Chapter 3-3 : 騎士姫、疲弊すれど

(投稿者:怨是)




「ところでその、皇帝陛下はいかがお過ごしでらっしゃるでしょうか」

「ユリアン外相と雑談中だ」

 ユリアン・ジ・エントリヒ
 フロレンツの領事館から呼び寄せられ、現在は皇帝の所有する喫茶室でチェスでも嗜んでいるのだろう。
 皇帝の甥に当たる彼は政治一辺倒のギーレンとは異なり、民間人にもそこそこの人気を持っている。
 メディシスというMAIDを保有――この云い方もギーレンやベルクマンなど“MAIDを兵器と見なす”者以外は好まない傾向にあるが――しており、その彼女もどこかをほっつき歩いているのか。
 メディシスは初め、フロレンツに残ると云ってきかなかったそうだが、ユリアンが何らかの交渉カードをちらつかせたらしく、その後は素直についてきたそうだ。
 ともかく、ユリアンが今回の会議を欠席した理由は皇帝がらみの事情も含まれる。
 そして彼の欠席のもうひとつの理由として、彼は軍事のほうへの関わりが無い。
 政治には大きく関わっているが、軍事に関しては各企業とのパイプラインのやりとりくらいだ。
 それが不要とは云わない。しかし少なくとも、今回の会議ではさして大きな役割を果たすものでもないとギーレンは考えており、彼の欠席を黙認した。

「相変わらず、お元気でらっしゃいますな」

 だから皮肉なら受け取らんと云った筈だろうと毒づくところを、ギーレンはすんでのところで飲み込む。
 余裕が無くなるとこうだ。薬が利いてきたのか、眠気も少しやってくる。早めに済ませねば。

「……本題に戻るぞ」






 フロレンツの運河から霧のように湧き出る冷気に囲まれながら暮らすメディシスにとって、このニーベルンゲの冬は暖かいように思えた。
 気になる書物をいくつか皇室図書館から持ち出し、その足でサロンへ向かうところである。
 皇室親衛隊の兵舎は実にだだっ広い。宮廷に隣接しているためか、余計に広く感じる。
 別に吐き気を催すほどではないにせよ、メディシスはこの兵舎があまり好きではない。
 フロレンツの領事館に比べると確かにいくらか暖かい。が、随分と湿っぽいのだ。

 運河に面するフロレンツよりも、内陸に位置するニーベルンゲのほうが湿っぽい雰囲気とは、何たる皮肉か。
 だが実際そうだ。メソメソしているのだ、ここは。

 遠くからぶつぶつ何かを呟く声も聞こえてくるわ、鈍い音が響いてくるわで散々だ。
 誰かの声のような気がしたが、一体誰の声だったか。

(あーあ、嫌ですわ。これだからニーベルンゲの根暗の皆様は……)

 こちらが足を進めるにしたがって、音が段々近づいてくる。
 少しずつ、少しずつ。
 相手は気付いていないようだが、呪詛めいた声音がメディシスの背筋を撫でる。

 それでも、それでも、前へ進みたい。
 そして声の主を突き止めて、説教の一つでも喰らわせてやらねばならないのだ。

「……私はまだ行ける、私はまだ行ける、私はまだ行ける、私はまだ行ける、私はまだ行ける、私は……」

 どこかで聞き覚えがある。この声はどこかで聞き覚えがある。
 いやに殺風景なところで知られる第六エントランスホールに辿り着くころには、もう、脳裏が確信のほうへと鎌首をもたげつつあった。



「……私は、まだ行ける、良し、もう大丈――」



 メディシスが大げさに足音を立ててみれば、“もう大丈夫”と云いかけていたであろうそのMAIDはびくっと大きく震えて動きを止めた。
 見知った金髪のMAIDがコンクリートの壁に頭を打ちつける姿を見たメディシスは、確信へとその心の照準を合わせる。

「楼蘭流呪術なら藁人形が要りますわよ。スィルトネート

 呼び止められたスィルトネートがゆっくりと顔を上げる。
 すっかり憔悴しているのか目の焦点も定まらず、ようやくこちらを捉えたと思えば、挨拶も無しに別の口を開いた。

「……もしかして、見てた?」

「見ていたも何も、声まできっちりと」





 ――脱兎。
 その速度や脱兎が如く、ブーツが石畳を高らかに叩き、スィルトネートはまるで生命の危機を感じた小動物のようにメディシスから遠ざかろうとした。

「――ぁ、こらっ! お待ちなさい!」

 スタートダッシュに後れを取ったメディシスは、体中の血管の温度の上昇を強いられる事となる。
 足の速さには自信があったはずなのだが、追えども追えども、スィルトネートとの距離が埋まらない。

