祝! ヒラディ帝国 建国!!!!
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2025-08-31 16:08:41 (Sun)
ヒラディ帝国とは?
ヒラディ帝国とはアジアのマレー半島に存在する小さな君主制の海洋国家。元々2つの王国(ヒラディとニルロバ)が合体し誕生した。当時は王国国民同士対立や極左の拡大、内戦などいろいろあったが、今は安定を取り戻そうとしている。
概要
国名 |
ヒラディ帝国 |
略号 |
HIR |
皇帝 |
アウルス・レオン・ヒラディ |
首相 |
カルメン・シルヴァ |
人口 |
約3,200万人 |
首都 |
ノヴァ・ヒラディ |
国旗
歴史と王国同士の統合
数百年にわたり海上交易を巡って対立していたヒラディ王国とニルロバ王国は、外洋からの海賊勢力と新興列強による侵略の危機を受け、外交交渉と両家の婚姻を通じて統一。
統一後は両王族の縁組と軍の統合が進んだ一方、両国の政治、経済などの格差、それによる内戦により、国家は分断されかけることになった。しかし、終戦後、帝国は再統一が進んだ。軍備に関しては帝国軍の戦略上、特に海軍力の再編が国の最重要課題となった。
内政と各省庁
帝国は内務省、国防省、再建省、技術開発省、教育省、警察消防省、国家統一庁、気象庁、情報通信庁の6省4庁の省庁がある。
今後図を追加予定?
内務省 |
国民登録、地方行政との連携、都市開発、住民サービスの調整を主とする省。官僚主義を避け、各都市の特性に応じた分権的運営が特徴。内戦後は被災地の再建支援において重要な役割を果たしている。 |
技術開発省 |
産業・エネルギー・基礎研究など、未来志向の科学技術政策を推進。市民生活向けのイノベーションと軍需転用のバランスを重視しており、豆戦車の小型改良型などもここの支援で生まれた。つまりは元凶 |
国防省 |
陸海空の各軍組織を統括し、国防戦略の立案を行う。軍の政治的影響力は比較的小さく、文民統制が確立されている。市街地防衛や民間支援も所管し、災害時には緊急展開部隊として機能する。 |
教育省 |
学校教育・生涯学習・図書館ネットワークなどを担当。学問の自由と地域性の尊重が基本方針。旧ニルロバ地域の多言語教育や職業訓練の拡充が進められている。 |
再建省 |
戦後復興と地域社会の再活性化を担う新設省。インフラ修復や生活再建支援を推進し、自治体と連携して柔軟な再建プランを設計。芸術・文化の復興にも関与している。 |
警察消防省 |
警察・消防を一元的に管理し、地域に密着した活動を展開。治安維持と緊急対応のプロフェッショナル集団として機能。過剰な武力行使を避け、市民協力型の治安維持が理念。 |
国家統一庁 |
多民族・多文化社会としての帝国の調和を推進する庁。旧ニルロバ地方の地域自治支援、文化交流、住民対話の場づくりなどを通じて、融和と地域尊重を両立させている。 |
気象庁 |
気象観測、自然災害の早期警戒、気候研究などを担う。市民向けの情報提供が中心で、軍や農業とも密接に連携。公共ラジオ放送での天候予報は国民の生活に根ざしている。 |
情報通信庁 |
通信インフラ、メディア政策、情報技術開発を所管。言論の自由を基本に、公共放送の支援や災害通信網の整備を進めている。プロパガンダ的な機能は持たず、市民向け啓発や教育番組が主軸。 |
公共文化庁 |
国民の文化活動支援、芸術振興、歴史・記録の保存、祭事の後援などを行う庁。戦後復興期には、失われた伝統や地域文化の再発掘と共有を担い、帝国各地の多様な生活様式と文化表現を尊重してきた。映画・音楽・演劇・工芸などに対する支援制度も整備されており、帝国の「精神的統一」の象徴ともなっている。 |
帝国建国以降の歴史
帝国は国際的には統一暦を使用しているものの、国内のみでMS暦(Maritime Standard)が採用されている。ここではMS暦を使用する。
MS元年 王国両家が婚約、合併し建国
MS2年 旧王室派、極左、極右、新王室派の派閥争いが激化
MS3年 第一回ルクス会談
MS4年 第二回ルクス会談。爆破テロが発生。極右、旧王室派のリーダーが死亡。これにより極右、旧王室
派は勢力を失い始める
MS4年 極左過激派によるクーデター発生。未遂に終わったものの、政界での極左の発言力増加
