也の前で見せていたそれとは比較にならない。
 駆け上がった屋上から周囲を見渡し、動く影を追う。見渡す限り動いている影は一つ。もう一つあるはずの影は今の彼のいるところからは見える位置にはいなかった。だが、そんなことは些細なこと。
 このコンクリートの森の中、例え黒桐幹也でさえも、モノを見つける速度は自分に劣る。彼は音もなくビルからビルへと飛び回り、一人の少女の姿を追い求め始める。

 ――そしてほどなく、先の路地からはやや離れたビルのビルの一室、そこに隠れる少女の姿を白純里緒は見つけ出す。
 移動した距離と時間を考慮すれば上手く隠れた、と吉田一美は誉められるべきであろう。少なくとも下から見上げて探す限りではほぼ死角となるように、そして彼女の位置からは多少は外が見えるような位置取り。
 だが、それも上から探す白純里緒にとっては意味のないこと。

 ……そしてケモノは迷うことなく、その部屋へと音もなく飛び込んだ。

「声は出すな」
「……!」
 進入するや否や、彼は吉田一美の口を押さえ、そのまま壁へと押さえつける。
 思考が現状に追いついていないのか、呆然とした目でこちらを見つめる吉田一美を見て、白純里緒の心にふと、悪戯心がわいた。
 ……どの道、この女を殺すことは確定の上、すぐにでも殺すことは可能だ。だったら、わずかな時間とはいえ、黒桐幹也を危険な目に遭わせたかもしれないこの少女には罰を受けてもらうとしよう。

 八つ当たりとしかいえない身勝手な感情と共に、白純里緒は吉田一美に対して嘲るような笑顔を見せる。

「久しぶり、とでも言えばいいかな? ん、ああそうか。ぼくがここにいるということは黒桐君に何かあったんじゃないのかと心配しているのかい? くっ、ははははははっ、ははははははっ。いや、本当キミはおめでたいねえ。少し考えればわかるだろ? 僕がこんなにも早くここに、キミがいるところに来れたのはちゃんとした理由があるってことぐらいはさあ」
「…………」
「ああ、そうさ。君は幹也に売られたのさ。君がいなくなったすぐあとに幹也が僕に言ったのさ。君と君に渡したにもつは全部差し出すからどうか、僕の命は助けてくださいってね。
 何? 幹也がキミなんかのために命がけで僕をくい止めてくれたとか思っちゃったの? 見ず知らずの存在だったキミを助けるために命をかける馬鹿なんていないさ。何をいい気になってるんだか。本当自意識過剰もいいところだよ、あははははっ」
 そうして白純里緒は返答できない吉田一美を一方的に嘲笑う。

 この虚言には何の意味もない。ただ、白純里緒は吉田一美を許せなかったのだ。
 ――たとえこれから死に逝く相手だとしても、彼女の記憶に黒桐幹也が彼女のことを守ったという事実が残ることさえ許せないというだけ。嫉妬を晴らす、ただそのためだけに彼は彼女の心を踏みにじる。

「はははははっ! あー、笑った笑った。さて、ここまで笑わせてくれたお礼だ。死ぬ前に他の知り合いに伝えたいメッセージがあるって言うなら聞いてやるぜ。ああ、あとはもちろん幹也の奴への恨み言でも構わないけどな。とはいえ、幹也の奴を殺してくれとかそういうのは無理だぜ」
 そして最後に彼は告げる。あえて幹也への敵愾心をあおる言葉を言うことで、最期に彼女がどのような恨み言を残していくのか、それを想像してこっそりと白純里緒は笑みを浮かべる。
 もちろん、彼女の死に際の言葉は一字一句残さず幹也へと伝えてやる。彼の懐には支給品のひとつ、ボイスレコーダーがある。

 きっと幹也はもう少し後になって、この場所をを突き止めてやってくる。そして彼は発見するのだ。すでに事切れた吉田一美と、その死体の傍らに転がるボイスレコーダーを。そして自らに向けられた少女の理不尽な悪意を知ることになることになるのだ。
 そのときの彼の様子は想像するだけで身震いするほど素晴らしいものとなるだろう。

「――――」
「……え?」
 そんな想像に集中しすぎたせいか、白純里緒は最初少女が何といったのか聞き漏らした。

「…………シャナちゃん、坂井君、……黒桐さん。生きて、絶対に死なないで。それと、ありがとう」
「…………は?」
 それだけを少し震える声で言うと吉田一美は言うべきことは全て語ったというかのごとく口を閉ざした。

