(投稿者:怨是)
レイ・ヘンラインの保有するMAID――
シザーリオはまず、一人目の目標をサーベルで斬り捨てた。
凶刃に為す術も無く倒れたその獲物は、このFrontier of MAIDの展示物の一つである。
「残り、十一体」
戦闘機を十数機を格納できる程の広さを有するこの会場でも、混雑という状況は存在している。
背中に束ねた銀髪を揺らし淡々と述べるシザーリオとは裏腹に、周囲は戦慄に彩られていた。
緊張によって大気は一度収縮し、次に銃声と共に破裂する。
軍事正常化委員会に所属する他のMAIDが、二人目を射殺したのだ。
「残り、十体」
ろくに対MAID用の戦闘経験を積んでいない展示品たちは、軍服姿の見物客と共に慌てふためく。
開戦の合図にしては、いささか粗末に過ぎるのではないかと呆れつつ、シザーリオはその様子を眺める。
「……まるで飼育小屋の鶏だ。汚濁の臭いが“鼻に付く”」
口を衝いて出た言葉が、視線と共に次の標的へと向かう。
観客の兵士達は頭が廻りはじめたのか、漸く手元の武器をシザーリオに向け始めた。
シザーリオへ向けて放たれた弾丸はしかし、彼女の元へ届く事は無かった。
彼女の盾にされたMAIDが、Frontier of MAIDの展示品が、それらを全て受け止めてしまっていた。
そのMAIDは、機動力を重視しつつ防御系の特殊能力を開花させたMAIDだという触れ込みで展示されていた。
哀れ、蜂の巣へ。その能力を開花させる事も無く、口元からただ、ただ、血液を垂れ流す。
「残り、九体」
背を赤い点で埋め尽くした肉の盾をシザーリオが捨てると同時に、黒旗の兵士達が怒涛の勢いで会場に流れ込む。
双眸に殺意を湛えながらも引き金は引かぬまま、正規軍の兵士達へとその銃口を向けた。
戦場が硬直する。誰かが動けば、両軍から銃撃が始まるであろうその膠着状態に、誰もが全身の毛穴を引き締めた。
ただ一人、ダガーナイフを引き抜きながら辺りを見回すシザーリオを除いて。
「怠惰を続けた結果だ。故に断罪される」
静まり返ったステージに、シザーリオの怒気を込めた声が響き渡る。
演説か。糾弾か。或いは怨み言の類か。周囲はそれを解する術を持たない。
「歪な輩、醜い輩、あまねく無能ども――」
背後の展示MAIDが、痺れを切らして光剣を振り下ろす。
シザーリオはそれを回避し、勢いの余った彼女の首筋に銃弾を撃ち込む。
変形機能を備えた光剣は生かされる事も無いまま、刃を霧散させた。残り、八体。
「社会の運営を妨げるというのなら、汚濁を焼かれて地獄へ墜ちろ」
会場の上空もまた、正規軍側の戦闘機と黒旗側の戦闘機が入り乱れていた。
機銃の銃弾が渦を巻いているかのように交差しあい、金属の弾ける音が
マーヴの鼓膜を断続的に刺激する。
今までの仕事とは異なり、相手はGではなく人であるという事実を噛み締めれば噛み締めるほど、奥歯の揺れが激しくなるのをマーヴは認めざるを得なかった。
通信機のピープ音が、味方――つまりは黒旗からの電波を受信した事を伝える。事前に指示されて調節したチャンネルだ。
《こちら軍事正常化委員会の臨時作戦本部だ。君が、新入りだね?》
「随分と派手な初陣になったもんだね。心が躍るよ」
《君は、人を殺すのは初めてか》
「Gだと思えば気楽にやれるさ……」
皮肉めいた口調で返したものの、それでも奥歯は理性より受け取った警告を、振動を以ってマーヴに伝えていた。
ひとつ間違えばGと同じ存在として見られるのではないかと考えると、木陰に隠れてやり過ごしたくなる。
「やれやれ。アタシに近寄るんじゃないよ」
ドッグファイトの戦域がマーヴへと接近する。
まだ相手側に敵と認識されていない今だからこそ逡巡の余地はあるが、グレーが黒へと変わるのは時間の問題だ。
生き延びるにはまず、意を決する必要がある。殺さねばこちらが死ぬ。そうでなくとも、不安要素は早々に片付けねばならない時代だった。
