Chapter 4-1 : 帰路の先

(投稿者:怨是)



 1945年4月15日、ジークフリートがザハーラ戦線から帰国した。
 その報せをメディシスが聞いたのはジークの帰国から数時間後の午後3時、ユリアン・ジ・エントリヒが会議を終えるのを、皇室親衛隊営舎三階のテラスで待っている時の事だった。
 他のMAIDについては「製造年月日を祝う馬鹿が何処に居る」などとのたまう関係者も、ジークの誕生日だけは特別らしく、彼女のバースデーパーティの為に準備を進めているらしい。
 国内でもうすぐ150に辿り着こうとしているMAIDの一体ずつを、国を挙げて祝うのは愚かでしかない。祝うなら仲間内でいい。
 ジークフリートの場合は皇帝のお気に入りであるから、このような事も許され……

「……る訳がありませんわ」

「メディ? どうかしましたか」

 隣で紅茶を飲んでいたスィルトネートが、怪訝な顔でカップを置く。メディシスは自分が独り言を呟いてしまっていた事に気付き、その場を誤魔化すべく、スィルトとは入れ替わるようにしてカップに手を付けた。

「いえ、何でも。ただ、毎年4月20日を含めたこの数日間が憂鬱で仕方ないと思っただけですわ」

「毎年って。私達はまだ生まれて四年間ですよ」

「四年目にして既に毎年憂鬱としか云いようが無いと申しているのです」

「ほうほう、それではメディシス殿。不肖スィルトネートに、なんなりとお聞かせくださいませ」

 彼女はそう云って立ち上がり、こちらに向かってお辞儀してみせる。芝居がかった言葉遣いも相まって、それがメディシスには滑稽に映った。思わず噴き出しそうになるのを堪えながら、こちらも負けじと芝居に応じる。出来れば色とりどりの羽の付いた扇子を持ってスィルトに向けたかったが、季節の都合上、生憎と手元に扇子が無かった。
 が、「苦しゅうない。わらわの話を聞くが良……」とまで云い掛けて、メディシスは急に気恥ずかしくなった。やはり、こういう演技は無理だ。

「うわ、何かお互いに鼻に付く」

「気のせいでしょう」

「そう願いたいものですわね」

「で? 憂鬱な理由って?」

 気を取り直し、再び椅子に座る。少しだけ間を置いてから、メディシスは左手の人差し指を机に置いた。

「えぇ。まず、わざわざ誕生日の為だけにジークをザハーラから引き上げさせる事。多くのMAIDが誕生日などお構い無しに戦場に残っているというのに、何故、彼女ばかり。官僚達は揃いも揃ってジーク、ジークと。いくらあの皇帝のお気に入りだからって。ねぇ?」

「ジークを持ち上げる事で皇帝からの覚えを良くするというのは、皇帝派官僚の常套手段ですね」

「やり方がよろしくありませんわ! 国威高揚がどうのと彼ら官僚はのたまっているそうですが、それならいっそ、誕生日返上で戦い続けているという内容を新聞記事なりで書いたほうがよほど効率的ではありませんこと? だいたい、冬期から春期にかけて催し事が集中しすぎている」

 冬季から春期、つまり年末年始から四月、五月ごろは確かにGの動きも鈍い。官僚のみならず軍部でも、この期間にあまり多くの戦力を出しても手持ち無沙汰な兵士が増えてロスが出てしまうという名目から、出兵に関して消極的だった。元来G-GHQの定めるところでは、各国は保有する戦力の何割かを――MAIDは特に――海外への派遣に廻す事が義務付けされている筈だ。ザハーラは季節ごとの気候の差異が少ない分、冬であろうと恒常的にGが動く。ところがこの国で派遣されるのは、三割を僅かに上回る程度だった。
 その上、お祭りを開こうなどとは!

