帝都から
フロレンツに向かった輸送機は、補給物資を降ろし補給を受けるとすぐに帝都へトンボ帰りしていく。
上空へ飛び立ったJu56輸送をアサガワは顔を上げて、見送った。
朝日が昇り始め、太陽の光が顔を覆う。陽の光が眩しいので、見送りはそれまでにし、アサガワは視線を元の高さに戻した。
緑と水の都フロレンツに到着したが、軍事飛行場の真っ只中を歩いているので、神秘的で自然的な風景は一切無い。
周囲に見えるのは、待機状態の戦闘機や輸送機と、兵舎や格納庫だけだった。
幸い、緊急発進する戦闘機は無かった為、耳をつんざく轟音は聞こえなかった。
アサガワから少し離れたところに、リュックサックを背負った
ジョーヌがネーベルヴェルファーを両手で持って、低空飛行していた。
巨大なネーベルヴェルファーを、歩きながら持ち歩くのは不可能に近い。だからジョーヌは地面という概念が無い空中で、それを持っていた。
ジョーヌからやや離れて、アサガワからは遠くに離れている
パラドックスの後姿が視線に入る。彼女は真っ先に宿泊地を尋ね、誰よりも早く輸送機から出ていた。
アサガワは何も咎めもせず、パラドックスの先行を許した。たまにはああやって、自由にさせておくのも悪くは無い。特務部隊での政治的な作戦に疲れている彼女にとって、少しばかりの自由は大目に見ようと思った。
すると、先を行っていたジョーヌが飛行速度を落とし、アサガワの隣に来るようにした。
ジョーヌは羽が当たらないように高さを調整し、心もとない表情でアサガワに話しかけた。
「あの、アサガワ教官」
「ん?どうしたんだ」
アサガワは返事を返すと、腰に掛けていた水筒を手にとって飲み口に口をつけた。喉の渇きを潤し、やがて口を離した。
「私の存在意義とはなんでしょうか?」
水筒のキャップを閉めたアサガワは、それを聞くと顔を大きく見上げ、晴々とした、雲ひとつ無い青空を眺める。
「レーゾン・デートル(存在意義)、か……ジョーヌ。顔を見上げて、この青空を見てみろ」
ちょっと不審な顔でアサガワを見るジョーヌであったが、大人しく彼女の言うとおりに顔を見上げて、青空を見た。
「これがお前だ」
青空に向かって、アサガワは指を指した。ジョーヌは何がなんだが分からずに、目が点になってしまった。
そんな彼女を見たアサガワは少し笑うと、視線を元に戻す。まだジョーヌには早かったらしい、とアサガワは思った。
「自分の目的とか、存在意義なんて、他人に聞くだけ無駄だ。自分のことは、自分自身が良く知っているはず。私には、その手助けができることしかできない」
「この青空が、私ですか……ありがとうございます、アサガワ教官。おかげさまで、元気が出ましたわ」
ジョーヌはそう言うと感謝の意を表したのか、アサガワに向かって微笑んだ。
第三話『戦場跋扈』
「何か質問は?」
フロレンツが夜に入った時間だった。軍事飛行場の近くで置かれているホテルの一室で、アサガワは椅子に座りながら、質問の是非を問う。
彼女の前には、ジョーヌとパラドックスが立っており、どちらも戦闘服に着替え、両手を後ろに置いている。
若干の沈黙の後、質問は無いと悟ったアサガワは立ち上がると、書記机に置いていた帽子を取った。
「領事館からの情報によると、あと三分後ちょっとでデモが行なわれる。それに乗じて、何かしらのアクションを黒旗は取るだろうな」
飛行場から出て行き、ホテルに宿泊。午後から自由行動をかねて、潜伏している黒旗を探索するものの、尻尾すら掴めなかった。
それほどまでに巧妙に潜伏している黒旗を見ると、それほど大掛かりな作戦をしているのか、それとも単なるデマなのか、とアサガワは思ってしまう。