「お待ちなさいったら!」

「嫌でス待ちません!」

 20メートル前方から返答が響く。
 今度は脅しをかけてみる。

「待たないと踏みますわよ!」

「追いつかないと踏めないでしょうに!」

 屁理屈である。
 景色は急激に色を失い、ぼやけてゆっくり溶けて行く。
 そんな錯覚に見舞われながら、借りてきた本の分厚さを疎ましく思いながら、距離を徐々に徐々にと詰める。

「屁理屈はいいから!」

「どうせこの世は屁理屈まみれでしょう!」

 またしても屁理屈である。
 景色は更に急激に輪郭を失い、更にぼやけてゆっくり溶けて行く。
 そんな錯覚に脳の血管を脈打たせながら、借りてきた本の分厚さを何かに利用できないものかと企みながら、今度は距離を開けられる。

「屁理屈に屁理屈を重ねるものではありませんわ! いいからお待ちなさい!」

「よくない! 待たないったら待たない!」

「あー!! あんなところにギーレン宰相が!」

「えッ!!」

 ――しめた。
 陳腐なひっかけだが、余裕を失った相手は往々にして、容易にその手に引っかかる。
 借りてきた分厚い本を遠心力に任せて投擲し、一瞬立ち止まったスィルトネートの後頭部に本の角を命中させた。
 激痛に耐え切れずに座り込むスィルトネートを、メディシスが本を拾いながら、その肩を引っつかむ。

「……つゥーかまァーえた、つかまえたー」

「ぅぐぐ……踏まれるのは嫌だ、踏まれるのは……」














 行き先を当初の予定であったサロンから、スィルトネートの個室へと移す。
 ギーレン宰相の執務室とは別に作られているのは、やはりMAIDとはいえ乙女のプライバシーは考慮せねばならないという考えの下か。
 それとも、頭髪の後退に思い悩む姿を見せたくないという、宰相自身のプライバシーを守るための考えか。

 ともかく汗は引いた。
 紅茶が小皿の上に置かれ、陶器同士が軽くぶつかり合う、独特な音が個室のさほど大きくない空間に響き渡った。
 結局踏む事も無く、それとは引き換えに個室への案内と事情聴取を約束させたのである。

「――全く情けない。いかがなされましたの。あんな所で」

 メディシスは足の痛みや呼吸の乱れが治まってきた事を確認すると、同じくようやく落ち着いてきたであろうスィルトネートに、溜め息混じりに声をかけた。


「判らなくなってしまいました……何の為に戦えばいいのか」

「何の為って、いつかに仰っていたでしょうに。貴女」

 民を守るためだと。“我が王”を守るためだと。確かにそう云っていた筈だ。もう半年ほどゆっくり話す機会が無かったが、その間に何があったのか。
 何がこの騎士姫スィルトネートをここまで追い詰めてしまったのか。

「私は……民も、我が王も守っています。
 でも、それと同時に、薄汚い欲望までも……いつかは王に牙を剥くであろう者たちまでも守ってしまっている気がして……
 どう戦えばいいのか……もう、判らなくなってしまいました」

 疲れきった笑顔でスィルトネートが疑問を投げかける。

「あぁ……あー、あー」

 なるほど、ね。メディシスも通った道ではある。その心情は理解できなくもない。
 特にスィルトネートの性格なら、いつこのような事になってもおかしくはなかったのだ。

「一度悩んでしまうと、そのあと泥沼のように続きますものね。貴女は真面目すぎますのよ。何がありましたの?」

「あ、先に云っておきますと、さっきのアレは会議の時にイライラが爆発しそうになっただけです。問題は、もっと奥深くで……」

「……会議、ね。まぁそこは追い追い触れていくとして、その奥深くとやらで起こったイライラの理由をお話しいただけませんこと?」

 大方、会議のほうはろくでもない面子がろくでもない話をしていて、それでイラついただけなのだろう。
 往々にして“キレ”るという現象は、ある根本的原因となる苛立ちが蓄積している最中に、別の苛立ちが起爆剤となる事でおこる。
 今回の起爆剤は会議で、それで根本的原因となる苛立ちはどこにあるのか。メディシスの知りたかったのはそれであった。


「……もう、撤廃になりましたけど……戦果均等分配はご存知、ですか」

 その名の通り戦果を均等分配するという、頭を抱えたくなるような悪法だ。
 詳しい内容までは把握していないが、少しでも考えれば無意味なものであると容易に想像が付く。
 戦果をフラットに均してしまえば、そこにエースは存在しなくなる。いわゆる“落ちこぼれ”の一時的な自信の回復には繋がるかもしれないが、そのうち“頑張っても頑張らなくても同じ”などといってやる気を無くす。
 スコアの多い者も、少ない者も、両者とも士気が落ちてしまうのだ。事実、そういう悪法のおかげでビジネスが滞ったとユリアンが愚痴っていた。
 メディシスのスコアはもちろん、スィルトネートのスコアもおそらくは何割かがピン撥ねの憂き目に遭っているのだろう。
 他人の足を引っ張ってまで手に入れるスコアに、何の意味があろうか。

