Chapter 10-6 : 業火は刃を呑む

(投稿者:怨是)



 スィルトネートは独房のベッドに腰掛けていた。
 いやに綺麗に掃除されたこの独房では、電気代節約の為に蝋燭だけが灯されている。
 その僅かな灯火の中で、書き殴られた書類を読み漁る億劫さといったらなかった。

 曰く、鎖を用いる事は禁ずるが、代用手段として槍か、先端のナイフのみの使用は許可するというものだ。
 鉄格子の隙間から注意深く槍を手渡され――正確には投げ入れられたという表現のほうが正しかったが――その扱いを学ぶべく、こうして書類と睨めっこしている。
 コア出力抑制装置はどうやら肉体強化だけでなく思考能力まである程度低下させてしまうらしく、スィルトネートは拡散する思考を何とか纏め上げるのに幾らかの労力を要した。

 幽かにぼやけた視界の中でどろどろの槍を掴むような感触から、スィルトネートは察する。
 そうか、これが病なのだと。
 ギーレン・ジ・エントリヒには以前高熱にうなされていた時期があった。
 おそらくあの時のような状況が、今の自分にも起きている。
 それが病魔によるものか、人為的なものなのかの別はあれども。
 鉄格子を掴み、壁に手を付ける。

 今の所、陵辱らしい陵辱は何一つ行われていない。
 強いて云うなら、この薄暗い部屋に首輪を付けて押し込め、忌々しい殴り書きと粗末な槍をここに同居させた事が最大の侮辱だった。
 黒旗の兵士の一人は「修正活動の一環だ。我慢してくれ」などとのたまっていたが、今まで慣れ親しんできた武器を如何様にして棄てる事ができようか。
 ライオスと名乗る男も先日やってきたが、スィルトの「このような事をする意味はあるか」という問いに明確な答えを示さなかった。
 ただ、ただ、それが社会の仕組みの中で必要なのだと繰り返し強調し「お前が死なずに済む最善の方法だ」との一点張り。

 鉛のように重たい身体を、もはや引き摺る事すらままならないこの部屋で、何が出来ようか。
 強引な遣り口を怨みながらも、壁を殴る事すら叶わずに。

「調子はどうか」

 噂をすれば何とやら。
 ライオス・シュミットのいけ好かない顔が蝋燭に照らされる。
 今度は何をしに来たのか。持論の押し付けなら山ほど頂戴した。腹一杯の押し付けは、もう食傷気味である。
 嗚呼、胃薬を。大雨の後の滝のような胃薬を。押し付けられた山ほどの理論の全てを十把一絡げに消化し、綺麗さっぱり忘れてしまえる程の。

「すこぶる不調ですが。いつになったら開放して頂けるのか……」

「数週間後に筆記試験と実技試験が行われる。抑制装置を外した状態でな。それに合格したら、お前は皇室親衛隊に戻される」

 金属製の首輪に押さえつけられた皮膚が痒くなって久しい。
 震えた手で首輪の隙間に指を伸ばし、ばりばりと掻き毟る。
 脂汗すら出ないほどに新陳代謝が低下しているのか、首はすっかり熱を帯びていた。

「つまりグレイプニールを、棄てろと」

「何度も云わせるな。我々とて獣ではない。なるべくならお前を傷一つつけずに親衛隊へと戻したいのだ。
 これに成功すれば、人類は未知の技術に何一つ頼らずに国家を守る事ができるという、その証明へと繋がる」

「Gの撃破効率が落ちるかもしれないというのに」

 黒旗は無能集団である。
 補填する手段や代替案を数多く用意し、それを上申して公に認定を受ければ、より平和的な解決が望めた。
 特殊能力だの何だのは使いすぎないに越した事は無い。大それた能力には縁の無いスィルトネートでも、それくらいは理解できる。
 コアの寿命を縮める危険性だって何度か技術部内で話題に上っている事を聞いたことがある。
 しかし、それを殺すとなれば本末転倒ではないか。