「ジョーヌは私と同伴してくれ。パラドックス、お前は……」
そのとき、部屋のドアをノックする音がアサガワの言葉を遮った。
アサガワがホテルに宿泊する際に、従業員に「フロレンツ駐留連隊以外の面会などは遠慮させてもらう」と言っていた事をパラドックスは思い出す。
すかさず、足元に置いていた、細長いカバンからネイルガンを取り出した。そして、コッキンレバーを引く。
フロレンツ駐留連隊からの報告にしろ、事前に連絡の一つはするものだった。今のお客はノックだけをして、黙っている。怪しまれずにいられなかった。
同じ事をジョーヌは思っているのか、壁に立てていたMG42を素早く手にとって、静かにコッキングレバーを引いた。
「君か。入ってくれ」
緊張に満ちた空気の中、アサガワはドア越しのお客に入るように促した。パラドックスは、アサガワの方へ振り返って、彼女の行動に難色を示した。あまりにも、不要心すぎる彼女の行動に。
パラドックスがアサガワの方へ顔を向けたとき、ゆっくりと部屋のドアが開いた。パラドックスはドアの方へ視線を戻すと、そこには迷彩服と呼ばれる野戦服を着た『骸骨男』が部屋へ入っていく。
黒色のバンダナを頭に巻き、目先だけを露出したバラクラバを顔に装着していた。顎の部分はバラクラバに刺繍された、骸骨の模様が施されており、さながら『迷彩服を着た骸骨が歩いている』という印象をパラドックスに与えた。
目は蛇のように鋭く、幾多の戦場を潜り抜けてきたような眼光を持っていた。
「お久しぶりです、アサガワ教官」
ジョーヌとパラドックスの間で立ち止まった骸骨男は立ち止まるや否や、アサガワに向かってそう言うと敬礼した。
若々しさが残った、勢いのある声が部屋中に響いた。アサガワは骸骨男に敬礼を返し、彼の方へ歩いていった。
「久しぶりだな、ブレイン。景気の方はどうだ?」
「まずまず、だな。最近は交戦区域に向かう輸送車の護衛や、最前線での偵察任務が多い」
アサガワと、ブレインと呼ばれた骸骨男は世間話を始めた。アサガワに敬礼をしていることから、軍隊に所属する者として考えられないブレインの話し方に、呆気に取られるパラドックスとジョーヌ。しかし、アサガワたちは世間話を続けた。
「迷彩服を購入したのか?ずいぶんと高くついたんじゃないのか?」
「ああ、高くついたさ。でも、俺らの戦績が認められたのか、帝国は三割引きまけてくれた。性能は、国内の森林と限りなく近い配色で中々だな」
ふぅん、とアサガワはじっくりとブレインが着ている迷彩服を眺めた。そのとき、業を煮やしたパラドックスが大げさな咳払いと同時に、口を開く。
「教官。お話の最中、失礼しますが」
「ああ、すまない」とアサガワは我に返ると、申し訳ない表情でジョーヌとパラドックスを見た。
「彼は、私の教え子で元武装SSの……」
「ブレイン・アムセルだ。ゴーストバスターズの隊長を勤めている。ちなみに、スケルトンと呼んでくれ」
アサガワの言葉に続いて、ブレインは自己紹介を済ませると敬礼をした。引き締まった筋肉が、迷彩服の上からでも分かるぐらいの、屈強な男だった。
ジョーヌはふてぶてしく、敬礼をする一方でパラドックスは彼に敬礼はしなかった。
「ゴーストバスターズ……もしかして、あの傭兵集団でございますか?」
ジョーヌはハッとして、ブレイン・アムセルのこと『スケルトン』を指差した。最前線での威力偵察や、Gに対する特殊作戦を遂行する、傭兵集団ゴーストバスターズ。
各国の特殊作戦郡にひけをとらない最精鋭の兵士で構成され、
グレートウォール戦線で
ヨロイモグラ十匹を殺害したという伝説を持っていた。
