Chapter 10-9 : ~Over the Savage Wind~

(投稿者:怨是)






「メディ……」

 煤だらけでひどく小さく見えるその身体を、メディシスは抱きしめる。
 スィルトネートは他の部隊によって救出された。黒旗本部はほぼ壊滅状態まで追い込んだ。
 百や二百の部隊ではなく、一万や二万という大規模運用である。
 誰かが足止めを受けている間に、他の誰かが目的を達成するのだ。

「良かった……無事で何よりですわ」

 友軍の犠牲は確かにあったが、それでもGとの戦闘と同等かそれ以下に収める事ができたのは、ひとまず喜んでも良い結果だった。
 戦闘区域も徐々に縮小し、先程まで煌々と燃え盛っていた炎も、いつの間にか建物を喰らい潰して鎮火していた。

 迎えのジープに乗りながら、MAID組は帰路に着く。
 上層部の下した判断は“充分な打撃を与えた”というものである。


「住民の方々には悪い事をしてしまいましたね……」

「……仕方ありませんわ。あればかりは、私達にも止められませんもの」

 いくら政財界人のお付きのMAIDとはいえど、その発言力はあまりにも小さい。
 こと政治的に重大な決定に関しては、口出し出来ずにいるのが現状である。
 マクシムム・ジ・エントリヒ皇帝の場合は例外的に認められたが、ギーレン宰相の頑固さを、メディシスはよく知っていた。
 一度『やる』と決めたからにはそれを譲らない。その事に関しては父親である皇帝以上に頑固である。


「むしろ、これくらいで済まされた事が奇跡と云っても差し支えないですわ」

 怒れる政治家ほど恐ろしい者は存在しないのではないか。
 ユリアン外相をして説得を断念させたあの宰相が、徹底的な攻撃を命じたのだ。
 捻って絡ませた鋼の柱を曲げるには、四桁の灼熱が必要である。

「……何より、スィルト。貴女が無事で良かったですわ。お怪我は?」

「大丈夫。あの人たちは“意外と”何もしませんでしたよ。ただ、抑制装置の首輪が蒸れて痒かったですが」

 スィルトネートの首元に赤い跡がいくつか付いているのが見える。
 地下とはいえ、夏場は暑いのだろう。

 二、三、捕らえられていた間の出来事を聞き、メディシスはその度にスィルトネートの頭を撫でた。
 今まで慣れ親しんでいた武器を突然“使うな”と云われれば、誰だって戸惑う。
 鎖付き短剣を使う様子が気に喰わないのなら、自分達でそれ以上に役立つものを作り出せば良い。
 わざわざ棄てさせて矯正するメリットは、どこにあるのだろうか。
 黒旗構成員の自己満足の他には、何があったのだろうか。

「そういえば捕らえられていた時、元公安部隊のライオス・シュミットという男が気がかりな事を」

「その男は何と?」

「黒旗は皇帝派の連中を裏で操っていたわけではない、と。もしそれが真実だとしたら……」


 ふと、ジープの車載ラジオがけたたましい音を鳴らしはじめた。
 緊急通信を意味する音だが、今の今まで演習くらいでしか聞いた事が無かった。

《陸軍第三観測部隊より作戦本部へ!》

 ……何事? 空気が錆び付く。
 或る者は固唾を呑み、或る者は夏の気温によるものとも付かない汗を、袖で拭う。


《大型の列車砲が“主鉄”の線路を利用し、帝都の方角へ進攻中! 至急、増え――……》

《第三観測部隊応答せよ! 繰り返す、応答せよ! ……総員、緊急事態だ! 列車砲を止めろ!》

「列車砲、ですって……?」

 他のジープともども、一斉に速度を落とし始め、線路の方角を目指して再び速度を付ける。
 方々から「どこのルートが近道だ」や「一旦引き返したほうが早い。お前ら遅れるなよ」などといった会話が交わされる。
 “主鉄”とは“帝国主要鉄道”の略称であり、エントリヒ帝国を楕円状に結ぶ、線路の束であった。
 確かこちらがライールブルクに赴く際は封鎖されていた筈だ。いつの間に封鎖を解除したのだろうか。






