(投稿者:怨是)
リカルドは冷め止まぬ激情を拳に込め、有りっ丈の力で机を叩いた。
「柳鶴、あれは何の真似だ!」
「……わざと二人を逃した事? それとも、
アドレーゼを泳がせた事?」
1945年、10月1日。エストルンブルク東部地区倉庫群の個室――リカルドの一時的な仕事場として宛がわれた部屋――にて。先の戦闘は敗北した訳では、決してなかった。が、勝利と呼ぶには余りに苦々しい。そんな今日の記憶を回想しながら、リカルドは柳鶴を睨み付けた。
「両方だ。貴様の独断専行が計画を狂わせたせいで、何もかもが台無しだ。あれの解放を条件に、様々な条約を取り付けてやる事だって出来た! それを、貴様という奴は!」
「無理ね。彼らは初めから武力で強硬的に取り返そうとしてきた。親衛隊にこの手の交渉が通じるなら、そもそもこんな組織が生まれる必要も無いわ」
「虚言でも詭弁でも良かった。武力を背景に“姫を殺す”と脅しを掛けるべきであった。書面ではなく、その場でな。貴様はその機会すらも無視しただろう」
「過去に
スィルトネートを奪還する為だけに一個師団を投入して、ライールブルクの半分を焦土にしてみせた連中よ。生半可な脅迫じゃ、それこそ逆効果だわ。まぁ、御山の上級大将に過ぎないハーネルシュタインの権限では、中隊規模しか投入できなかったみたいだけど」
「私はその投入戦力も見越して考えていたんだ。
アースラウグが作戦に合流する事も、軍の内通者から情報屋を通じて裏を取った。交渉して、それが上手く行けば、アースラウグ自身に皇帝へ、要求を飲む様に直接云わせる事とて不可能ではなかった!」
リカルドの熱弁も虚しく、柳鶴は肩をすぼめて嘲笑った。
「そんなの単なる小娘のお土産話で終わるわよ。あれは絵空事で物を考える手合いだもの」
「ならば貴様はあの場に、何をしに来たんだ!」
「チビ助とその付属品に常識って奴を教えて、生き恥を晒させてやったわ。下手に殺して怨みを買うより、よっぽど効く」
「ふざけるのも大概にしろ! 貴様のあの無意味で冗長な説教話の為だけに、どれだけの損失を被ったと思っている!」
「ご挨拶ね。真面目にやったわよ。二個中隊と有象無象の糞MAID共をきっちり始末してやったじゃない。こっち側でくたばった面子は
ラセスくらいでしょ。上々な結果だと思わない?」
――くらい、だと?
リカルドは再度、机を殴った。長い月日を共にした伴侶を、単なる損失という数字で語る事が許せない。そうでなくとも柳鶴は心を持つ者らを、血の通った生命を、軽々しく笑い飛ばす無思慮な輩だ。
「MAID一体に掛ける金額を得意気に語った貴様が……云うに事欠いてそれか。呆れ果てた奴だ! 貴重な戦力を何だと思っている! もしもMAID不要論を唱えるつもりなら、この場で実践して貰うぞ!」
ホルスターから拳銃を引き抜き、銃口を柳鶴へ向ける。返答一つで命を落とす瀬戸際にも拘わらず、柳鶴は両手を挙げる事すらせず、溜め息を吐いただけだった。
「喧しいわよ。貴方は只、ラセスが死んだ事が許せないだけ。違う?」
「……」
「どんなに理論で着飾っても、怒りの口実を作っても、本当はそこだけでしょ。貴方が私に当たり散らす理由って。でも、さっきも云ったわよね? 貴方はラセスを救えた立場にあったって」
何も、云い返す言葉が見当たらなかった。柳鶴の言葉は実に的確に、リカルドの心を抉った。胸中に立ち込めた熱気が急速に冷え込む。顔色が青ざめて行くのが自分でも解る程に、背筋が寒かった。認めたくなかった。銃を下ろし、ホルスターへ戻す。
「頭を冷やして考えてみなさい。あの手品、チビ助の戦績の秘密が明かされれば、何処ぞの健康優良ジジイの威信はどん底だわ。レンフェルクがデカい面をしなくなれば、ずっと遣り易くなる。お望みの環境を作る足掛かりが出来た収穫は、大きいんじゃない? ラセスの事だって元の死体に戻っただけって考えたら、幾らか気が楽になると思うけど?」
「死体……か」