グレーな勢力をわざと射線上に巻き込み、事故を装って秘密裏に処理する事も珍しくはない。
マーヴは急上昇し、雲の上から敵軍の戦闘機を狙う。
モスグリーンにクロッセル連合の旗をプリントされた敵編隊のうち一機が、そこかしこから煙を噴いている。
敵に背を向けて逃げているようだった。その両隣の機体が後方機銃で黒旗の追撃をかわす。
「落ち着け、アタシ……ようやく自分を考え直す時が来たってんだ。どうせ今死ななくたって、アレはいつか死ぬ」
マーヴのボウガンから音も無く矢が放たれ、故障した敵機のコックピットを貫く。
パイロットを失った機体はコントロールを失い、山肌に突き刺さって爆散した。
気を取られた両隣の護衛機も、黒旗機に撃墜される。一機は川へ墜落し、一機は空中で爆発、四散する。
「勝手に火を噴いて墜ちたんだ……そうなんだろ」
構えたボウガンとそれを持つ右手を、左手で押さえ込む。
以前までは友軍だった彼らをこうして手にかけた――それが間接的であろうと――その心地は、晴れ渡った夕刻の空に反して暗澹としていた。
感傷に浸る間も無く、通信機が敵の電波を傍受する。
《赤の12だ! 今ので隊は俺を残して全滅した! 畜生が、殺ったのは誰だ》
《こちら青の3! 赤の12、聞こえるか。犯人はお前の後ろの三機編隊だ。俺にも仇討ちさせてくれ》
《頼んだ。俺も反転して仇討ちに加わ――》
《赤の12! 応答しろ! ……嗚呼、くそったれ、相手が
フライなら機銃なんて撃たなかったってのに! ケツまくれ、黒焦げ共!》
赤の12、赤の12、赤の12、どこかで聞いた。
面識もあった。どこかで会っていたかもしれない。思い出せない。
それでも、悪い男ではなかった筈だ。210レアで夜を共にしていたかもしれない程度には。
眼下の会場に視線を落とすと、屋根に小さな穴が開く様子が見えた。
赤の12はあそこに墜ちた。助かる見込みは無い。
「アタシは、誰も殺してない。殺ったのはあいつらだよ。アタシは、その手伝いをしただけさね」
そう、自分に云い聞かせる。
つい数分前に行われた通信での作戦本部の言葉が、何度も脳裏に反響する。
――人を殺すのは初めてか。
「手伝い? いや……アタシも、人殺しの仲間じゃないか」
マーヴは別に、人殺しがしたいのではなかった。
ただ、“伝説を義務付けられる”という、その鳥篭から抜け出したいだけだった。
そしてまた、伝説を打ち壊す事の可能性を黒旗から見出す為に、寝返るという手段を選んだだけだった。
ジラルドを初めとする伝説作家気取りの親馬鹿共に握り拳をお見舞いしてやる、ただそれだけで良かった。
急降下し、屋根の上に座り込む。
両軍の味方が居るここなら、誰も手出しはできない。そして、地上の戦闘でも流れ弾が屋根を突き破る事も無い。屋根の上で戦う理由も無い。
人対人の戦場の空気に動揺して気付かなかったが、屋根を見下ろしたその一瞬に、自身の本能が教えてくれたのだ。
屋根の穴から少しだけ覗き込むと、赤と黒の風景が広がっていた。
慌てて顔を引っ込めたが、手遅れだった。見なければ良かった。
喉の痺れる感触と、下腹部のひんやりした感覚が、涙腺を切り崩す。
Gに喰われた死体ならまだ諦めがついた。尚且つ見慣れていた。
この屋根を隔てて下に転がる死体の数々は違う。人類の敵たるGではなく、“他ならぬ人類”に屠られたものだ。
「……アタシは、何をやっちまったんだい?」
誰に問うでもなく呟き、マーヴは屋根を這いながら地獄門から遠ざかる。
あの地獄をもう見たくはない。身体中から流れ出る涙が、彼女にとっての悲鳴だった。
爆発音と共に、炎に包まれた戦闘機が人々の群れを分断し、掻き乱す。
戦闘機の残骸を踏み越え、数メートル先の次の標的をシザーリオは見据えた。
標的となるMAIDは、二丁拳銃を構えていた。
驚愕や恐怖を伴って築き上げられた弾幕の茨を、シザーリオは潜り抜けて標的の首筋に爪を立てる。