「今回は非公式作戦だからな。彼らのような、自由気ままな傭兵集団は何かと役に立つ」
「そんな重要なことを、報告しないとは……教官も自由気ままですわね」
皮肉を言ったジョーヌに、スケルトンは両肩を揺らせて笑った。蛇のような目が、柔和な笑みを作り出している。
「愉快なMAIDたちだな、アサガワ教官。気に入ったよ」
まだ笑いを堪えきれないのか、言葉を詰まらせながらスケルトンはそう言うと、パラドックスに向かって歩き出した。
パラドックスは身構えるが、アサガワからの視線を感じて、構えを解いた。スケルトンは、そんなパラドックスの目の前に来ると、右手を差し伸べた。
その動作の意味を悟ったパラドックスだったが、彼女はスケルトンの右手を見たまま、微動だにしなかった。
「あんたがパラドックスか。アサガワ教官から話を聞いている。短い間だが、よろしく」
パラドックスは、スケルトンの言葉の意味が理解できない。ちらりとジョーヌを見るが、彼女は「私は知らない」といった表情で右手を振った。
「お前は、スケルトンと一緒に行動してくれ」
アサガワはそう言うと、パラドックスは形だけの握手をした。そのとき、遠くの方から爆発音が轟いた。
部屋に居た全員が一斉に、部屋の窓へ視線を向ける。建築物が立て並んだフロレンツの、領事館付近だった。黒煙と炎が夜空を照らしている。
「もう始まっているそうだな。作戦開始だ、諸君」
アサガワはそう言うと、両手をパンと叩いた。
「引っ込め!治安維持隊め!」
領事館近くの、噴水広場で怒号と喧騒が交差していた。領事館へと続くレンガ造りの道路を、治安維持隊が横一列になって外部からの侵入を拒んでいる。
彼らがそうする理由は、五十メートル離れたところで百人規模でデモ活動を行なっているフロレンツ市民のせいだった。
市民たちはフロレンツの独立権を求めて、領事館に押しかけようとしている。それを阻止するために、治安維持隊が出動していた。
鉄製の防護盾を前へ突き出し、腰には暴徒鎮圧用のトンファーと殺傷性をなくした拳銃を持っていた。
「防衛線を上へ押し上げろ!市民はレンガや空き瓶しか持っていない!」
阻止線を貼っている治安維持隊の後方に置かれた兵員輸送車の搭乗ハッチから身を乗り出して、指揮官が怒鳴っていた。
指揮官の指示によって、前線の治安維持隊はゆっくりと、市民たちを追い込むように前進する。指揮官は、このまま順調に行けばデモは数十分で鎮圧されるだろうと思った。
「フロレンツ駐留連隊より、連絡が入りました!『我、二個小隊規模の兵員を増援に向かわせたり』」
兵員輸送車の内部から、無線担当の者が指揮官に無線の内容を伝えた。指揮官はそれを素直に喜ぶはずもなかった。
指揮官もまた、フロレンツの自治権を望んでいる者で、フロレンツ駐留連隊と称した
エントリヒ帝国の軍隊を快く思っていない。
自治権を望んでいるといっても、こういった暴力に身を任せたデモは嫌いだった。穏便な解決方法があるはずだと、指揮官がそう思っている。
そのとき、一定の距離を保っていたデモの中で、一人だけ突出して治安維持隊に向かって走っていく男の姿がいた。男の手には、空き瓶が握られている。
不審に思った指揮官が、前線部隊に注意を促そうとした瞬間、男は空き瓶を投擲した。
空き瓶は宙に浮かび、中央で防御体勢をとっていた前線部隊に当たった瞬間、それはいきなり爆発する。周囲に火炎と火の粉を撒き散らし、空き瓶が爆発した付近の隊員が炎に包まれる。
「火炎瓶だと?!」
無線担当の隊員が兵員輸送車銃眼から、炎に包まれた隊員を見て、そう叫んだ。
「くそったれ、どうやって持ち込んだんだ!」
