皇帝陛下の飛行隊

(投稿者:神父)


水メタノール噴射装置を全力で稼動させ、ロッサが最寄の野戦病院の目の前に強行着陸した時、イェリコはすでに死んでいた。
いや、少なくとも、野戦病院の医師の見立てでは何時間も前に死んでいて当然だった。
幸運にもその場にサイラスと名乗る半亜人の医療MAIDがいたおかげで彼女はとりあえず生命の危機を脱し、
また狭苦しいロッサのMe110ではなく真っ当な輸送機であるSi43で後送される事となった。
ロッサが聞いたところによると、サイラスは半亜人であるために白眼視され、前線の野戦病院をたらい回しにされていたらしい。
……ちなみに、彼をデートに誘おうという試みはあえなく失敗した。



一週間後。
帝都ニーベルンゲ、SS本部に程近い軍病院の一室で、イェリコはベッドに拘束されていた。
ただ全身を包帯でがんじがらめにされていただけではない。
ベッドの上に、見た目はささやかだが効果的にベルトが張り渡され、また部屋の前に護衛と称して兵士が立っているのだ。
病院を抜け出したイェリコが前線で重傷を負って戻ってきたという報告を受けたエントリヒ皇帝直々の命令であった。

意識を取り戻した彼女は、無論の事、激怒した。
部屋を訪れる者を誰彼構わず怒鳴り、罵倒し、呪いの言葉を浴びせかけ、良識ある紳士淑女ならば耳を覆うような罵詈雑言を投げつけた。
しかし、勇敢な医師の一人がこれは皇帝の命令なのだと伝えると、彼女は歯軋りをしながらもおとなしくなった。
それでも医師たちは腫れ物を扱うように―――実際、イェリコの身体は腫れ物などよりはるかにひどい状態だった―――彼女を扱った。

「はあーい、イェリコ、相変わらずいらいらしてる?」
「……ロッサか。こんなところで油を売っている暇があったらとっとと出撃しろ」

ワイン片手に病室に現れたロッサに、イェリコはうんざりだと言わんばかりの目を向けた。

「リスチアの女は恋のために戦うのよ。無粋な命令なんて知った事じゃ……あ、ちょっと、冗談だってば。そんな目で見ないで」
「……」

イェリコの左目がぞっとするような殺気を放ったのを見て取り、ロッサが手を振って先の発言を打ち消した。
ちなみに何年も前に潰された右目はいつもの黒い眼帯ではなく、頭の怪我と一緒に清潔な包帯で覆われている。

「そんな事よりね、今日は皇帝が来るらしいわよ。そんなに殺気だってたらまずいんじゃない?」
「陛下がおいでになるのか。たかが一人のMAIDを見舞って頂かなくともよかろうにな」
「あのねえ、あなた自分じゃわかってないでしょ」
「何がだ」
「あなた、馬鹿みたいに出撃しまくってるからスコアが積み上がっちゃってるのよ。私も見せてもらったけど、ちょっと信じられないくらい」
「それがどうした? ジークフリートは私の上を行くぞ」
「あなただって充分に守護女神のあだ名に値するって事よ。こっちに全然戻ってこないから誰もあなたを知らないだけでね」
「女神だと?」

イェリコの顔が―――と言っても包帯に大半を覆われているためにわかりにくいが―――侮蔑されたかのような表情を浮かべた。

「なに、文句でもあるの?」
「守護女神だろうが糞女神だろうが下らんあだ名なぞいるか。そんな事よりこの忌々しいベッドから出せ」
「お医者様方は全治一ヶ月って言ってるわよ。おとなしく寝てなさいな」
「一ヶ月だと!? 冗談ではない、戦争が終わってしまうぞ、阿呆!」
「戦争が終わるってのは流石にないんじゃないかと思うけど。まあ一ヶ月より先に脱走するんでしょうねえ、あなたの事だし」
「……ふん、わかってるじゃないか」
「別に私は止めないけどね。いい加減付き合いも長いし……でも、皇帝にはちゃんと挨拶するのよ?」
「馬鹿にしてくれるな、私とてその程度の礼儀は心得ている」
「ホントかしらねえ。……あ、そういえば新聞にあなたの事が出てたわよ」
「新聞?」

ロッサが折り畳んで上着の内ポケットにしまっておいた新聞紙を引き抜いて示した。

「帝都栄光新聞……私に言わせてもらえば三流のタブロイド誌ね。控えめに言っても不愉快だと思うけど、読む?」
「ああ」

包帯と添え木で固められた左腕を無理矢理伸ばし、ロッサの手から記事を受け取る。
しばらくイェリコの左目が大判の写真を見つめ、それからタイプライタのキャリッジのごとく左右に忙しく動き始めた。
一週間前の日付が記された記事にはこうあった―――