彼女からすれば、単に“高速で移動しただけ”である。
が、標的のMAIDは青ざめた表情を崩せないでいた。
「銃弾のビーム化能力が……」
シザーリオによって至近距離で突き立てられたナイフが、標的の眼窩の奥深くへと埋まる。
標的の握っていた二丁の拳銃は、両方とも弾切れを起こしていた。残り、七体。
「“作った、出来た、終わった”……。無能共が愉悦に浸る一つの方法だったな」
増え過ぎたMAIDのうちのたったの十二体、新しく生まれようが美辞麗句に飾られたプロファイルに包まれていようが、シザーリオにとっては路傍の馬糞のようなものだった。
もはや斬り捨てる一連の動作にすら、この衆愚どもから漂う数多の臭気が纏わり付いて来る。
新たな返り血で服を生温くする度、込み上げる虫唾に喉が痺れた。
しかし、だからこそシザーリオは剣から血を滴らせながら歩みを進める。
――贅肉は断ち切らねばならない。
次々と無駄な生産で貴重な鉱物資源を浪費する前に、この非生産的な連鎖に楔を打ち込まねばならない。
ステータスとしてのMAIDの保有など、もはや全く意味を成さないという事を思い知らせねばならない。
「貴重な空席を次々と汚すなど……」
敵兵より奪い取った短機関銃で、キャノン付きのMAIDとブレード義手付きのMAIDを続けて蜂の巣にする。
カタログスペックは、実際の戦闘で生かせねば意味が無い。然るべき運用法を見出せねば、飾り以上のものにはならない。
ただ撃つだけでは当たらない。ただ振り下ろすだけでは斬れない。残り、五体。
「その椅子から引き剥がしてやる。もはや泣き叫んだところで、貴様らは贅肉以外の何物でもない」
すぐ近くの標的を突き刺す。残り、四体。
少し遅れて報告の通信が入る。他の展示品のMAIDは、友軍が全て片付けたという内容だった。
「MAIDを偶像化し、消耗品にしたのは、他ならぬ貴様ら蒙昧な輩だ。パラダイムは急激な進化を嫌う」
従来のMAIDが、古くから居るMAIDが置き去りになる。
金属の塊である普通の武器とは異なり、MAIDは明確な世代交代が行われない。
即ち、残り続けるという事だ。パラダイムが加速度的に走り去った後に取り残されたMAIDと、その過程で生み出され続けるMAIDが合わさればいずれは膨大な数になる。
巨大な力を管理しきれぬ程の“数の暴走”を思えば、シザーリオはその兇刃を躊躇いなく振り下ろせた。
「それとも、在庫の処理方法を宣伝に委ねるか? このFrontier of MAIDのように」
一人、また一人と、敵軍が撤退をはじめる。
MAIDを失った以上、こちらに匹敵するだけの戦力を持たないと判断したのだろう。
増援が来るまでの時間稼ぎをするつもりならば、獰猛な善意の者ら――黒旗の兵士達は見逃す筈が無かった。
両軍の兵士達は次々と、赤い穴を穿たれ死顔を晒して行く。或る者は天を仰ぎながら、或る者は地に鼻を叩き付けながら。
その中で、死期を僅かに免れた兵士の一人が、シザーリオを睨みつけた。
「黒旗のMAID、お前に云いたい事がある! 兵士はな、ろくに偶像化すらされないまま消耗品にされて死ぬんだ。それだけは覚えておけ!」
「さりとて、奴隷市場に売り出される事はあるまい」
死に体の彼の顔を言葉ごと踏み砕いて止めを刺し、シザーリオは再び銃を構える。
――1945年2月21日。
Frontier of MAIDは甚大な被害と共に幕を閉じた。
クロッセル連合側が保有MAIDを増援として派遣するも、黒旗側は既に撤退しており交戦する事は無かったという。
同日、
エントリヒ帝国において元黒旗所属の
ライオス・シュミットが処刑される。銃殺ではなく、絞首刑であった。
反逆者という身分、そして遺族も居ない事から、遺体は細かく解体された後に焼却処分となったという。
最終更新:2009年11月10日 01:47