Chapter 4-8 : Please finish it

(投稿者:怨是)


 Apr.21/1945

 私は今、病床に臥せている。
 先日の戦いで瘴気にやられてしまったためだ。
 人間ならば助かる見込みが無いと解っていた筈なのに、
 地下鉄の駅に飛び込んでしまったのは、私の矜持が見捨てる事を赦さなかったからだろうか。
 あの時の自分の感情を、よく思い出せない。

 だが、私は確かに深手を負った。
 目に見える傷ではなく、病、そして心の傷という形で。
 ザハーラで望んでいた慢心の自覚というものを、漸く私は得られたのだろう。
 自身の不手際で一人死なせて、漸くだ。対価にしては大きすぎる犠牲じゃないか。

 所詮、私に他者を守る事や誰かを変える事など、不可能だったのだ。
 お膳立てされた状況下で作業をこなし、それを形式上の賞賛を以って迎えられる。
 それの繰り返しで私は、『最強』などという看板を打ち付けられただけだ。
 今日まで何度も心の中でそれを思い、そして今、改めて実感した。

 守護女神などという存在は既に死んでいた。
 私の不甲斐無さが殺してしまったのだ。
 私はこれからも彼らに、守護女神という虚無の看板を掲げ続けねばならないのだろうか。
 決して太陽の光にはなり得ないと云うのに!
 しかしそれを解ってもらうにはどうすればいい?
 直接、言葉で云うべきだろうか。いや、解ってくれる筈が無い。
 いつかの皇帝陛下の演説でさえ、一部の人々を激怒させた。

 では物理的に死んでみせるか?
 これも否。私が死んでも替えは利く。
 ブリュンヒルデが証明した。思えば私はあの軍神の代替のようなものだ。
 ならば尚の事、この下らない連鎖は私で終わりにするしか無いじゃないか。
 にも関わらず私は、5年目を迎える今日まで、何も変えられはしなかった。

 結局の所、私は機械的に敵を倒し続ける他に道は無いのか。
 彼らが伝説を望む限り、提供し続けるしか無いのか。
 あのグレートウォールの戦場で……



 1945年4月21日。ジークはベッドから起き上がれずに居た。
 戦いの傷は癒えていない。癒える筈が無かった。五臓六腑を蝕むあの瘴気を余りにも大量に吸い込んでしまい、体内の自浄作用が追いついていない為だ。弱々しい手付きで、メディシス――彼女もまた身体の至る所を包帯に包まれている――から新聞を受け取る。

「しかし迂闊でしたわ。あの時の作業員がまさか、プロトファスマだったとは」

「仕方ありませんよ。瘴気の反応も無かったのでしょう?」

 メディシスとスィルトネートは見舞いに来てくれたらしい。ベッドの隣の棚に薔薇の花――今回の件で皇帝が特別に、あの薔薇園から持ち出す事を許可したとの事だ――が飾られている。そんな二人の様子は、いつもながらに滑稽だ。片やいつまでも怒りを露わにし、片やそれをどうにかたしなめようとしている。

「仕方ないで済ませられる訳が無い。あぁ忌々しい。あんだけ時間掛けて仕分けした結局プレゼントも全部駄目になったし。残ったのはこの差出人不明の熊の縫い包みだけ」

「でもほら、お咎めは無かったんですから」

「わたくしのプライドが赦しませんわ!」

 ――矜持(プライド)、か。
 ジークは虚ろな目で二人のやりとりを眺めた。何もかもに疲れきってしまい、彼女らの会話もどこか遠く聞こえる。
 やがて観察に飽きたジークは、メディシスより受け取った新聞を、うつ伏せになって開いた。

1945年4月21日

   ジークフリート、V2ロケットを撃墜!
 国民諸君は信じられないと思っただろうか。
 否、これは紛れもない事実である!
 5番街道とシルワート通りの交差点にて回収されたバルムンクに付着した金属片は、V2のものと一致していた。
 守護女神は誕生日に勝利を手にした。そして我々国民をV2ロケットの脅威から守ったのである。
 迫り来るGも、彼女が尽く切り伏せた。人類の勝利を約束する、バルムンクで!
 最強の存在が、こうして改めて証明された。名実共に、守護女神の座を不動のものとしたのだ。
 