そんな事も、彼女は既に知っていたのだ。リカルドは柳鶴の事を侮り過ぎていたかもしれなかった。彼女は戦闘に関する知識は他の誰よりも卓越している。それはリカルドも認める処だ。が、彼女はてっきりそれと、金の事以外の話となれば無関心な、良く出来た俗物の類いだと考えていた。だが今は、彼女が何処でそれを知ったのかを尋ねる気分にはどうしてもなれなかった。
リカルドが面食らっているのを悟ったのか、柳鶴は返答を待っている様に見えた。咳払いで場を持たせ、リカルドは彼女のなけなしの好意に応じる。
「それでもラセスは、私の大切な伴侶だった。失うのは、哀しい」
「伴侶ねぇ。死体に宝石を埋め込んだだけの、只の人形じゃない。そっちの趣味でもあるの?」
「己の意志を持った上で、私に付いて来てくれた。彼女は人形などではない」
ラセスは心を持っていた。表に出す事こそ少ないが、喜怒哀楽の感情を持ち、時にはリカルドの予想しない反応を見せる事とてあった。故に人形呼ばわりだけは、誰にもさせたくない。そこだけは絶対に譲りたくない。譲るべきではない。
「あぁ、そう……仲良しだったのね。私には理解できないわ。結局、私は自分しか信じられないから」
「君が仲間を平気で犠牲にするのも、そういった性分に由来するのか?」
「ダシにされる奴が悪いのよ。履き違えて欲しくないのは、私は友軍を陥れる為にやってるんじゃない。戦略的に必要だと思ったからそうしただけ」
「見捨てた、という自覚は一応あるのか」
「一応、ね。逃げ道は作ってあるのよ。みんなそれに気付く前に死ぬだけで。もしも本気で生き残りたいと思ったら、普通はあらゆる可能性を考えるでしょ? ……別に私は用心棒じゃないもの。只の人斬りよ」
殺人鬼を金で雇って用心棒にするというのは古来よりよくある話だが、柳鶴はあくまでも殺人鬼の域を脱したくないらしい。その理由は、彼女の日頃の口ぶりからも窺い知れる様に、金のみならず強者との戦いを望んでいるのだろう。そこには思い出や絆といった生易しい言葉は意味を為さず、戦略と戦術と経験のみが彼女の助けとなる。リカルドにとって、彼女の思想はいささか賛同しかねるものだった。
「そんな考え方で生き続けて、たった一瞬でも虚しくはならないのか?」
「生まれ持った性質なんだから、いちいち凹んでても仕方ないわ。上手く付き合う事が大切なのよ」
「そう、か」
羨ましい生き様だ。そこまであっけらかんとしていられる手合いは、そうそう居ない。誰もが内に秘めた自分に心を折られ、挫折を味わいながらも解決を望む。人は、孤独を強いられた状況を甘受する程、強く出来ては居ない。
「では、最後に訊かせてくれ」
「何かしら?」
「アドレーゼを逃した理由をもう少し詳しく知りたい。君の戦略論を参考にさせて貰いたくてね」
「あぁ。単純よ。さっきも云った通り、親衛隊の高官連中は殆どが、人質を取られたら力任せに取り返しに来るから、面倒な増援を次々と送られる前に片付けたかっただけ。もしも一度退けても、また次の手を打ってくるわ。帝国国内だけで考えたら、戦力はこっちが負けてるもの」
「彼らとてGを相手取っている。MAIDを減らし続けたら親衛隊内部から反対の声が上がる筈だ。流石に及び腰になるのではないか?」
「そこを演説とかで無理矢理そういう流れに持って行っちゃうのが帝国人の遣り方よ。連中、きっと前大戦の癖が抜けきってないのよ」
この
軍事正常化委員会に於いては、柳鶴の方が古株だ。彼女の経験に基づいた帝国への評価は何とも重みがあり、首を横に振る要素が一切見当たらなかった。悔しいが、リカルドは彼女の言葉に納得する以上の選択肢が無い。
「私は長らく連合側で過ごしてきたから詳しくないが、なるほど。潰し合いが長引けば物資に劣る我々は不利だな……」
柳鶴が頷く。
「後はそうね。これもさっき云ったけど、チビ助自身が手品のタネに気付けばこれ以上調子に乗る事も無くなるし、アドレーゼも影から支援し辛くなる。
ジークフリートは皇帝派を嫌ってる節が有るし、連中の切り札を封じれば、貴方の望んだ条約締結も、より現実的になる筈。一つでも粗を見付けたら、後から沢山出て来るものよ、不祥事ってのは。それをダシに他国を巻き込んで囲えば、チェックメイトを決められるわ」
「具体的には?」