指揮官が悪態をつくと、数人の市民が瓶を握りながら治安維持隊に向かって走り出す。炎に包まれた隊員たちを救助していた前線部隊は、それの反応に遅れてしまった。
投擲される瓶。宙に浮かんだそれは、隊員に直撃すると爆発した。
炎に包まれた隊員たちは叫び声を上げながら、あらぬ方向へ走っていく。
「左翼部隊、負傷した隊員を救護しろ!右翼部隊、前へ!一斉に検挙だ!!」
指揮官はそういうと、右翼部隊は前線部隊より前へと突出し、防護盾を前へ突き出す。さらに空いている手で暴徒鎮圧用の拳銃かトンファーを取り出した。
治安維持部隊が検挙をしようとするのを悟ったのか、デモに参加していた市民たちは一斉に後退する。
しかし、後退する市民の中で一部だけその場に残っている者がいた。指揮官は目を細めて、残っている市民を凝視する。武装SSのような軍服を着た集団だった。
一つの固体用に固まった集団で最前列に立っている男が、背中から細長い筒を取り出し、それを肩で担いだ。それが対戦車ロケット砲だと気づいた指揮官は、咄嗟の判断に遅れた。
「総員退避!!」
大声を張り上げて、部隊の退避を命じた。それよりも早く、対戦車ロケット砲を担いだ男からロケット弾が発射される。弾頭は高速で、検挙しようと突出した右翼部隊に直撃し、爆発と轟音が交差した。
周辺に防護盾の破片や、隊員たちの肉片を撒き散らし、辛うじて無事だった隊員を後方へ吹き飛ばす。
それに乗じてか、対戦車ロケットを発射した男の周辺にいた男女はSTG45やMP40、さらにMG42を取り出し、トリガーを引いた。
前線部隊が気を取り戻す前に銃弾が襲い掛かる。それらは瞬く間のうちに隊員たちに向かって、射撃する。幸いにも、銃弾に命中した隊員は居らず、一目散に前線部隊を後退していった。
「後退だ、この広場は放棄する!負傷した隊員を最優先に保護しろ!」
指揮官を乗せた兵員輸送車が、広場から後退する。前線部隊はすでに陣形を崩し、負傷した隊員の救護に向かっている。武装した集団は、それでも銃火器のトリガーを引いていた。
為す術もない指揮官は、歯軋りをしながら遠ざかっていく広場を睨み付けた。すると、一台のトラックが兵員輸送車を通り過ぎようとする。指揮官は慌てて注意しようとしたが、トラックは急に立ち止まった。
周囲の隊員は、同僚の肩を持ちながら後退していく。あまりにも急に現れたトラックは眼中に入っていなかった。
「そこのトラック!ただちに後退しなさい!!」
立ち止まったトラックに向かって、指揮官は怒号を浴びせる。それに応えるかのように、トラックの積み荷のハッチが開いた。銃弾が飛び交う中、トラックの積荷から迷彩服を着た兵士たちが続々と飛び降りる。
黒色の覆面を被り、フリッツヘルメットを頭に被っている兵士たち。右手には大型の防護盾を装備し、左手には拳銃を握っていた。
「まさか、フロレンツ連隊の増援が……あいつらだとは」
覆面を被った兵士の肩に施されたエンブレムを見て、指揮官は驚く。フロレンツに駐留していると噂が流れていた、傭兵集団『ゴーストバスターズ』のエンブレム。
骸骨が銃弾を咥えた不気味なエンブレムが、炎によって包まれた広場の明かりによって照らされる。
指揮官が驚く暇も無く、後退する前線部隊の後方から発砲音が鳴り響く。指揮官は後ろへ振り返ると、迷彩服を着たゴーストバスターズの隊員が横一列になって、ライフルの先端に装着したグレネードを発射していた。
しかし、発射したのはグレネードではなく、発煙筒だった。武装した集団と、降下したゴーストバスターズの隊員の間に煙幕が遮る。
「この場の指揮官はお前か?」
兵員輸送車の隣を、一台のジープが停止する。乗車席には三人の女性と一人の男性が乗っていた。
