Chapter 10-5 : 憎悪は業火となりて

(投稿者:怨是)



 ライールブルクまでは、高速道路を用いる。
 作戦立案当初は列車での移動も考案されたが、途中のトンネルが封鎖されており、突入には時間を要するのだ。
 帝都の煉瓦造りの建物はあっという間に遥か後方へと追いやられてしまった。


 ――1944年8月14日、夕刻。
 痺れを切らしたギーレンの鶴の一声により、予定よりも二週間早めての強行査察となった。
 否、査察という名目によるスィルトネート救出作戦であり、軍事正常化委員会に対する徹底的な武力弾圧である。
 すなわち、平和を乱す存在の排除であり、削除であり、駆除であり、掃除である。

 ギーレン宰相の人生における辞書からの削除である。
 次に、害虫と形容する事すらおこがましい下衆共の駆除でもあり。
 そしてまた、掃き溜めを埋め尽くす夥しい数の塵達の掃除でもある。
 総括すればそれはおおよそ、帝国からの“排除”という言葉に帰結する。


 張り詰めた空気の中、先頭車両の荷台にて、メディシスジークフリートが睨み合っていた。
 ……否、正確には睨み合うというよりも、メディシスが一方的に睨んでいる状況に近かった。
 端に座るドルヒは、そのぶつかり合う空気の中で我関せずといった風に、楼蘭皇国から輸入した柑橘類を頬張る。
 木々が次々と過ぎ去って行くにつれ、メディシスの喉元で圧縮された空気が自身の上顎を突く。

「――貴女という人が居ながら、何故スィルトネートを助けなかったのですか」

 聞いた話に拠ればジークフリートはスィルトネートが拉致された地点のすぐ近くに居たという。
 しかし、Gとの戦闘を放棄する訳にも行かず、騒動の一部始終をただ眺めるだけに終わったのだ。
 メディシスはかつての友を見殺し――死んではいないと思いたいが――にしたジークを、きっと睨みつける。
 呵責に耐え切れなくなったジークは、緩慢な首の動きでその視線を逸らした。

「ほら、黙らない! きちんと仰いなさい! その戦線を放棄してはならない理由があったのですか!
 誰かに命令されていたのですか? どうなのですか!」

「……」

 あの帝都栄光新聞の戯言じみた記事を信じようと思うつもりは、メディシスには毛頭ない。
 しかし、真偽の程はともかくそのようなものを目の当たりにしてしまうと、その情報が心の隅に居座ってしまう。
 本当に陵辱を受けていたらどうしよう。拷問されていたら?
 MAIDが生まれて間もない頃、その能力を疑問視した一部の軍隊は慰安婦として用いたという。
 MAIDの体力はそこそこ高く、そして妊娠もしない。だとしたら、まさか。
 あの黒旗がスィルトネートに何かしていないという保障はどこにも無いのだ。
 親友の時だけ白々しいと云われようが、ジークフリートに問い質さずにはいられなかった。

「……どうして黙りますの!」 

「そこの暗黒ドリル頭。私語は慎め。ジークフリートはスィルトネートが無事に生還できると踏んで、敢えて助けなかったのだ。
 褒め称えられこそすれど、責め立てられる理由は何一つ無い。それより武器の手入れでもしたらどうだ」

「ジークフリートの今後の作戦展開に悪影響が出たらどうしてくれるんだい?」

 運転手と助手席の男がそれぞれメディシスを叱責する。
 スィルトネートが無事に生還できるだのと、随分と無茶苦茶な理論ではないか。
 一対多数の戦闘で、かつ相手が飛び道具を持っていたら勝てる道理はどこにもない。
 単純な筋力だけで計算するにしても、あまりにお粗末などんぶり勘定だった。
 この運転手達が、全てのMAIDに対して尊敬の念を抱いていたならどれほど良かったか。

「あら、ごめんあそばせ。皆様があまりに軟弱だったもので、つい。おほほ……」

「俺達は俺達の仕事をしてたんだ。あとジークフリートは軟弱じゃないよ」

「軟弱じゃないな。よく頑張ってらっしゃる」

 ――私が指摘したのは、お前らの“軟弱な脳ミソ”だ。
 拳を震わせて胸中で毒づく。口に出して云えばその場で降ろされかねないために避けたが、唇に歯が食い込んでしまう程度には釈然としない感情が残る。

