Chapter 0 : Side-Legend

(投稿者:怨是)




 喰い縛った奥歯は、錆の味がした。

「お前のスペックなら並の空戦MAID十体分のスコアが上げられる筈だ。理論上はそうなっている。
 何故、前に出ない? お前であれば、ドラゴンフライを相手取ろうとも一瞬で葬れるだろうに」

 ――時は1944年12月30日。グリーデル王国のセントグラール国際空港、テラスにて。
 教育担当官を務めるジラルド・エヴァンス中尉は先刻より続いている不毛な禅問答に歯がゆさを覚えていた。

 クロッセル連合王国の提唱したMAID共同開発計画、タイフーン計画の通称で知られるそれは、ひとつの成果を生み出した。
 マーヴはあらゆる要素に全力を注がれながら生まれた世界最強の空戦MAIDである。
 現時点での最新の航空力学に基づいて設計された戦闘服、各国で共同開発した数々の武装。
 コア応用理論や初等教育から戦術理論に至るまで、全てを完璧に備えた筈だった。
 にも関わらず、依然として戦績が向上しないのはどういう了見だろうか。


「ですが教官、スペックなんざ所詮はお飾りでしょうや」

 人類の存亡を担う重大な使命を知ってか知らずか、彼女はテラスのテーブルに頬杖を突きながらこちらの話に欠伸で返してくる。
 いつでも戦闘に備えられるよう空力特性に優れた戦闘スーツに身を包んだ彼女は、その退屈そうな表情のおかげで威厳も色香も半減していた。
 寒々とした風が、彼女の黒髪を揺らす。

「飾りを飾りでなくすのが現場の仕事だ。やり遂げて見せろ、マーヴ」

「はいはい……」


 会話を区切り、テーブルに突っ伏した彼女を後にする。
 発着場から距離を置いたこのテラスにもプロペラの音が木霊するのを鼓膜に捉えつつ、ジラルドは空を見上げた。

 彼女は恐怖している。戦場に。そして、おそらくは己の潜在能力にも。
 ジラルドはそう結論付けた。また周囲のMAID技師達も同じ結論を出すだろう。
 マーヴのポテンシャルは、まだこの程度ではないのだ。

「ただの兵士などとは比較にならん……MAIDは百人分の力を持っている」

 戦場を革新し、世界を救済する者たち。
 害虫を恐怖させる破壊天使。それがMAIDである。


「――だが、それでも数の上では一体だ。目は二つ。腕も二本。手の指もたったの十本。使える武器も限られる」

 冷たく鋭い声が、後方よりジラルドの独白を遮った。
 踵を返せば黒髪に白衣姿の男が、眼鏡越しにこちらを見据えていた。
 彼の口に咥えられた煙草の煙が、ただでさえ鬱気漂うこの男の表情をより複雑に包み隠す。

 ――レイ・ヘンライン
 対G研究機関EARTHに在籍する兵器技師の彼は、その所属にもかかわらずMAIDに対して極めて冷淡な感情を抱いている事で知られている。 
 冷淡を通り越して否定的な――実際、彼は反対派を公言してすら居る――彼の言動に、周囲の人間はいつしか彼をこう呼んだ。
 氷の魔術師(アイスマン)と。
 彼の煙草より立ち上る紫煙は、触れば凍傷を起こすほどに冷たいのではないだろうか。


 EARTHの本部はこのセントグラールに存在する。
 この男が何故国際空港に足を運んでいたのかを、クロッセル連合空軍所属のジラルドは知っている。
 アルトメリア連邦へと渡り、そこで何某かの兵器の実戦データをやりくりするというのだ。
 兵器の詳細は覚えていないが、どうせ古めかしい旧式装備の延長上の何かであろうというのがジラルドの正直な見解だった。
 レイはMAIDを軽視するあまり、進化を止めてしまったのだ。
 ……その滞留した男は、冬の朝霧よりも冷たい悪意を喉に含みながら次の口撃の用意を始めた。


「依然としてMAIDの絶対数が三桁を上回る事は無い。人間の兵士が圧倒的多数を占めている」

 それがどうした。周知の事実だ。
 数万人の兵士に対し、MAIDが一体。その割合を覆すには、より安定した供給が必要となる。
 技術者達もその実現に惜しみない努力を注いでいるではないか。

「少なければ増やせばいい。まだ、これからだ」

「MAIDがたとえ四桁、五桁に増えようと結局は急場しのぎに変わりは無い。そこに依存して人間が置き去りになれば、戦場は停滞する」

「それでも彼らがこの大戦に於いて多大に貢献している。コア応用理論を進めて行けば、人類は誰も傷つかずに済む。
 事実、空戦MAIDのデータの集大成がマーヴを生み出した。彼女は今後の空戦MAIDのスタンダードとなるべき存在だ」