「この組織がお熱になってるジークフリートの戦績とか。遡れば、303作戦だってそうよ。国際世論の反発を恐れて公になってないけど、もしあれが一般人の目に触れたら、きっと面白い事が起こる。国家の信頼を突き崩した時、民意は官僚を焼き殺そうとする。貴方達がその扇動役になればいいんじゃない? 後は、如何にデマゴーグだと云わせないかが重要よ。信頼性のある情報を出来るだけ掻き集めて。生き証人が居れば、迷わず全部吐かせるの。どうかしら」
誰かが柳鶴を血に飢えた戦闘狂と評していたが、それは誤りだ。彼女は、恐るべき戦略家だ。戦争そのものが彼女の生涯であり、あらゆる闘争に類する事物について語る舌を持っている。最早、リカルドは反論も意見も底を突き、無言のままに頷き返すしか無かった。
「何はともあれ、これで貴方も晴れて孤独街道まっしぐら。早めに見切りを付けて、孤独との付き合い方を勉強なさいな」
「無茶を云うなよ。人間はそれ程頑丈には出来ていないんだ。特に、君の様な手合いに比べたら」
「教え子を連れてこんなヤクザじみた組織に入ったくらいなんだから、覚悟くらいは決めてたんじゃないの? 甘いわよ」
「その覚悟が揺らぐ事こそ、人間の生まれ持った悪徳だよ。この歳になっても感情の処理というのは苦手なんだ」
こんな、子供じみた言葉でしか返せない。ばつの悪くなったリカルドはこれ以上旗色が良くならない事を確信し、且つ有効な情報も得られないであろうと判断して、話を終わらせる事にした。
「突然、呼びつけてしまってすまなかったな。話はこれで終わりだ」
「お疲れ様。……慣れれば気楽なものよ。孤独な生き方って」
去り際の柳鶴が何処か寂しげな顔をしていたのを、リカルドは見逃さなかった。彼女なりに思う処があって、あの生き方を選んだ事くらいは百も承知だ。しかしリカルドはまだ、感情の処理に困っていた。
「慣れる前に私が生きていれば、の話だがね」
卑怯な手を用いるが、許して欲しい。胸中にてそう願いながらリカルドは、人知れず呟く事で柳鶴へささやかな反論をした。彼女がこの言葉を聞く事は無いが、今のリカルドにとってそれは些末な問題だった。
「全く、何が死体だ。何が人形だ。自嘲する割には、立派に説教までしてくれるじゃないか。MAIDという存在は」
当然と云えば当然だった。柳鶴の云う通り、MAIDは得体の知れない宝石を埋め込み、生き返らせた人間の死体だ。リカルドもMAID技師との関わりは軍事正常化委員会へ移る以前からあったし、レアスキルの研究に於いて、素体が人間であった事を否応なく確認させられた。
人間の脳を持つ以上は大脳新皮質に由来する感情も持ちうるし、思考や言語も有する。それでいてMAIDの精神的な成熟の速度は人間よりも速く、その観点から見たMAIDの1年は人間の8年分に相当するという研究結果も出ている。柳鶴の稼働年数が6年であるから、つまり彼女の心は48歳の人間と比肩する程に成熟しているという事だ。
確かに説教の一つでもしたくなる年頃ではあるなと、リカルドは此処に来て漸く自分を納得させた。
「……」
一人になってから暫くし、ラセスと過ごしてきた記憶が次々と思い起こされる。
初めにラセスと出会った、研究所での記憶。祖国である
レベルテ王国はMAID生産の分野に於いて、他国の後塵を拝していた。だが書類処理や工作等の教育課程を省略して育成された純戦闘用MAIDとしては、ラセスは他国のMAIDと比べても遜色ない完成度だった。基礎的な動作訓練を終えた段階で、既に前線へ出せる程の戦闘試験結果と聞いた時は、実に心躍った瞬間と云えた。
ラセスが正式に
クロッセル連合王国陸軍に所属してからは、リカルド自身もラセスと共に様々な戦場を渡り歩き、各国の色取り取りのMAIDを見てきたものだ。ただ、レアスキルを持ったMAIDが数多く輩出され、ラセスは祖国から見向きもされなくなった時期でもあった。
大切な教え子が、碌に訓練も受けずに偶然手に入れた力の上であぐらを掻く様な連中の所為で埋もれて行く様を、リカルドはこれ以上目の当たりにしたくなかった。他国にも同じ境遇のMAIDが居る。彼女ら埋もれ行くMAIDと、その教育担当官の努力が無駄にならない様、リカルドはあらゆる手を尽くした。G-GHQへの直訴、レベルテ王国の国内に於ける“標準MAID”の運用方法、連合軍の会議でのプレゼン活動、他にも、枚挙に暇が無い。