 だが、それで収まらないのは里緒のほうだ。

「おかしいだろ! 何で、何でお前を裏切った黒桐への恨み言が出てこないんだ!?」
「――恨んでなんていませんから。裏切ってもいない人を恨むなんてできません」
 だん、と壁に押さえつけて問い詰める白純里緒に、少女は痛みに顔をしかめながらも静かに答える。

「おかしい、おかしいってば! ついさっきであったばかりの他人なんだぞ! 何でそんなに簡単に信じられるんだ! 普通は……!」
「信じたんです、だから」
 彼女の返答が白純里緒を激昂させる。

「黙れ……! お前なんかに黒桐のことがわかるわけがないだろう! 訂正しろ、謝れ、何でもいいから恨み言の一つでも言って見せろよ!」
「……っ!」
 白純里緒の叫びに吉田一美は答えない。いや、もう答える事ができなかった。白純里緒に激情のまま振り回される彼女は、何とか自分の意識を保つことで精一杯だったのだ。しかしそんな状況にも関わらず、彼女の心は奇妙なまでの落ち着きと安心感があった。……あるいはそれは避ける事のできない死を目前とした諦念が生み出した物であったのかもしれない。

(……やっぱり、嘘だった)
 目の前の彼の激昂ぶり振りを見ればもう、疑いようはない。出会ったばかりの彼のことを信じぬく以上のことしかできなかったとはいえ、信じ抜いたのはやっぱり間違いなんかじゃなかったのだ。そんなことがただただ、嬉しいことと思える。

「聞こえないのか! 黙ってないで何とか言え! 言えよオオおおおおおっ!」
 激怒した白純里緒が爪を振りかざすのを彼女はただ見つめる。
(――悠二君、死なないで)

「え?」
 首から血を流し、倒れたまま動かない吉田一美を白純里緒は呆然と見下ろした。
「なんだよ、それ。ふざけるな! あそこまで好き勝手に言ったくせに何でこんなにあっさり……!」
 だが、ピクリとも動かない目の前の少女は誰がどう見たところで死んでいる。

 ……たっ
 少し先のほうから響いた足音に、せめてもの腹いせに少女の遺体を無残に喰い散らかそうとした白純里緒の動きが止まる。
 足音は少しずつ、だが確実にこのビルへと近付いてきている。そして今、ここに近付いてくるであろう人物は一人しかいない。

「……くそっ」
 今はまだ、幹也には自分が喜んで人を殺しまわっていることを知られるわけには行かない。
 そうしてケモノはビルの影へと身を躍らせる。

(幹也、きちんと生き延びろよ?)
 せっかく見つけた黒桐幹也。しかし今はまだ、彼を自分のそばに置くことはできない。
 なぜなら特別な自分のそばに在る人間は、やはり特別な人間であるべきなのだから。
 故に本来ならばそのための道具、特別な大麻を彼の血で栽培した特製品、ブラッドチップを白純里緒は用意して、使うつもりでいた。
 だが自分がここへ連れて来られたといって、アレまで絶対にここにあるという前提で動くのは少々危険だ。……しかし、心配することはない。

 ――確か荒耶は言っていた。起源覚醒には双方の同意が必要であると。
 だから……黒桐の心の底からの同意さえ得られれば、他の劇物と白純里緒の血液を混ぜ合わしたものや、あるいは白純里緒の血だけでも黒桐の起源は呼び起こせるかもしれない。
 もちろん、そんな方法は他の奴で実験してからになるだろうし、それ以前にブラッドチップが見つかれば何の問題もない。
 だから今は一人でも多く殺そう、食べよう。
 今度こそ彼は北へと向かう。まずは身の程知らずの愚か者をこの爪と牙で引き裂くために。


【E-4/雑居ビルのある一角/一日目・黎明】


【白純里緒@空の境界】
[状態]:健康 、強い苛立ち
[装備]:なし
[道具]:デイパック、基本支給品(未確認支給品0~2個所持。名簿は破棄)
[思考・状況]
1:両儀式を探す
2:黒桐を特別な存在にする
3:そのためにブラッドチップを探す
4:見つからないようなら、思いついた他の起源覚醒の方法を適当な奴で試す
5:まずは拡声器で呼びかけを行った馬鹿を殺しに行く
6:それ以外は殺したくなったら殺し、多少残して食べる
[備考]
※殺人考察(後)時点、左腕を失う前からの参戦
※名簿の内容は両儀式と黒桐幹也の名前以外見ていません
※全身に返り血が付着しています