「ちッ……揃いも揃ってジークジークと……」

「僻み根性大爆発ですね。みかんうめぇ」

 結局、我慢できずに小声で毒づいてしまい、そこにドルヒが茶々を入れる。
 僻み根性大爆発とは云ってくれる。どこが僻みか。
 出来た筈の事をやらず、その結果として友人を窮地に陥らせた事を指摘しただけだ。そのどこが僻み根性大爆発と形容されるか。

「僻み……ですって?」

「少なくとも私にはそう見えましたけど? ああ違いました? いやはや、これは失礼致しましたマドモアゼル。はい笑って笑って」

「……」

「“ほら、黙らない! きちんと仰いなサイ!”……物真似してみました。私はときどき恐ろしくなりますよ。自分の物真似の才能が」

 何を云っているのか。
 彼女の物真似は、アクセントの一つに至るまで完全におちょくっていた。
 時々、と云うよりは、ドルヒと会う度に彼女が何を考えているのかよく解らなくなる。
 無表情のままで人を小ばかにした態度を取り続けるのだ。彼女の能力は未知数であり、実際に戦っている所を見たことは無い。

 それにしてもその小さな身体で何が出来るというのか。
 メディシスにしてみれば彼女が腰に下げているいかついナイフも巨大な拳銃も、ただの見栄に過ぎない。
 質実剛健を重んじるテオバルト・ベルクマン長官とは中々両極端となってバランスが取れているのではないか。これはこれで。
 ただ、今は彼女の頬張っている名状し難き柑橘類が目に付く。何を暢気な。

「……」

「――あ! やめてくださいよ、何するんですか。小さい子から食べ物奪って楽しいですか。あぁ、最後の一粒だったのにッ」

 強引に取り上げ、口の中に放り込んで咀嚼する。口の中に広がるほのかな甘みと強い酸味は、なるほど柑橘類だ。
 オレンジによく似ているが、皮が柔らかい。中身の果肉も白い筋ごと食べられる辺り、オレンジよりも全体的に柔軟さがある。
 惜しむらくは、薄味すぎてフロレンツ在住のメディシスの味覚には合わない事だった。

「いけませんわ、ドルヒさん。貴女にはもっと相応しい食べ物がありますでしょう? はい」

 ふと食べ終わった後でハンカチを取り出そうとして右手に当たったホウレン草の缶詰を、ドルヒに投げ付ける。兵士達の置き土産か何かだろうか。
 丁度くぼみに挟まっていたせいで、今に至るまで誰にも気づかれないまま埃をかぶっていたのだろうそれは、触れただけで指先が茶色くなる塵芥(ちりあくた)と化していた。
 缶詰を受け取ったドルヒは忌々しげにそれを眺める。やがて賞味期限を指し示す部分をこちらに向け、困ったような笑顔を見せた。

「お嬢、ちょっと冗談キツイですね。賞味期限切れてますよコレ」

「大変結構。隅っこに置いてあった缶詰ですもの」

「おい、私語は慎めと云っただろう。ジークフリートの寡黙さを見習え」

 ――……さる哲学者は、かく語りき。
 社会的な組織を完全に漂白する事は、優れた白ペンキを以ってしても難しい。夥しい数の黒点が、白を打ち消してしまう。

 結局の所、黒旗に幼稚で無能な連中が流れ出てしまっても、こういう手合いが残ってしまう。
 完全に潔白な組織などというのは、無垢なる幻想でしかないのだ。

 往々にして無垢の象徴とされる赤子ですら、打算の為に声を上げる。
 親から愛を得るために声を上げる事と、民衆から票を得るために街宣車を走らせる事と、究極的には何が違うというのか。
 まして、子供の時代における社会構造などは――メディシスは伝聞でそれを知り得た程度だが――オブラートが存在しない分、時に大人のそれよりも残忍で無慈悲だ。
 故にいじめが起きる。そして、それを止めようとして教師が、いじめられっ子に強さを与えようと奮闘する。
 或いは無視し、或いは叱り付け、或いは喧嘩両成敗の名の元に一緒くたにしてしまう。
 大人ですら彼ら子供の社会を制御する事は叶わないし、そもそも制御できると考える事それ自体が、何よりもの傲慢だった。
 この単純な摂理に、果たしてどれ程の者が気づいているのだろうか。