 残念ながら今回の戦闘でジークは負傷し、パーティは中止となったが、
 我々はあの4月20日を記念すべき日として永遠に記憶し続けるだろう。
 尚、V2の供給ルートには黒旗の関与が疑われており、こちらも皇室親衛隊が総力を挙げて調査中である。
 真実が明るみに出たその時、我らが守護女神は彼らを必ずや断罪してくれる事であろう!
 勝利は既に目前である! ジーク・ハイル! ハイル・エントリヒ!

 相変わらずの捏造ぶりに、自分でも解る程の速度で感情が凍って行く。実際にバルムンクを使ったのはスィルトネートであり、自分はと云えば、身体を蝕まれて座り込んでいただけだ。

「……下らない」

 冷たい声音でそう呟いたのが拙かったか、背後で続いていた談笑が途切れた。ジークは焦ろうともせず、気だるげな目つきのまま二人へと向き直ると、メディもスィルトも、腫れ物に触れるような面持ちで硬直していた。

「この新聞は、返す」

 言葉に感情が篭らない。つい先日までなら、申し訳程度に語気を和らげる程度の事は出来た。今はもう駄目だ。誰が相手となっても、如何様な印象を持たれようとも、もはやジークにとっては関係の無い事柄だ。

「何ですの、その態度! 苦労したのが自分だけだと思いまして? 全く、ジークはいつもそうやって――」

「メディ!」

「わたくしだって辛いし、こんなにも傷を負っている! わたくしだけじゃない、他の皆も同じ気持ちで!」

 癇癪を起こしたメディシスを、スィルトネートは羽交い絞めにして諌めた。その様子を目の当たりにしてもこちらが何の反応を示さない様子に勢いを削がれてしまったのか、メディシスは溜め息をついて踵を返した。

「……ふん、ご勝手になさいませ。わたくしもこの有様ですので、失礼させて頂きますわ」

 乱暴に閉められたドアを二人で暫く見ていたが、ややあってスィルトネートの方から口を開いた。

「ごめんなさいね、ジーク。メディも悪気があってあんな事を云った訳じゃないから」

「隠さなくていい……嫌われてるのは解ってる」

「ジーク?」

「どうせ私は、看板だけの存在だ。ただ敵を倒すだけで褒められる、出来の良い殺戮機械か何かだ……私自身の感情なんかに、誰も見向きもしないんだ」

 窓の外へと顔を向ける。曇り空から日の光が僅かにこぼれている。その陽光ですら、ジークにとっては眩しく感じた。その理由は判然としない。少し視線を落とすと、帝都のそこかしこで復興作業が行われている様子が見えた。

『大丈夫。何が起こっても私が駆け付けてあげる。一緒に戦ってあげる。 他にもジークのこと気にしてる人はいっぱいいると思う。これから一緒に探そ』

 誰かの言葉が不意に脳裏をよぎるのを、ジークは頬を掻いて忘却させる。一緒に戦う機会は、とうに失われた。同じ作戦に出向く事が無くなったせいで休暇も重ならず、すっかり疎遠になってしまった。ジークは忘却に努め、次の言葉へと繋いだ。

「いつか忘れ去られるとも判らない、都合のいい憂さ晴らしの相手。エースの役割なんて、そんなものは建前だ……みんな、私が嫌いなんだ」

 頬に、自分の爪が喰い込む。相変わらず涙腺は枯れ果てて涙が出ない。無表情のまま、すらすらと言葉が口元から垂れ流される。昨年ベルゼリアとあの屋上で語らった時と同じように喉が軽くなっていたが、対して口から溢れ出るそれはあの時に比べると随分と絶望に彩られている事に、思わず自嘲してしまう。