「あまり余裕は無いというのにこの体たらくでは、ますます他国の物笑いの種になるばかりですわ」

 メディシスの熱弁に気圧(けお)されたらしいスィルトネートは、西日になりかけている空を一瞥し、難しい顔をしながらまたこちらへ向き直った。

「あの皇帝の考える事ですから、どうせ“余裕が無いからこそ遣る”という魂胆でしょう。黒旗の一件もひとまずは火の粉が帝国に及ぶ事は無くなり、MAID失踪および変死事件もすっかり鳴りを潜めましたし。でも、それにしたって、祭事に関する交渉は殆どが我が王、ギーレン宰相の手腕だというのに」

「宰相閣下は、もっと評価されるべきだと思いますわ」

「ですよね……お心遣い、痛み入ります」


 空気が沈んだ。
 メディシスはこういう湿った空気があまり好きではない。慌てて本題へと舵を戻す。

「で、ハイ三つ目! 肝心のジークがまた日和見というのはどういう事ですの? もはや国家レベルのストーカーでしてよ。これ!」

 メディシスは鞄から帝都栄光新聞を取り出し、スィルトネートのほうへとかざす。「毎度おなじみだ」といった表情で、スィルトネートもメディシスも溜め息をついた。トラブルの元……というよりも、凶兆と云わんばかりにこの新聞はあらゆる事物の前触れとして彼女らを悩ませた。新聞でしつこく悪口を書かれたMAIDが、消される。いつだって、そうだった。

「あぁ……今日の分はまだ読んでなかったので、ちょっといいですか?」

「どうぞ」

 スィルトネートを隣に寄せ、新聞の一面を開く。

「何故隣に」

「実は、忙しくてわたくしもまだ読んでませんの」

 メディシスも、今日はどんな戯言が書かれているのだろうと皮肉めいた期待を抱きながら目を通す。
 その直後、メディシスは二、三行で絶句した。予想だにしない程の熱が、この記事からは感じられたのだ。

1945年4月15日

   ジークフリート、遂に帰国!
 親愛なる国民諸君、吉報である。
 我らが守護女神が二ヶ月間のザハーラ出撃から遂に帰ってきた。
 この世に生を受けて早五年弱、最強の力を以ってしてグレートウォール戦線を守り続けてきたジークフリート。彼女がザハーラへ赴き、我々は守護女神の不在に夜も眠れぬ日々を過ごしてきた事は記憶に新しい。
 だがしかし、地獄の熱砂の渦中にて剣を磨いた彼女を見て、我々は後悔しただろうか? 彼女は、更なる力を手に我らが帝都へ戻って来てくれた。
 
 ザハーラ戦線(西から東まで、全て!)での彼女の数々の武勇伝を覚えているだろうか。
 センチピード級が三体も襲い掛かり、ザハーラ国防軍第三十七陸軍大隊が全滅の危機に窮した時、彼女は勇ましくもそこへ飛び込み、剣の一振りであの巨大ムカデの群れを粉砕! 同じく危機的状況にあった同国所属のMAIDネイト・グレンを見事に救って見せた。あの快挙によって、鉄壁ジークは現地で勲章を手に入れた。彼の地で、この伝説は末永く語り継がれるであろう。
 前線基地における六号スポーン級『インディゴストーム』襲来事件の折、彼女が先陣を切って立ち向かったという話もまた、我々をこの上なく歓喜させた。あのスポーンはザハーラ国防軍が幾度と無く討伐に向かったものの、完全に息の根を止めるには至らなかった。それを、たった一度の出撃でジークフリートは両断したのだ。見事な戦果。そして、それを決して驕らぬ姿勢!
 かつて軍神として名を馳せ、ジークフリートを育てたブリュンヒルデの先見性は、まさに必然だったと云えるのではあるまいか?
 他にも数々の輝かしい伝説を残しているのは諸君らの知るとおりだが、本日のこの記事で全てを語りきるには余白が足りない!
 今年からバックナンバーを残す事が許可された他、過去に発行した新聞記事の総集編が発売中なので、そちらを購入の上でご覧頂きたい(全国の書店で大好評発売中。480マクス)。
 
 ――今、帝都には新たなる危機が訪れようとしている。復活した黒旗の魔の手が再び帝都に伸びつつあるのだ。だがしかし。数々の苦難を乗り越えた守護女神ジークフリートは、この程度では動じない。
 彼ら黒旗がいかに強大な力を蓄え、我々の平和を脅かさんと暗躍した所で、ジークの大剣バルムンクの絶大なる威力、そして彼女の威光の前には塵と化すだろう。
 そして、伝説は伝説を紡ぐのである。
 
 ジークの誕生日まであと五日。皆で彼女の凱旋帰国と誕生日を祝おう。
 そして、祈ろう。我らが帝都の、グレートウォールの、永遠の加護を!
 ジークハイル! オール・ハイル・エントリヒ!