……が、それらが実を結ぶ事は終ぞ無かった。
G-GHQからは「戦力が足りない今は、がむしゃらに増やして行く他無い。国家間の軋轢も見る必要がある為、たったそれだけの理由で動く訳には行かない」と突っぱねられた。レベルテ王国は新しいMAID運用計画、通称“
クター”をより積極的に推し進める事で社会的改革を行なうと宣言し、国民達も自国のMAIDが世界的に認められる等と云って沸き立ち、リカルドの主張は彼らの喧噪に掻き消された。連合軍の会議でも、戦線の激化を理由により強力なレアスキルの発見、コアに手を加える事で人工的にスキルを生み出す技術の確立などばかりが議題に挙げられ、標準MAIDに関する話は微塵も上らなかった。
やがて、戦場の地図を書き換えかねない程の威力を持ったレアスキルを行使するMAID達が次々と現れ始めた。以前からそういったMAIDは各地に居たが、近年でその数を大きく増やしてしまっていた。
最早進退窮まる……そんな折、リカルドは軍事正常化委員会が残党軍の状態を脱し、各地で勢力を伸ばしているという情報を耳にした。彼らの活動内容を知っていただけに、リカルドはこれがMAID達の環境に改革をもたらす好機であると捉えた。己の研究内容、蓄えてきたデータ、それらを用いれば、或いはと思ったのだ。
「初めは単なる逆恨み、次に使命感か……」
リカルドは回想する。軍事正常化委員会へと離反する夜、ラセスに明日の朝日は拝めないと語ったか。それでも彼女は付いてきてくれた。あの時、走行車両で祖国を脱出する直前に彼女が云った一言や、その表情は今でも覚えている。
『主、命令を』
ラセスはどんな時でも従順だった。と、同時にただ命令に従うだけではなく、あらゆる事を考えた上で実行してくれた。此方の判断に落とし穴があれば、行動を以てそれを補ってくれた。作戦内容や指示に異議を唱えず、黙々とこなしてくれたのは、ひとえにラセスが自分を信頼してくれていた事の証左に他ならなかった。それ故に、先程の戦闘が尚更、リカルドを暗澹たる気持ちにさせた。
「ラセス……私の慢心を叱ってくれ」
あの時アースラウグの腕を撃ち抜いてでも止めさせれば、ラセスを救えたかも知れない。レアスキルに関する研究をしていた自分が、アースラウグやその周辺の人員を侮ったが為にラセスを死なせてしまった。悔いた処で戻って来る事は無い。が、喉元より押し寄せる悔恨の念と、脳裏に焼き付いた、槍の刺さったラセスの光景が絶えずリカルドの心を責め立てた。
「……」
気が付けば、先の戦闘が行なわれた――ラセスが殺された現場でもある47番倉庫へと足が向かっていた。日が傾いてきている。道中にて見知った顔を見掛けたので、リカルドは何の気も無しに声を掛けた。否、或いは摩耗した精神が、誰かとの会話を求めたのかもしれなかった。
「やぁ、キング・ラプチャー。いや、バハネル大尉。久方ぶりじゃないか。元気にしていたかね」
リカルドの呼び掛けに、
シド・バハネル大尉は相変わらずの仏頂面で答えた。
「云うに及ばず、です。中佐殿。私の顔色をご覧になれば、私が如何なる気分でベッドから跳ね起き、朝食を喉に掻き込み、咽せそうになる気持ちを抑えながら今この瞬間まで生き存えてきたか……全てご理解頂ける筈です」
「面白くない人生を過ごして居るらしいな、お互い」
「でしょうな。流石に、近接信管式誘導浮遊機雷の成功では喜べませんか」
「そうだな……」
幾度もの妨害を退けた末に効力の実証に成功した気球型浮遊機雷の話も、今や頭の片隅にも無かった。バハネルの一言で漸く思い出せる程に、リカルドの精神は消耗していた。
「やはりですか。情熱を洪水に流された……中佐殿も、そんな顔色をしていらっしゃる」
シド・バハネルの過去はよく知らない。彼自身が語ろうとしないし、彼を知る者の殆どが、彼が此処へ来る前に死んだという。だが、言葉の一つ一つから滲み出る陰鬱な感情は、並大抵の怨恨では決して無いという事を教えてくれる。