「待って、それは間違ってる。みんなが嫌ってる訳じゃないし、少なくとも私は、」

「……スィルトネート。“私そのもの”を見ようとしてくれる人が、この世界中にどれだけ居る? みんな、守護女神としての私までしか見てくれない。どんなに私が頑張っても、誰も付いて来てくれない。前に出ようとしてくれない。私が前に出続けることでみんなの成長を妨げるというのなら、英雄に依存した戦場なんて必要ないじゃないか。私なんて必要ないじゃないか。いつまでも自分の身を自分で守れないままなら、それこそ間違ってる」

 そこまで云い終えて、ジークは咳き込む。普段使わない喉を酷使しすぎた為だ。頬に爪を当てたままだったので、咽た勢いで爪が皮膚を切り裂いた。真一文字に赤い痛みが広がる。
 ピントの合わない視界をどうにか澄み渡らせるべく、眉間に力を入れる。丁度それが睨んでいるように見えたのか、スィルトネートはまたしても口を硬く閉ざしてしまった。ジークはそのまま毛布に包まり、枕に血液が付着するのも構わずスィルトネートに背を向けた。

「だから私はもう戦わない」

「私が守りきれなかった分は誰が守ると」

「他の誰かが守ればいい。今までみんながそう思って戦って来たように、私もこれからはそうする」

 帝都栄光新聞が証明して来た。民衆の真意の殆どは、あの新聞に表わされていた。先日の誕生日までは実感が湧かなかったが、ついにジークフリートは()ってしまった。この帝都が“英雄ジークフリート”なる存在に依存しきってしまっている事を。
 スィルトネートは腕を組んで暫く考え込んでから、再びジークへと語りかけた。

「なら他の誰かが守りきれなかった分は!」

「誰にも守れなかったと考えるしかない」

「あの時バルムンクを借りたのは、こんなジークを見る為じゃなかった! ジーク、立ち上がって下さい」

「立ち上がる理由がもう、無い……負の結果しかもたらさないなら、私が戦い続ける理由なんて何処にも無いじゃないか……」

 スィルトネートは懸命に説得してくれている。その気持ちは痛いほど伝わってくる。が、疲れてしまったものは仕方が無いのだ。既に一部の兵士達は聞こえよがしに「あいつのせいで俺達は苦労するんだ」などといった陰口を云っている。誰一人、こうなるまでに何かすべき事があったのではないかという話をしていない。自分にそういった話をしてくれない。

「いいじゃないか、私が大人しく前線から身を引いて、消え去って、それからの帝国をスィルトネート達がどうにかしてくれれば……私が生まれてきたのが、そもそもの間違いだった。もっと早くに気付いていれば良かった。私が涙を流せる内に、自決なりしてしまえば、黒旗やレンフェルクのような組織が生まれる事も無かったんだ」

 ――ドアが蹴破られた。
 音に驚いて振り向いた瞬間に、頬に痛みが奔った。
 黒く、長い髪をしたMAIDがこちらを鬼の形相で凝視していた。そうだ。もっと殺意を抱け。

「……メディ。私を目の敵にしているなら、今ここで殺してくれ」

 スィルトネートが眼を見開いて制止しようとしたのをメディシスは振り払い、包帯だらけの両手でこちらの顔を掴みながら、今までに聞いた事の無いような低い声音で囁く。否、囁くと形容するにはいささか語気が強すぎるとも取れた。

「甘えるなよ、負け犬」

 頭蓋骨が悲鳴を上げる程にメディシスの指に力が入るが、ジークはそれを解こうともしない。

「それだけ饒舌に語れる口があるなら、今すぐ民衆に今の事を語れ。死ぬならその後でも遅くは無い……どうですの、ジークフリート

「……初めから、そうすれば良かったのか」

「ただ、それだけでしてよ。何故もっと語らない。何故お前は黙り続ける。何故お前は抱え込む! 何故、お前はいつまでそうやって孤独を選ぶ! これ程までに人が居るにもかかわらず! 何故、何故!」