「ただでさえ少ないMAIDをこれ以上減らす、そこに何の意味がありますか」

「減らす事を前提と見られるのは心外だな。そうだろう? フィルトル

 ぼやけた暗闇の中から、黒い服に身を包んだMAIDが姿を現す。
 不健康そうなクマを目の下に作り、眉間に皺を寄せている。胃痛持ちか何かか。
 そのフィルトルと呼ばれたMAIDが金属製の靴による鋭利な音を、大げさに立てながらこちらへ向かってくる。
 このMAIDが足を一歩進めるたびに、鼓膜が痛む。

「我々軍事正常化委員会は国防陸軍参謀本部であった時から、皇室に対し再三再四の警告をしておりました。
 このままではMAID戦争において、各国が甚大な被害を受けると。しかし、その尽くが否定され、見向きもされなかったのです」

「……それは言い訳です。警告をする前に、やるべき事があった筈でしょう」

「やるべき事……根回しか。私の聞く限りではの話だが、これにはまだ続きがある。
 見向きもされなかった参謀本部が目を付けたのが、皇帝派と名乗る派閥だ。彼奴らはジークフリートの価値を脅かすMAIDを次々と死に追いやった。
 参謀本部は、ディートリヒというMAIDの処分に協力した。怪しげな証拠を数多く残した上でな」

 スィルトネートが望んだのは根回しではない。
 もっと別の何かだ。建設的な話だ。穏健な方法は辞書には無かったのか。
 そう問うたところで、後ろのフィルトルというMAIDはともかく、元皇室親衛隊のシュミットには無意味だった。
 彼は親衛隊を抜けて黒旗に入るまでは、黒旗にとっては他人でしかなかったのだ。

「当然ながら私が当時身を置いていた公安部隊も含めて多方面に証拠が伝わり、親衛隊の上層部がそれを察知した。
 或る者はもう隠し事はできない、また或る者はこんな事が行われていたのか、などとな。後はもう周知の事だろう」

「シュミット、それ以上は組織への侮辱――」

「お前は黙れ。まぁ、道理でおかしいと思いました」

 伝聞だけでそこまで得意げに語れる神経もどうかとは思うが、そもそも公安部隊だった者がこの組織に移った時点で人としての感性を疑う。
 シュミットの発言に真実が含まれているとするのなら、尚更のこと、黒旗に対する忌々しい感情が加速するのをスィルトネートは止められなかった。


 ――眼前の二人の話を整理する。
 黒旗の下地となった組織である国防陸軍参謀本部は皇室に何度も警告したが、相手にされなかったという。
 そこで、皇室親衛隊の皇帝派が以前からジークフリートと肩を並べそうなMAIDを謀殺していた事に目を付けた。
 一連の暗殺事件のうち最後の、ディートリヒ含むダリウス大隊が裏切り者と云う烙印を押され排除された事件に関してのみ、彼ら黒旗は関わっていた事になる。
 つまるところ一連の事件は単なるきっかけに過ぎず、またそれらの黒幕でもなく、彼らは武装蜂起の口実をわざわざ作っただけという結論が導き出される。

 違和感があるのも道理だった。
 彼ら黒旗が何故武装蜂起した瞬間その手を広げたのかという疑問がようやく氷解した。
 国防陸軍参謀本部だった頃は、そこまで直接的な干渉ができなかったのだ。
 技術者、ひいてはMAID技師を狙うには幾重にも張り巡らされた監視を掻い潜らねばならない。
 ましてや“国防陸軍”という名前が付いているからには、皇室親衛隊への直接の接触は無い。

 しかしディートリヒおよびダリウス大隊は陸軍である。そして以前から皇帝派より危険分子として目されていた。
 黒旗にとってこれほど都合の良い“撃鉄(トリガー)”は無かった。

 一連の事件に関する情報は、おそらくは皇帝派に属する何者かが提供したのだろう。
 皇帝派が銃に弾薬を込め、一連の事件が薬室に銃弾を装填し、黒旗が撃鉄を引き、発砲音が皇帝の演説となった。
 銃声に驚く形であらゆる事物は黒旗を中心に回り、かくして彼らは現状に至る。

 無能のみならず、陰険極まる組織ではないか。
 粘度の増した思考を何とかかき混ぜ終えたスィルトネートは、溜め息を一つ吐き出す。


「……とにかく、そんな組織に貴方は付いた。誇りは、どこに捨て去ったのですか」

「悪を排除する為の手段としてはこれが最善だった。そう判断したまでだ」

「貴方の云う、悪とは」

エメリンスキー旅団に数々の凶悪な破壊兵器……つまりはMAIDの持つ大型兵器だ。
 あんなものを皆で振り回せばグレートウォールは数週間で更地になる。その劫火をお前は望むか?」

