みくは自分を曲げないよ! ◆44Kea75srM



「でっかぁ――――――――――――――――――――いにゃっ!」

 【B-2】エリア、屋外ライブステージの中央で前川みくは盛大な鳴き声を上げた。
 楕円形に広がる広大な観客席を望みながら、両腕を翼に見立てて広げる。
 そのままじっとしていることができず、ステージの上をどたばたと駆け回った。

「すっごいにゃ! みくもいつか、こんなステキな場所でライブしたいなあ……はあ~、夢が広がるにゃあ~」

 どたばたと駆け回った後は、夜の空気で冷たくなった板張りの床をごろごろと寝転がる。

「はにゃ~。朝の日差しが気持ちいいよぉ……」
「みくさ~ん。気持ちいいのはわかりますけど、はしたないですよー?」
「誰も見てないからモーマンタイにゃ。雫ちゃんも一緒にゴロゴロするにゃ♪」
「でもー。これがドッキリなら、どこかでカメラが回ってるんじゃないでしょうかー?」
「…………ハッ!?」

 ステージの端で姿勢正しくしている牛さん衣装のアイドル、及川雫にたしなめられ、みくはバッと起き上がる。
 時刻は五時を回り、もうすぐ六時。既に夜は明け、温かい朝の日差しがステージ上にも降り注いでいた。

 ホテルから移動することに決めたみくと雫は、のらりくらりと島を南下し、ここ【B-2】エリアの屋外ライブステージまでやって来た。
 道中、波乱らしい波乱もなく、他のアイドルと出会う機会もなかった。
 仕掛け人として『ドッキリ大成功~☆』とやるシーンもなかったわけだが、みくは出番を焦らない。

「ふふふ、みくにはぜぇ~んぶお見通しなのにゃ。ドッキリが終わったら、締めのイベントとしてここで全員集合ライブをやるのにゃ」

 屋外ステージの舞台裏は既にチェックして回ったが、設備に不足な部分はない。
 スタッフとアイドルさえ揃えば、すぐにでもライブを行うことが可能だろう。
 だからこそ、みくは自分の中で生まれた仮説を信憑性の高いものとして捉える。
 つまりここを訪れたのは、下見の意味もあったのだ!(単に鉛筆が倒れた先がここだっただけ)

「そうだ雫ちゃん! なんかぜんぜん他のみんなと会わないし、リハーサルも兼ねてここで少し踊ってみるのはどうかにゃ!?」
「いまここで、ですかー? でも私、こんな広いところで踊ったことってないですしー」
「弱気はめっ! みくにゃんパンチ!」

 大舞台に怖気づく雫へと、みくにゃんが必殺の拳(という名のねこぱんち)を叩き込んだ!
 ぼよよん。みくにゃん必殺の拳は雫の豊満な胸に弾かれ無効化される。ぼよよん。

「…………」(←あまりのビッグ・バストに声も出ないみくにゃん)
「みくさんー? どうかしましたかー?」
「…………」(←手に残る柔らかな感触を思い出し、かあ~っと顔を赤くするみくにゃん)

 みくは踊った。満員の観客席をイメージしながら歌って踊った。「ミルクがナンボのもんにゃ!」とときどき叫んだ。
 みくの陽気さに釣られ、雫も踊り出した。踊るたびぶるるん、ぼよよん、ぼよんぼよ~んと胸が弾み、みくは血を吐いた。

「いい汗かきましたー」
「ひ、貧困層にはわからぬ落差社会……上には上がいる……戦わなければ生き残れない……」
「みくさんー?」

 みくは生きる屍と化した。実力……いや、格の違いというものを思い知った女の顔をしていた。
 一方の雫はどこまでもマイペースである。悲壮感に襲われるみくを見ながら「?」と首を傾げていた。

 ――そうこうしているうちに、時計の針は六の数字を指し示す。

《はーい、皆さん、お待たせしました!》

 ライブステージ上部のスピーカーから響いてきた突然の声に、みくと雫はビクッと身体を震わせる。
 聞こえてきたのは二人が所属するアイドルプロダクションの事務員、千川ちひろのアナウンスだ。