「あまり頭を振り回さないでくれ……ただでさえ、気分が悪いのに」

「それだ、ジーク! お前は今まで言葉で誰かに望んだ事があるか! 例えあったとしても、数えるほどしか無いだろうに! ジーク、無言である事に甘えるな! 私ゃお前のそういう所が嫌いだって云ってるんだ! ええ、どうなんだ! ジークフリート!」

 “無言である事に甘えるな”というメディシスの一言が、ジークフリートの胸中に渦巻いていた暗澹たる感情を爆発させる契機となった。掴まれた頭、こめかみの血管に熱が漲り、それから耳へ、やがては眉間、全身へと伝播する。
 寡黙を望んだのは果たして誰であったか。語らせる事を阻んだのは、お前達全員だ。物云わぬ人形に仕立て上げたのはこの帝国だ。あの戦場だ。それをメディシス、お前は!

「お前は私がどれほど長い間、苦悩してきたか解るのか! 眠れない夜もあった! 涙を流し続けた日々も過ごしてきた! 苦労しているのはお前だって同じなのは私も知っている! なのに、なんで解ってくれない! 何年もかけて培われてきた自分の性質を、今更変えるのにどれだけの労力が要るか気付けないのか! 私だって好きで黙り込んでいる訳じゃない! それでもお前が語れと云うのなら!」

 これが激怒という感情なのかと、ジークは制御を失った感情の中で冷静に分析しようとした。それでも口は勝手に開き、肺胞から二酸化炭素が吐き出されるのと同時に周囲へと激情を撒き散らした。

「じゃあ望み通り私の何もかもをぶちまけてやる! その結果が第二の黒旗を生み出そうと、それは私の知った事じゃない、メディ、トリガーを引いたのはお前だ! 私がやればいいんだろう、やれば! それでお前の気が済むなら幾らでもやってやろうじゃないか!」

「ああそうですとも! ご勝手になさいませ! やっと重たい腰を上げやがって! どんだけ鈍臭いんだとずっとずっと苛々していた所でしたもの! いっその事、何か一つでもどでかい事をやらかしてしまいなさいな! 一生物笑いの種にしてさしあげますわ!」

 今まで重たかった身体が急に軽くなった。起き上がり様に薔薇の生けてあった花瓶を窓へと叩き付け、ベッドに添えてあったバルムンクを掴みながら外へと飛び出す。
 この時ばかりは「病床を狙われて丸腰では困りますからな」等と寄越してくれた世話焼き屋の軍人に感謝してやろう。この身体だけでは長い髪を振り乱した病人にしか見えないが、肩に大剣を担いでいれば間違いなく民衆からはジークフリートとして見て貰える。
 公園へ向かって疾走すると、国民の面々が次々と振り向いてくれる。
 そうだ、私を見ろ。このみすぼらしい女の姿をした化け物こそが、お前達の守護女神様だ。

『私は、私は……“被害者”でいたかった、それだけだった、のか……』

 向かい風に混じった声を、ジークは振り払った。誰が被害者で誰が加害者であるのかは今更関係の無い話だ。これは、自分に関わる全ての者が均等に責任を負わねばならない問題だ。

『違う! 違う……! 死ななくてもいいんだ……黒旗の定めた“特定MAID”も、アシュレイも、シュヴェルテも!
 居なくなる理由なんてどこにも無い! そんな理由なんて、誰かが勝手に作っただけだ……!』

 誰かが勝手に作った理由に、自分も踊らされていた事に気付くまでに時間が掛かり過ぎた。

『そう……自分の存在価値を認めるのは、自分なんだ……! そればかりは、誰にも邪魔されてはならない筈だ!』

 だからこそ、ここで自分の存在価値を皆に知らしめねばならない。もう、誰にも邪魔はさせない。

『……もう、一人で考えるのは、やめにしようと思う』

 最終的には一人だ。行動する場面では、誰も頼ってはならない。

『行動した時、目的は現実へと近づく! 成し遂げた時、それは現実となる!
 そうして勝ち取った勝利がある! そうして手に入れた喜びが、確かに存在する!』

 風に混じる声は、全て自分自身のものだった。雨の激しい日の列車砲の上で、かつての同僚に放った言葉だった。何故、今まで忘れていたのだろう。これだから成長しないのだ。MAIDジークフリートという、等身大の私は。



