シュラハテン・ハウス

(投稿者:神父)


4000m級の山々が居並ぶグロースヴァントと海面高度6000mほどに広がる灰色の雲の間を、Me110は快調に飛行している。
山腹から吹き上げたり吹き降ろしたりと気紛れな風や気温・湿度の変動にもかかわらず水銀のように滑らかな航跡を描いているのは、
ロッサが常にキャブレタや点火時期、あるいは過給圧を調整し、操縦桿とラダーペダルから手足を離さずにいるからである。
これがFw209であれば機械式統制装置( コマンドゲレート )にすべてを一任できたのだが、あいにくMe110にはそういった高度な装備はない。
彼女はヘッドレスト越しに相方を振り返り、狭い後部胴体の中で呑気に眠っているのを発見した。
操縦桿を素早く上下させ、瞬間的にピッチングを起こす。
直後、胴体内部の肋材に頭をぶつけたレイリが「にぎゃっ」という曖昧な悲鳴を上げ、目を覚ました。

「……あのね、レイリ、私がそれなりに神経を使って操縦してる時にそういう態度ってどうなのよ?」
「へ? ああー、うん、そのー、ほら、アタシって低血圧だしどっちかっていうと夜行性だし……」
「ふーん、それなら血圧を上げるいい方法を教えてあげるけど」

言うなり、ロッサは背中越しにレイリの上着の裾から手を突っ込んだ―――後写鏡の限られた視界のみで、恐ろしいほどの正確さで。
物入れを漁るような気軽さでレイリの細い身体をまさぐる。寝ぼけ気味の彼女にもこれは効いた。

「ちょっ、どこ触っ……ふぎゃ!」

のけぞった拍子にまたしても肋材に後頭部を激突させ、レイリが呻いた。
予想外の効果に、ロッサも笑みを引っ込めて「あ、ごめんごめん」と謝る。

「痛たた……なによう、ひどいじゃない。アタシの頭がジャガイモみたいになっちゃう」
「悪かったってば。でもまあ、目は覚めたんじゃない?」
「まあ、覚めたけど……」
「じゃあ、そろそろ目的地が近いからイェリコを探してくれる? あなたの方が目がいいでしょ」
「ええー? この高度って寒いし出たくないんだけど」
「……じゃあいいわよ、キャノピ越しでもいいから探してちょうだい」
「はいはーい」

レイリがヘッドレストの後ろから頭を出し、ロッサが機体をバンクさせるのに合わせてはるかな遠景を注視する。
機載レーダーほどではないにしろ、彼女はかなり目が良かった。

「……ねえ、ロッサ、あれ見てあれ」

しばらく飛行していると、唐突にレイリが声を上げた。彼女が指差す方向をロッサが見ると、何かの煙が立ち上っていた。
およそ3kmほど先か……よくよく観察すると、冬枯れを脱し始めた木々が火の手を上げているのがわかった。

「ただの山火事……じゃないわねえ。イェリコったら、何してるんだか知らないけど……相変わらず派手だこと」

機載通信機のつまみをひねり、全周波数帯を走査する。下で何が起きているにしろ、組織的軍事力が存在するところに通信はある。
いくつかの軍用バンドを試してみると、そのうちのひとつが的中した。
突然にスプラッタな絶叫がコクピットに響き渡り、ロッサは度肝を抜かれた。……レイリはむしろ興奮していたが。

「くそッ、くそったれ、あんな化物相手に何ができるってんだ!」
「衛生兵は、衛生兵はどこだ……」
「とっくに皆殺しだよ! あいつは見境なしだ、畜生、狂ってる!」
「作戦は中止だ! 全員撤退しろ、奴に一矢報いようなどと考えるな!」
「誰がそんな事するか、馬鹿野郎!」
「アドルフ……クリストフ……ライマー……俺の、俺の分隊員が……! もうやめてくれ! もうたくさんだ!」
「こんなもの、戦争じゃない……ただの虐殺だ……」
「なんでだ、なんで俺たちが死ななけりゃならないんだ! あいつの方が異常じゃないのか!?」
「ひっ、へへっ、気違いにナイフ、って言うよな。気違いに大砲を持たせたらどうなる―――」

