第6-40章.
(バガヴァッド・ギーター第十六章)
「恐れ知らず、純粋な心、知識とヨーガの瞑想への忍耐、賜物、自制、犠牲、ヴェーダの研究、禁欲的な苦行、直情、傷害を避けること、真実、怒りからの自由、離俗、静寂、 他人の欠点を報告しないこと、すべての生き物を慈しむこと、貪欲さを持たないこと、優しさ、慎み深さ、落ち着きのなさ、活力、寛容さ、堅固さ、清潔さ、喧嘩っ早さを持たないこと、虚栄心を持たないこと、これらが神のような財産を持って生まれたバーラタよ、彼のものとなる。偽善、高慢、うぬぼれ、怒り、無作法、無知は、プリター(クンティー)の息子よ、悪魔の所有物として生まれた者のものである。神のような所有は解放のためであり、悪魔のような所有は束縛のためである。パーンドゥの子よ、汝は神のようなものに生まれたのだから、悲しんではならない。(この世には二種類の被造物、すなわち神のような者と悪魔のような者がいる。神のようなものについては、長く述べてきた。プリターの子よ、悪魔のような者について、私から聞いてほしい。悪魔のような性質を持つ者は、傾倒も嫌悪も知らない。純潔も、善行も
「恐れ知らず、純粋な心、知識とヨーガの瞑想への忍耐、賜物、自制、犠牲、ヴェーダの研究、禁欲的な苦行、直情、傷害を避けること、真実、怒りからの自由、離俗、静寂、 他人の欠点を報告しないこと、すべての生き物を慈しむこと、貪欲さを持たないこと、優しさ、慎み深さ、落ち着きのなさ、活力、寛容さ、堅固さ、清潔さ、喧嘩っ早さを持たないこと、虚栄心を持たないこと、これらが神のような財産を持って生まれたバーラタよ、彼のものとなる。偽善、高慢、うぬぼれ、怒り、無作法、無知は、プリター(クンティー)の息子よ、悪魔の所有物として生まれた者のものである。神のような所有は解放のためであり、悪魔のような所有は束縛のためである。パーンドゥの子よ、汝は神のようなものに生まれたのだから、悲しんではならない。(この世には二種類の被造物、すなわち神のような者と悪魔のような者がいる。神のようなものについては、長く述べてきた。プリターの子よ、悪魔のような者について、私から聞いてほしい。悪魔のような性質を持つ者は、傾倒も嫌悪も知らない。純潔も、善行も
真理も存在しない。 彼らは、宇宙には真理も指導原理も支配者もなく、欲望から互いに(男と女の)結合によって生み出されたものであり、それ以外の何ものでもないと言う。この見解によれば、自我を失い、知性に乏しく、獰猛な行いをする者たち、すなわち(世界の)敵は、宇宙を破壊するために生まれてくる。 飽くなき欲望を抱き、偽善、驕り、愚かさにまみれ、妄想によって誤った観念を持ち、不浄な行いをする。死(だけ)に限定された限りない思考を大切にし、(自分の)欲望を享受することを最高の目的と考え、それがすべてだと思い込んでいる。希望という百の縄に縛られ、欲望と怒りに溺れ、今日この富を得ようと切望し、後にこれを得ようとし、私が持っているこの富を得ようとし、さらにこの富を得ようとし、この敵を私が倒し、他の者をも倒そうとし、私が主であり、私が享受者であり、私が成功し、力があり、幸福であり、私が富み、高貴な生まれであり、私のような者が他にいるだろうか? 私は犠牲を捧げ、私は贈り物をし、私は陽気になる。このように無知に惑わされ、多くの思いに翻弄され、妄想の網に包まれ、欲望の対象の享受に執着し、彼らは汚れた地獄に沈む。自惚れが強く、頑固で、富の高慢と酩酊に満たされ、偽善をもって、(定められた)儀式に反して、名目上はそうである生贄を捧げる。虚栄、権力、高慢、欲望、怒りに溺れ、これらの反逆者たちは、自分の体においても、他人の体においても、われを憎む。これらの(わたしを)憎む者、残酷な者、人の中最も下劣な者、不浄な者を、わたしは絶えず悪魔の胎内に投げ込む。クンティの子よ、彼らは悪魔の子宮に入り、生まれては惑わされ、私に到達することなく、最も邪悪な状態へと落ちて行く。すなわち、欲望、怒り、同じく欲望である。それゆえ、この三つを捨てるべきである。クンティの子よ、人はこれら三つの暗闇の門から解き放たれ、自らの幸福を実現し、最高の目標に向かう。経典の儀式を放棄し、欲望の衝動のみによって行動する者は、完全にも、幸福にも、最高の目標にも到達することはない。それゆえ、聖典は汝が何を行い、何を行うべきではないかを決定する際の権威となるべきである。聖典の定めによって宣言されたことを確認したうえで、汝はここで仕事をするのがよい』」。