 積み重ねた時、それは最大の武器となる。
 そもそもMAIDが生まれていなければ世界各地の戦線は後退する一方だったろう。
 ジラルドの弁明も空しく、レイがそれを咎める一言を放つ。

「……飛翔力5(いつつぼし)のラベルがか。机上のスペック、実態を無視した戦績……それが何の役に立つ」

 憎々しげに口元を歪めるレイを他所に、ジラルドは次の反論を用意する。
 安心しろ、アイスマン。お前の思い描く事態は杞憂に終わる。
 絶え間なく驀進する心が、不可能を可能へと変える。

「侮ってくれるな。黄金のラベルだよ、これは。指標になる。皆がここを目指すようになれば世界は変わる。
 究極のハイスタンダードを、私は世界に広めたい。彼女の強さを、世界に知らせたい」

「“最強”という言葉で唯一を求めるのは不毛だな。スペックというものは状況次第で大きく変化する」

「マーヴはあらゆる状況に対する万能を志向して作られた。いかなる戦場であろうと、常に最高の性能を発揮できるようになっている」


 武装とて数多く取り揃えているのだ。
 連合のほぼ全ての企業が武装の開発に関わった。
 コアエネルギーを用いたレールガンは、雨天においてもその威力を遺憾なく発揮する。
 投擲式のホーミングレーザーならば動きの速い敵も迅速に撃破可能だ。
 囲まれた時は、全方位射出式のガンポッドで一掃する事ができる。
 今でこそワンオフ装備ではあるが、運用方法が確立されればすぐにでも量産されるだろう。
 それでもまだ不足だと云うのか。この冷徹な毒舌家は。

「ポテンシャルやパフォーマンスといったものは、時代や社会情勢で大きく変化する。
 武装が充分に供給されなくなったとしても、その最高の性能とやらを発揮できるのか?」

「だが、名も知られぬ兵士達(モブ)が次々と消し去られて消耗を強いられる状況を、誰が望む?
 人々はもっと別のものを求めている。カタルシスを喚起させる、大掛かりな伝説だ」

 英雄が必要だ。そして、そこに付随する伝説が。
 マーヴはその為に生み出された存在だ。彼女が救世主になる。その素質と義務が、彼女にはある。


「何度も云うが……それでも数の上では一体だ。
 目は二つ。腕も二本。手の指もたったの十本。伝説は一人では作れない。二人でも。三人がかりでようやく“美談”くらいは作れる」

 ジラルドにとっては、指は十本あれば充分だと考えていた。
 引金を引くのは人差し指であり、激鉄を起こすのは親指。
 他の指が銃身を支え、もう片方の手がスライドを動かす。これで充分だ。
 その自明の真理を前にしても、この白衣の毒舌家は手を緩めようとはしなかった。

「それとも新聞社(クリエーター)連中にでも売り込んでみるか? 彼らはその伝説とやらを簡単に生み出せる、情報の錬金術師だ」

新聞(ショートストーリー)テレビ報道(イラスト)だけでは足りない。ユピテリーゼ女王陛下からナイトの称号を得ねばなるまい。
 また、国際対G連合統合司令部(かんりしゃ)からのお墨付き、民衆(さんかしゃ)からの絶大な賞賛(コメント)も必要だ」


 既にエントリヒ帝国ジークフリートはその戦績や、単独でテロリスト集団を撃滅せしめ、更に人質のMAIDを救出したという伝説が広く知れ渡っている。
 それだけの伝説を残したのだ。テレビでその勇姿も放送された。帝国側から各国に宣伝したらしい。
 ジークフリートは間違いなく最強だ。但し、陸の上でのみ。
 こちらは空で伝説を残そうではないか。
 ドラゴンフライをたった一人で撃滅せしめるという伝説を皮切りにしよう。
 そんなジラルドの熱意に、寒風が吹きかけられる。

「――死の上に成り立つ伝説でか。いくら飾り立てようともMAIDは死人だ。隠してもいずれは暴かれる。
 その責任をお前は、いや……“お前達”は、どうやってとるつもりだ」

「それでも彼女は生きている。エターナルコアの加護を受けた以上、MAIDは決して死人などではないさ」


 考えてもみるがいい。大衆がMAIDを『人型決戦兵器』と認識している理由を。
 人々は、受け取り手は、観客は、読者は、このセカイと云う名のスクリーンからカタルシスを見出したいと考えている。
 Gの出現より連綿と続くこの悲劇の数々。あらゆる悲劇を打ち崩す為には、多少の欺瞞(ファルス)は致し方ないのだ。