ロッサが通信機のスイッチを切った。三十秒足らずの間にこれだけの悲鳴が上がるとは……間違いなく下は地獄だ。
そしてその中心には、獄卒のごとくイェリコが仁王立ちしている事だろう。
レイリは複雑な表情をしていたが、ふと前方を見上げると再び口を開いた。

「ちょっと、あれはヤバいんじゃない?」

ロッサは「何が」と言いかけ、前を見て口をつぐんだ。
彼女の視線の先では、燃え盛る木々の熱に誘引されてか、新たなGの群れが北上し、飛来しつつあった。



「StG45か。いい銃じゃないか、借りるぞ」

イェリコが足元に転がった突撃銃を爪先で跳ね上げ、しげしげと眺めてから左手に構える。
1945年初頭に制式採用されたこの銃は実際にはそれ以前から生産されており、前線ではよく知られた存在だった。
右肩にFlaK18を担いだまま、逃げ惑う兵士の背中に銃弾を浴びせる。
慌てて木の陰に隠れた兵士たちには機関砲の徹甲弾を叩き込み、遮蔽ごと吹き飛ばす。

「雑魚め、残りはどこだ!」

……作戦の中止命令が下るや否や、ロナは目晦ましとばかりにUzF150を乱射してさっさと撤退してしまっていた。
おかげで窮地に陥らずに済んだと言えばそうだ。
しかし、痛打を浴びせられたにもかかわらず一矢すら報いられずに取り逃がした事はイェリコを苛立たせた。

「おい、上だ! くそっ、なんてこった、フライまで来やがった!」

焔の間から兵士が叫ぶ。適当に当たりをつけて銃撃を浴びせると、断末魔の悲鳴が上がった。
そうしておいてから上空を見上げると、確かにフライの群れが上空から迫りつつあった―――独特の羽ばたき音も聞こえる。
イェリコにはかなわないがフライならばどうにかできると見たのか、散発的な銃撃が上空のフライへと加えられる。

「貴様ら、この私を放っておいてハエと遊ぶとはいい度胸だ! 戦意があるならば私に向けるがいい! ハエと貴様らと、一緒に相手をしてやる!」

イェリコの怒声が響き渡ったが、答えには情けない声が上がるだけだった。

「冗談じゃない、お前みたいな化物を相手にしてられるか! ……おい、フライを牽制したら下がるぞ! 輸送車まで走れ!」
「ふざけた真似を……!」

その場を動こうとしないイェリコを好餌と見たか、フライが一匹、急降下して彼女に迫る。
彼女は機関砲を振り上げ、榴弾の一発でそれを仕留めた。

「半端な戦いをするなど、軍人の……」

その時、上空を見上げたイェリコの視界を一機の戦闘機が横切った。見覚えのあるシルエットだ。
灰色を基調とした迷彩に鉄十字、そして翼端は真紅に塗装されている。

「……ロッサか! あいつめ、これからがいいところだと言うに」

いささか航空機離れした急激な機動でフライを追い込み、的確な銃撃で仕留めていく。
見上げているうちに向こうもイェリコに気付いたのか、キャノピを開いて手信号を送ってきた。

(救助ニ来タ 汝 無事ヤ否ヤ)

機関砲を担いだままの右手と突撃銃を持ったままの左手で、返信する。

(軽傷 回収ヲ要ス)
(諒解)

ロッサが頭を引っ込めたかと思うと、それに代わってレイリが頭を出した。
ヘッドレストとキャノピとの狭い隙間から器用に身体を出し、蝙蝠のような独特の飛翔翼を広げて風に乗る。
そのままMe110の横につけると点検ハッチを開けてMG42-45Vを引っ張り出し、軽やかに身を翻して降りてきた。
低空をうろうろしていたフライを数匹、見るからに気楽な様子で叩き落とす。

「やっほー、隊長ー、元気ー?」

ぶんぶんと手を振るレイリに、イェリコは右腕を斜め上に突き上げて見せた。

「敬礼はこうだ、馬鹿者。―――見ればわかるだろう、元気そのものだ」
「……。元気って、どこが?」

泥沼のような地面から20cmほどの高さに滞空し、レイリがイェリコの全身を眺め渡して言う。
血と汗と泥と―――その他口にするのもはばかられるようなものにまみれ、イェリコは立っていた。
義足の代わりに、見るからに粗末な金属材を脚に縛り付けて。