 ともかく、ジークフリートの寡黙さは、褒められたものではない。
 嵐が過ぎ去るのを、座して待っているだけに過ぎないのだ。誰が何と云おうと、メディシスにはそう映った。

「あの糞眼鏡……ジークのあれは寡黙じゃなくて会話に入るタイミングを見計らってオドオドしてるだけだっての……」

「優雅な言葉遣いでいらっしゃいますね。私も見習っていいですか」

「はいはい、どうぞお構いなく」

「あ……あの……」

 おずおずと、ジークフリートが割って入る。
 スィルトネートを心配しつつドルヒの悪態に嫌気が差し、前方の運転手と助手席の男達の、いささか柔軟性の足りなさ過ぎる思考にうんざりしている最中だ。
 感傷に浸る暇も無く、しかしまた、まともに叱咤するだけの余裕はもはや失われた。

 ぶっきらぼうに目配せし、氷の視線を叩き付ける。
 ああ、ジークよ。そうやって被害者面を続けていればいい。
 大衆はそれを偏光レンズで“優しさ”や“儚さ”と映すだろう。

「何ですの? ヘタレ」

「も、もう、やめよう……私が、悪かった」

 涙を流して和平を訴えるジークフリートが、実に白々しい。
 そのナヨナヨした態度が嫌で怒鳴りつけた事を暫くは理解して貰えそうに無いと判断したメディシスは、エンジン音とそれに伴いやってくる風に身を任せるしかなかった。

「泣かないでいただけます? 鬱陶しいだけですわ」

「やーい、泣かした泣かしたー。オー可哀相でちゅねージークたん。はい、笑って笑って。笑う門には何とやら。世界が平和になりますよ」

 ――むしろ、泣きたいのはわたくしの方ですわ。
 今ほど後方車両のレーニシルヴィ、ベルゼリアの輪に加わりたいと思った事は無い。

 ここには、話の通じる相手が居ない。
 メディシスはただ、ジークフリートがスィルトネートに何故手を差し伸べなかったのか、その理由が知りたいだけなのだ。
 もし自分が同じ立場だったら勝ち目は無いかもしれないが、ジークが向かい、彼らに話を付ければそれで済んだのではないか。
 彼ら黒旗は、運転席と助手席の男どもと同じように、ジークフリートを崇拝しているのだから。
 少なくとも形式上は。

 頭上を何機もの戦闘機が重低音を響かせて通り過ぎる。
 彼らは一足先に戦場へと向かうのだ。
 ライールブルクに蔓延る黒旗の軍隊を、正面から強引に叩き潰すという。
 メディシスにしてみれば、もう少し作戦を練ればリスクを軽減できるのではないかという考えがあった。
 数の上ではこちらが圧倒的優勢ではある。しかし、犠牲者がまったく出ない戦闘など、どこにも存在しない。
 名誉革命の条件が揃わない限り、一度の戦闘では必ず誰かが失われる。
 たった一人の命の為に血眼になるなど、と考える者も居るのではないか。

 ――いや、これ以上の拘泥は控えよう。
 少なくとも、スィルトネートはメディシスにとって友人であり、ギーレンにとっては忠実な側近だ。
 その是非はともかく、利害は一致している。

 彼女は、あらゆる事物が今夜中に決着が付く事を願った。
 柳鶴と呼ばれた刀使いに一矢報いてやりたい。
 生きていたシュヴェルテを、正しい道へと返してやりたい。
 捕われのスィルトネートを助けたい。
 黒旗に終焉を与えたい。


 たとえろくにエージェントを送り込まないまま――噂によるとスィルトネートの捕われている場所を突き止めた程度らしい――での作戦開始とはいえ。
 相手が烏合の衆であろうと、容赦はしてはならない。
 懐中時計を確認すると、現在時刻は19時3分を指していた。
 目的地まであとおよそ30分弱。車の速度が妙に遅く感じてしまう。




最終更新:2009年04月19日 15:29
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