1945年3月18日

   SS飛行隊長、重傷

 昨日未明よりグロースヴァント方面において行方不明となっていた帝都防空飛行隊長MAID、イェリコが発見された。
 同MAIDは無断での単独出撃後、Gとの戦闘で撃墜された模様であり、現在昏睡状態にある。
 関係者によれば、己の実力も顧みずに無理な出撃を繰り返していたために疲労が溜まっていたのではないかという。
 ジークフリートのような超越的なMAIDならばともかく、一介の空戦MAIDが己の身も弁えずにかくなる行いに走った事は非常に遺憾である。
 そもそも、かようなMAIDが一部隊の指揮を担うなどという事がなければこのような事件は起きなかったのではないか。
 同飛行隊設立に関わった関係諸氏の責任が問われるだろう。

ここまで読んだところで、イェリコは新聞を放り出した。

両生類(エテルネーア)の糞をかき集めた値打ちしかない」
「だから不愉快だって言ったじゃないの。……って、あなたエテルネ人嫌いだったの? すごい言いようね、今の」
「非常時でもないのにカエルだのカタツムリだのを食う連中を好きになれる方法を教えてくれ」
「……あなたがジョーヌのお仲間に近付かない理由がよーくわかったわ」

ロッサは肩をすくめ、新聞紙を元通りにしまい込んだ。

「それはともかく……ひどいな、これは。『無断での単独出撃』から後ろは全部大嘘ではないか」
「写真もひどいわねえ。よりによって担架で運ばれるところを選ぶなんて……いつ撮影されたのか気付かなかったわ」

包帯の隙間から覗くイェリコの唇がにやりとつり上がった。

「そうか? 写真はなかなか悪くないぞ。まるで死亡記事に見える」
「……イェリコ、あなたとの付き合いも結構長いけどね、たまにあなたの事がわからなくなるわ」
「ふふん。……そういえば、あの軍事なんとか……あれについて資料をよこしてもらったんだがな、あれは正真正銘の屑だな」
「黒旗ね。軍事正常化委員会なんて長ったらしい名前を覚えようとするよりそっちで呼んだ方がいいんじゃない?」
「黒旗などと格好をつけた名前よりも『軍事なんたら』といい加減に呼んでやった方が奴らにとって屈辱的でいいではないか」
「……あ、そう。よっぽど恨んでるのねえ」
「当然だろうが!」

イェリコが拳を振り下ろした。添え木がベッドの熔接鋼管のフレームにぶつかり、耳障りな音を立てる。

「奴らは既に私を一週間もベッドに縛り付けているのだぞ! これが恨まずにいられるか……くそっ、退院許可はどうしようもないのか?」
「だから無理だって言ったじゃない。ま、その代わりに色々としてもらえるし……たまには女の子らしい事でもしたら?」
「例えば?」
「せっかく帝都にいるんだし、料理やお菓子を取り寄せてもらうとか……服とか宝石を買うとか……ええと……」

イェリコを見つつ指折り数えていたロッサが肩をすくめ、両手を挙げた。

「……あなたがそんな事するなんて天地がひっくり返ってもありえないわね」
「同感だ」
「ま、ともかく、これ以降はちゃんと誰かを連れて行く事ね。腹背から撃たれたら今度こそ殺されるわよ、あなた」
「駄目だ」

ロッサの無難な提案を、イェリコは一言で切って捨てた。

「なんでよ?」
「私の問題に大事な隊員を巻き込むわけにはいかん。……エリノルと同じ目に遭わせたくはない」
「……」

二人は、愛想はなかったが生真面目でよく気のつくMAIDの事を思い出していた。

「エリノルは奴らの言う『特定』には該当していなかった。フォイゲヴュストの飛行装備を与えられていただけでな。
 ……だが、私の後ろを飛んでいたために巻き込まれた」
「あの連中の事だから、最後には難癖つけて私たちみんなを殺そうとするんじゃない?」
「それは仮定に過ぎん。とにかく、隊長として私は貴様らをこれ以上の危険に曝すわけにはいかん……絶対にだ」
「……そうやって、何もかもを背負い込むのね」

ロッサが口の中で呟いた最後の一言は、イェリコに聞きとがめられる事はなく、それきり黒旗の話は打ち切られた。
ワインはどこに置いたらいい、私は飲まないからいらん、などというやり取りをしていると、にわかに廊下が騒がしくなった。
興奮気味の高い声と、無闇に重々しく響く声が交互に聞こえ、その背景に何かを懇願するような調子の声が混じる。

「どうやら、お出ましのようね」

ロッサが上着を直し、イェリコもベッドの上でできる限り姿勢を良くする。
廊下に立った護衛の兵士が半ば裏返った声で「勝利万歳( ジークハイル )!」と叫ぶのが聞こえ、二人は訪問者に備えた。



