Chapter 3-1 : 悩める鎖・前編

(投稿者:怨是)


 1944年2月7日。
 第一月曜日に行われる定例会議により、ギーレン・ジ・エントリヒ宰相をはじめとする国内の重役達が一同に挙していた。その会議の午後の部が始まろうとしていた頃。
 金髪を揺らすこのMAIDは、鎧に包まれた給仕用ワンピースを風にたなびかせながらさくり、さくり、と白い絨毯に穴を開けつつどこへともなく歩みを進めていた。
 会議から締め出された彼女はあまりに憂鬱な面持ちで、晴れ渡ったこの天候にはあまりに不釣合いだった。

「はァ……」

 頭の鈍痛に負け、煤けたレンガ造りの壁の一角に屈みこんでみれば、あの日の苦渋が脳を撫で回す。
 ジークフリートが“太陽”ならばスィルトネートは“月”であり、両者が相容れる日は決して訪れる事などありはしないのだろう。
 と、この座り込んだ一人のMAIDは少なくともそう考えていた。

「毎年思うけれど、帝都復興記念祭も、新年祭も、どうも納得が行かない……」

 側頭葉に刺さった透明な釘を抜こうと頭に爪を立てても、やはりその釘を掴む事すらままならない。
 意識のそこかしこに四角い塊が細かく振動しているような心地が苛立ちを倍加させる。
 苦虫を噛み潰したように憎憎しげにつぶやくこのMAIDこそ、夜しか輝かぬ月――スィルトネートそのものであった。

「私が守りたかったのは、このようなものでは……」

 確かにどちらの祭りの間も、彼女はグレートウォールを――帝都ニーベルンゲを守りきった。
 だがその事実は伏せられ、“ジークフリートの神格化”という銅像を照らす、一つの灯りへと変えられて行くに過ぎない。
 いくつかある灯りのうちの、その中の一つでしかないのだ。名声は得られぬまま、ただ、ただ、ジークフリートの血肉へと変えられる。

 その名声すらも、スィルトネートの望むような事ではなかった。少なくとも自らに課した“約束事”をあくまで遵守するなら、それを望んではならなかった。
 騎士道精神を持つもの、形のある名声など求めてはならない。それは解りきっていた。
 が、同時にジークフリートが称えられれば称えられるほど、彼女の為に影ながら散っていった者達の怨嗟の叫びが強く脳裏に響いてならないのだ。
 私が今まで守ってきたのは、どこかの薄汚い官僚どもの懐だったのか? それとも、ジークフリートの名声だったのか?

 ――両方だ。
 とりあえず国民も守っているから、全部守っている事になる。
 嗚呼、要らない。国民と、ギーレン・ジ・エントリヒ宰相閣下以外は要らない。見せ掛けだけの名声も、それにあやかる薄汚い官僚どもも要らない。

 苛立つあまり唇に犬歯が食い込む。糸切り歯とも呼ばれるその骨の塊は、ストレスに晒された者にとって唇の肉に数ミリの傷を付けて出血に至らせることの何と容易い事か。
 ぶつぶつと白い吐息に呪詛を混ぜ込み、足元の雪を靴で踏みにじって黒く染める。

 ここまでは、今まで何度も通ってきた。幾分か自分の中で決着を――全てとまでは行かないが――付けてきた。

 騎士姫とまで呼ばれる彼女が、しかし、こうも荒れ狂う心で自らを握りつぶさんとしているのには、他にも理由があった。
 スィルトネートはつい先ほどまでその身を置いていた、午前の部の出来事を回想する。






 ――相変わらず薄暗い会議室は、ある種悪趣味でもあった。
 貴重な電力を無駄に使いたくないという意向はあったものの、書類に目を通す時に眉間の皺を何本増やせば気が済むのだろう。
 気難しそうな面々はしかし、あたかもそれが上に立つ者の義務であるかのように、よりいっそう皺を深めながら会議の成り行きを見守っていた。

 スィルトネートの横で、オールバックの男――彼こそがギーレン・ジ・エントリヒ宰相である――が一声挙げる。

「本日貴殿らにご足労頂いたのは他でもない。最初の議題は今回の新年祭、ならびに昨年12月に行われた帝都復興記念祭を中心としたい。
 各自、書類の準備は出来ているな。出席は一部、空席があるものの、まぁ仕方あるまい。代理は?」

