Chapter 8-2 : 凶弾、降り注ぐ

(投稿者:怨是)



 1944年7月19日。
 軍事正常化委員会の蜂起より一週間。
 漆黒を纏った旗はメディアにおいても大々的に報道され、にわかに“黒旗”という呼び名が帝国内で飛び交うようになる。

 かの鋼の大蛇――ライオス・シュミットをはじめとする多くの兵士が皇室親衛隊を離れ、続々と軍事正常化委員会へと身を移した。
 この離反者たちは歓声を以って迎え入れられる。“黒旗”という俗称で呼ばれはじめたこの組織において、彼らは貴重な人材である。

 しかし、正義の代行者を自称する彼らが正規軍の殻を破って流れ出た影響は、少なくないものであった。
 曖昧ながら存在していた正義の枠組みは内外から破壊しつくされ、このグレートウォールに氷の視線が交錯し始める。


 塹壕で部下達と共に通信機に耳を傾けるこの士官も、その氷の視線を持つ兵士の一人である。
 この士官は特定MAIDと呼ばれる存在をこの世から抹消すべく、まずはさしたる戦果を挙げていない者から叩き潰すという作戦を立てていた。

 現在の彼らの目標は試作型兵器を装備したMAID――試作型兵器はコア・エネルギーに大きく依存している為、特定MAIDと呼称される――と、その教育担当官。
 なるべくは相手の良心に任せ、穏便に事を済ませたい。
 多少の説得を用いれば、きっとこちらの意図を理解してくれるに違いないのだ。
 通信機のピープ音が、いよいよその対話の時間がやって来た事を知らせる。

《マクレーヴィヒだ。目標がポイントLに入ったぜ》

「ご協力感謝します。しかし、貴殿も大変ですな。署長が自殺するとは」

 通信相手はパウル・マクレーヴィヒ。秘密警察の職員が、協力を申し出たのだ。
 彼ら秘密警察もまた、軍事正常化委員会の蜂起による波乱が巻き起こっていた。
 何故監視できなかったのか、こういう事態を防ぐのも秘密警察ではないかなどといった苛烈な追求に堪えかね、署長は自殺した。
 署長によるある程度の抑止力は自殺によって取り外され、その隙を狙った職員、そして軍事正常化委員会とが連絡を取り合う。

 一方では出すぎた杭を叩き潰す事に加担していながら、もう一方では同じ穴の狢をも叩き潰さんとする。
 秘密警察にとっては、軍事正常化委員会も立派な“出すぎた杭”であり、国家に仇為すクーデター集団である。
 互いに敵対組織でありながら、同じ志を持つ“善良な人間同士”が“協力”しあうといった、複雑怪奇の様相を呈していた。

《何ァに、おかげで副業がやりやすくなった。報酬の相談があるから、ひと仕事終えたらまた連絡くれよ。
 俺はあんたら黒旗には期待してるぜ。何せ商売の邪魔になる奴らを片っ端から、えっと……そうだ、削除してくれるんだからな》

「楽しみにしていてください。では、通信を終了します」


 確かにこの士官にもクーデター集団という事実は自覚していたが、マクレーヴィヒのように即物的な思想で加担する人間をどうしても許すことができなかった。
 士官は、先ほどまでランプを点滅させていた通信機を憎憎しげに凝視する。

「俗物が……皮算用が済む前に削除してくれる」

 吐き捨てた怨嗟の言葉は誰に届くともなく、グレートウォールの鬱蒼と生い茂る樹木へと吸い込まれる。
 是非も善悪も吸い込む木々が、涼しい表情でこちらに「削除したければ、したらどうだい」と投げかける。
 黒旗――志を高く持つ者達はその呼び名を嫌うが――の面々はその胸中に暗澹たる憎悪を灯し、ポイントLへと行軍を始める。
 蝉の鳴き声が反響する中、黒い腕章を照らす赤い丸十字が、ゆらゆらと揺れた。

 数百本もの木々を横目に流した頃には、ポイントLに引っかかった特定MAIDの教育担当官やその部下達が、こちらで用意していたGの死骸に足を止められていた。
 もう一つの目標となる特定MAIDは今のところ、遠くで休憩を取っているようだった。
 白銀の長い武器を足元に置き、こちらの気配に気付いて視線を担当官とこちらとに交互に動かしている。
 さて、対話を始めよう。きっと相手は理解してくれる。この世界をより良いものとする為に、共に思慮深き存在となろう。