「ジークハイル」
「ジークハイル。……お見苦しいところを失礼致します、陛下」

扉を開けて現れたエントリヒ皇帝に、イェリコとロッサが腕を掲げて敬礼する。
筋肉があちこちで断裂しているにもかかわらず、イェリコは真っ直ぐに腕を突き上げて見せた。
堂々たる体格に覇者の威厳を漂わせた皇帝は、答礼するとさりげない身振りで従者を退出させた。

「ジーク・ハイル。……構わぬ、楽にせよ」
「はっ」

そう答えたものの、イェリコは緊張を解こうとはしない。ロッサはその様子を横目で眺め、微かに肩をすくめた。
と、皇帝の背後からレイリがひょいと顔を出し、手を振った。先ほどの声の片割れは彼女だったのだ。

「やほ、隊長、お見舞いに来たよー」

唐突に現れ、しかも皇帝に対して敬意の欠片も見られないこの態度である。
イェリコが目をむき、激しく罵倒しようとして目の前の皇帝の存在を思い出し、呪いの言葉を飲み込もうとして目を白黒させた。

「……ッ、こ……この……皇帝陛下の御前で何をしているか!」
「別になんにも? ねー、陛下ー」

激烈なボディ・ブロウを叩き込まれたかのようにイェリコが吹き出した。
事もあろうに「ねー、陛下ー」とは、世界最強の陸軍国の独裁者に向かってなんたる所業か。
……しかし軽薄なレイリの態度に、皇帝はイェリコも予想だにしていなかった行動に出た。

「ねー」

重々しく、威厳を漂わせ、重ねてきた年齢と労苦を偲ばせる声でこう言ったのだ。
イェリコは対空ロケット( オルカン )をまともに浴びせられたような気がした。

「へ……陛下……陛下、なんという事を……」
「ちょっとイェリコ、そんながっかりしなくたって。……あなた、陛下に随分と幻想を抱いてたのねえ」
「幻想とはなんだ、幻想とは! 為政者として当然あるべき姿を―――」
「うむ、ちょっとした冗談のつもりだったのだが。そうまで衝撃を受けるとは、悪い事をした……」
「……い、いえ、そのような事は」
「ならば良いが……」

と、そこまで来て、ロッサがレイリに歩み寄って何事かを耳打ちした。
レイリはこっくりと頷くと、「じゃ、アタシはこれで。ジークハイル!」と元気よく、しかしいい加減な敬礼をして出て行った。
と同時に、ロッサが皇帝の手にワインのボトルを押し付けた。

「それでは陛下、よそ者は退散しますので、愛娘との交流を深めてくださいな。
 ……これで景気づけなんかいいですよ。リスチアから取り寄せたワインなんですけど」
「ふうむ……」

皇帝は曖昧な返事をし、イェリコがロッサの間接的な冷やかしに対する適当な返答を思いつかないうちに、ロッサは退出してしまった。
一応「ジークハイル」とやってはいるが、レイリ以上におざなりな手つきである。
イェリコはしばし苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、ややあってベッドの横に陣取った皇帝に弁解した。

「申し訳ございません、陛下。部下の教育が足りないばかりにあのような粗相を」
「よいよい……MAIDとは総じてああいったものだ。特に、あの二人は国外の出身である事も鑑みればな」
「はあ」
「そのような些事よりも……イェリコよ、この度は容易ならざる事態に巻き込まれてしまったな」
「……はい」
「わしに何か……できる事はないか?」

イェリコはしばし皇帝を見つめ、ややあってから窓の外に視線を転じた。
皇帝は辛抱強く待ち、彼女は一分ほどで口を開く気になった。

「陛下。私に任されている部隊に、死者が出ていた事はご存知ですか」
「知っておる」
「エリノル……彼女は私の僚友でした。昨年、あの連中に撃墜されるまでは。
 もし彼女が生きていれば私も背後を安心して任せる事ができ、こうしてベッドになど寝てはいなかったはずです」
「……」
「しかし彼女は死に、100名からの兵士が惨殺され、そして私はこうしてベッドに横たわっている。
 ……彼らが決起したがために」
「軍事正常化委員会……彼奴らの問題については、わしも頭を痛めておる……」
「陛下、それだけなのですか?」
「なに?」

窓に映る灰色の空を見つめていたイェリコが、皇帝を振り返った。

「そもそも彼らの決起は、陛下の演説がきっかけです。何故あのような事を言ったのです?
 ジークフリート……陛下が彼女を娘のように愛している事は周知の事実です。しかし、だからと言って公私を取り違えてよいなどという事にはなりえない」
「それは違う。彼奴らはわしが演壇に立つより以前から暗殺を繰り返しておったのだ」
「陛下は、自らのお言葉に責任を持たれないと仰るのか!」

