真実は煙に紛れて~(2) 彼女たちの悪夢 ◆3k3x1UI5IA
真実はいつもひとつ! と探偵は言う。
けれど、人の目に映る「事実」は、それぞれに違う。
たったひとつの「真実」に、誰も辿り着けないこともある。
そんな「真実」に、いったいどれほどの価値があるのだろう? どれほどの意味があるのだろう?
たったひとつの「真実」に、誰も辿り着けないこともある。
そんな「真実」に、いったいどれほどの価値があるのだろう? どれほどの意味があるのだろう?
予め警告しておく。
ここから先、各登場人物が見て、聞いて、体験したものは、それぞれ大きく異なっている。
そのどれが正しいのかは、ひとまず置いておくとして――
もしも当事者を並べて直接尋ねることができたとすれば、彼らは揃って隣の者の言葉を遮り、こう言うだろう。
ここから先、各登場人物が見て、聞いて、体験したものは、それぞれ大きく異なっている。
そのどれが正しいのかは、ひとまず置いておくとして――
もしも当事者を並べて直接尋ねることができたとすれば、彼らは揃って隣の者の言葉を遮り、こう言うだろう。
「いや、僕/俺/私が見たことが本当だ!」と。
それほどまでに、「自分で見たこと」というのはインパクトが強い。
「自分の体験」というものは、何にも勝る説得力を持つ――。
「自分の体験」というものは、何にも勝る説得力を持つ――。
* * *
古手梨花は、煙に包まれる保健室の中、おぞましい怪物の姿を見た。
エタノールを振り掛けられ、勢いよく燃え上がる炎。噴き出す煙。
梨花は唖然として言葉も出ない。
梨花は唖然として言葉も出ない。
(な、何考えてるの、この変態タコ坊主――! これじゃ、本当に火事に――!)
一休自身も炎に巻かれかねない、自殺行為。
その「驚き」がうまく「怒り」に転化できれば、『勇者の拳』を発動させて全てを終わりにできたかもしれない。
巨大な拳によるツッコミで、炎も何も全て吹き飛ばすことができていたかもしれない。
けれどこの瞬間、梨花の胸に湧き上がったのは「怒り」ではなく「恐怖」。
反射的にツッコミを繰り出すこともできず、煙を吸ってむせ返る。
その「驚き」がうまく「怒り」に転化できれば、『勇者の拳』を発動させて全てを終わりにできたかもしれない。
巨大な拳によるツッコミで、炎も何も全て吹き飛ばすことができていたかもしれない。
けれどこの瞬間、梨花の胸に湧き上がったのは「怒り」ではなく「恐怖」。
反射的にツッコミを繰り出すこともできず、煙を吸ってむせ返る。
「けほっ、こほッ……! このっ、タコ坊主っ!」
視界がグニャリと歪む。眩暈がする。
それでも気丈に叫びながら涙を拭った梨花は、次の瞬間、信じられないような光景を目撃する。
それでも気丈に叫びながら涙を拭った梨花は、次の瞬間、信じられないような光景を目撃する。
『タコ坊主、ですか――いヤぁ、正体がバレてしマったでようでスね』
壊れたラジオのように歪んだ声。それと同時に、一休の身体の輪郭が大きく歪む。
着物の袖から出た彼の手が、縦に裂ける。いや、「人の手」という偽りの姿を放棄して、「本来の姿」に戻る。
そこに現れたのは、何本もの触手。そしてそれが一気に伸びる。
着物の袖から出た彼の手が、縦に裂ける。いや、「人の手」という偽りの姿を放棄して、「本来の姿」に戻る。
そこに現れたのは、何本もの触手。そしてそれが一気に伸びる。
「なっ――!?」
ツルリと剃られた頭はそのままに、一休の着物の裾から、袖から、隙間から、無数の触手が伸びる。
ぬめりのある、肉色の、つややかなミミズのような、「触手」としか表現のしようのない異形の器官。
頭から直接無数の触手が生えたその姿は、科学雑誌などで見た火星人や宇宙人の予想図にそっくりだ。
それが無理やり、僧侶の服を着ている格好。まるっきり化け物である。
ぬめりのある、肉色の、つややかなミミズのような、「触手」としか表現のしようのない異形の器官。
頭から直接無数の触手が生えたその姿は、科学雑誌などで見た火星人や宇宙人の予想図にそっくりだ。
それが無理やり、僧侶の服を着ている格好。まるっきり化け物である。
梨花には、自分の見ているものが自分でも信じられない――