 ジークが公園に辿り着いて暫くすれば、騒ぎを聞きつけた軍人達とそれを押し退けて入り込んで来る大衆とが混ざり合い、巨大な人だかりとなってジークを取り囲んでいた。或る者は期待感を隠し切れずにそわそわとした微笑を浮かべ、隣の者と「何が始まるのか」などと語らいながら。また或る者は只ならぬ様子だと緊張した面構えで。
 それらを、断水して機能していない噴水の上から一瞥し、ジークは静かに大演説を始めた。

「……皆様。私はただの、大勢のMAIDのうちの一体です。最強という肩書きを背負っているというだけの、単なるMAIDです……大切な仲間を何百人も守り損ねた、無力な、それでいて力加減の出来ないMAIDに過ぎません」

 俄かに周囲がざわつく。予想の範疇だ。恐らくこの場の殆どがもっと、綺麗事や前向きな感情に満ちた言葉を期待して集まった手合いばかりなのだ。初めからこうすれば良かったのかもしれない。自身の感情に鍍金を施すような無理はする必要が無かったのだ。
 ベルゼリアだって『もっとわがままになってもいい』と云っていた。今まで、押し隠しすぎていたのだ。
 一人一人を凝視して沈黙させてから、ジークは再開した。

「私は伝説など要りません。ただ、普通のMAIDとして、みんなと笑い合いたいだけなんです……私は認められたくて、強くなればみんなに好きになってもらえると思って戦って来ました。強くなって誰かを守れれば自分自身を認める事が出来ると信じていました。しかし、今、私を口では褒めてくださる方々の感情は、何か、違う、友人のそれではない、もっとおぞましい……」

 震える拳を、暴発しそうになりながらも何とか抑え、バルムンクを聴衆へと向ける。
 空いた手で顔を抱えた。こうでもせねば、言葉より先に別の何かが口から零れ落ちそうであった為だ。奇しくもその手で支えた部位は、かつてヴォルフ・フォン・シュナイダーに殴られた所と同じだった。

「私一人の為に、同胞がどれだけ殺されたか、ご存知ですか! 下らない、行き過ぎた伝説を保障する為だけに、どれ程の対価を支払ったか、ご存知ですか! 先日放たれたV2も、私が壊したのではない。ギーレン宰相のMAID、スィルトネートが打ち落とした! そも、私の誕生日を祝う前に、この国を守る為に戦う全ての兵士に感謝すべきではありませんか! この国に関わる全ての存在を互いに支え合うと誓うべきではなかったのですか!」

 初めは静かに、軍部で内々の内に。いつしかそれが大々的に行われ始め、秘密警察を動員し、帝都栄光新聞が悪口雑言を記し、それを見かねた皇帝の演説に呼応するかのように軍事正常化委員会が立ち上がり、やがてはそれすらも伝説の為に使役される道化と成り果てた。
 その過程で、ありとあらゆる人が消え去り、或いは心を殺された。ジーク一人の単純な腕力では、それらを何一つ救う事など出来なかった。

「私はもう求める事に疲れました……私一人がどんなにもがいても、何も変わらない。何も変えられない! 何も守れない! こんな事になるくらいなら、私は弱いままで良かった! 偽りの王座に座り続けるより、罵声を浴びせられる生のほうがまだましだった! 私が何も持たない者であったなら、王座に座る私と本当の私との矛盾に悩まずに済んだ……!」

