戦禍の彼方

(投稿者:神父)


午前八時。
ニーベルンゲの皇室親衛隊本部に勤務する人員あるいはMAIDにとっては朝食の時間である。
本部食堂は今日も盛況で、その中には帝都防空飛行隊の隊員の姿もあった。
イェリコは前線に張り付いてひたすら出撃と帰投を繰り返す生活を送っていたが、他の隊員はそれほどの苦行を自らに課してはいない。
無論、帝国では貴重な航空戦力という事もあって、他のMAIDと比べれば出撃頻度は高いのだが。

「はあ……」

帝都防空飛行隊第一小隊員、ハヴはホットドッグを片手に溜息をついた。
席についてからおよそ三分半、すでに彼女の前のトレイはほとんど空になっている。
その向かいに陣取ったロッサレイリは―――いつもの事ながら―――驚嘆の目でそれを見つめた。
どうやって職員をごまかしたのか、朝っぱらからワインを傾けつつロッサが言う。

「ねえハヴ、あんまり溜息ばかりついてると幸せが逃げるわよ?」
「そんな事言ったって……ああ、おなかすいた……」

MAIDは必ずしも食事を必要としない。コアから得られる熱量と、代謝を支えるための最低限の元素があればよい。
しかしハヴはどういうわけか来る日も来る日も常人の二倍からの食事を摂っている。
そこまで食べてまだ足りないか、と呆れた視線を向ける二人に、ハヴは頬を膨らませて無言の抗議を示した。
レイリがトマトジュースをちびりちびりと飲みながらからかう。

「食い意地の張った女はもてないよー? ねえロッサ?」
「ま、そういう娘が好きな殿方もいるけどねえ……朝からそんな食欲を見せられたらドン引きするわね、普通」

二人の揶揄に、食べ終える瞬間を引き伸ばさんと少しずつホットドッグをかじっていたハヴが、騒々しい音を立てて椅子から立ち上がった。

「何よ、人の気も知らないで! こんなちっぽけなホットドッグ! もっと太くて長いのじゃないと足りないに決まってるじゃない!



朝の控えめなざわめきに支配されていた食堂が、突如として静まり返った。
食べかけのホットドッグを握り締め、怒りに頬を染めて立ち尽くしていたハヴは、数秒の後、自分が何か( ・・ )をやらかした事に気付いた。
恐る恐る周囲を見回すと、食堂のほとんど全員の視線が彼女に突き刺さった。
利用者の大半を占める男たちの半分ほどは興奮気味に目を輝かせ、そして残りの半分はなにやら沈痛な面持ちをしている。
再び正面を見ると、レイリは顔を赤らめてそっぽを向き、ロッサはにやにやと意地の悪い笑みを浮かべていた。

「え、なに、何なのよ……これ。ちょっと、ロッサ、笑ってないで何か言ってよ!」
「んん? ……へーえ、ハヴったら欲求不満ねえ。朝っぱらからそんな大胆な発言をするなんて」
「大胆って……」

再び周囲を見回す。何人かの男が何故か前屈みになっている事に気がつき、そして先ほどの自分の言葉を思い返してみる。

「太くて……長いの……」
「……わざわざもう一度言わなくたっていいのに」

相変わらず目を合わせようとしないレイリが呟く。
自分が何をしたのかようやっと理解したハヴは顔を真っ赤にして座り込み、そのまま自身の能力を発動した。
椅子の上で俯いた彼女の姿が薄れてゆく。

「消えてしまいたい……」
「あ、ちょっと、ハヴ!」

ロッサが慌ててテーブル越しにハヴの頭をはたこうとする。
しかし輪郭が掴めないためにその手は空を切り、テーブルの角にしたたかに打ち付けられた。

「あ痛ッ! んもう、あなた、能力使ったらまたおなかすいたって騒ぐんだから自重しなさいっていうのに!」

レイリは相変わらず顔を赤らめたままもじもじと指を突き合わせている。
そのまま三者三様の寸劇を演じているところに、食堂の入り口からピアチェーレが慌しい様子で飛び込んできた。