情熱を洪水に流された、と彼は云ったが、正にその通りなのだろう。行き過ぎた力を持ったMAIDの台頭する現在に於いて、旧来の、人間が使う事を前提とした兵器は次々と駆逐されるしか無かった。では戦場から放り出された兵士達は、何を守る為に戦えば良いのか。守るべき国家はとうに、自分達を見捨てている。と在らば、そんな自分達が守るべきはかつて抱えてきた矜持の、その残りかすだけだ。
「……作戦の方はどうだ。手配は万全なのか?」
「久しく飛ばなかった空とはいえ、仇敵を討ち取る為。云うに及ばずです、中佐殿」
「君の敵は確か、ベーエルデーのひび割れマント共か」
「正しくその通りです。彼女らが本部を襲撃した話を聞いた時は、思わず耳を疑った程です。よもや公然と領土侵犯をしでかすとは」
軍正会本部襲撃……
ベーエルデー連邦出身のMAID、
キルシーが首謀者として他のMAIDを率い、本部を蹂躙し尽くした。議会は「末端の暴走によるものだ。然るべき措置はする」と云っていたが、今日に至るまでその“然るべき措置”とやらが為された試しは無い。それどころか、平然と帝国の部隊との共同作戦に参加するといった始末だ。このまま揉み消すつもりだろう。傲慢極まるその態度が、何故か先のアースラウグと重なる。どちらも同じ、己の掲げる正義を盲信しきった輩だからか。
「連中は外聞など意に介さない。お得意のプロパガンダでどうにか出来ると考えているのだからね」
「確かにプロパガンダで国際世論は鎮火するでしょうが、我々の憤怒までは押し隠せますまい」
「そうだな……隠せる筈が無いのだ。この感情だけは、誰にも。私も多くの仲間を失って、漸く君と同じテーブルに着けた気がするよ」
割を食うのはいつも自分達だ。正義が必ず勝つ保証は何処にも無く、戦う度に数多の代償を支払う。失う前に奪わねばと、戦略を練り続けても尚、子供騙しの手品でラセスが死んだ。無力感に打ちひしがれたリカルドに、神は救いの手を差し出す事は無かった。
リカルドはバハネルに右手を差し出していた。誰でも良いから、この感情を救って欲しかったのだ。
「ラセスの件は、お悔やみ申し上げます」
そう云って、バハネルは握り返してくれた。リカルドは涙を堪えきれず、恥を捨てて嗚咽を漏らした。長らく流してこなかった涙が、今この瞬間になって、堰を切って溢れ出た。リカルドはバハネルの右手を強く、強く握り直し、神にでも縋る様な心持ちで懇願する。
「……頼む。頼む、バハネル大尉! 私の行き場の無い感情を、代弁してくれ。数多の許し難い仇敵の内、一つでもいい。一つでも完膚無きまでに叩き潰してはくれないか……!」
「やってみせましょう。必ず。一つとは申しません。全て、潰す。それこそが、この組織の意義なのですから。ですが、貴方はこれから如何されるのです」
「いや……少しだけ猶予が欲しい。惰弱と笑われても構わん。涙を捨てて悪鬼に成り果てる事と、血税を支払うにあたって訪れるであろう胸の痛みを秤に掛けると、どうしても即決は出来んのだ」
「降りしきる雨の中を、傘も差さずに歩く様なものです。誰もが、初めは躊躇います。私にそれを咎める資格は無い」
「すまんな……ありがとう。空は、任せたぞ」
気恥ずかしくなって、リカルドは手を離した。バハネルは首に掛けた懐中時計を眺め、それから空へ視線を移してから、踵を返した。
「承りました。私は作戦の準備をして参ります」
「……あぁ、達者でな」
バハネルを見送りながら、リカルドはまだ頬に残る涙の跡を拭いた。彼の姿が視界から消えたのを見届けると、リカルドは47番倉庫へと歩みを進める。明日より先の戦場に、ラセスは居ない。気を許せる相手が誰一人居ない中で、己の戦略研究が何処まで通用するのか。戦場になった47番倉庫から、その手掛かりに成り得るものが見付かる事を祈った。
「或いは奇跡でも信じれば、答えが得られるのだろうか」
一人の敗北者に対する答えは、一吹きの寒風だけだった。実りを生まぬ自問自答である事は承知の上だったが、リカルドは何故かその風が意地の悪い罵詈雑言の類いに聞こえてならなかった。感情の整理は、まだできていない。
最終更新:2012年01月20日 08:10