「……吐き気を催す邪悪とは、きっとこの新聞の事を云うのですわ」

 記事を全て読みきる頃には、メディシスは腕が痒くなるほどに鳥肌が立っていた。

「ジークもよくこれを黙って見過ごせるものですわね。まるで成長していない……! 彼女の“一人で考えるのはやめにする”という言葉も、“一人でも戦えるよう精神を鍛えつつ、皆と手を繋げるようになりたい”という言葉も嘘だったと! このままではまた同じ事を繰り返すだけでしょうに!」

「今度は遣らせませんよ。同じ轍を踏むまいと、私も誕生日プレゼントとして我が王から色々と権限を頂いたので」

「宰相府代理執行権、でしたっけ」

「えぇ。MAIDの物理的戦闘能力に、宰相府直属という発言力を加える事で皇帝派官僚への抑止力にと。これで去年よりはずっと状況が良くなった筈です」

 おおまかな話はユリアン外相から聞き及んでいる。宰相府代理執行権は、宰相府で行われている政治的決定権のおよそ半分を手にする事が出来るというものだ。ベーエルデー連邦はアオバーク市におけるプロトファスマ目撃報告を受け、3月12日に宰相府からスィルトネートに与えられたという。皇帝派官僚から例の如く難色が出るかに思われたが、意外にも彼らは「単体戦闘力の低いスィルトネートに務まる筈が無い」とこれ軽視していた。更に、その勢いで並行して可決させた“宰相府代理執行権・二級”をスィルトネートが信頼できるMAIDに与える事で、MAID間における根回しのネットワークが比べ物にならぬほど強固になった。
 しかし、メディシスからすればまだ足りない。彼女は新聞を折りたたみつつ、スィルトネートの論旨の検証を試みる。

「でも相変わらず、ジーク本人に直接働きかける要素が全く見当たりませんわね」

「そこはもっと周りに話しかけやすい空気を私達で作ってあげるしか方法は無いでしょう。“柔()く剛を制す”という故事も華国にはありますしね」

「まさかその宰相府代理執行権というもので、周りのMAIDに根回しでもなさると?」

「というかですね、ジークが泣き出すたびに頬を引っ張ってたのは何処のどなたですか」

「うッ……!」

 紛れも無くこの自分(メディシス)である。云い逃れは出来ない。
 あの泣き顔を見ると、どうしても追い討ちをかけたくなる。普段から崇め奉られているのだからもう少し毅然とした態度で居れば良いものを、うじうじと悩んだ挙句に泣かれてはこちらとしても苛々するのだ。

「それに、ここ二ヶ月のあいだ皇帝が通信室にわざわざ走って行くところを見るに、おそらくはジークのほうから連絡なり相談なりしているのかもしれませんよ」

「随分と丸くなりましたわね、スィルト」

「何を仰いますか。平時の私はこんなものです」

 メディシスの観察眼によれば、スィルトは嫌味に気づかなかったのではない。敢えて流したのだ。
 お澄まし顔で紅茶を飲む仕草が、それをつぶさに物語っている。

「そう? 本当に……? 本当に?」

 こうなれば実力行使だ。スィルトの顔をしっかりと両手でホールドし、前屈みになって上目遣いで覗き込む。
 流石の彼女もこれには面食らったのか、目を廻しながら一気に捲くし立ててきた。

「あーやめて前屈みで上目遣いに覗き込むなその谷間を見せるな目の遣り処に困るというかこっちが惨めになる、皮肉を無視したのは悪かったから胸を近づけるな胸を」

「良かった。いつものスィルトネートですわ」

「どういう認識ですか」

「さぁ?」

 ――当ててご覧なさいスィルトネート。わたくしの嫉妬は一筋縄では行かなくてよ。

「それにしても……あれから一年余りが経ちましたのね。スィルトに追い越されるのも時間の問題か」

 思い返せば感慨深い。壁に頭を打ち付けていたあのスィルトネートは今、メディシスをたしなめられる程に成長した。生まれたのはこちらが三ヶ月先だが、包容力ではすっかり追い越されてしまった気がする。
 相棒と呼ぶにはいささか物理的な距離がありすぎる――片や親衛隊本部、片やフロレンツ。手紙のやり取りは出来るものの毎日のように会う事は不可能だ――が、苦楽を共にして短くない年月を経ている事を鑑みれば、親友という間柄を間違いなく超えている。しっかり者の従妹とでも形容するのが適切だろうか。
 そんなスィルトネートは、くすぐったそうな笑みを浮かべた。