「大変たいへんたい変態、うちの隊長さんが―――、……なんか楽しそうですねー」



ピアチェーレが命令書を見せると、ロッサとレイリは途端に真面目な顔になった。
ハヴも空腹を訴えるのをやめたが、それは主にピアチェーレが彼女によこした食券による効果が大きい。
……ちなみにその食券は本来ハルキヨのものである。
ロッサがそれとなく聞くと、ピアチェーレは得体の知れない笑顔で「おしおきです」と答えた。その目は、それ以上追求させないと言っていた。
ともかく、ロッテ5には出撃命令が下されていた。

「それにしても、随分唐突ね。イェリコが行方不明なんていつもの事じゃないの」
「そうよねー、なんかもう人生ダイハードって感じ?」

棚ぼた式に手に入れた食券に歓喜するハヴを置き去りにし、SS本部に併設された滑走路へと向かいながらロッサとレイリが問う。
実際、二人が知るだけでもイェリコは二十回からの行方不明経験者だ。
無論、ピアチェーレもそれは承知している。彼女は命令書に添付されていた報告を要約した。

「隊長さんがいたはずの戦区で守備隊が何者かに襲撃されちゃって。まだ指揮系統が混乱していて捜索もままならない状態ですねー」
「Gじゃないの?」
「ゴキさんズは隊長さんが昨日殲滅しちゃったんですよ」
「ふうん。とすると人間ね……人間の可能性としては黒旗しかないけど。でも黒旗って年末に盛大に摘発してなかった?」
「先月アルトメリアに支部ができたとかで盛り返してるらしいですよ」
「……なるほどねえ。で、イェリコはその素敵なおじ様方とお茶を楽しんでるかも、って?」

本部の建物を出て裏手に回れば、滑走路はすぐそこだ。
用意のいい事にロッサのMe110G3(ハンマーコップフ)はハンガーからエプロンへ引き出され、落下増槽も取り付けられていた。
プロペラが低い唸りを上げて回転しているところを見るに、暖機運転ももうすぐ終わるのだろう。
その横には兵器集積所から運び出されたMG42-45Vが用意されていた。無論、レイリのためのものだ。
大振りの機関銃を後部胴体に格納するため、側面の点検ハッチが開かれているのも見える。

「そういう事。戦区の場所は絞られてるから、ひとっ飛びしてきてくださいねー」

飛行地図の添付された指令書をロッサの手に押し付け、ピアチェーレがひらひらと手を振る。
レイリがむっとした顔をした。

「パチェも暇そうじゃない。来ないの?」
「ほら、私はハルキヨ君を躾けるって大事な大事なお仕事がありますから」
「……ああ、要するにさぼりたいのね。まいいわ、イェリコならそんなに心配いらないでしょ。レイリ、行くわよ」

ロッサが肩をすくめて応じる。実際、本部待機でも突然に必要とされる状況はあるのだ。少ない戦力を無闇に割く必要はない。
レイリは不満そうだったが、ロッサは彼女をとりなしながら自らの機体へと向かった。



一個中隊規模の装甲擲弾兵のうち、既に二個小隊が殲滅されていた……一人残らず殺害されたのだ。
対戦車銃分隊や迫撃砲班も被害を受け、中隊全体でも被害率は60%に達している。
これが演習であれば立派な『壊滅』判定がつくだろう。……しかし、これは演習ではない。

「畜生、なんだあいつは! 狂ってやがる!」
「ロナは! 奴はまだか!」
「回り込めば―――!」

StG45を抱えた兵士がイェリコの背後から飛び出し、フルオートで乱射した。だが彼は、イェリコが空戦MAIDである事を失念していた。
流血し続ける左肩から出現した黒い翼に銃弾は阻まれ、この上なく冷たい視線が彼の目を捉えた。
気付いた時にはもう遅く、イェリコは正面で立ちすくんだ兵士に照準すると同時にその兵士の胸骨に砲尾を押し当てていた。
一度の発砲で二人が絶命した―――かたや徹甲弾に胴を分断され、かたや後座した尾栓に胸郭を叩き潰されて。
燃え盛る木々を背景に、黒い片翼をまとった暴力的なMAID―――否、暴虐そのものが口を開く。

「一人残らずくびり殺してやる―――かかってこい。怖気づいたか、糞野郎ども!」
「誰が糞野郎だ、この気違い女ぁ!」

突撃銃をめくら滅法に撃ちながら、蛮勇に突き動かされた兵士がまた一人、飛び込んできた。
少なからぬ銃弾が飛翔翼の障壁をすり抜けてイェリコの肉体を引き裂いたが、彼女は意にも介さず機関砲を振り回す。