突然に、イェリコが吼えた。怪我人とは思えないほどの、裂帛の咆哮であった。
だが皇帝も伊達に歳を重ねているわけではなく、この程度の事では動じなかった。

「彼奴らはわしの言葉を、自らに都合のよいように捻じ曲げたのだ」
「そうではない! ……曲解されようとなんだろうと、陛下のお言葉はご自身の責任に帰するものです。
 だというのに、『頭を痛めている』だけと? MAIDを不幸に云々と仰るが、そもそもの元凶は陛下ではないか!」
「わしも可能な限りで―――」
「陛下、どうか話を続けさせて頂きたい。
 ……我々MAIDは、兵器です。兵器には人間とは異なる、兵器としての幸福というものがあります。
 指揮者に尽くし、敵を打ち倒し、味方を守り、可能であればその寿命を全うする、それが我々の幸福です。
 しかし、陛下は反逆者を作り出してしまった。我々はどうしたらいいのですか?
 本来ならばGと戦うべきMAIDが、兵士たちが……陛下の不用意な発言のために、死んでしまった」
「わしとて万能ではない。過ちを犯す事もある……」

いつになく歯切れの悪い皇帝の態度に、イェリコが激昂した。

「幾多の死者に向かって言うべき事がそれだけとは! これでは馬鹿どもが蜂起するのも当然だ!
 過ちを犯す事もある、だと!? そんな事は当たり前ではないか! 人として当たり前の言葉が、何故出てこない!?」

皇帝は虚を突かれ、しばし言葉を失った。
独裁者という立場にあっては、真っ向から怒鳴りつけられる事などまずありえない。
だが、イェリコはそれをやってのけた。それも、いまだ癒えない喉と肺を酷使して。
皇帝は膝を折って彼女の手を取り、低く、しかしはっきりと言った。

「……済まなかった。失われた命を取り戻す事はできないが……わしにできる限りの事はしよう」
「陛下……」

しばしイェリコは肩で息をしていたが、ようやく落ち着きを取り戻し、皇帝の手に握られた己の手を見つめた。

「……申し訳ありません。出すぎた事を申しました」
「いや……たとえ耳に痛かろうとも、必要な事だ。わしはむしろ、感謝しておる」
「私は、エリノルの死の所在と、100名の兵士を衝動的に殺してしまった事で動揺していたのです。かくも無礼な態度を……」
「構わぬ、わしがやらねばならぬ事を教えてくれたのだからな。イェリコよ、他に望みはないものか?」
「望み……」

即座に思い浮かんだのは、紛失した義足と破損した義翼、そして持ち帰ったはいいが使い物にならなくなっていた高射砲の事だった。

「……申し上げにくいのですが、先日の件で陛下より賜った兵器を喪失してしまいました。代わるべきものを賜りたく存じます」
「それは無論だ。この度の事件を受け、そなたにより適した兵器を用意させておる」
「新兵器! ……あ、いえ、失礼しました。それは、いつ頃仕上がるのでしょうか?」
「おおむね一ヶ月後となる。それまで出撃してはならぬ」

大きな期待にささやかな胸を膨らませ、目を輝かせていたイェリコの肩が、がっくりと下がった。
皇帝はどうあっても彼女の負傷を完全に治したいらしい。……常識的に考えれば、そうあって然るべきなのだが。

「一ヶ月……一ヶ月もの間、私は何をしていればよいのか……ああ、硝煙が恋しい」
「もっと己の身体を大切にする事だ、イェリコよ。そなたも言ったではないか、可能であれば寿命を全うする、と」
「しかし、敵を打ち倒せていないのではまるで話にならないではありませんか!」
「案ずる事はない、そなたは充分すぎるほど戦果を挙げておる。わしも目の玉が飛び出すかと思うたぞ。
 イェリコよ、他に何か、望みはないか? ……もっとこう、わしが親身になってできるような事は?」
「……」

イェリコは再び考え込んだ。退院期限を短縮しろ、などというのは論外だろう。
生まれてこの方、即物的な頼みしかした事がない彼女にとって、皇帝の問いはかなりの難題と言えた。
しかし彼女は不意に自身の心中の望みに気がつき、そして皇帝の視線を避けるように俯いて言った。

「では、陛下……このまま、しばしの間、私にお付き合い頂きたく……」

年老いて骨張った皇帝の指に、包帯を巻かれた指先が絡まった。
彼女の細い指は鋼鉄の強さを秘めていたが、今はただ、一人の娘のしなやかな指であった。
―――帝都ニーベルンゲの空は相変わらず鈍色をしていたが、寒気の中にも、春の足音は確実に近付きつつあった。









最終更新:2009年02月19日 23:05
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