「……」

 ジークフリートは放置されていた軍用車両を拝借し、線路へと赴いていた。
 鍵を挿したままだったのは何たる幸運だろうか。いつかにシュナイダーを傍らに乗せるべく運転の訓練を行っていたのも、まさか今日というこの日に役立つとは。
 退路の確保の為に瓦礫を除けてあった事が幸いし、スムーズに目的地へ向かう事ができる。
 未だに慟哭を続ける五臓六腑とは裏腹に、心中は晴れ渡るようだった。
 黒旗より帝都へ向けて放たれた鋼の塊が、彼らの信仰しているジークフリートによって破壊されるのだ。
 彼らの落胆と驚愕の表情を思い浮かべれば、怒りは裏返り、晴れやかな感情へと昇華される。
 ただし、表情はいつもの鉄面皮のままでいよう。


 轟音と振動が、そして時折放たれる爆音が列車砲の接近を知らせる。
 武装車両が侵攻ルート上に待機し、応戦しているのだろう。
 煙が綺麗な列を作っている様子はもはや芸術的ですらあった。

《あいつら、火力が高すぎる! 撤退――》

《背を向ける奴があるか! 砲を向けたまま撤退しろ!》

《ロケット砲を惜しみなく使ってくるたぁ……連中め、本気で殺しにかかってきやがった》


 ――いよいよ近づいて来る。
 列車砲の大きさはヨロイモグラクラスのGほどではないにせよ、それの三分の一程度には巨大である事には間違いなかった。
 妨害していた戦車の砲塔がわずかに触れただけで吹き飛ばされ、転がり、横に付けられた機銃で腹を打ち抜かれる。
 遠目から見ても、その禍々しい姿に前身の毛穴が収縮した。


 が、ヨロイモグラの甲殻でさえ貫いたこのバルムンクがあれば。
 あのGよりも遥かに強度の劣る列車砲の装甲など。
 すれ違い様に大剣を突き立て、斜め上に振り上げる。

 火花と共に、耳を塞ぎたくなる金属音が鼓膜に噛り付いた。
 剣を押さえるうちにこちらの両脚がブレーキ代わりとなり、線路からも火花が飛び始める。
 鼓膜がゲル状にこねられてしまわぬうちに、こちらも獣のような咆哮で応じる。
 両者の音が相殺し合って、そのうち何も聞こえなくなっていた。


 火花をなぞるようにして爪痕は後方車両へと延びて行く。
 途中、何度か刀身から赤く染まる事があったが、それが過熱によるものなのか、返り血なのかは定かではない。
 “キャラクター”という言葉は元々、ルージア大陸某国で、板に爪痕を刻む時の音から生まれたという。
 兵士達の雑談を小耳に挟んでいた単語が、何故今になって脳裏より浮上したのか、何となく理解できた。
 自分は今まで“そういう者だ”という自意識を、己の心に刻み込んで生きてきたのだ。
 寡黙なるMAIDという存在を演じてきたのかもしれない。しかし、だとすれば内に秘める本当の自分とは何だったのだろう。
 また“刻み込む”作業は、多くの人間達の視線によっても行われる。
 他者が対象の人物を“見なす”事で、対象の自意識にその認識が刻み込まれる。
 どんなに擦っても、風化こそすれど平らに均す事などできようものか。
 時間をかけて、各々が望む形に刻み直す。第一印象を、刻み直す。


 嗚呼、列車は止まらない。
 深々と溝を作りながらもなお、重苦しいエンジン音を立てて黒煙を撒き散らし、線路を拉げさせていた。
 もう直ぐ最後尾になろうという所で横から“開き”にする事を諦め、剣の上に乗る。
 彼らは攻撃して来ない。彼らは機銃を使わない。



 よじ登れば、そこには見たことも無い景色が広がっていた。
 全身に風を受け、遠くの灯りが霞んで見える。曇り空の下に、数々の星が広がっているようだった。
 雷鳴が轟き、ひんやりとした点の感触が、幾つもの線となって頬を撫でて行く。


「……」

 夏の低気圧が運悪く接近していた。今夜の天候は大荒れだろう。
 ギーレン宰相が総攻撃を推し進めているにも関わらず、先日まで周囲が反対してきた理由は、もう一つあった。
 それがこの低気圧である。山の向こうのドラゴンフライの活動が活発になっており、風速が大きく変動する恐れがあったのだ。
 雨足も、この列車も、止まる事は無かった。両者は申し合わせたかのように、こちらに雨粒を浴びせてくる。
 先程服を汚した吐瀉物も、こうも雨に濡れてしまえばもはや関係あるまい。