「私が」

「よろしい。では続けよう。ゴホッ――」

 ギーレンは一言「む、失敬」と云った後、立て続けに何度か咳をする。その様子を、薄暗い中で多くの者が神妙な顔立ちで眺める。
 結核の類ではなく、単なる心労による体調不良で風邪を併発したという診断が専属医師より下されていたが、スィルトネートは気が気ではなかった。
 大体からして、別段不健康な生活を送ってきたわけではない筈なのだ。それをここまで追い詰めるとは……
 今まで種々の問題を、頭を抱えながらも何とか解決すべく奔走してきたギーレンであろうと、今までここまでひどい体調不良には至らなかったのである。
 不可解ではなく、むしろ思い当たる節は数多い。スィルトネートのこの胸のつかえは、不可解ではなく、この世の理不尽に対する静かな怒りだった。
 MAIDの変死や失踪、それに伴うグレートウォール戦線におけるエントリヒ帝国の優位性および発言権の低下。
 戦車を再び運用するに当たっての資金難。圧迫されつつある財政を、スィルトネートはギーレンの口から聞かされていた。
 咳の列車がようやく停車した。日を改めたほうが良いのではと申し出る側近を手で制し、ギーレンが喋るほうの口を開く。

「いや、いい。折角こうして集めたのだ。さて、余計な時間を取らせたな……会議に戻ろう」

「流石は宰相閣下。病の御身体を押して会議を敢行なさるとは、お父上によく似て豪胆でいらっしゃる」

 白髭をたっぷりと口元に蓄えた老齢の男が、茶々を入れた。
 俄かにスィルトネートの表情は険しさを増し「再三再四、そのようなお言葉は冗談であろうと禁句だと申し上げたはずです」と云いそうになる。
 が、その言葉が喉から出る寸前で、ギーレンが先に出た。

「皮肉なら受け取らんぞ、ドッペルバウアー大将。時間が無い。本題に移る」

 ドッペルバウアー大将。そう呼ばれた老齢の男は、ただ、ただ、ふてぶてしく微笑んで髭を浮かせながら下がった。
 このエントリヒ帝国のエリートたる皇室親衛隊すらまともな人間など一握りでしかないというに、国防軍はもっとまともではないという事なのだろうか。
 仮にも“国防軍”と名乗る組織であるにも関わらず、この男の様相はスィルトネートにとって期待はずれを通り越して軽蔑の領域に入っていた。
 貴方の様な者に、国の存亡を任せるわけには参りません。そう心の中で毒づきながら本題へと耳を傾けた。
 先ほどとは別の男が手を挙げる。

「ダルトマイエル海軍元帥」

 海軍元帥とは、エントリヒ帝国海軍における最上位を示す階級である。
 そのダルトマイエル海軍元帥がいかような用件で挙手したのだろうか。

「新年祭は例年より派手に行われましたが……予算のほうは大丈夫ですかな? 戦車の生産がおっつかないとも聞き及んでおります」

「その新年祭の派手さに関してだが……貴殿の管轄下である海軍側から、祝砲が全損したとの連絡が入ってな。急遽、皇帝の意向により白竜工業との提携となった」

 往々にして喧嘩を売る側の口調が喧嘩腰であると、売られた側の語気も粗くなるものであったが、このギーレン・ジ・エントリヒはあくまで冷静に対処を決める。
 苦々しい表情なのは流石に病に押されてか。一国の政治を担う者が体調不良の中で会議を進めているのだから、他の参加者ももっと労わればいいのに。
 スィルトネートの表情が徐々に徐々にと険しさを増して行く。

「宰相閣下、それはもしや我々の不備が原因と?」

「あの艦艇が海軍の管轄下にある以上、貴殿側にも責任はあると云わざるを得ないが」

 感情を込めず、事実だけを淡々と述べるギーレンとは対照的に、ダルトマイエルの表情からは雷鳴が静かに轟くかのようなオーラが立ち込めていた。
 ゴロゴロ、ゴロゴロと、溜め息と共に口早に反論が飛び出てくる。

「ははァ、困りますねェ宰相閣下。我々はあの日の為に着々と準備を進めておりましたが、予測不能の不可抗力までは管理できますまい。
 それにですね。我々海軍は予算をさんざっぱら削られた上で何とか踏みとどまってここにおるのです。揃いも揃ってMAID、MAIDなどと云われましても、海軍の現状をもう少し鑑みていただきたい。
 我々とて国防三軍のうちの一つでしょうが。ヴォストルージアが不凍港を目当てに攻め込んでくるとも限りませんぞ。国の政治を担うお方ならどうか海軍の――」

 雷鳴は続くかに思われた。が、それを握りつぶすようにしてテオバルト・ベルクマンが遮る。

「ダルトマイエル海軍元帥、言い訳は他所でやれ。して宰相閣下、その件についてですが……」

「親衛隊の若造長官め。この無礼者が! 口を挟む前に、話は最後まで聞かんか。あぁ、前任長官はもっと慎ましやかだったというに……!」

「……では宰相閣下、続きをよろしいでしょうか」

「ああ、ベルクマン上級大将。続けろ」

 完全に無視して話の流れを変えられたダルトマイエルは、怒り心頭で大きな溜め息を辺りの空気に叩き付ける。
 準備を済ませて報告を始めるベルクマンを横目に、ドッペルバウアーもまた、大きな溜め息をついた。
 お互いの目が合う。嗚呼、ドッペルバウアーよ。貴殿もか。