MS5年 旧王室派が皇帝殿下自らの説得に応じ、新王室派と統合。これにより極左が支配しつつあった政界に変動が生じる
========皇帝聖内戦=======================
MS6年 紅戦線が発足。新王室派、極右と敵対。
同 年 帝国政府が非常事態宣言
MS7年 紅戦線が第二都ノサカで現地陸戦隊と衝突。負傷者多数
同 年 紅戦線及び極左武装集団赤色連隊が宣戦布告
MS8年 紅戦線らが、ノサカ、首都での戦闘で敗北。事実上崩壊。
MS10年 赤色連隊が降伏
同 年 紅戦線が組織解散。終戦へ
MS12年 帝国政府が勝利宣言
MS15年 帝国軍再建宣言
ヒラディ内戦
ヒラディ内戦はMS暦7年4月3日からMS12年7月10日の間に帝国建国における統一の正統性と国家の方向性をめぐる国内最大の武力衝突である。
当初は政争に過ぎなかった極左・極右・旧王室派の対立は、MS7年の紅戦線蜂起を契機に全面戦争へと発展した。戦闘の主軸は都市市街戦であり、帝国軍は特にコエルツィン市での戦闘で苦戦を強いられた。
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合併による争い |
MS元年、ヒラディ王国とニルロバ王国が政略結婚により合併し、ヒラディ帝国が建国された。地理的にはマレー半島南部に位置し、旧ヒラディ王国は首都ノヴァ・ヒラディを中心とした中央行政、海軍都市ノサカ。旧ニルロバ王国は北部工業地帯を支配していた。合併の名目は海洋国家としての統一戦略と、周辺勢力への抑止であったが、実情は両王家の緊張緩和のための妥協策であった。
旧ヒラディは中央集権的な行政と強い皇帝権を持ち、官僚制度が整備された都市国家型。一方のニルロバは地方分権的な貴族制度が色濃く残る農工混在型の王国で、軍部や地方官の影響力が強かった。両王国は長年にわたり文化的・経済的・軍事的に対立しており、合併はあくまで政治的表面上の一致にすぎなかった。
このような背景から、建国直後の政界は混乱を極めた。旧ヒラディ側は中央集権化を急ぎ、ニルロバ側は自らの権益と自治を守るために抵抗。特に軍制において両者の衝突は激しく、指揮権の所在や兵站制度の違いが混乱を招いた。また、統一経済政策を巡っては首都寄りの工業政策が地方の農村部に負担を強い、民衆の不満が増大。
派閥としては主に以下の4勢力に分かれていた:
旧王室派:旧ヒラディ王族を支持し、伝統的皇帝制を維持しようとする保守派。
新王室派:合併後の皇帝とその側近を支持する、やや現実的で穏健な改良主義派。
極右:中央集権による徹底的な皇帝権強化と軍国主義を主張する急進保守派。
極左:社会改革と地方自治、さらには社会主義的再編成を掲げる革新派。
MS2年にはこれらの派閥間での争いが本格化。元老院では発言権を巡る小競り合いが続き、街頭ではそれぞれの派閥に連なる民間団体が激しく対立。市街では抗議運動が頻発し、治安部隊が出動することも常態化していた。
特にニルロバ出身の若年層を中心に急速に支持を広げたのが、後に紅戦線を形成することになる極左勢力であった。彼らは旧ニルロバ王国の社会的不平等と、中央政府による経済的搾取を訴え、地域コミューンの設立と軍部の民営化を主張した。この急進的な主張は都市部の労働者や地方の青年に浸透しつつあったが、政府の対策は遅れ、派閥争いの泥沼化を招いた。
このようにして、建国直後の理想はわずか数年で失われ、帝国は対話よりも対立を選ぶ状況に突入していった。これが後のルクス会談と内戦の伏線となるのである。
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二回のルクス会談と失敗 |
MS3年、情勢の沈静化を目的とし、旧首都ルクスにおいて第一回ルクス会談が開催された。この会談は帝国内部の混乱を収束させるべく、4大派閥のリーダーが一堂に会する歴史的場であった。参加したのは、旧王室派の長老ミリアン・ザルクス、新王室派を代表する皇帝の側近リダン・フェルグロウ、極右を率いる軍人シグムント・バイレッシャー、そして極左の革命家ティア・ノレヴァ。
この会談では、以下のような議題が取り上げられた:
統一軍指揮体制の再整備
地方自治の承認の是非
貧富格差是正のための税制改革
各派閥の武装解除