 上部に備え付けられた砲塔を、手当たり次第に斬り落とす。
 拉げて装甲板一枚で繋がっていた砲塔を蹴飛ばすと、支えを失ったそれは、怪物があくびするような音を立てた。
 一息つく間も無く、お世辞にも耳に良いとは云えない音を立てて転がり落ち、列車の速度に跳ね飛ばされて行く。

 ――敵、味方、共に増援の気配すら感じられない。今、列車砲の上は沈黙に包まれている。
 線路を塞ぐ部隊は尽く撤退し、それを迎え撃つ砲撃も今は行われていない。
 列車の音と雷鳴だけが、聴覚の全てを支配していた。
 明鏡止水の境地に至るには孤独が必要だ。悟り、そして乱れていない精神。それらの条件は既に、揃っている。

 トンネルに入り、今まで雨に落とされていた黒煙が顔を覆い始める。
 同時にラジオから雨音のようなノイズが流れ始めた。そうか。電波塔などの中継施設がトンネル内部には存在しない。
 いよいよ、ジークは孤独に投げ出された。この分厚い鋼の壁の向こうに居る乗務員達は何を思っているのだろう。
 勇ましい使命感を抱く者も居るだろう。投げ遣りなニヒリズムを抱く者も居るだろう。
 偽善と偽悪の共通点とは、己に酔い痴れている事ではないだろうか。


 トンネルを抜け、再び雷鳴と豪雨の中へと飛び込む。
 無反動砲や連装ロケット砲を破壊する手際も、いつしか正確さを欠いていた。
 乱雑に剣を振り下ろし、砲口を叩き潰す。それだけで充分だという事も理解できたし、何より、煩わしく感じてしまったのだ。
 逐一、あの背筋の凍るような呻き声に鼓膜を悩ませる必要はどこにもあるまい。



「――!」

 残り三両ほどとなった所で、青い向かい風が行く手を阻む。
 ライールブルクの黒旗アジトで見かけなかったシュヴェルテは、この列車砲に乗り込んでいたのか。
 脳裏が高速回転を始め、記憶が次々と印刷され、積み重ねられ、版を重ねて再び印刷される。

「こちらが手出しできずに居るのを良い事に、随分勝手な事をやってくれますねぇ」

「シュヴェルテ……」

「下の連中は貴女を殺すなと云ってましたが、馬鹿馬鹿しい」


 かつて、ジークフリートがシュヴェルテに抱いた感情は、嫉妬だった。
 多くの人々がGとの戦いに張り詰め、疲弊する日常において、シュヴェルテとゼクスフォルトはそれを上手くほぐしていたではないか。
 あの時のジークフリートは、何度も思い描いた。ヴォルフ・フォン・シュナイダーも同じようにしてくれたなら、と。

 嫉妬が憎悪に変わる前に、彼女は皇帝派の陰謀により、エメリンスキー旅団を用いる事でこの世界から姿を消した。
 ジークも、誰も彼も、事件の真相に関わった者以外の誰も彼もが、彼女が死んだと思い込んでいた。
 おそらくはアシュレイ・ゼクスフォルトも。ジークは彼がその後どうなったかを知らない。
 が、戦闘記録に記されたシュヴェルテの発言によれば、彼は発狂して精神病院へと収監されてしまったという。

「……私は、貴女に何も差し伸べられなかった。だから、私は行動で償いたい。
 シュヴェルテだけではなく、全ての事に決着を付けたい!」


 ――あの時の私には何も出来なかった。などと云ってしまうのはあまりに軽率だ。
 何も出来なかったのではなく、何も見ようとしなかっただけだ。
 ジークフリートの喉は、いつの間にか潤いを取り戻していた。
 かつてここまで饒舌になれた事があっただろうか。いや、ベルゼリアに打ち明けた時は饒舌であったか。
 感情が高ぶった時だけだ。上顎と下顎に油が差されるのは。

「どんなに時間がかかってもいい……! 私は、私は……」

「シュナイダー少佐、いいえ、大佐でしたね。彼に認めてもらいたいのでしょう?」

「……これからは、私は私の為に戦う。気付いたんだ。何よりも私は、私自身に認めて欲しかったと」


 周囲の賞賛の声も、姿を見せる度に巻き起こる拍手も、数々の煌びやかな勲章も。
 己の心がそれを認めぬ限り、雑音と、土塊の勲章でしかない。
 雷光と共にシュヴェルテの殺気が爆発し、鈍い金属音が両腕を震わせる。