その中で、助手席に座っていた軍服姿の女性が指揮官に詰め寄る。セミロングヘヤの、美しい金髪をした女性だった。腰には日本刀を帯びている。
「ああ、私だ!フロレンツ駐留連隊の増援でいいんだな?」
「その通りだ。君の部隊はよく頑張った。後は彼の傭兵集団と、私の部下が現場を引き継ぐ」
運転席に座っている、骸骨の覆面を着た男と、後部座席に座った二人の女性を指差した。
恐らく、男の方はゴーストバスターズの隊長である、スケルトン。女の方は、MAIDだと指揮官は断定する。
「分かった。相手は対戦車ロケットや、マシンガンを装備している!気をつけてくれ!!」
助手席に座った女は、「ああ、分かっている」といったジェスチャーをする。
「操縦手、後退しろ!無線担当、近場の病院に緊急連絡!重傷を負った患者を最優先に運び出せ!」
フロレンツに就いてから色々なデモを鎮圧してきたが、これ以上の騒ぎになったことは無い、と指揮官は心の中で思う。
一種のテロじみた活動に、良からぬ事が起きるのか、と指揮官は考えた。煙幕を切り裂く銃弾が、指揮官の肩を掠める。彼は慌てて兵員輸送車の中へ入った。
「隊長、敵はがむしゃらに発砲するだけです!」
防護盾を構えて、中腰でその場に待機する隊員が、スケルトンに向かって叫んだ。ジープを道路の隅に駐車させ、アサガワとスケルトンは姿勢を低くして最前線へ走り出す。
残されたジョーヌは、ジープの荷台に置かれた無線機を背負い、一メートル前後のライフルケースを取り出す。
一方、パラドックスも無線機を背負い、ネイルガンとMG42を両手で持つと、アサガワたちの方へ走り出した。
「敵は一個分隊規模ですが、MG42とSTG45、MP40を装備!かなりの重装備ですよ!」
「全く、戦争でもやらかすつもりか?」
煙幕を切り裂く銃弾を、防護盾で防ぐ隊員は、後ろで拳銃を持ったアサガワに現状を報告する。
アサガワの隣には、防護盾を構えたスケルトンが近くに居る隊員に指示を送った。
「ジョーヌ、パラドックス!誰でもいい、無線機を貸せ!!」
銃声に負けない怒号で、こっちに向かって走っている二人のMAIDの名をアサガワは叫ぶ。
滑り込むようにパラドックスがアサガワの隣に来ると、無線機を取り出した。
「こちら、ゴーストバスターズ。総領事館付近の広場で発生したデモ活動は、黒旗党員と思わしき武装集団によるテロ活動によるものだ。フロレンツ駐留連隊は、市街地戦を特化した部隊を編成し、総領事館周辺で待機!」
アサガワはフロレンツ駐留連隊司令部に連絡巣をすると、無線機の受話器をパラドックスへ渡す。
「ジョーヌ、私の武器を!」
「言われなくても、分かっていますわ」
パラドックスの後ろで待機しているジョーヌは、ライフルケースからPTRD対戦車ライフルと、それの弾薬が装着されたベルトを取り出す。
「スケルトンたちは回りこんで、右側面から攻撃。私とジョーヌは上空から、奴らの動きを偵察及び攻撃する。分かったな!」
ジョーヌを除いた二人が了解、と叫んだ。アサガワは返事をしなかったジョーヌを見る。
「あのー教官。一つだけ言ってもよろしいでしょうか」
何とも言えない表情で、ジョーヌはアサガワに質問した。アサガワは首を小刻みに縦へ振ると、ジョーヌは言葉を続ける。
「教官は、私と一緒に上空から偵察と狙撃をするとおっしゃいましたわね」
話が長くなりそうだ、と思ったスケルトンはパラドックスを連れ出す。それを見届けたアサガワは「続けろ」とジェスチャーを送った。
「背中に乗せるにしても、無線機を背負っているので無理ですわ。とても、教官を上空にお運びするのは不可能だと……」