けれどそれは、変態小坊主の正体としてはこれ以上なく説得力があるもので。
正体がコレなら、確かに4階から叩き落されたくらいでは死なないだろう。見るからに生命力に溢れている。
けれどそれは、変態小坊主の正体としてはこれ以上なく説得力があるもので。
正体がコレなら、確かに4階から叩き落されたくらいでは死なないだろう。見るからに生命力に溢れている。
ウネウネと動く、気味の悪い触手。
それが爆発的に増えて伸びて蠢いて、ほんの数秒で保健室の中を埋め尽くす。
足の踏み場もないほどに大きく広がり、梨花たちの身体に絡み付いてくる。
それが爆発的に増えて伸びて蠢いて、ほんの数秒で保健室の中を埋め尽くす。
足の踏み場もないほどに大きく広がり、梨花たちの身体に絡み付いてくる。
「ひっ……! や、やめるのです……! こ、このっ……!」
梨花の細い手足に、触手が絡みつく。
素肌にナメクジが這うような気味の悪い感覚に、梨花は肌を粟立てながらも抵抗する。
と、視界の外、後ろの方で、振り回した手が何かを弾く。確かな手ごたえ。
触手の先端でも殴ったか? と思った、次の瞬間。
素肌にナメクジが這うような気味の悪い感覚に、梨花は肌を粟立てながらも抵抗する。
と、視界の外、後ろの方で、振り回した手が何かを弾く。確かな手ごたえ。
触手の先端でも殴ったか? と思った、次の瞬間。
『――お前ガ死ネ!』
「ぐぇっ……!?」
「ぐぇっ……!?」
首に絡みつく、強い圧迫。梨花は無様な呻き声を上げる。
梨花の抵抗に怒ったか、触手の1本が首に巻きついたのだ。
ギリギリと、意外なほどの力で締め上げられる。触手を掴んで引き離そうとするが、ビクリともしない。
太さで言えば、女の子の手首ほどの太さだろうか。
息ができない。苦しい。痛い。視界が霞む。
この痛みと苦痛は、絶対に夢や幻などではありえない。
このままでは――本当に、殺される。
梨花の抵抗に怒ったか、触手の1本が首に巻きついたのだ。
ギリギリと、意外なほどの力で締め上げられる。触手を掴んで引き離そうとするが、ビクリともしない。
太さで言えば、女の子の手首ほどの太さだろうか。
息ができない。苦しい。痛い。視界が霞む。
この痛みと苦痛は、絶対に夢や幻などではありえない。
このままでは――本当に、殺される。
(ふざ、けないで……! このっ……火星人、がっ……!)
梨花はようやくこの理不尽かつ不条理な状況に怒りを覚え、ギリ、と拳を握るが――
けれど、声が出ない。言葉が出せない。口を開いても、空気が出せない。
これでは、ツッコめない。
発動条件を満たせない『勇者の拳』はブレスレッドの姿に留まり、梨花の反撃の手段は失われる。
意識が遠のく。視界が暗転する。
哀やリンクたちも、同じように束縛されているのだろうか? 彼らは捕まらずに済んだのだろうか?
今の梨花には、周囲を見渡す余力すらない。
けれど、声が出ない。言葉が出せない。口を開いても、空気が出せない。
これでは、ツッコめない。
発動条件を満たせない『勇者の拳』はブレスレッドの姿に留まり、梨花の反撃の手段は失われる。
意識が遠のく。視界が暗転する。
哀やリンクたちも、同じように束縛されているのだろうか? 彼らは捕まらずに済んだのだろうか?
今の梨花には、周囲を見渡す余力すらない。
(このまま殺されるなら、まだ諦めもつくけど……こんなのに、犯されたくは、な……
せめて、哀やリンクだけでも、逃げ……!)
せめて、哀やリンクだけでも、逃げ……!)
死よりも酷い最悪の事態を目の前にして、それでも切れ切れの思考で、梨花は仲間たちの心配をして。
そのまま梨花は、白目を剥いたまま、口の端から泡を吹きつつ、気を失った。
そのまま梨花は、白目を剥いたまま、口の端から泡を吹きつつ、気を失った。
* * *
灰原哀は、煙に包まれる保健室の中、悪夢の世界を垣間見た。
エタノールを振り掛けられ、勢いよく燃え上がる炎。噴き出す煙。
その煙を僅かに吸っただけで、グラリと揺れる視界。
「その道」について深い知識のある彼女は、咄嗟に気付く。
その煙を僅かに吸っただけで、グラリと揺れる視界。
「その道」について深い知識のある彼女は、咄嗟に気付く。
(これ、ひょっとして……何かの薬品?!)