「では、大切な人を守れずに苦悩していた私はなんだっていうの……?
 アシュレイを……あの人を守れなかった私の罪は、どうやって償えばいい!」

「それは、自分の存在価値を彼に委ねている事になる!」

「何が悪い! あの人は、私の全てだった。傍に居るだけで幸せだった! あの笑顔が見られるだけで!」

 刀身にひびでも入れんばかりの、暴力的な剣戟が繰り返される。
 ある時は横から。ある時は上から。絶え間なく浴びせられる豪雨すら、振り払う刃が破砕する。
 少しずつ、少しずつ、少しずつ前方車両へと移る。



「……お前を殺して、私も死ぬ。アシュレイを救えない私が、この世界に居る価値など無いもの」

「違う! 違う……! 死ななくてもいいんだ……黒旗の定めた“特定MAID”も、アシュレイも、シュヴェルテも!
 居なくなる理由なんてどこにも無い! そんな理由なんて、誰かが勝手に作っただけだ……!」

 生まれる事に自由は存在しない。“親”と呼ばれる者達の都合でこの世に産み落とされる。
 そこから、親の望むがままに育てられ、物心が付いてから、少しずつ自由が与えられる。
 精神的活動、つまり、思考はほぼ限りなく自由なのだ。発言が許されているか否かの問題は、身を置く場所によって異なるが。
 魂を持ったからには、それを自衛する権利が得られる。


「そのまま生き続ける“自由”がある、と」

「そう……自分の存在価値を認めるのは、自分なんだ……! そればかりは、誰にも邪魔されてはならない筈だ!」

「列車の乗務員を何人か殺しておいてよくもまぁ抜け抜けと……大体、周りにちやほやされ――」

 金属音が両者を遠ざけ、雨に濡れた列車の肌に足跡の線を引く。
 ジークの険しい表情を凝視したシュヴェルテは、ふと、思い立ったように構えを解いて歩き始めた。


「――あぁ、そうでしたね。それでも貴女は暗い顔をしていた。丁度、今みたいに」

 互いがあと一歩踏み出せばバルムンクの射程内に入ろうという、その時だった。
 ずぶ濡れの通信機がぎこちない音を立てて通信内容を拾い上げる。

《――こちら地上工作四班、線路の爆破を完了した》

 前方の“足元”を眺めると、くしゃくしゃにされた線路が無残な光景を形作っているのが見える。
 一瞬だけ重力を失い、背筋や意識が上へと吊るされる。
 直後に轟音と共に体勢が崩れ、各々の剣を杖にする。


「依存すれば、相手の領域に居座る事になる。自立した上で互いを望み合えば、互いの領域を少しずつ混ぜあい、交換し合える」

 例えば、集団で何かをするとする。
 ジークがここで云う依存の場合、リーダーや他のメンバーに全てを委ねてしまうという事になる。
 逆の場合も有り得る。リーダーが参加者に何らかの決定を委ねてしまう場合も。参加者同士での同様の事も。
 しかし自立した上での求め合いならば、決定を各々の頭で考え、そして実行できる。
 誰しもが生まれた時より与えられた、自力で物事を考える権利と義務を行使できる。

 ジークにしてみれば、シュヴェルテにはそこが欠けていた。
 アシュレイを強く求めすぎたが故に、ここまでの凶行に至ってしまった。

「私が自分で考えていないとでも?」

 シュヴェルテの剣を弾き飛ばし、落下させる。
 同時にジークフリートのバルムンクも押さえつけられ、列車の背に深々と突き刺さる。

「違う。考えがあって行動している事は、私にも解る……!」

 ただ、その思考が大きく縛られているのだ。彼女の場合は。
 掴み掛かられた衝撃と、足場の滑りで背中と床が対面する。

「じゃあ、何だというの?!」

 好機とばかりにシュヴェルテがそれに跨り、拳を振り下ろす。
 頬骨を鈍い痛みが押したが、受け止め、見据えた。

「シュヴェルテは、アシュレイに依存するあまり視野が狭くなっているだけなんだ!
 少し離れて考えないと! 少し離れて考えないと、取り返しの付かない事になる!」

 彼女らの離別の形は確かに残酷だった。しかし、少し落ち着いて考える事が出来たなら。
 二人はそれを乗り越え、帝国に潜む陰謀を別の方法で解決させるべく動けたのではないのだろうか。
 長い道のりはあった。しかし、己の不幸に溺れ過ぎてしまっていただけなのだ。ジークも、シュヴェルテも、アシュレイも。