「作戦活動中失礼。我々は軍事正常化委員会です。貴殿の担当MAIDの修正を提案したいのですが」

「……誰かと思ったら黒旗かよ。修正とか云われてもなぁ。俺らに解る言葉で説明してくれねぇと」

 不躾な反応に思考が凍て付く。担当官の部下らも下衆な笑いが漏れてきた。
 こちらを完全に馬鹿にしてはいないか。檻の向こうから珍獣を眺めるような眼差しではないか。

 馬鹿が。我々は猛獣だ。
 貴様らの歪んだ自尊心に容赦なく噛み付き、それらを喰い殺す黒豹だ。むきになった士官の語気が、少し荒む。

「MAIDの所持している試作型兵器を破棄してもらうだけでいい。代替兵装はこちらで用意している」

 人間が使用する事を初めから放棄したような技術が、今後の戦争を長期化させる。
 Gを根絶したその時、MAID世界大戦は避けられ得ぬものとなる。
 コア・エネルギーに大きく依存した兵器が出回れば、破壊力の大きい武器による戦争がまかり通り、被害は甚大なものとなる。
 そうなる前に悪しき技術を封印するのが、軍事正常化委員会の志ではないか。

 丸腰で戦えとは決して云わない。
 MAIDはあくまで“守護者”として存在すべきであって、積極的攻勢に出る“侵略者”であってはならない。
 しかし、目の前の男達はそのような事は考えても居ないようで、侮蔑の笑いを浮かべつつこちらの姿勢を真っ向から否定する。

「はッ、しゃらくせぇや! 帰れよ癇癪野郎共。こちとらタダで武器貰ってるワケじゃねぇんだ。
 ここらで戦果を挙げりゃあ、明日か明後日には量産化の話が付くってェ寸法よ。町工場も粋な武器をくれたもんだぜ」

 相手の笑い声に、こちらまで笑いが止まらなくなる。
 口を開けば金の話ばかり。確かに士官の身内――軍事正常化委員会の構成員にもそのような人間は多分に居る。
 が、士官は行く行くはそういった手合いも全て“削除”する予定である。
 目の前の男達も、結局は目先の即物的な欲求に付き従うクズであり、高尚な考え方を決して理解しようとしない、見下げ果てたクズである。

「見下げ果てたものだ。世界の行く末よりも目先の手柄か……」

 士官の笑いは急激に絶対零度の低温を伴い始め、それと反比例して胸中の憎悪は沸点を超えて蒸気へと変わる。
 部下達に目配せし、目の前のクズを徹底的に掃除してやろうと手で“削除”の合図を行う。
 手の甲が内側なるように左手を裏返し、右手で左手指先から腕に向けて二回擦る。
 金属音が一斉に周囲の空気に楔を差込み、殺気が爆発した。


「現時点を以って貴殿の削除が決定された。もはや頭を下げてもこの刃は止まらん……死して悔い改めよ!」

「げッ――!」

 まずは五発。目の前の担当官は目と鼻と口と耳に銃弾を詰め込まれながら、回転して地面に倒れる。
 ぐしゃぐしゃに吹き飛ばされたその男の顔をブーツで踏み潰しつつ、士官は次の目標を探す。
 休憩中だったあのMAIDはどこだ。逃げた男達も遠くまで行っていない。
 眼前の塵を全て焼き尽くさねば、軍事正常化委員会の怒りは収まらぬ。

「協力者も同罪である! 完膚なきまでに叩き潰せ!」


 焼けろ焼けろ、全てよ焼けろ。
 一人、また一人と敵兵は凶弾に倒れ、残り僅かといった具合である。
 行方を眩ませたあの特定MAIDも叩き潰し、偉大なるグレートウォールの生贄に捧げてやろうか。
 ふと、別働隊からの通信が今回の仕事場の充実ぶりを伝えた。