世界が歪む。周囲の景色がひしゃげ、溶けていく。
そして何より――哀自身の思考力が、混濁する。
一瞬湧き上がった「幻覚作用のある薬品では?」という疑いは、しかしもうまともに検討できない。
激しい吐き気と眩暈。自分の皮膚の内側で、無数の虫が蠢いているかのような不快感。
時間の感覚さえ歪んでしまったかのようで、頬の冷や汗が伝うほんの数秒が、何十倍もの長さに感じられる。
そして何より――哀自身の思考力が、混濁する。
一瞬湧き上がった「幻覚作用のある薬品では?」という疑いは、しかしもうまともに検討できない。
激しい吐き気と眩暈。自分の皮膚の内側で、無数の虫が蠢いているかのような不快感。
時間の感覚さえ歪んでしまったかのようで、頬の冷や汗が伝うほんの数秒が、何十倍もの長さに感じられる。
バッド・トリップ。
麻薬の類を摂取した時に見ることのある、極めて不快な一群の症状だ。
快感や多幸感をもたらす通常のトリップとは異なり、それは不快の極み。酷い場合は後遺症も残る。
そしてそれは、複数の、異なる種類の麻薬を同時に摂取した時、容易に起こりやすい――
麻薬の類を摂取した時に見ることのある、極めて不快な一群の症状だ。
快感や多幸感をもたらす通常のトリップとは異なり、それは不快の極み。酷い場合は後遺症も残る。
そしてそれは、複数の、異なる種類の麻薬を同時に摂取した時、容易に起こりやすい――
普段の彼女なら、自分が5MeO-DIPTを摂取していたことを思い出し、すぐにそのことに気付いただろう。
けれど、まさにその只中にいる彼女の思考は混濁し、自分の知識を上手く引き出すことができない。
上も下も分からない極彩色の世界の中、彼女は頭を抱える。
けれど、まさにその只中にいる彼女の思考は混濁し、自分の知識を上手く引き出すことができない。
上も下も分からない極彩色の世界の中、彼女は頭を抱える。
「うあぁぁっ……! 一体、何がどうなって……!」
『貴女が望んだことでしょう?』
『貴女が望んだことでしょう?』
不意に、耳元で囁かれる。熱い吐息を吹きかけられる。
混乱したまま、振りかえった彼女が見たものは――
混乱したまま、振りかえった彼女が見たものは――
ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる、『自分自身』の姿だった。
『この世界が悪夢であることを願ったんでしょう? 悪夢の中で死ぬことを願ったんでしょう?』
「違う、私は……私は」
『違わないわ』
「違う、私は……私は」
『違わないわ』
自分のつま先すらロクに見えない歪みきった世界の中、異常に鮮明な『灰原哀自身』の像が虚ろに笑う。
その『自分自身』の幻に、唐突にぱしッ、と頬をはたかれる。唇の端が切れ、血が流れる。
その『自分自身』の幻に、唐突にぱしッ、と頬をはたかれる。唇の端が切れ、血が流れる。
『よかったじゃない、願いが叶って。あとは殺されるだけね』
「……!!」
「……!!」
ニヤニヤ笑う『自分自身』の挑発的な言葉に、哀は目を血走らせて睨みつけ。
次の瞬間、彼女はその『自分自身』に、激しく掴みかかった。
迷い無くその細い首に手をかけ、ギリギリと絞め上げる。幻覚とは思えぬ、確かな手ごたえ。
次の瞬間、彼女はその『自分自身』に、激しく掴みかかった。
迷い無くその細い首に手をかけ、ギリギリと絞め上げる。幻覚とは思えぬ、確かな手ごたえ。
「私は死なない――死ぬなら、お前が死ね!」
抵抗されても、なお絞める。『自分自身』が突き立てた爪が哀の腕を傷つけるが、一切の加減をしない。
普段の彼女らしからぬ激情にかられ、自分でも信じられぬような力を発揮し、容赦なく絞め上げる。
複数の薬品の相互作用で、無意識のリミッターが外れた状態なのだ。
普段の彼女らしからぬ激情にかられ、自分でも信じられぬような力を発揮し、容赦なく絞め上げる。
複数の薬品の相互作用で、無意識のリミッターが外れた状態なのだ。
「もう死んで償おうなんて思わない! 汚されることで許されるなんて思わない! だから、だから……!」
『うふふ、強情ね。でももう貴女、汚されちゃってるのよ?』
『うふふ、強情ね。でももう貴女、汚されちゃってるのよ?』
背後からかけられる、新たな嘲笑。彼女ははッとして振り返る。
思わず手の力が抜け、締め上げていた『自分自身』が床に崩れ落ちるが、気にする余裕すらない。
思わず手の力が抜け、締め上げていた『自分自身』が床に崩れ落ちるが、気にする余裕すらない。
そこには、2人の人物がいた。
片方は床に横たわっている。片方はその上に馬乗りになっている。
寝ている方は、仰向けだ。馬乗りになっている方は、その胸をパシパシと、甘えるように叩いている。
煙でよく見えない。目を擦りながら近づいた彼女が、見たものは――
片方は床に横たわっている。片方はその上に馬乗りになっている。
寝ている方は、仰向けだ。馬乗りになっている方は、その胸をパシパシと、甘えるように叩いている。
煙でよく見えない。目を擦りながら近づいた彼女が、見たものは――
服をはだけ、淫蕩な笑みを浮かべて男の腰のあたりに馬乗りになった、新たなもう1人の『自分自身』。
そして身体の上に跨られ、飄々とした表情のまま笑っている『一休』の姿。
その位置、その体勢は、どう見たって……!