「また唐突ですね」

「御気になさらず。ただの独り言でしてよ」

「……今年は、どうなるのでしょう」

「プロトファスマ達も本格的に動きを見せているようですし、昨年以上に忙しくなりそうですわね」

 ベーエルデー連邦某所にプロトファスマの一体が潜伏しており、先月頭に黒旗との戦闘が起きたらしいという噂を、メディシスもしっかりと小耳に挟んでいる。その件に関する具体的な調査は先月の時点で打ち切ってしまったが、プロトファスマは確かに本腰を入れて活動しているのは間違いない事実だった。既に失踪事件などが世界各国で起きているのだ。

「誘拐沙汰はもう御免被りたいです」

「あと、ドルヒに喧嘩を売られるのも」

 トラウマを回想して、二人は被りを振る。

「うわぁ……思い出したくない事を色々と思い出して……――あ、車」

 エンジン音に気付き、メディシスとスィルトネートはテラスの外側へと顔を向けた。
 営舎前の道路に面したこのテラスからは、数百メートル先の車の様子もよく見える。

「あら、本当。何処からかしら」

「えっと、確かG-GHQから面会の要請があったような。時間の指定までは聞かされてませんが……。ん? あれ……?」

 スィルトネートが首を傾げた理由に、メディシスも営舎前道路を見て気付いた。
 案内用車両が全く居ない。
 本来ならば監視役を兼ねた案内用車両が横に何台か着き、然るべき場所へと案内する。そうする事で互いの安全を守るといった理屈で、例えあのG-GHQとて例外ではない。客の車だけであの道を通る筈が無いのだ。
 メディシスが途方に暮れてスィルトネートを見ると、彼女はいよいよ眉に皺を刻んでいた。

「なんで誰も出迎えない……? ちょっと事情を確かめて来ます。メディはここで待っててください、何かあったら合図します!」

「行ってらっしゃいな」

 テラスの手すりを飛び越えようとするスィルトネートを何とはなしに見送ろうとしたが、メディシスはふと違和感に気付いた。

「――お待ちなさい。まさかそこから?」

「正門からでは時間が掛かりすぎます!」

 しっかりと助走を付けて虚空へ身を投げたスィルトネートは、そのまま軽やかに両腕の鎖付き短剣を地面に押し当てる事で飛距離を稼ぐ。風に煽られてワンピースのスカートが翻っているのもお構い無しに。
 見かねたメディシスは声を張り上げ、たった今着地したばかりの彼女に忠告する。

「スィルトネート! そんな飛び方では下着が見えてしまいますわよ!」

「メディの馬鹿! 云わなければ気にせずに済んだのに!」

 振り向きもせず、悲鳴にも似た返答をしながらスィルトは走り去って行った。ここからでは表情は窺い知れないが、きっとかなり赤らめているに違いない。
 メディシスはハンカチーフをひらひらとはためかせてそれを見送り、彼女が充分に遠くへ行った事を確認すると、憮然とした溜め息を交えて、先程偶然にも見えてしまった“騎士姫”の下着を寸評する。

「ふぅん。白地にブルーの縞模様ねぇ……。宰相閣下も良いご趣味をお持ちのようで」

 大方、親戚かどこかのお下がりなのだろう。いくら胸が小さいとはいえ、それ以外の外見は成熟しかけの女性なのだから、流石に可哀相ではないか。あれではちょっとした性倒錯の類だ。
 メディシスは眼下で車を追い駆けるスィルトネートを眺めながら、明日も休暇なのだからついでに買い物に彼女を連れて行こうかなどと考えた。



最終更新:2010年01月10日 17:03
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