しかし、会談の結果は芳しくなかった。特に極左と極右の間の対話は平行線をたどり、バイレッシャーはノレヴァに対して「国家転覆を狙う暴徒」と非難。ノレヴァは逆に「帝国主義の走狗」と返し、双方の支持者の間で一触即発の緊張が高まった。旧王室派と新王室派は歩み寄りの姿勢を見せたものの、統一軍に関する権限配分では意見が割れ、実質的には協定成立には至らなかった。
その失敗を受け、MS4年に第二回ルクス会談が開催された。今回は警備が厳重に敷かれ、軍警合同の警備部隊が旧首都全域を包囲したが、それでも事件は起きた。会談二日目、突如として爆破テロが発生。会場となった議事堂近辺で複数の爆薬が爆発し、極右のバイレッシャーおよび旧王室派のザルクスが即死、その他数名が負傷。
この事件の犯人は未だ不明とされるが、当時の諜報資料では極左の急進派と目される「赤色解放戦線」が関与していた可能性が高いとされている。事件の衝撃により、極右は事実上壊滅、旧王室派はリーダー不在に陥り、新王室派との合流へ向けて動く契機となった。一方で極左はこれを「腐敗権力の自己崩壊」と宣伝し、民衆への浸透を加速させた。
こうして、最後の平和的解決の道は閉ざされ、帝国は急速に内戦への道を歩み始めるのである。
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極左の急拡大と武装化 |
MS4年後半、ルクス会談での爆破事件を機に、極左勢力の影響力は劇的に増大した。ティア・ノレヴァを中心とする急進左派は、「帝国主義からの解放」「労働者と農民の自己決定権」などを掲げ、帝国北部を中心に強い支持を集めていった。特にニルロバ旧領における中央政府の失政は、極左の主張に説得力を与える形となった。
この時期、極左勢力は民兵組織「赤色連隊」と過激派組織「紅戦線」を軸に、活動を本格化させた。赤色連隊は元ニルロバ軍人や職を失った労働者などで構成され、ゲリラ戦術を得意とした。武器の多くは旧ニルロバ王国の軍需倉庫から流出したもので、特に火器と即席爆発物の製造に長けていた。紅戦線は地下新聞やラジオ放送を用いてプロパガンダを展開し、各地の学生運動や労働争議を扇動する役割を担った。
MS5年には、極左は非合法ながら半ば公然と政治活動を行い、旧ニルロバ領では地方政府の掌握にまで至った。特にコエルツィンでは市議会を極左が制圧、公共機関に「人民委員会」が設置されるなど、事実上の支配を確立していた。政府はこれを警戒し、監視強化と摘発に乗り出したが、官僚組織はニルロバ領への侵攻であると対立を起こしてしまい、摘発は限定的であった。
さらに、極左勢力は思想的な武装強化にも乗り出していた。旧ニルロバ王国で出版禁止となっていた社会主義文献が地下流通し、「ニルロバ解放理論」「コミューン経済論」などが支持者の間で読まれた。これにより、ただの反政府運動ではなく、「帝国解体と人民国家樹立」という明確な理念を持つ革命運動へと変貌していった。
このような状況下で、MS6年、ついに帝国政府は非常事態宣言を発令し、国防省、内務省主導の治安出動が始まったが、すでに極左勢力は都市に深く根を張っており、鎮圧は困難を極めた。
こうして、帝国はもはや一枚岩ではなくなり、国家そのものが分裂の危機に瀕するのである。次章では、極左勢力が都市を占領し「ニルロバ社会主義共和国」を建国する過程と、帝国陸軍との対峙を描く。
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蜂起とコエルツィンの占領 |
第二回ルクス会談の崩壊と爆破事件は、帝国の政治的均衡を根底から覆した。極右と旧王室派の中枢を同時に喪失したことで、政界は事実上「新王室派」と「極左」の二極構造に移行。中道的勢力の弱体化を受けて、民衆は次第に明確な選択を迫られる状況となった。
この混乱の中、極左派は「紅戦線(くれないせんせん)」の名のもとに政治的・軍事的組織を再編成した。その中心にいたのは、革命家ティア・ノレヴァであり、彼は「中央の腐敗に対抗する唯一の人民運動」として紅戦線を位置づけた。ノレヴァは扇動的でありながらも理知的な演説を通じて、地方都市や工業地帯に広がる若年層・労働者階級の支持を急速に獲得していった。
紅戦線の急拡大を可能にした要因は複合的であるが、主に以下の三点が挙げられる:
社会的不平等への反発中央政府による再分配政策の失敗、旧ニルロバ地方への公共投資の削減、徴兵制の不公平な運用などが地方の民衆に強い反発を呼んでいた。これらの不満が、紅戦線の「自治と平等」のスローガンと共鳴した。