「その意気やよし。一思いに殺してやる!」

至近距離から叩き込まれた榴弾が兵士の顔面で炸裂し、頭を粉微塵に吹き飛ばした。
泥と血を吸って著しく重くなったイェリコのフライトジャケットに、さらに大量の脳漿がぶちまけられる。
頭部を失った肉体はだらりと両腕を下げ、ゆっくりと仰向けに倒れた。

このような具合で、イェリコはすでに80人からの兵士を惨殺し、軍用車両を叩き潰し、森を焼き払っていた。
全身におびただしい弾痕を刻まれ、泥濘に血溜まりを作りながら、それでもなお彼女は立っていた。
「怒りを胸に沈めてはならぬ」と、東洋のさる軍人は言った―――「怒りは両足に込め、己を支える礎とせよ」と。

「来い、次に死にたいのは誰だ? 貴様らはたかが女一人もどうこうできない糞ったれの玉なし集団か―――?」

その時、イェリコの鋭敏な感覚が殺意を捉えた。飛翔翼を展開した直後、大量のUzF150の弾頭が彼女へと殺到する。
翼の上で撃発した成形炸薬弾は飛翔翼を穿孔し、超音速の槍と化した。銅とナトリウムのライナーが塑性流動を起こし、彼女の全身を穿つ。
ナトリウムが皮膚の上で爆発的な反応を生起し、瞬時に燃え上がる。肉の焼ける異臭が彼女の鼻を刺した。

「ッ……ツィー・ファウスト! なかなかどうして……やるではないか!」

使い捨てた発射筒を投げ出す音のする方向、弾頭が飛来した方向へと油断なく視線を向ける。
森林火災の煙を通して、異形のシルエットが浮かび上がった―――彼女自身と同じく、翼を持った姿が。
だがその翼の片方は足場として軟泥の上に敷かれ、もう片方は大量のツィー・ファウストを器用に掴んでいる。
奇怪な格好をしたその姿は、どう考えても人間ではなかった。

「……貴様、MAIDか」
「見ればわかるじゃないですか。……今からでも遅くないですよ、投降した方が身のためです。ひどい傷ですし」
「この程度の負傷、何ほどの事がある」
「……そうですか。でも、おとなしくした方が、」

横合いから現れて投降を勧めるMAIDを、イェリコは鼻で笑った。弾薬箱から残り少ない保弾板を取り出し、悠々と装填する。

「何を馬鹿な。私は死ぬまで戦うぞ。たとえどれほどの敵が相手であろうとな。―――MAIDとはそういうものだ!」

吼えるように絞り出された言葉と共に、イェリコはそのMAIDへと砲撃を加えた。
37mm徹甲弾は奇怪なMAID―――ロナの飛翔翼を貫き、わずかに弾道をそらされてその背後の木をへし折った。

「翼を……!?」
「1500m上空の爆撃機を叩き落とすための砲だ―――この距離で貴様の翼を抜く事など、造作もない!」

油断すれば戦慄こうとする手を握り締めてトリガを引き絞り、さらなる追撃を加える。
しかしロナは足元に敷いていた翼を羽ばたかせ、とっさに飛び退った。
五発の砲弾は目標を見失い、あるものは木々を破砕しながら森の奥へ、またあるものはロナの背後にあったケッテンクラートを叩き潰した。
そこまで乗ってくる間ロナがUzF150を山積みにしていた荷台は空になっていたが、燃料に引火した半装軌車は内側から爆発した。
泥濘期にもかかわらず木々は激しく燃え盛り、イェリコやロナ、さらに彼女らを取り囲む擲弾兵を山火事が包囲しつつあった。
兵士の一人が毒づく。

「くそっ、どうせ俺たちがいてもいなくても同じだろう! 焼け死ぬ前にずらかるぞ!」

彼は分隊の仲間を説得して後退しようとしたが、脚を動かした途端イェリコの目に見つかった。
彼女が保弾板を叩きつけるように装填し、その背中に榴弾を浴びせると、彼らの脆い肉体は二秒と保たずに四散した。