「何を言っているんだ、ジョーヌ。PTRDを取り出したバッグの中身を良く調べてみろ」
ジョーヌは空っぽになったはずだった、バッグの中に手を突っ込んだ。何かの感触がする。ジョーヌはその物体を手に掴み、引っ張り出した。
「これを使うんだ。ちょっと、息苦しいかもしれないぞ」
ジョーヌは掴んだのは、平べったいベルトのような形をした金具付きロープの束だった。
空戦MAIDが身に着ける、武装などの転落防止用のものだとジョーヌは気がつく。
「えーと、まさかだとは思いますけど」
アサガワはジョーヌが持っているロープを手に取り、軍服の上に重ね着しているフライトジャケットの金具に、フックを装着し始める。
「そのロープを、教官ご自身のフライトジャケットに装着して」
フライトジャケットの至る所に、ロープが装着されていた。アサガワはそれを引っ張り、強度を確かめる。
「私のフライトジャケットにそのロープを装着して、教官が私を、おんぶするような姿勢で飛行するとかそんな無茶なことはしませんわよねー」
「次はお前の番だ。このフックを引っ掛けろ」
乾いた笑い声をあげるジョーヌに、アサガワは無慈悲にフライトジャケットに装着されたロープを、彼女に差し出した。
「息苦しいことあったもんじゃないですわ!もう!」
悪態を突くジョーヌの目の前には、アサガワが背中を密着していた。ジョーヌの視線を考慮して、アサガワの頭は彼女の上半身にずらされている。
アサガワはPTRD対戦車ライフルを持っており、細長い銃身を左手で支えていた。二人はフロレンツの上空を飛んでいる。
雲の隙間から見える満月の光が、二人に降り注いでいた。ジョーヌは急降下すると、煙が発生している総領事館前広場の上空を旋回。
「お前は元々飛行速度が遅い。だが、スタミナは優れている。それを重視して、敵の射程外からの飽和攻撃を仕掛ける。分かったな?」
「分かってますわよ」
ジョーヌはMG42を突き出す。アサガワはPTRDのスコープを覗くと、広場周辺の状況を確かめた。
防護盾を使って、阻止線を貼った威力偵察隊の後方に居る近接戦闘部隊から、ライフルグレネードによる発煙筒が続いている。
武装集団は、持ち場を離れずに銃撃を叩きこんでいた。両者の間には、灰色の煙が昇っている。
「ジョーヌ、スケルトンに連絡!我、これより攻撃を仕掛ける!」
「分かりましたわ。こちら、ジョーヌ!アサガワ教官より伝令!我、これより攻撃を仕掛ける!」
ジョーヌがスケルトンに無線連絡を行なっている間に、アサガワはPTRDのコッキングレバーを引いた。
その後、スコープを覗く。MG42を腰ため撃ちで乱射する、女性の頭部に照準を合わせた。帽子を目深に被った、黒髪の若い女性。距離は約200メートル。
「久しぶりだな、狙撃なんて」
アサガワは呟くと、トリガーを引いた。全身に響く衝撃と共に、PTRDの銃口から14.5ミリメートル徹甲弾が発射された。
銃声が、フロレンツに響き渡る。スコープに映っている女性に、PTRDから発射された徹甲弾が上半身に直撃した。
女性の上半身と下半身が離れ離れになり、周囲に臓物と血飛沫を浴びせる。女性を食いちぎった徹甲弾は勢いを止まずに、隣でMP40を撃っていた男性の頭部を破壊させた。
「ダブルキル、ですわ」
空戦MAIDは通常の人間よりも視力が発達している。300メートル先の光景をジョーヌは、双眼鏡を使わずに確認できた。
広場の武装集団は、いきなり二人が死んだことに慌てていた。
アサガワはPTRDのコッキングレバーを引き、空になった薬莢を排出した。そして、腰に巻きつけた弾薬ベルトから14.5ミリメートル弾を一発、取り出す。