地方軍部との連携一部の地方守備隊や旧ニルロバ系の下級士官は、首都からの干渉を嫌い、紅戦線との協力関係を築いた。特にノサカ周辺の工業地帯では、軍需工場の労働者と武装部隊が一体化し、「赤色連隊」と呼ばれる準正規軍が形成された。
地下ネットワークの活用紅戦線は旧ニルロバ時代から存在した密輸・情報網を積極的に活用し、武器・物資・情報を地方間で迅速に流通させた。加えて、ラジオ放送や印刷物を駆使したプロパガンダ活動も精力的に展開し、特に識字率の高い都市部青年層への影響は甚大だった。
こうして紅戦線は、MS5年末には事実上の「影の政権」として、北部三州を実効支配下に置くに至る。ノレヴァはこの段階で「暫定人民評議会」の設立を宣言し、帝国政府に対して自治承認と再分配政策の全面見直しを要求。しかし政府はこれを国家反逆と見なし、交渉を拒絶。ノヴァ・ヒラディでは非常事態宣言が発令され、反政府活動の一斉摘発が開始された。
だが、政府の締め付けはむしろ火に油を注ぐ結果となった。紅戦線は摘発の報復として各地で軍施設への襲撃を開始。とくにMS6年春の「ノサカ軍港襲撃事件」では、赤色連隊が夜間に海軍基地へ奇襲をかけ、現地陸戦隊に奇襲をかけた。海、陸、下水道から侵入してくる相手に翻弄されたものの、奇襲した相手が海軍随一の部隊だったのが功を奏し、勝利。しかしこの作戦は帝国軍の制圧作戦に影響を与えただけでなく、紅戦線が正規軍に匹敵する攻撃能力を備えていることを天下に示す結果となった。
この一連の流れの中で、紅戦線は単なる過激派組織から、実質的な反政府勢力へと変貌を遂げた。彼らの武装化は、単なる自衛ではなく「革命戦争」への転換を意味しており、こうしてヒラディ帝国は本格的な内戦の時代、すなわち「皇帝聖内戦」へと突入していくのである。
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皇前軍務会議とニルロバ社会主義共和国 |
MS7年初頭、極左勢力「紅戦線」は長らく拠点としてきた北部諸都市にて一斉蜂起を決行した。特にコエルツィン、ベリオンといった旧ニルロバ王国の工業都市では、事前に組織された人民委員会と赤色連隊が警察署・市役所・放送局を迅速に制圧し、数日のうちに事実上の自治状態に移行した。これらの蜂起は「春季武装決起」と呼ばれ、帝国政府にとって決定的な転機となった。
蜂起直後、紅戦線は北部2州の代表を集めた臨時評議会を設立し、MS7年4月1日、コエルツィン市において「ニルロバ社会主義共和国(R.S.N.)」の建国を宣言。初代書記長にはティア・ノレヴァが就任し、社会主義共和国は帝国からの独立と「人民による国家再建」を掲げた。評議会は旧ニルロバ領の大半に渡って人民委員会体制を敷き、私有地の国有化、工場の労働者自治化、徴兵による赤色連隊の再編成を次々と実施した。
この新体制は都市労働者層や若年農民に歓迎されたもの多くの市民が歓迎をしなかった。しかしながら急速にその統治体制を安定させた。特に教育と医療の無料化政策は支持を集め、各地で紅戦線の支部が拡大。プロパガンダ放送も連日行われ、帝国政府を「腐敗した中央集権の亡霊」として非難した。一方で、反体制派の市民には私財略奪、粛清も水面下で進行していたとされる。
帝国政府はこの独立宣言を「反乱」と断じ、すぐさま軍を動員して鎮圧作戦を開始した。4月5日にはコエルツィン、ベリオンを包囲。ベリオンではすぐさま攻撃が開始されもとからベリオン市が小さいのもあり11時間で制圧。それを受け紅戦線は手薄となっていたノサカへの攻撃を開始。しかし、帝国軍は都市内での防衛戦は得意であり、特に現地陸戦隊は先の衝突で戦術を把握しており、狭隘な路地や地下網を利用する赤色連隊のゲリラ戦術を完封した。一時、紅戦線が市内に進入するも市民と海軍陸戦隊の粘り強い抵抗により撤退を余儀なくされる。こうして戦線は帝国軍が多く駐留していた南部旧ヒラディ領では勝利。一方北部のコエルツィンなどでは、R.S.Nが占領。国家は事実上南北に分裂した。
同年末には、紅戦線が国際的な承認を目指して「人民外交局」を設置。一部の周辺国家や反帝国主義組織と接触を試みる動きも見られたが、帝国の外交圧力により正式な承認には至らなかった。それでも、R.S.N.は政治的実体としての存在を強め、帝国内外にその影響を及ぼしていくこととなる。