「だからといって起きても居なかったMAID戦争を、Gも駆逐できていない時期にやる必要は無かった」


 共通の敵を前にしておきながら足の引っ張り合いにもつれ込む。その無能さを如何にして受容できようものか。
 あまりにも器量が狭すぎ、またあまりにも度し難く、あまりにも度が過ぎていた。

「“攻撃する”や“危害を加える”と勝手に判断したのは貴様らだ。この組織そのものの目的は、あくまで平和的な解決だった。現状がどうかは置いておくとしてな。
 それを勝手に誇大解釈するから戦争まがいの事態にまで発展してしまう。譲り合えぬ故に、警告と云う暴力装置を要する」


 一連のMAID暗殺事件を最後の最後でけしかけておいて、よくもそのような事を口走れたものだ。
 理論そのものに間違いは無いかもしれない。が、彼らにそれを主張する資格は見出せない。

「十年、二十年という長期的なスパンの元に話し合うという方法があったでしょうに」

「その間に組織や意義が消えてしまえば意味が無い。溶け合ってしまうかもしれんのだ。
 それに私個人の目的はあくまで、エメリンスキー旅団を含む帝国のゴミ共を、彼奴らを私が消すという事だ」


 つまり何か。話し合いによる解決は望めないと。
 そういえば先ほどの話によれば、何度も警告を送りつけても相手にされなかったと、フィルトルと名乗るMAIDが云っていたか。
 そのフィルトルは、発言を遮られて不貞腐れていた。主導権を握りたがっていそうな性質が、彼女の表情からは滲み出ている。
 どこかそれが、自分に通ずるような気がして、それがまたスィルトネートの喉元に虫唾を湧き上がらせるのだ。
 この男にしても同じだ。エメリンスキー旅団を自分の手で消したいがために裏切ったというのなら、それは自己顕示欲の行過ぎた人間と評価せざるを得ない。

「単なる、エゴの押し付けではありませんか……」

「果たしてそう云いきれるものか……――ン、何事だ」

 ――突如、爆音が牢獄の折を揺らす。
 それから程なくして、頭上で慌しく足音が行き交う。
 俄かに周囲が土の匂いを増し、何かしらの危機的な状況が訪れた事をサイレンが知らせる。
 遅すぎる空襲警報が、爆弾の到着を許してしまったのだ。
 怒れよ、轟音。彼ら黒旗を業火に巻き込むがいい。
 兵士の報告を受けるフィルトルとシュミットを鉄格子越しに眺めながら、スィルトネートは硬直した口角を僅かに上へと吊り上げた。







 ――同時刻。
 日の落ちて暗くなった窓の前でうろつきながら、ホラーツ・フォン・ヴォルケンは外を眺めていた。
 気分はまったく落ち着かず、かと云って騒ぎ立てるほどのものでもないという自覚もある。

「ベルゼリアが気がかりなのか?」

「ああ。実戦経験も殆ど積まないまま、近接装備だけでどうにかなるものだろうか。
 いくら数が要るとはいえ、何も対人任務に投入する事は無かったろうに。足手まといになる」

 あの胡散臭いうさぎ型のぬいぐるみで殴る前に、無数の銃弾が無残に綿を散らせるだろう。
 いくら強力な鈍器と云えども、それは害虫(G)を前にした時だけだ。Gが遠距離武装を持たない限りは生きる、その程度のものだ。
 対人戦闘で同じ常識は通用しない。かつて云われていた『対人戦闘の常識がGでは通用しない』という言葉とは逆の現象が今、皮肉にも起きている。
 テーブルの方角より漂う紅茶の香りが僅かに弱まり、陶器の当たる音が室内に響く。

「果たしてそうかな。狭い隙間に入り込む事くらいはやってのける」

「あの服でか」

 無駄に装飾の多いあの服で市街地の狭い隙間を歩こうものなら、煤だらけで無残な様相を呈する事は必至となる。
 技術部に問い合わせれば『これこそがベルゼちゃんの正装です』と答えるだけだった。