「今更……それを今更!」

 一撃、一撃。
 明確な殺意の込められた拳が左右から浴びせられようとしていた。
 右手、左手とそれを受け取り、押し返す。

「時間はかかった。私は未熟だった……」

「私達は遅すぎた。取り返しの付く段階を通り越したんだよ、私達は!」

 震度7程の痙攣を以って、殺意の塊を徐々に、徐々に押し戻す。
 バルムンクのような鉄の塊を持ち上げる時はああも軽々としていた筈なのに。
 こうも腕に悲鳴を上げさせるのは、即ち、シュヴェルテの殺意の重さを現していたように思えた。
 意を決して殴り返す。殺意が霧散するのを感じ取り、即座に両脚で押し返す。


「そんな……事は、無い!」

 息切れと共に、肺活量のキャパシティを僅かに超えつつも、呼びかけた。
 ひと際大きなエンジン音が雨音を掻き消し、ジークの重心が後方へ、シュヴェルテの重心が前方へとスライドする。
 列車はまだ、止まらない。また動き出す。

《ちくしょうめ! 列車の常識を覆しやがった!》

 何度呼びかけて教えても、決して改めない者たちと同じように。
 手を変え、言葉を変えて“この遣り方がある”と指し示しても耳を貸さない人々と同じように。
 ジークフリートもかつてそういう性格だったという自負があった。
 故につい先程まで、あの吐瀉物を踏み潰すまでは、心の奥底でヴォルフ・フォン・シュナイダーへの恋を夢見ていた。

 ……この列車砲とて同じなのだ。武装をいくら潰しても、帝都への足取りは決して諦めない。
 そこまでして我を貫く前に、少しでも振り返っただろうか。
 世の中には貫き通すべき意地と、そうでない意地があるのではないだろうか。



「自分の足で立つ、と。それで? 貴女一人で帝国の腐敗をどうにかすると?」

「一人でとは云わない」

《地上工作七班より、列車上部にて戦闘中のジークフリートへ》

 自分の足で立つ事ができず、寄りかかりあうだけの集まりは、単なるグループだ。
 自分の足で立てても周りと手を繋ぐ事が出来なければ、やはり同じだ。
 では、自分の足で立て、尚且つ周りと手を繋ぐ事が出来る場合は?


《増援の名前を読み上げる。スィルトネート、メディシス、ドルヒ、ベルゼリアだ。
 ――繰り返す。スィルトネート、メディシス、ドルヒ、ベルゼリアが加勢する》

「……もう、一人で考えるのは、やめにしようと思う」


 ライトが煌々と照らされる中へと、列車砲は飛び込んでしまっていた。
 雨粒が光を乱反射させ、両者に僅かな視界と、幻惑を与える。
 それが通り過ぎる頃には、幾重もの“力”が列車を止めていた。

 スィルトネートの鎖が列車の車輪に複雑に絡み付き、メディシスの鎌が機関部を深々と貫く。
 ドルヒが装甲ごと乗務員を撃ち、ベルゼリアの小さな身体から発せられる怪力が列車を押さえ込む。


「まずは自分自身を救う必要があった。その方法が何なのかまでは、今はまだ判らない」

 拳を握り締め、シュヴェルテを見据えるジークフリート。
 双眸に込められた力は、四年と四ヶ月余りの歳月を過ごしてきた今までのうち、何よりも力強い輝きを放っていた。
 対するシュヴェルテもまた、拳を握り締める。双眸にどす黒い決意を込めて。

「私は判る。私の場合、それは帝国を滅ぼす事!」

「何もかも一緒くたに消してしまえば、何も残らない……!
 違うんだ、シュヴェルテ! 一番のやり方は、悪を少しずつ抜き取る事だ!」

 両者の拳がぶつかり合い、右手、左手の骨同士が軋みを挙げる。
 一撃、一撃。

「それが出来たら苦労しない!」

「諦めたら成し遂げられない!」

「現実的に考えろ、ジークフリートォ!」

 一見すれば理想論だが、時間の猶予さえあれば不可能ではない。
 中世で行われていた魔女狩りは、形こそ変わって今も続いているように見えるが……
 その暴挙は支持されていない。国政の後ろ盾が存在していない。
 時代は確実に変化しつつある。ジークフリートは歴史の教養を積む中で、多少の実感はあった。