このようにして、ヒラディ内戦は単なる派閥争いを超え、「正統国家」の主張を巡る内戦へと深化していった。次章では、帝国陸軍の反攻作戦と、各勢力による市街戦の様相を中心に描く。
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灰色作戦 |
コエルツィンの陥落とニルロバ社会主義共和国の樹立は、帝国政府にとって深刻な危機であった。MS7年4月6日、陸軍はコエルツィン周辺を包囲下に置くも、都市内には多数の民間人が残されていた。特にコエルツィンでは、市民を盾にするかたちで赤色連隊が建物に立てこもり、軍の攻勢を阻止していた。
この事態に直面し、皇帝は臨時の「皇前軍務会議」をノヴァ・ヒラディにて招集。参加者は皇帝直属の近衛軍指揮官、新王室派議員代表、情報局長官、陸軍中央司令部幹部らであった。議題は「ニルロバ社会主義共和国(R.S.N.)を国家として容認すべきか」「武力制圧を行うべきか」の二点に集約されていた。ニルロバ社会主義共和国側から、15日までに承認を決定しなければ市民を殺害するという脅しもあり、会議は急務であった。
会議では人道的懸念から妥協を訴える声もあったが、多くの軍幹部は断固たる武力行使を主張。最終的に皇帝は「国体を守るためには市民を犠牲にしてはならないが、放置することはそれ以上の混乱を生む」として、一時的な承認、特殊作戦部隊による限定的な市民救出作戦の実施を命じた。
この作戦は「灰色作戦」と名付けられ、夜間を利用した秘密裏の作戦としてMS7年6月20日に開始された。作戦には陸軍特務部隊《第八近衛戦術群》が動員され、地下水路・通信網を活用し、赤色連隊の監視をかいくぐりながら市民数千人を避難させることに成功した。
同時に、情報工作によって都市内に動揺を引き起こし、民間人の支援を受けた小規模な反乱が各所で発生。これに乗じて帝国軍はコエルツィン市外からの総攻撃を敢行し、数週間の戦闘の末に市を奪還した。この勝利によりR.S.N.の士気は大きく低下し、以後の内戦の趨勢は帝国側に有利に働くこととなる。
次章では、帝国軍による本格的な反攻と、ノヴァ・ヒラディおよびノエルにおける大攻勢の実態を明らかにする。
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地域と経済
帝国の経済は南部(ヒラディ王国領)と北部(ニルロバ王国領)で大きく分かれる。
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南部地域 |
南部地域は旧王国時代から、石工業と重工業が中心の都市国家型経済。特に石工業がはるか昔から発達しており、旧王都ルクスは石が中心で街ができている。
主な都市
ノヴァ・ヒラディ
現帝国の首都。国会議事堂、各省庁(国防省は除く)が集結しており、帝国の中枢である。MS元年に遷都されたこともあり、都市は比較的に新しい建築物が多い。
ノサカ
海軍の街。国防省、ノサカ鎮守府、海軍艦隊総司令部が集結しており、同時に重工業の主要都市であり、非常に重要な都市である。
ルクス
皇都。旧ヒラディ王国時代の首都であり、石が中心に作られているのが特徴的である。
ハズベルト
ノサカの隣市。同じく重工業都市。造船に必要な鋼材を作成している。
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北部地域 |
北部地域は農工中心で発達してきた事もあり、近代化された南部と比べ、工業都市は少ない。
主な都市
コエルツィン
北部地域で最大の工業都市。南部議会もあり、南部地域の中心として存在している。
ベリオン
北部第二都市。工業と農業が並立している。コエルツィンと比べ、非常に小さい
トエルノ
陸軍北部統括軍総司令部がある都市。内戦時ここが北部攻勢時の主要拠点となった。
ヤ゙・ジュッセンパイヤー
古くからある都市。1945年8月10日に一度崩壊したが、その後ミュウラー、タ・ドコロ、キム・ラーらの助けにより、北部でも有数の都市へとなった。4月5日紅戦線の侵攻を受けたが、タ・ドコロ陸軍大将自ら戦闘に参加し、その戦う姿から「野獣」と呼ばれた。今では街のシンボルとして銅像が建てられ、毎年8月10日は「野獣の日」として祭典が挙行されている。
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国防