 身体中の酸素が霧散し、頭脳がひりひりとした痛みを発するも、それに構わず叫んだ。錆び付いた肺を騙して、一杯に吸い込んだ呪詛を、この場の全員に響き渡らせるべく吼え続けた。

「……百歩譲って、私は今まで通り戦うとしましょう。ですが、私が守るのはあくまでこの帝都とあなた方の命だけであり、幻想までは守らない!」

 病み上がりで無理をしたせいか、視界が融けて足元が揺れる。それを踏み抜いて煉瓦の破片を散らしつつ、顔を上げた。力の入らない下半身をバルムンクで支え、両足が生まれたての小鹿のように振れるが、ここまで来れば知った事ではなかった。
 全身から噴き出す汗が、『……これからは、私は私の為に戦う。気付いたんだ。何よりも私は、私自身に認めて欲しかったと』という声が、勝利せよと魂を叱咤する。
 ジークフリートにとって、これは本物の戦争だった。己の思想や存在意義を、公衆の面前という戦場で試す心積もりだった。彼らは目を見開いて聞き入っている。誰一人、こちらに銃を向けようとはしない。勝利は目前だ。

「守る保障が私には出来ないのです。何故なら、私は無力で、力加減の出来ない不器用なMAIDでしかない! この世界に数百居るMAIDのうち、他より少し、腕力が勝っているだけの一人でしかない! 今、私がこうして皆様の前で申し上げた理由をご存知か! ただ一つだけだ! 聞け!」

 きっと私は狂気に陥ってしまったのだろう。
 大きく息を吸い込みつつも、心のうちに潜むもう一人の冷静なジークフリートはそう分析する。今の自分の行為が空しいものであり、戦争などと名付けて良い類のものではないと、本当は解っている。大層な肩書きが無ければ、単なる狂人の戯言でしかない。
 結局の所、守護女神という虚しい看板に寄りかかってしまっているのは彼らだけではない。自分もまた、同じだ。だからこそバルムンクを天に掲げ、次の一言で全てに終止符を打つ。

「――守護女神は死んだ! 私達全員で殺した!」

 これがジークにとって、本日最後の絶呼だった。
 ジークは精神が抜け切るような錯覚と共に卒倒し、寒気が、眩暈が、耳鳴りが、意識のことごとくを喰らい尽くす。
 五感が薄れ行く中、ジークはこの帝都を渦巻く下らない伝説の連鎖の表舞台から引き摺り下ろされる事を願った。



1945年4月21日 号外

   ジークフリート、公園にて演説
 驚くべき瞬間を我々は目の当たりにしてしまった。
 病床に臥していたあのジークフリートが突如として公園にて演説を開き、
 我々に「守護女神は死んだ、我々が殺した」と説いた。
 物理的に死んだ訳ではなく、ジークは演説後卒倒し、意識不明の重体で親衛隊本部の医務室にて治療を受けているとの事だ。
 では何を以ってして守護女神は『死んだ』のだろうか。
 この件について我々帝都栄光新聞社は、以下の見解を述べる。
 ジークフリートは己の栄光の重みに耐えかねたのだ。かつてのブリュンヒルデのように。
 諸君らもご存知の通り、ブリュンヒルデはその栄光ゆえに様々な者から妬まれ、栄光の座を狙われていた。
 その陰謀渦巻く中で身体と精神の両方を酷使し、遂に軍神は倒れてしまったのだ。
 今日の帝都に於けるMAIDの数は、昔ほど少なくは無い。
 ならば、ジークフリートをあれほどまでに思い詰めさせた根本原因は他にある。
 支える存在、或いは守る存在、癒す存在の不在ではなかろうか。
 ジークを支える存在は無論、我らが皇帝陛下である。だが、ブリュンヒルデの頃とは異なり、周囲には政敵が増えすぎたのだ。
 必然的に権力闘争へと巻き込まれ、背中を気にしながら戦わざるを得なくなる。
 此処に来て、我々は再び団結力と絆を試される機会がやってきたようだ。


最終更新:2010年08月15日 05:19
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