「ええもちろん。あのような悪法、とっとと撤廃して正解ですわ。その場しのぎのメリットに何の意味があるのやら。それで?」

「うん……シュヴェルテが“消された”のはご存知ですよね? 帝都栄光新聞にも載って」

「あれこそ何事かと思いましたわ。私も領事館住まいとなりますと、新聞は数え切れないほどありますもの。でもあのプロパガンダ新聞はどうにも。
 確かにジークフリートはいけ好かないMAIDですけども、私が知る限りでは同胞を殺せる度胸など無かったはず」

 もっとも、そんな度胸など無いに越した事はありませんけども、とメディシスは言外に付け足す。
 メディシスの知る範囲でのジークフリートは、臆病で、人との接触さえ殆どままならず、本来は目立つ事すら嫌がるような性分だ。
 それでいて人と仲良くしたいと思いつつも、常に教官であるヴォルフ・フォン・シュナイダーに後ろからべったりくっついている、金魚のフンのようなMAIDだった筈だ。
 そのような臆病者に、同胞殺しなど務まるはずもない。

「そうですよね……我が王――ギーレン様から聞いた話では“皇帝派”と名乗る派閥の暗躍によるものだと……」

 “従え! さもなくば消えよ!”とは、シュヴェルテ殺害よりも以前に、とある一体のMAIDの亡骸に刻まれていた言葉であったか。
 皇帝派を名乗る者らの中でもかなり過激な者達の犯行によるものに違いないが、あれでは“戦死ではなく暗殺である”と主張しているようなものだ。
 事実、その言葉が刻まれたMAIDはその一体だけであったし、以降にターゲットとなったMAIDはより巧妙な手段で消されている。
 これも帝都栄光新聞では、何者かによる警告だなどとのたまっていた。

「スコアにおいてジークフリートに近づく者は必ず消される……私やメディはまだ、関係者に政財界の人がいるから大丈夫みたいですけど……」

 消されたMAID達の共通点は、どれも政財界人の後ろ盾が無い事だった。
 主に名前の挙がるシュヴェルテも担当官は一介の若造アシュレイ・ゼクスフォルト少佐であったし、ヒルデガルトやドロテーアも比較的若い担当官がついているだけで、重役などが関わっていたわけではなかった。

 メディシスが数々の新聞やユリアンから得た情報を下に推測するに、彼ら担当官は、皇室親衛隊の“古参”からすれば大きな武器を持った生意気な“新参”という考え方ができる。
 だからこそドロテーアは頭を磨り潰された惨たらしい死に様を新聞の紙面に飾らせる事になってしまったのだろう。
 アストリットも上半身のみの惨殺死体となって発見されたし、ヴュスタスも顔の半分しか残っていなかった。
 名前を挙げれば、どれも連中の考えうる限りのえげつない方法で殺されたMAIDばかりである。
 思い出すだけで、紅茶の味が灰色に荒んだ。

 陸軍側のMALEであるディートリヒとその担当官のダリウス・ヴァン・ベルンは現在も生き残っているが、それゆえに、未だ陰険な重圧に晒されているのだろう。
 彼らより以前に軍に在籍していた者達にとっては目の上のタンコブかもしれない。
 それで連中は、戦果並列などという悪法が発表されるや否や、それを利用してネガティヴキャンペーンを行って“従え!”という叫びを無言のうちに染み込ませ“さもなくば”消してきたのだ。それも、担当官や関係者などを洗った上で。

 殺害に関わった連中はどう考えても重役や古参の顔色を伺っていたのである。
 だからこそ未だにメディシスも、今目の前で頭を抱えているスィルトネートも、未だに大々的なネガティヴキャンペーンが行われずにいるのだ。
 帝都防空飛行隊も、発足は皇帝の希望によるものとして耳に届いているせいなのか、批判の矢面に晒される事は無かったのだ。