帝国は基本他国と戦争をするつもりがない(正確にいうとできるわけがない)ため防衛第一戦略をとっている。
ユニット
陸軍
陸軍内訳一覧
歩兵 |
約20万 |
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装甲車両 |
約1000両 |
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戦車 |
約1500両 |
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帝国陸軍は基本防衛第一の戦略取っているため、また、建物同士が密集しているため、陸軍内に大型の車両は存在せず、基本は豆戦車を主軸としている。
[運用中の車両一覧]
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装甲車両 |
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豆戦車 |
・Ⅰ号戦車C〜F型
建国以前から運用される戦車?当時は首都であったルクスでは道幅が異常に狭く、普通の車両は市街地に入ることも、ましては道路も走れなかったため、超小型の車両となった。しかし、これにより主兵装がFC機銃となり、対戦車能力は存在しない。しかし生産数、配備数は依然帝国軍1で派生型も数多くあり、引退の話はまだでていない。また、ヒラディ内戦時、両軍で使われた車両であり、内戦の象徴とされる。
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主力戦車 |
T20B型主力戦車
内戦後の帝国軍再建宣言時に計画が開始されたTシリーズの車両。初期車のA型は水流装甲が無く、同時期の諸外国の車両と比べ、大きく見劣りしていた。それに水流装甲、ある程度の装甲を追加したのがこのB型である。しかしその水流装甲も、前側面のみであり、依然大きく見劣りしている。
T21型戦車
T20型は造形面、装甲面、コストのすべてで悪く、そのすべてを改善するために開発された車両。依然水流装甲は前面のみである。
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輸送系 |
BT20装輪型
帝国再建宣言におけるTシリーズ計画の車両。帝国軍機甲師団化の一翼を担っており、単体での戦闘力はない
BT20装軌型
上の装軌型。消防庁にも採用されている。
LRD水陸歩兵
内戦前から運用される車両。河川や海が多い帝国では重宝される。装甲はない。
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海軍
海軍も前述の基本防衛第一の戦略上、大型艦(戦艦や空母など)は存在せず、小型〜中型艦が多い。
帝国第二の都市ノサカにある海軍総司令部
海軍内訳一覧
水兵 |
約16万 |
陸戦隊 |
約5万 |
主力級艦 |
16隻 |
小型級艦 |
52隻 |
[運用中の艦 一覧]
+
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主力艦 |
+
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利根型シリーズ |
初代利根型巡洋艦
帝国初の主力艦規模の艦である。同型艦は二隻。主武装の20.3センチ砲は未だ近代化が遅れる帝国海軍内では随一の能力をもつ。
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+
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クラウス・アルセイン級巡洋艦 |
クラウス・アルセイン級巡洋艦
帝国軍再建宣言時に建造された巡洋艦。前代の利根型巡洋艦と比べ、大型になり、排水量では重巡洋艦規模であるが、装備は貧弱である。しかしいつでも改装工事が可能であり、将来的にはミサイル艦運用が想定されている。
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空軍
いいやつだったよ、、、高射砲部隊に頼る他ない。
最終更新:2025年05月10日 09:35