「貴様らは私を殺しに来たのだろう? 今更『気が変わりました』か? そもそも逃げられると思うのか、ええ?」

ロナは彼我の距離を測ってか、あるいは切り札となりうるツィー・ファウストを惜しんでか、仕掛けてこようとはしない。
ついにイェリコを包囲する兵士たちの一人が泥の中にくずおれ、顔を覆ってすすり泣き始めた。

「もういやだ……死にたくない……俺を、俺をここから出してくれえ! 助けてく―――」

イェリコが急造の義足を引きずってその兵士へと歩み寄り、胸倉を掴み上げた。
軍靴が豪雨の中を行軍しているかのような水音を立てる。だが靴の中に溜まっているのは雨水ではなく、彼女自身の血だ。
恐らくまだ二十歳にもなっていないだろうその兵士は、彼の眼前にいるのが誰かに気付いて悲鳴を上げようとしたが、即座に殴り飛ばされた。
したたかに木に叩きつけられ、うめき声を漏らす兵士を、イェリコが怒鳴りつけた。

「貴様、それでも兵卒のつもりか! 立て! 銃を取って、立ち向かえ! かかってこい!」
「畜生ッ、畜生―――!」

自暴自棄になったその兵士が、取り落としたStG45の代わりに腰のM712自動拳銃を引き抜いた。
セレクタがフルオートになっている事にも気付かず無闇やたらとトリガを引き、大振りの銃が手の中で踊る。
イェリコのこめかみを一発の7.63mm弾が抉り、新たな流血が白髪を赤く染めたが、彼女は小揺るぎもしなかった。
兵士は瞬く間に弾の尽きた拳銃を信じられぬと言わんばかりの目で見つめ、まるでそうすれば弾が元通りになるかのように振り回す。

「弾、弾が……どうなってるんだ、どうなって―――」
「貴様の根性はそれだけか!? 貴様は帝国の―――いや、いかなる兵士の名にも値しない!」

イェリコは大上段に振りかざしたFlaK18をへたり込んだ兵士の頭に落下させた。
300kg近い鉄塊の衝撃は哀れな犠牲者の頭―――少なくとも半秒前までは頭だったもの―――を肋骨の間にめり込ませた。

「次は誰だ。軍事正常化委員会と言ったか? 大層な名前の割に弱卒ばかりではないか。MAIDすら日和見に走るとはな!」
「……日和見じゃありません。機会をうかがっていたんです」

吐き気をこらえているかのようなロナのか細い声と共に、十二枚の丸鋸が飛来した。
両手だけで、それも正確に投げられるような数ではない―――ロナは空を飛ぶ事こそできなかったが、それ以上に様々な事ができた。
イェリコが素早く振り上げた機関砲で三枚、飛翔翼で八枚の軌道がそれる。
しかし残る一枚は左脚に深々と突き立ち、彼女は一瞬だけ苦悶の表情を浮かべた。
だが彼女は信じがたいほどタフだった。弾薬箱から保弾板を取り出し、顔に走った傷跡を引きつらせて笑う。

「奇襲は兵法の常、か……いいぞ。今の一撃で貴様の居場所はわかった。火力ではこちらに分がある。さあ、次はどうする?」

火力では分がある―――確かに、瞬間的に見ればそうだ。だが彼女が今装填したのは、最後の保弾板だった。
残る十二発を撃ち尽くせば彼女の火力優勢は失われる。弾薬箱を放り捨てた事が、敵にその事実を教えた。
今や山積みの兵士の死体から銃を奪えばよい事だが、小銃程度の火力ではツィー・ファウストに対抗できるかどうか、大いに怪しいところだ。
それでも、イェリコは勝つつもりだった。さらに言えば、彼ら全員、すなわち一個中隊140人弱を皆殺しにするつもりだった。
己の肉体が置かれた状況など問題ではない。

血が止まらない? まだ流れ出すほどの血が残っている証左だ。
腱が切れかけている? 完全に切れてはいない、繋がっている。
骨が銃弾に撃ち抜かれた? この足は身体を支えきっている。
例え武器を、手を、脚を、物理的な何もかもを失おうとも、意志ある限り彼女は戦い、そして敵を殺すだろう。
彼女はそのためにこそ生み出され、鍛え上げられた刃鋼( ハガネ )なのだから。










最終更新:2009年02月18日 02:01
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