「ちッ……我々は引き立て役ではないというに」

「嗚呼、嘆かわしい事ですよのう、ダルトマイエル海軍元帥。我々はいつも背景だ……」

 聞こえよがしに愚痴を云い合う二人に、ギーレンが釘を指すべく、ベルクマンを一瞬だけ、手で制す。
 大事な会議なのだから本筋からずらすなと。スィルトネートの眉間の皺がまた一本増えた。

「言い訳よりも、報告を先に聞いておくほうが有益であると判断したまでだ」

「左様ですか。まぁ言い訳がましく聞こえるのは仕方ありますまい……」

 お前、本当は反省していないだろう。形だけの謝罪の言葉も無い。無いだけマシなのかもしれないが、いよいよスィルトネートの表情が、素人目に見ても近寄りがたいものへと変わる。
 そんな彼女の様子を見るか見ざるか、ギーレンは手を下げてベルクマンに目配せした。ベルクマンもそれを見て頷き、書類に視線を戻す。

「――今回の祝砲の件についてですが。我々としてもいつまでも外国企業に大きな顔をさせる訳にも行きません。
 が、海軍の戦力は、国土の面からしても規模拡大の余地はなく、艦砲の修復のみに抑えざるを得ないというのが現状と思われます。
 なお艦艇の損壊の詳細に関しては、公安部隊が調査中。彼らの報告を基に、逐次報告して行くつもりです」

 エントリヒ帝国の国土は、ルージア大陸のほぼ中心。
 そして、面している海と云えば北方のルージア海くらいだった。そのような地理で、海軍のこれ以上の拡大は予算の無駄であると吐き捨てられたのである。
 隣国のヴォストルージア社会主義共和国連邦も、港が凍って大きな艦船の採用には至らず、今現在でも国境沿いでの緊迫状態を保つに留まる。
 戦力的なシェアが極めて低く、貢献度もそれに伴って低いと云わざるを得ないが、仕方の無いことだった。

「貴様が口を出すべき事ではあるまい!」

「今後の祝砲は、艦砲よりも安価な榴弾砲を中心に採用すべきではないか、というのが私の意見です」

「話を聞け、ベルクマン!」

「あくまで、皇室親衛隊代表としての意見だ」

 別段、どこかをひいきしているというわけではない。
 それをどうしてここまで突っかかれるのか。会議は廻る。

「榴弾砲か。そういう考えもあるな。フレガー陸軍元帥、グライヒヴィッツ内務大臣。貴殿らの考えは?」

 まず口を開いたのは、フレガー陸軍元帥のほうからだった。

「我々とてグレートウォールでの戦闘において、ワモン級の駆逐に大きく貢献しているであろう榴弾砲を一つでも祝砲に回すのはいささか憚られますが、しかしです。
 皇帝陛下の御心に背いてまで戦いに没頭するほど我々陸軍は無粋ではないつもりです」

「……つまるところは」

「マクシムム・ジ・エントリヒ皇帝陛下が“遣れ”と仰せられるのなら、我々は喜んで差し出しましょうという事です」

 ダルトマイエル海軍元帥がそれを聞いてまた飛び出る。口から大きな火花が飛び散っているようにも見えた。

「くそッ、フレガー陸軍元帥! まさか初めからこれを狙っていたか!」

「何を人聞きの悪い。公安部隊が調査に当たらせているとベルクマン上級大将が仰っていたではありませんか。そろそろ出席停止どころか、首が飛びますよ」

「……」

 流石に首の存亡を意識したか、それ以上は口出ししようがなかった。確かに良い釘の刺し方だった。
 必死になるあまり前後の流れを完全に無視して相手に突っかかるなど、軍を纏める人間としては失格だ。そういう相手には“保身の心”を刺激してやれば否応なしに黙る。
 が、フレガーもフレガーで少し問題があると、ギーレンは考えていた。
 “皇帝陛下が”ではなく、あくまで冷静かつ客観的に、様々なデータを基に賛成してくれるのでなければ、良い返事とは云いがたい。
 上から下に、ただ「云われたらやります」では不相応だった。例えそれが建前であってもだ。