「ああ、確かにちょっとした怪我は負った。それに軍事なんとか委員会とか名乗る連中とも小競り合いをした」
「……『ちょっとした怪我』? ……『小競り合い』?」
「なんだ、貴様、何か文句でもあるのか? 文句なら後で聞いてやるから早いとこ回収―――いや、その銃をよこせ」

言うなり腕を伸ばしたイェリコから、レイリが反射的に、そして文字通りに飛びのいた。
得体の知れないもので汚れきった手に触られたくはなかった。

「MGなんかどうしようっていうのよ? 上のフライはロッサが片付けてくれてるし、下は……みんな逃げちゃったし」
「奴らを追いかけて殲滅する。FlaKは弾切れ寸前だ……貴様のMGがあれば楽に片がつくからな」
「んな……隊長、自分がどういう状態かわかってて言ってるの!? 死んじゃうって、そんな事してたら!」
「死なん! 私はまだまだ戦えるぞ、奴らの残りはもう40人といないはずだ」

その時、横合いから一人の兵士が飛び出してきた。
仲間からはぐれて逃げる方向を誤ったのだろう、手には武器もなく、ひどく怯えた様子だった。

「あ……ああ……」

イェリコは即座に反応した。
彼女を認めるなり腰を抜かした兵士に向けてStG45を発砲しようとし、弾切れに気付くとその銃床で彼を殴りつけたのだ。

「くたばれ、この腰抜けが!」

兵士が言葉にならない悲鳴を上げ、その合間に骨が砕け、内臓の潰れる音が混じった。
至近距離で暴力行為を見せ付けられたレイリはとっさに口を押さえ、それからイェリコの肩をMG42-45Vでつついて引き止めた。
イェリコが殺意に燃える瞳で振り返った。

「何故止めるか!」
「な……何故って、そんなの当たり前よ! MAIDがこんな事をしていいわけないじゃない!」
「だがこいつらは、」

イェリコが足先で、瀕死のまま呻く兵士を示す。

「私を襲ったのだぞ。当然の報いではないか!」

左脚を持ち上げ、身動きの取れない兵士の頭蓋を踏み砕いた。
レイリの顔色が一瞬青ざめ、そして血のにおいとイェリコの無慈悲なやり方への怒りで紅潮した。

「た……隊長の馬鹿! 無抵抗の相手を殺すなんて……しかもこんなやり方でなんて……最低!」
「無抵抗だろうがなんだろうが、投降しない奴は敵―――」

反論しかけたイェリコの声が、レイリの平手打ちによって途絶えた。

「サディスト、人殺し、鬼、悪魔! この人たちにだって家族や友達がいるとか、そういう事をなんで考えようとしないの!?」
「戦場ではそんな馬鹿げた事を考えた奴から死んでいく―――」

それまでアドレナリンに支えられていたイェリコの身体が、初めてぐらついた。

「ちょっと、隊長!? だから言ったじゃない―――」
「くそっ……議論は後だ。レイリ、回収を頼む……」
「う……うん、わかった」

イェリコに肩を掴まれ、フライトジャケットをべったりと汚された事でレイリの顔が引きつったが、なんとか返事をした。
しかし回収してくれと言ったが、イェリコは恐ろしく重いFlaK18を手放そうとしない。

「あのね、隊長、これは捨ててかないと飛べないんだけど」
「いかん。皇帝陛下に賜った大切な兵器だ……捨てては行けん」
「で、でもこれは重すぎてアタシちょっとつらいかなー、なんて、……ダメ?」
「私もまだ片翼は使える。こいつはロッサの機体の腹下にくくりつけてくれ」
「はあ……わかったわよう、頑張ればいいんでしょ、頑張れば……」

なんとか勇気を出して汚れきったイェリコの肩に腕を回し、片翼の展開に合わせて離昇する。
ゆっくりとした二人の飛行速度に合わせ、Me110が地上高度すれすれで横付けになる。
―――時刻は間もなく正午になろうとしていたが、グロースヴァントの空は煙と雲で灰色に霞んでいた。










最終更新:2009年02月16日 01:34
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