 メディシスは紅茶の味が黒ずんだ酸味のようなものに変わる錯覚に襲われ、カップをゆっくりと小皿に置く。


「ああいう流れは金輪際御免こうむりたいところですわね。おかげで気持ち悪くて仕方ありませんもの」

「……私はあまりに知識が少なすぎるし、それを止める手立ても思い浮かびません」

 弱気になってどうするか、スィルトネートよ。自分に火の粉のかからぬ事物は捨て置くつもりか。
 民を、そして王を守るのならば、同時に“兵”も守れなくてどうするか。

「出来る事は何かある筈ですわ。それに、専門家がいますでしょう? 公安部隊という」

「公安部隊も、秘密警察もアテにできるかどうか……」

「確かに発足から長い期間が経つにも関わらず、一連のMAID暗殺を防げていないという事は」

「……ええ。逆に助長しているという線も否定できませんもの」

 そこは間違いないだろう。
 ほぼ全く動きが無いという事は、トップに何らかの問題があるか、事の程度が彼らの処理能力の範疇を上回っているかのどちらかである。

「でも、全員が全員ではないのでしょう? 暗躍に携わるような方々は」

「そうなのでしょうけども、私一人が動いた所で、握り潰されてしまうのがせいぜいかもしれません」

 民を、そして王を守るのならば。
 同時に“兵”も守れなくてどうするのか。

「“かもしれない”が恐くてMAIDが務まりますか。私達には政財界人の後ろ盾があるでしょうに。
 ……スィルトネート。私と一緒に来なさい。動きますわよ」

「えッ、今から?」


「私もあまり時間がありませんわ。それに……」

 メディシスも、負い目が無いといえば嘘になる。
 フロレンツに閉じ篭って“私はここを守るのが役目ですから”と開き直った事に、本部と積極的に関わらないようにした事に対して、負い目が無いわけではなかった。
 できる事なら、痒いところはすべて掻いてしまいたい。そういった思いが、彼女に負い目を発生させる。
 スィルトネートのオーラに触発されてしまった部分も大きいから、よりいっそう、今のスィルトを見ていられなかった。

 いつもの貴女は、私の知る貴女は、こんな弱気ではないでしょう? 立ちなさい。私が手を握ってあげますから、立ちなさい。


「“それに”……何ですか?」


 負い目も、立ちなさいという言葉も、残りの紅茶と一緒に飲み込んだ。
 メディシスは、弱みを見せるのが苦手である。

「……ごめんあそばせ。何でもありませんわ」

 いつまでも部外者でいられるほど、この世界は甘くなどない。
 メディシスにとって、例えこれから行う事が負い目を解消するだけの自己愛に基づいた行動だったとしても、それでも動かずにはいられなかった。
 ずっとクールでいられるような性格ではないのだ。彼女も。そしてスィルトネートも。

 悪しき流れは止めねばならない。割り切れば簡単だ。
 そこに具体的な作戦は無かろうと、一度動いてしまえば精神がポジティヴな方向へと熱を発生させ、何かしらのアイデアが閃くはずなのだ。
 スィルトネートが少し考え込む仕草を見せた後、今にも立ち上がらんとするメディシスの腕を掴んだ。

「でも、下手に表に出て水泡に帰しては本末転倒です。まずは色々と作戦を練りましょう。云いたい事が纏まらないうちに直訴しても、顔をしかめられるだけですし」

「……そうですわね」

 ノートを用意させ、次にペンを用意させ、様々な事を書き留める。
 まず誰に直訴するのか。そして皇帝に顔を見合わせるまでの道のりはどうすべきなのか。皇帝の取り巻き連中をどう誤魔化すか。
 物的証拠をどのように用意するのか。
 流石にあの皇帝とはいえど、急な事をふっかけられて対処できるはずも無い。
 よしんばその訴えが通って皇帝が動いたとして、周囲に伝わる動き方をしてくれるかどうか。相手はあのお茶目な皇帝である。



 ――ある程度まで纏めた後、ユリアンの迎えが来た為にメディシスは帰ることとなった。
 スィルトネートもそろそろ会議が終わるといって、途中まで一緒だったが解散となる。

 車の中でもユリアンは何も訊いてこなかったが、メディシスにとっては逆に好都合だった。
 それでいて、心細くもあった。

 心細さを紛らわせるように、今日借りてきたばかりの本――“全ての掃き溜めの国・上巻”のページをめくる。
 云い知れぬ高揚感のせいで、内容は殆ど頭に入らなかった。









Feb.7 1944

 本日は月初めの定例会議だった。
 会議の内容はやはり私の期待していたようなものではなく、今回もMAIDの不当な処分について触れられる事は無かった。
 その上、ドルヒから渡された書類も、これとはまったく関係の無い……亜人の調査に関するものだった。
 亜人のMAID化が今後試験的に行われ、それで何らかの問題が起きた時に処理するという任務がどうのこうの。

 こんなものが何の役に立つのか。
 薄汚い欲望が書類の裏側から滲み出て、私を苦しめる。

 そんな私にも、一応の光明が射したらしい。
 メディシスが私の力になってくれると云ってくれた。
 一連の、MAIDに対する不当な管理を打開するために、色々と作戦を練ってくれた。
 本の角をぶつけるように投げてくるなど、淑やかに振舞っているようで何かと乱暴な彼女だが、いざという時は本当に頼りになる。

 この一日が、今後の私にとって宝石のような日になることを願う。




最終更新:2009年01月29日 14:23
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