「触った事がないのか。意外と柔軟性に優れる素材だぞ?」

 窓に反射して映りこむライサ・バルバラ・ベルンハルトの仕草が遠巻きからでもよく見て取れた。
 手をわきわきと動かし、俗に云う助平の類の人間がとる様な指の曲げ方をしている。
 この期に及んでよくもまぁなどと思いつつ、ヴォルケンは窓の外と同様、その表情に暗い影を落とす。

「……いかんせん、書類とのスキンシップで忙しくてな」

 触れ合った事も無い。たまに部屋に戻ってきても、きりの良い所で区切り、ベルンハルトの部屋へと向かわせてしまう。
 あれが実の娘だったならば、自分はさぞや退屈な父親として認識されている事だろうと、その自負はヴォルケンにもあった。
 世間体を重視するとどうしても、男の自分の部屋に置いておくよりも、この頼り甲斐のあるベルンハルトに預けてしまったほうが都合がいい。
 女は守られるほどか弱い生き物でもないし、あの稚児のようなMAIDもまた同様なのだ。わざわざこの辛気臭い男の手元に置いておく利点など、せいぜい父親面できるくらいのものだ。
 そもそも部下の一人も守って遣れなかった心の傷が、まだ癒えていない。
 にもかかわらず、どうして次の話し相手を作ろうものか。

 ヴォルケンは不覚にも、飼い犬の死を嘆いた飼い主が、次の犬を飼おうとする事に躊躇を覚えるあの感情を思い浮かべた。
 ――そうだ。代償を探す事に対する負い目があるのだ。それ故に、未だにベルゼリアの心に指の一つも触れられずに居る。
 はっとして振り向いた時、ベルンハルトが懐からパーティ用のカードを取り出していた。

「こっちがスィルトネート用で、こっちが……まぁ、見てみるといい」

 赤と青と黄色の装飾が施された小さなカードには、丸くて軟らかい文字でメッセージが書かれている。
 その下には、似顔絵も。

シュヴェルテアシュレイ・ゼクスフォルトへ。
 はじめまして! おかえりなさい!』

 唇の奥で噛み締めた歯が、磁石のように吸い付いた。
 両親の帰りをひたすらに待つ娘のような、健気な感情がこの文面からは伝わってくる。
 きっとベルゼリアはあの二人の娘であっても違和感が無い。髪の色も気にはならない。

「あの子は、二人とも連れ戻すつもりでいる」

「何という事を……そうであれば尚更、無事では済まされないだろうに……」

 独房に閉じ込められたアロイス・フュールケから報告を聞いたヴォルケンとしては、それこそが気がかりでならない。

 かつてヴォルケンは実感を以ってこう考えた事がある。
 一人の人間の感情を十秒で揺り動かすには、百人分の力が必要になると。
 一秒で揺り動かすのならば千人分、そしてコンマ一秒ならば一万人分。
 シュヴェルテは筆舌も憚られるような憎悪と共に、黒旗へと寝返った。容易く覆すにはベルゼリア一人では足りない。

一人ではできないからと、協力者を集めたそうだ。
 どんな戦争においても、捕虜を自軍に混ぜて寝返らせる程度の事はやってのける。
 不合理な行動でもないし、これで無血開城が望めるというのなら、分の悪い賭けでもないだろう?」

「……あのベルゼリアにそれほどの機転があったとは」

「女は得てして芝居上手さ。こと、日常と云う舞台の上ではな」

 強烈な飢餓に生命を脅かされた時、こぼれたキャベツでさえ拾って喰う。付いた土など気にも留めない筈なのだ。
 ヴォルケンは久しく忘れていた感情を、ようやく思い出そうとしていた。
 俄かに熱を帯び始めた目頭にハンカチを当て、やがて決壊するであろう見栄の最後の砦を死守する。
 国外追放となった者は原則的に本国へ帰ってくることは叶わない。
 それでも、ベルゼリアは彼の帰国さえも信じてこのカードを書いたというのか。


「よし、その演技力に賭けてみるとしよう。パーティの準備をしたほうが良いかな」

「……ああ。席も用意しておけよ。二つ分だ」


最終更新:2009年04月24日 04:17
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