そして身体の上に跨られ、飄々とした表情のまま笑っている『一休』の姿。
その位置、その体勢は、どう見たって……!
『でもこれってどうなのかしらね? どちらが汚されていることになるのかしら?』
「――あああぁぁおぅおおぉぉッ!」
「――あああぁぁおぅおおぉぉッ!」
哀はキレる。声にならない怒号を叫びながら、『緑色の服をはだけた』格好の『自分自身』に突進。
思いっきり、殴り飛ばす。
許せなかった。何もかもが許せなかった。
こんなことを望んでいたかもしれない、過去の自分が許せなかった。
それが夢だろうと幻だろうとバッド・トリップの果てに見た狂気のカケラだろうと、とにかく許せなかった。
渾身の力を込めて、殴り飛ばす。腰も入ってない素人の拳ながら、火事場の馬鹿力のようなパワーで殴る。
荒い息をつきながら、突き飛ばされた『自分自身』を睨みつける。
思いっきり、殴り飛ばす。
許せなかった。何もかもが許せなかった。
こんなことを望んでいたかもしれない、過去の自分が許せなかった。
それが夢だろうと幻だろうとバッド・トリップの果てに見た狂気のカケラだろうと、とにかく許せなかった。
渾身の力を込めて、殴り飛ばす。腰も入ってない素人の拳ながら、火事場の馬鹿力のようなパワーで殴る。
荒い息をつきながら、突き飛ばされた『自分自身』を睨みつける。
「――ふざけるな! 私は、そんな――」
『ふザけてイるのハ、どっチだ!?』
『ふザけてイるのハ、どっチだ!?』
吐き捨てようとした、次の瞬間。
横たわっていたはずの『一休』が、跳ね起きる。
いや、跳ね起きる、と思った次の瞬間、哀の身体に激しい衝撃が走る。
横たわっていたはずの『一休』が、跳ね起きる。
いや、跳ね起きる、と思った次の瞬間、哀の身体に激しい衝撃が走る。
「ごほっ……!」
彼女のみぞおちに、深々と足刀が叩き込まれる。
地面に寝た姿勢から、ワンアクションで起き上がりつつ放たれた、鋭い蹴り。
カンフー映画のワンシーンのような、正しい鍛錬に裏付けされた実力者の技。
まさかそんな動きができるなんて想像すらしていなくって、だから反応もできなかった哀は、そのまま倒れる。
地面に寝た姿勢から、ワンアクションで起き上がりつつ放たれた、鋭い蹴り。
カンフー映画のワンシーンのような、正しい鍛錬に裏付けされた実力者の技。
まさかそんな動きができるなんて想像すらしていなくって、だから反応もできなかった哀は、そのまま倒れる。
(そん、な……! いくら、『夢』だから、って……!)
何がなんだか、分からない。あの腐れ坊主が、カンフーまでこなす達人だったなんて。
どこまでが幻なのだろう。どこまでが真実なのだろう。少なくともこの痛みは、嘘ではないようだけど……。
激しい混乱の中、灰原哀は、そのまま意識を失った。
どこまでが幻なのだろう。どこまでが真実なのだろう。少なくともこの痛みは、嘘ではないようだけど……。
激しい混乱の中、灰原哀は、そのまま意識を失った。
* * *
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