「よく解った。フレガー陸軍元帥。グライヒヴィッツ内務大臣、貴殿の意見を請う」

「私も賛成の方向で行かせて頂こうと考えております。まず第一に、この新年祭では一部とはいえ少なくない数の戦力が祭事に携わっているという事。
 そしてそれが他国に知れ渡っているのは、既に我らエントリヒ帝国民としても周知の事実となっておりますが……
 だからこそ海軍の戦力が“余っているから”といって祝砲係だけで終わらせるのはあまりに短絡的と云う他ありますまい。
 宰相閣下も、海軍の存在意義については充分ご理解頂けていると存じ上げております。
 “国防三軍”という名前を冠している以上、彼らにも役目というものがあります。将来に備えて造船技術だけでも確立すべきかと」

 と、一旦区切り、水を飲む。
 ミネラルウォーター。エントリヒの都市のひとつである、フロレンツから汲み上げたものだ。すべてのテーブルのコップに並べられ、側近らが歩き回りながら金属製のボトルで注ぎ足していた。

「第二に、祭事というものは国を挙げての一大事業です。全ての軍を集結し、他国へのアピールにもなりえます。
 そのような場において他国企業、それもあのような怪しげな美術品ばかりを作り上げて、祖国を追い出されたようなはみ出し者の集まりを使うという事自体、言語道断と云うべき愚行です。
 今回は止むを得ず頼る事となりましたが、斯くの如き過ちは今回限りとして、次回からはよりしめやかに行わねば、隣国の嘲笑と難色は避けられ得ませんな」

 私の申し上げられる事は以上ですという言葉でしめ、グライヒヴィッツは発言を終える。
 腑に落ちない点はいくつかあったが、的を射ている意見と云えなくもない。
 スィルトネートは真顔のまま頷き、ギーレンのほうへと顔を向けた。

「よく解った。ここまでで誰か意見のある者は。無ければ次の議題に移る」

 沈黙に包まれる。この沈黙は、即ち反対意見が無いという事を示していたのか。
 否。面倒になっただけだ。時計を眺める者や、気だるげに書類に目を落とす者など。下手に意見すればいつ、この病を押して出てきた男に一喝されるか。
 判ったものではなかった。

「では次の議題へ移る」


 その後の議題も、詳細に渡るまで克明に覚えている。
 やれMAIDの消耗が激しいから前々から上申していた新型戦車の開発計画をそろそろ本格的に行うべきだの、やれ航空機の充実をはかって帝都防空飛行隊を下げさせろだの。
 やれディートリヒというMALEの命令違反が激しいから、そろそろ本格的に処分すべきだの。
 しかしスィルトネートは知っている。
 出てきた議題の殆どが、彼らの懐に関係のあるものだということを。

 ジークフリートを持ち上げれば金が儲かる。
 その為に、信じてもいない“グロースヴァントの守護女神伝説”を大げさに囃し立てる。

 MAIDが減れば、その間の暫定戦力として戦車の開発が急務となる。
 戦車を設計している企業や工場は、往々にして“そういった事への準備”を行っている。
 誰もMAID戦力の減少に伴う緊急事態を――スィルトネートが胸の内で望んでいるほど――憂慮していない。
 そうまでして、国の損失より自分の収入が大切にする意味がわからない。人類の存亡より目先の欲か。
 どうせ自分は老い先が長くは無い、などという自覚の上にやっているのならとうてい道徳的とは云えない。

 筋金入りの国粋主義者にも「ジークフリートだけは唯一、エントリヒの象徴として認める。他のMAIDはそれに追従してさえいればいい」などとのたまう者がいる。
 皇帝派の連中も似たような事を抜かす。それが本心か、はたまた打算かまではわからない。
 そこを無視したとしてもそのような発言は、毎日を苦悩しながら戦っているMAID達に対する冒涜ではあるまいか。
 MAIDは備品や装備、武器などではない。扱い方次第で黒にも白にもなるが、意志決定権はMAID側にも多かれ少なかれ必ず存在する。
 女性の社会的地位が低いなどとまだ思い込んでいるのなら、その考えは改めろ。目を覚ませ石頭どもめ。
 貴様らが忌み嫌っているであろうギーレン宰相は、彼女らの価値を心得ていらっしゃる。

 しかし表立ってそれを云い放てば摩擦を生み出す事もまた、スィルトネートは理解していた。
 だからこそ、午前の部に出席している間は喉が焼けるような気分を終始味合わねばならなかった。
 政治の場に口を出すのは、MAIDとして差し出がましい事である。


 とにかく、会議は午前の部を終えた。
 スィルトネートはギーレン・ジ・エントリヒ宰相を上級食堂まで護衛し、少し頭を冷やしたいと申し出てこの雪景色へと足を踏み入れたのだ。
 一向に冷え切らないこの頭を冷やすため――否、ややもするとなまじ冷えてしまったからこそ残ってしまった“しこり”を取り払うために。
 苦悩はまだ、続く。




最終更新:2009年01月24日 07:16
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