「ジョーヌ、地上の威力偵察隊と近接戦闘部隊に連絡。敵、陣形を乱したり。攻勢に仕掛けよ」
アサガワの指示通りにジョーヌは無線機を使って連絡している。その間にアサガワは、PTRDに14.5ミリメートル弾を装填させた。
連絡を聞いた威力偵察隊は、防護盾を前へ突き出し、煙幕の中へと突っ込む。
それと同時に、近接戦闘部隊はライフルグレネードからトンプソン短機関銃に持ち替えた。
「勝負ありましたわね」
不適な笑みを浮かべながら、ジョーヌは呟く。
「ああ。確かにな」
まだ油断は出来ない、とアサガワは思いながらPTRDのスコープを覗き込む。慌てふためく武装集団に止めを刺すかのように、煙幕の中から威力偵察隊が姿を現す。
防護盾を前へ突き出し、右手の拳銃を防護盾の外へ出していた。彼らは拳銃のトリガーを引き、無防備だった武装集団を全て殺害した。
「この程度の武装集団を制圧できないなんて、フロレンツの治安維持隊はお粗末な実力ですわ」
ジョーヌがそう言った瞬間、広場から百メートル離れた民家の屋根から轟音と同時に噴射炎が迸る。
ほぼ同時のタイミングで前線に出ていた一部の威力偵察隊の隊員が吹き飛んだ。爆発と同時に宙へ舞い上がられ、手足を四散させながら。
「対戦車ロケット?新手か!!」
アサガワは、PTRDのスコープを使って火線の方角を調べようとした瞬間、また轟音が鳴った。
またも、隊員が爆発の中に飲み込まれる。
その音は、エントリヒ帝国陸軍が使用する『ウンゲツィーファーシュレック』名称。ファーシュレックの発射音と同じだった。
スコープを覗き込んだアサガワの目には、先ほどのロケットを打ち込んだ人影を捕らえていた。
弾頭を発射し、発射口から煙が出ている二つのファーシュレックを両脇に抱えるようにして、民家の屋根の上を走っていた。
走っている速度は尋常ではなく、アサガワでも捉えるのがやっと、というぐらいであった。夜なのであまり見えないが、青髪の眼鏡をかけた女性。恐らく、黒旗のMAIDだろう。
「ジョーヌ!スケルトンに連絡しろ。B方面に黒旗MAIDが逃走中!そっちで対処してくれ!」
アサガワはそう叫ぶとスコープを覗き込んだまま、トリガーを引いた。徹甲弾は全速力で走っていくMAIDの足元で着弾。
屋根の素材となっていた、レンガが水柱のように吹き飛んだ。こちらの射撃を悟ったのか、逃走するMAIDとスコープ越しで目が合う。
MAIDは冷や汗をかきながら、不気味な笑みを浮かべていた。
左手で細長いPTRDの銃身を支えていたが、それを離して、コッキンレバーを引かす。
空薬莢が宙に浮かんだと同時に、弾薬ベルトから弾丸を取り出し、装填させる。そしてまた、コッキングレバーを引いた。
トリガーを引くと、銃声が鳴る。しかしMAIDは跳躍し、弾丸は先程までそれが居た空間を貫くだけだった。
スコープ越しのMAIDは挑発するかのような笑みを浮かべ、屋根の上から飛び降り、姿を消す。
「近接戦闘部隊、威力偵察部隊を保護して後退だ!」
「教官、敵の増援ですわ!」
アサガワは指示を出しながら舌打ちをする手前、ジョーヌはそう叫んだ。下を見ると、広場の入り口となる、市街地の道路から小火器で武装した集団が走っている。
近接戦闘部隊の一部が発煙筒を投擲し、両者の間に煙を巻く。その間に、負傷した威力偵察隊を近接戦闘部隊は連れ出した。
「黒旗は戦争でも引き起こすつもりですわよ!私たちはGと戦争をやっている最中なのに!」
大きく旋回したジョーヌは、黒旗の増援らしき集団の背後を取った。そして、MG42を前へ突き出しトリガーを引きながら、武装集団の頭上を横切った。