《こちら221分隊。追加目標“鎖姫”を発見せり。南方、距離1200。なお、目標はGと戦闘中》

「ロケット無反動砲・ネーヴェルベルファーの使用を許可する。
 私利私欲の権化に騎士道を嘯く権利など無い。害虫もろとも葬り去ってやれ」

 “鎖姫”――スィルトネート。かのギーレン宰相の護衛を務め、騎士道を語るMAIDだったか。
 軍事正常化委員会の蜂起による戦況の荒れ模様を監視、抑制すべくグレートウォールに派遣されたという。
 彼女がギーレンと親衛隊長官たるテオバルト・ベルクマン上級大将との極秘計画によって生まれたという情報を元公安部隊より知らされた今。
 ただでさえ信用に足らぬ彼女をのうのうと生き延びさせる事を、この場の、軍事正常化委員会の誰が許すだろうか。
 政治の場に参加している彼女も、有害な示威行為そのものであると、この士官は睨んでいた。

 騎士道仲間のライオス・シュミット少佐とは随分と違うではないか。どうせならシュミットが彼女を撃ち殺せば良いのだ。
 さすれば騎士道が何たるかを教える事とて出来ようという物ではないか。
 されども彼は帝都で任務中。

 ならばいっそ、我ら軍事正常化委員会はあの鎖姫に“冥土の土産”すら持たせずに死の宣告を突きつけてやろうか。
 貴様には騎士道を教える価値すらないと、魔女狩りの如く焼き殺してやろうか。
 なるほど、我ながらに良い方向へと思考が纏まった。士官の表情が俄かに笑みへと変わる。

 周囲の空気が爆風に染まる。凝視していた南方からは、煙が立ち上っていた。
 願わくばあの煙が“鎖姫”を取り殺さん事を。


《ロケット命中。しかし、目標削除ならず! 樹木に隠れてやりすごした模様! 第二波を用意しますか》

 されども現実がその願いを阻む。大爆発は皮肉にも、グレートウォールの木々が軽減してしまっていたのだ。
 なるほど、上から打ち込んでも狙いは定められるが、木々が壁となるか。

「いや、物資は限られている……あまり乱発は出来ん。“アレ”を向かわせよう。ザンベンドルフ中佐の許可も出た」

《了解。手配します》



 壁は壊すものではなく、潜り抜けるものである。
 元国防陸軍のミヒャエル・ザンベンドルフ中佐が丹精を込めて育て上げてきた、灰色の少女達を向かわせよう。
 壁の隙間から放たれる凶弾ほど、おぞましいものは存在しないのだから。

 ――自覚無き異端者共よ、思い知れ。これこそがMAIDの在るべき姿だ。

グラォシュミーデン隊、行動を開始せよ!」









「――?!」

 スィルトネートは一瞬、何が起こったか理解できずにいた。
 六発のロケット弾頭が頭上を飛来し、こちらをめがけて放物線を描いてきたのだ。
 着弾したロケットが瞬く間に炎と煙を生み出し、焦げた臭気で視界を真紅と暗灰色に染め上げる。

 はじめのうちは味方の誤射かと思ったが、そうであれば殺気はGへと向けられていた筈である。
 明らかにこのロケットに乗せられた殺気は“スィルトネート、そしてG”という方向性のものではないか。
 焼けて甲高い破裂音を放つ周囲の木々と、体液を沸騰させてのた打ち回るG達に眉をひそめながら、思考を逡巡させる。

 軍事正常化委員会の蜂起から一週間。今まで直接的な攻撃は無かった。
 もしや、とうとう始まってしまったのだろうか。

「方角は北からで……次のが来る気配は今のところ無し、と……」

 確実にこちらを狙っているという予想が正しければ、あちらは既に倒したと考えているのか。
 さもなくば、貴重な資源を消費するまいとして、別の手段を講じるつもりか。
 答えは、後者だった。
 何かに追われるようにこちらへ駆けつけるMAIDが、それを証明していた。

「スィルトネート様! 奴らが、黒旗が――……」

 報告と、助けを求める焦燥とが入り混じった叫び声は、幾重にも積み重ねられた銃声の和音に捻り潰される。
 悲鳴の途切れたMAIDは数十発もの9mm弾丸で体中に穴を開けられ、即座に絶命したのだ。
 スィルトネートは煙の奥から視線を感じ、すぐさま木々の背へと身を隠した。