 エターナルコアの真実が人々に開示された時……伝説は、クライマックスを迎えるであろう。
 MAID達は生きている。内に秘めた魂が変質しようとも、根底では繋がっている。
 Gという無念に対抗する武器を、彼女らは与えられた。記憶の殆どが無くなったとしても、運命だけは忘れてなどいない。
 この真実はいつか人々が知れ渡る事となり、そしてMAIDはいよいよを以って賛辞の慈雨に濡れるだろう。

 レイは銀色とも蒼白ともつかない懐中時計を取り出し、物憂げな面立ちをこちらに向ける。
 懐中時計からは鋭利な輝きが放たれ、いかにもそれが彼の冷然とした性格を現してるようにも思えた。

「……そろそろ時間だ。最後に、お前がそのマーヴとやらに入れ込む理由を聞かせてくれるか」

「育て親であるという自負ゆえの、使命感によるものだ」



 諦観にも似た眼差しと共に、一陣の風が体温を引き下げた。
 懐中時計は楔形の装飾に囲まれ、中心には皆既日蝕を思わせる黒々とした円が鎮座している。
 日蝕が彼の瞳と並んだ。見るな。その眼で私を覗き込むんじゃない。

 ――何が間違っていたんだ。レイ・ヘンライン、お前の期待していた答えを私は導き出した筈だ。

「これだけは云っておくか。お前が愛しているのはマーヴではなくお前自身だ。
 お前がうわ言の様に“愛”と呼んでいるそれは、無責任で不毛な自己愛に過ぎんさ」


 かくしてレイ・ヘンラインは踵を返し、立ち去った。言葉の吹雪は止んだのだ。
 遠ざかる白衣は陽光を反射し、それがまた彼の存在感を遠く、淡いものへと変えて行く。

「やれやれ。我が子を愛する感情というものをまるで理解できていないな、お前は」

 妻と共同作業で育てるその命を愛せぬ親が何処に居ようものか。
 この場合の妻は、おそらくはMAID技師であり、エターナルコアである。

 マーヴは愛されている。ジラルドも彼女に対して惜しみない愛を注いできたし、これからもずっと注ぎ続ける。
 その愛に偽りは無い。純然たる善意と共に邁進する事が何故許されない。
 気が付けば、レイの偽悪主義にも似た辛辣な意志に、ジラルドの心臓は握り締められていた。
 そもそも、彼とてMAIDを保有しているではないか。
 シザーリオオリヴィアという二人のMAIDを。それでも感情を否定するというのか。
 否定するならば、延々と感情の無い兵器でも作れば良いのだ。雪山に二輪の花は咲かせるべきではない。


「上辺を撫でた説教こそ不毛だ。そう思わないか……」

 お前は自分が英雄になれないから僻んでいるだけだ。
 率直さを忘れ、もっともらしい言葉で他者を責め立てているだけだ。
 可能性を否定すれば人は前に進むことが出来ない。
 折角教えてやろうと思ったのに。最大限の努力を私はしたのに。
 とうとう手応えを感じることは無かった。短い問答の中でそれを見出せなかったお前の罪は大きい。
 だから、呪いの言葉を浴びせよう。既に視界の外へと消えてしまった彼へ。

 ――私の世界に、お前は存在しない。
 視界の外に多くの“存在”が動いているこの世界に於いて、お前を殺す最大の凶器だ。

 お前は最初から存在しなかったし、これからも未来永劫存在しない。
 誰かがお前に接しても、私はお前を別の誰かに置き換える。
 お前が誰かに接しても、私はお前を別の誰かに置き換える。

 孤独の海に投げ入れ、無視と忘却の霧で覆ってやろう。
 お前が高らかに声を挙げたところで、誰も耳を傾けない。それは風の音だ。
 お前が天高く両腕を上げたところで、誰も目を向けない。それは枯れ木だ。
 お前が両目から涙を流したところで、誰も心を痛めない。それは水溜りだ。
 お前が両足で大地を蹴ったところで、誰も手で触れない。それは蛙か何かだ。

 さようなら……“停滞した男(アイスマン)”。
 私の世界では、誰もお前を認知しない。
 私の世界では、誰もお前を認識しない。

 お前が成し遂げた一切の功罪は、全て“名も無き誰かの瑣末な行動”として処理される。
 取り残されろ。この世界中の誰も彼もが、お前の持つ一切の可能性を白紙にするだろう。


「なのに何故だ……あの皆既日蝕の瞳が私を捕えて離さないのは、何故なんだ」

 大型旅客機と随伴する幾つかの影が、空を僅かに暗くする。
 喰い縛った奥歯は、錆と神託の味がした。



最終更新:2009年07月14日 23:23
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。