MG42から放たれる弾丸は、瞬く間のうちに集団を蜂の巣にしていく。
「敵の規模は一個分隊。まだ小規模……?」
武装集団からの銃撃を回避するジョーヌに密着したアサガワは、スコープを覗きながら戦況を確認。
こちらに向かって銃火器で応戦する集団の中に、異質な者が居た。黒色の袴と胴衣を着た、男。
身長は高く、体つきは細長い。そして、アサガワの目を引いたのは、腰に帯びている刀であった。
数百メートル離れたアサガワの目でも分かる位に、男が帯びている刀は妖しい気を発していた。何よりも、その刀は失踪したアサガワの妹が、大事にしていた『ムラマサ』だった。間違うはずも無い。アサガワ家の家紋が鞘のところに彫られていたのだから。
「ジョーヌ、低空飛行!私はあの集団に突っ込む!」
「え、え?何をおっしゃっていますの?!」
アサガワの怒号。それは先程までとは別格で、まるで野獣の雄たけびのようなものだった。
その覇気に押されたジョーヌは、慌ててしまう。一方、アサガワはフライトジャケットに固定されていた金具を取りはずしながら、前方を見つめる。
その視線の先は、ムラマサを帯びている男に向けられていた。
「いいから早くしろ!お前は、スケルトンのところへ救援に向かえ!」
ジョーヌは萎縮しながら、高度を落とす。アサガワがそのまま地面に着地しやすいように、地面と擦れ擦れの高さまで落とした。
手足が吹き飛んだ威力偵察隊の遺体を横切った瞬間。アサガワはフライトジャケットに装着していた金具を全て外し、地面に着地。
スライドするかのようにアサガワは煙幕の中へ突っ込んだ。スリングベルトに引っ掛けていたPTRDの銃口が地面に擦れる。
「うぉおおおおお!!」
煙幕の中を突っ走り、灰色の景色の次に現れたのは武装集団と、彼らに囲まれるようにして腕組みをしている男。
だがアサガワの目には、ムラマサを帯びた男しか眼中に入っていなかった。PTRDを右手で持ち、トリガーを引く。
発射された弾丸は、突然の来訪者に対処できなかった武装集団の前線を崩した。周囲に血飛沫が四散する。
PTRDを捨てて、アサガワは腰に帯びたオロチを鞘から抜く。そのとき、上空を飛翔しているジョーヌからMG42の弾丸が発射された。
行きがけの駄賃なのか、あっという間に一個分隊の武装した人間を蜂の巣にする。アサガワの目の前には、あの男しか立っている者はいない。
アサガワは、左足で踏み込むと同時にオロチを縦に斬った。踏み込みによって、男の懐まで一気に距離を詰めた。そしてオロチの刀身は男の頭部を真っ直ぐ切断しようとしたが、それよりも早く男は鞘からムラマサを抜き、防ぐ。
「御機嫌よう、異国の武士。ちょっとお尋ねしたいことがある。特に、お前が今しがた鞘から抜いた刀について!」
お互いに鍔迫り合いの体勢に入った中、アサガワは怒りを抑え切れない口調で男に尋ねた。間近で見る男の顔は、無精ひげを生やしており、目は狐のように細い。頬は痩せこげており、流れ者といった印象をアサガワに植え付けた。
「それがし、人前で話すのは苦手なんでな。それも女子が相手だと、余計に喋れなくなる」
低くくぐもった声で、男は口を開く。アサガワは体重を乗せながら、オロチの鍔を男の方へ押した。交差する刀の隙間から男の額に目掛けて、思いっきり頭突きをかます。
「それでも結構!」
アサガワは半笑いの表情で言うと、男は虎のように殺意に満ちた視線をアサガワに送る。お互いの吐息が肌で感じるぐらいの、距離だった。
「指や脚を刺身にすれば、嫌でも喋るぞ」
アサガワはそう言うと、舌なめずりをした。
関連人物
最終更新:2009年12月01日 16:16