 戦友の一人を守りきれなかったショックと、煙に入り混じる殺意への恐怖が、心臓を強くノックする。
 生半可な逆恨みによって生まれるような類の殺意ではない。
 へどろのようにこびり付いて離れない――自分達MAIDの多くがGに抱くような、冷徹で明確な殺意ではないか。
 文字通りのスモークで視界が遮られているにも関わらず、軽機関銃が怒号を立てる。
 理屈では到底証明できないような、命中率を一切無視した殺意が凶弾となって周囲の木々を削る。

「通信で助けを呼ばないと……!」

 通信機のチャンネルを合わせ、連絡を試みる。
 情けの無い話だ。こういう事態を未然に防ぐ為に監視を引きうけ、戦場の方々へと赴き状況確認を行うつもりだったというに。
 こうして敵対勢力の暴挙を許し、あまつさえ数ヶ月前に生まれたばかりのMAIDが死ぬ瞬間を、黙って見ているしか出来なかった。
 スィルトネートは未だに続く銃声が少しずつ接近してきている事を察し、次の木へと飛び込む。
 もう少しで煙が無くなってしまう。視界を遮るものが無くなれば、見えない敵達の銃声がこちらを容赦なく喰らい潰すに違いない。

「どこかへ走って合流すべきか、いや……相手はGじゃない……」

 相手はGではない。銃を持つ兵士である。
 その事が何を意味しているのか、遠距離戦闘適性皆無のスィルトネートは常識として以上に、経験から実感していた。
 何度か演習で模擬弾を相手にした彼女としては、この剣呑な機関銃の集まりを無闇に友軍に近づければ危険だと判断する。

 事前連絡で「機関銃を持った相手がそちらへ向かう」と云えば、友軍も対処しようがある。
 しかし、何ら連絡も無い状態なら、友軍が即座に敵対勢力に対抗する事は不可能に等しい。
 結果“突如として機関銃を持った集団に襲撃された”形となり、対処する前に被る損害は甚大なものになるまいか。

 更に相手の姿すら確認できていない。敵の具体的な容姿をこの目に収めて置かねば、通信内容もそれだけ“精細を欠く”ものとなる。
 まずは連絡を諦め、両手に構えた鎖付き短剣“グレイプニール”を強く握る。
 煙の中に闇雲に叩き込んでいるという事は、即ち目標の撃破を確認できていないという考え方も出来る。
 あの兵士らがどれだけ憎しみを持っていようとも、限りある銃弾を無益に垂れ流すような愚行まではするまい。
 一瞬の隙を突いて、鎖で動きを封じよう。





 ――銃声が止んだ瞬間に飛び出せば、煙の中から顔の無い兵士達が行軍していた。

「あなた、達は……」

 重たげな金属のフリッツヘルム、無骨なフェイスガード。
 防弾アーマーを胴に纏い、手には短機関銃。
 何よりスィルトネートの思考を凍て付かせたのは、鈍い灰色の制服だった。
 ジークフリートのそれを模したようなワンピース型の、肩部分の大きいそれは、まるで――

「MAID……?」

 即座に思考を解凍し、全速力で斜面を下る。
 勝てるはずも無い。相手は十数人ものMAIDではないか。

 冷静に考えれば、多くのMAIDの短機関銃ならば骨も肉も瞬く間に砕け散るかもしれなかった。
 しかしスィルトネートの思考はそこまで辿り着かない。
 今までMAIDが人に武器を向けた場面になど、一度とて巡り合わせた事が無い。
 それに、MAIDのコア・エネルギーが武器へ及ぼす作用には個体差もあるし、出力の弱い者の銃弾がさしたる威力を発揮しない事実だけは知っていた。

 彼女らが何者なのかは解らない。
 震える視界を通信機へと射止め、震える指でボタンを押す。

「こちら、こちらスィルトネート! 正体不明のMAID部隊に遭遇! 分隊規模! 武器は短機関銃! 救援を!」

《ランスロット隊了解! 黒旗の連中だな》

「ええ、間違いありません! 外見はグレーの! ジークフリートの、ような――」

 そこまで云いかけて、視界が前転する。
 何かに足を引っ掛けた事に気づいた瞬間には、既に背骨の軋むような感覚に身を捩じらせていた。
 逃げろ、逃げろ、逃げろ。
 思考だけが空中で足を回転させる。
 木々を踏みにじる軍靴の音が、鼓膜を突き刺す。



最終更新:2009年02月25日 01:55
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