※ブラッドチップ@空の境界
荒耶宗蓮特製の大麻を白純里緒の血液で栽培した強力な麻薬。本編中では自分の意思で人間を捨てる覚悟と共にこれを摂取すれば起源覚醒者に変えることができると白純里緒は思っていたが、黒桐幹也はこれを拒否したためにその真偽は不明。




「……今の声は」
 近くのビルから聞こえてきた聞き覚えのある声に、僕は言い知れぬ不安を感じた。
 そんなわけはない。確かに先輩は人を殺す側に立っているのかもしれない。けど、あの人は確かに北に向かって走っていったはずなんだ。
 必死になって自分にそう言い聞かせながら、僕は吉田さんの痕跡を追ってたどり着いたビルの前で立ち止まった。
「……吉田さん?」
 小声で呼びかけるも返答はない。
 ここにはいないのかもしれない、そんな気持ちとは裏腹に僕の足は吸い込まれるようにビルの内部へと向かう。
「吉田さん、返事をしてくれるかい?」
 階段を上る僕はいつか感じたことのある匂いを感じ取っていた。

 ――鉄っぽい、むせ返るような匂い。

 知らず、動悸が激しくなる。
 吉田さんの返事はない。

「ここにはいないの?」
 うっすらと埃が積もったビルの中、小さな足跡はその一室へと消えている。……出た痕はどこにもない。

「……吉田さん」
 部屋の扉を開け、中に入ったその途端一瞬気が遠くなる。
 首からの流血。部屋を真っ赤に染めるぐらい血を失った彼女はどう見ても生きてはいない。

 不意に胃の中に、塊のような異物感を感じた。
 口の中いっぱいに、みるみるうちに嫌な味がする唾液が広がっていく。

「……!」
 胃がすくみ上がるように動き、内にこもる物を一気に押し上げようとする。
 喉元まで上がってくる嘔吐感。
 ……それでも、いつかのようにもどさずには済んだのはきっと彼女を汚しちゃいけないという……意地と罪悪感のせいだと思う。
「う……!」
 ごろりと動く胃を僕は何とかなだめる。

「……ごめん、吉田さん」

 君を探し人と再会させてあげられなくて。
 きみのそばにいてあげられなくて。
 君を守ってあげられなくて。

 荒い息をつきながら、それでも僕は何とかそれだけを搾り出す。
 そして血の海となった部屋に入ると、むせ返るような匂いに反応し、再びこみあがってきた吐き気をおさえながら、すぐそばに転がっていた血に染まったデイパックを拾い上げた。

「……ん? これは……」
 その時、彼女の影になるように転がっていた何かに気が付く。それは黒い小型のボイスレコーダーだった。
 ――あるいはこの中には彼女の遺言が入っているかもしれない。そう思った僕は再生ボタンに指を掛け……。

 ――――――

 ……ボタンを押すことはできなかった。
 たしか彼女の支給品の中にこんな物はなかったのだし、これは間違いなく彼女を殺した…………誰かが残していった物だろう。
 この中にはきっと彼女が探していた坂井君やシャナさんへのメッセージが入っている。せめてこのメッセージだけは何があっても、僕は彼らに届けなくちゃいけない。そして彼女を守ることができなかった僕に……彼らよりも先に彼女の最期の思いを聞く資格はない。
 ……あるいはこの中には、彼女を守ることができなかった僕の罪を裁く内容も含まれているかもしれない。だとすれば、彼らの前でその罪を曝け出すことも僕の罪滅ぼしだ。

「……吉田さんさよなら、そしてごめん」
 僕は、最後に、そう言い残して彼女の眠る部屋を後にした。

【E-4/ある雑居ビルの一室/一日目・黎明】

【黒桐幹也@空の境界】
[状態]:健康 、罪悪感、強い悲しみ、使命感
[装備]:なし
[道具]:デイパック、血に染まったデイパック、基本支給品×2、ボイスレコーダー(記録媒体付属)@現実、七天七刀@とある魔術の禁書目録、ランダム支給品(確認済み)1~3個
[思考・状況]
基本:式、鮮花を探す。
1:吉田さんの知り合いを見つけ、謝罪しレコーダーを渡す
2:浅上藤乃は……現状では保留
3:先輩ともう一度話をする
[備考]
※吉田一美の殺害犯として白純里緒を疑っています
※白純里緒が積極的に殺し合いに乗っていることに気がついています

【吉田一美@灼眼のシャナ  死亡】


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