「行動した時、目的は現実へと近づく! 成し遂げた時、それは現実となる!
 そうして勝ち取った勝利がある! そうして手に入れた喜びが、確かに存在する!」


 一人の作家がとある国家が存在すると宣言したとする。
 それに関する詳細な文献が作中で描写された時、読み手にとってそれは“存在する”。
 ある一人の作家がそれに便乗し、その国家に一人の人物が居ると宣言したとする。
 それに関する詳細な描写が作中で為された時……読み手にとってそれは“実在する”。
 読者の心に確かな証を残した時、作家はある一つの実感を手にする。


「身の程を知れ! そんな物を手に入れる前に、寿命が尽き――……」

「……ッ!」

 ――銃弾がシュヴェルテの胸を穿ち、周囲の空気に蜘蛛の巣状のヒビが入れられた。
 よろよろと後ずさるシュヴェルテを支えようと走るも、この腕の何と短い事か。
 20mm弾を撃ち込まれた時の運動エネルギーが、遠く、遠く彼女を吹き飛ばしてしまった。
 二発目の銃弾が再び穿ち、とうとう彼女は列車砲から滑り堕ちる。
 気がつけば、ここは鉄橋だった。濁流に呑み込まれ、シュヴェルテの気配は完全に霧散する。


「おやおや……“事故”が起きちゃいましたね」

 振り向けば、ドルヒが銃口から硝煙をくゆらせ、佇んでいた。
 ジークフリート以上の鉄面皮を豪雨に晒し、黒い髪を揺らす。

「あ、あぁ……ドルヒ、何を……ッ!」

「彼女の矯正は望み薄でしたし、どの道こうするのが一番手っ取り早いでしょう? はい、笑って笑って」


 笑えるものか。後に誰かがこれを喜劇とした所で、絶対に笑うものか。
 少しでも考えてみれば、あのロナにしたって、手を引いて話し合えば、時間はかかっても救えた。
 否、彼女が“自分自身を救う”事を手助けできた筈だった。かつてベルゼリアが手を差し伸べてくれたように。
 銃声に驚いて駆けつけたメディシスやスィルトネート、ベルゼリアが事態を察して口を開ける。


「……それにしても、皆様はどうしてこう、世の中のありとあらゆる事を真に受けてしまうのでしょうかね。
 私みたいにちゃらんぽらんでいいじゃないですか。何事も真面目すぎるから傷つく事が増えてしまう」


 どう、感情を処理すべきだったのだろう。
 あれだけ勇んで黒旗の撲滅に挑んだ彼女らも、今は拳の遣り処を失ってしまった。
 一時の感情に振り回されて、ドルヒを殴るべきだったのだろうか。
 否、シュヴェルテを説得するには多大な時間を要するのは誰の目にも理解できていた。
 まして、自分達が何をしようと、上層部の決定でそれが水泡に帰す事とてあるに違いないのだ。
 ただ、ただ、少しの望みに力を入れても良かったのではないのか。

「恋愛沙汰にしたってそうですよ。彼らは上手くいってたほうでしょうに。ずっと幸せでしたよ。
 私なんて、斜め後ろから眺めている事しかできないんですよ。成就しない恋のほうがずっと多い」



 程なくして、部隊は撤収する事となる。
 皮肉にも後日某所にて、ミロスラフ・エメリンスキーの他殺体が発見される。
 会議の為に呼び出した所を何者かに狙撃されたという情報が、兵士達に伝えられた。
 間髪入れずにエメリンスキー旅団の解散が決定され、シュヴェルテやライオス・シュミットの目的の一つが潰えてしまったのだ。

 ――時は1944年8月14日。
 後の報告に拠ると列車砲の乗務員はおよそ1000名。その殆どが捕虜として帝都に更迭された。
 乗り合わせていたMAIDはシュヴェルテのみだったという。
 肝心のシュヴェルテの遺体は濁流に流され、発見には至らなかった。
 が、20mm弾を胸部に二回も打ち込まれ、尚且つ河の濁流に揉まれては恐らく助かるまいというのが凡その見解だった。

 黒旗は……国防三軍と皇室親衛隊の合同部隊によるライールブルク強襲と列車砲破壊により、戦力の過半数を喪失する。
 瓦解の足音は少しずつ迫りつつあった。



最終更新:2009年05月06日 11:37
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