「い、いったいなにが始まるのかにゃ?」
「放送ですよー。最初に言ってたじゃないですか。六時間ごとにやるってー」
「あっ、そういえばそうだったにゃ! でも放送って、なにを――」
「それは、たぶん……もうすぐわかります」

 戸惑い顔のみくとは対照的に、雫はキリリとした表情で頭上のスピーカーを眺めやる。
 その先に放送の主であるちひろの姿はない。
 だけどもスピーカーの奥、どこかから声を送っているイベントの裏方へ、警戒の念を込めて。
 しばらくすると――

《皆さん――――最期まで、生き延びて見せなさい》

 スピーカーは声を発さなくなった。
 放送が終了してしばらくの間、ステージ上は静寂に満たされる。
 みくも雫もなにも言わぬまま、ただ物言わないスピーカーから視線を逸らすことができなかった。

「……終わったみたいですねー」
「にゃあ…………」

 ほどなくして雫が声を発し、みくはぺたんとその場に脱力する。
 放送。そこで読み上げられた内容は、この六時間で十五人ものアイドルが死んだのだという事実。
 さらに禁止エリアの発表。そしてアイドルとしてこの殺し合いを生き抜こうという千川ちひろからの激励。
 すべてが、ふざけた冗談のように聞こえた。

「まったくも~。ちひろさんも演出凝りすぎにゃ! みく、けっこう本気でドキドキしちゃったにゃん」
「演出……本当にそうなんでしょうかー?」
「そうに決まってるにゃ! そうじゃないとおかしいにゃ!」
「でも、もう十五人も死んでしまったってー……」
「そ、それはきっと……そうにゃ! みんなはみくたちみたいな仕掛け人に、ゲーム的な意味で殺されちゃったのにゃ!」
「ゲーム的な意味で、ですかー?」

 みくは握りこぶしを作って力説する。

「そうにゃ。このイベントに参加しているアイドルの中にはみくたちみたいに何人か仕掛け人がいて、
 その人たちはウォーターガンとか小麦粉爆弾とかパイ投げのパイとかパーティー用のクラッカーとかで武装してるのにゃ。
 仕掛け人じゃないアイドルは、その人たちに驚かされたら即アウト……ゲームから退場処分を受けるのにゃ!
 これはドッキリだけど、名目上は殺し合いだから……だからちひろさんは、退場者を死亡者だなんて言い換えてるのにゃ!」

 みくは「どや!」とでも言いたげな顔で決して貧しくはない(むしろ豊かな)胸を張る。
 だが聞き手である雫の表情は晴れなかった。普段ののほほんとした彼女らしからぬ、真面目な顔つきを維持している。

「じゃあ、さっき読み上げられたみなさんは死んだわけじゃないんですねー?」
「あたりまえにゃ! いまごろどこかに集められて、みくたちの様子をカメラで見物しているに違いないのにゃ!」
「みくさん――」

 雫は張るまでもなくみく以上に豊かな胸を前に、

「それは違うと思います」

 毅然と自身の考えを言い放った。

「仮にみくさんの言うとおりだったら、楽しそうですけど……これはやっぱり、ドッキリじゃないと思うんです。
 殺し合いなんて、ウソだったとしてもアイドルにやらせるイベントとしては悪趣味すぎますし。
 私たちはもちろん、ファンのみなさんや企業のみなさんも誰も得をしないと思うんですよね。
 そもそも最初に誰かのプロデューサーさんが殺されたあの映像……あれも作り物には見えませんでした。
 さっきのちひろさんの放送も、ウソを言っているようには思えなかったっていうか……洒落になってないと思いますー」

 雫が指摘するポイントを、みくはみくなりに受け止め、改めて考える。
 確かに、この企画は悪趣味極まりない。倫理的も社会的にも、冗談の域を超えているような気がする。
 それにプロデューサーの死亡映像やちひろの放送内容も過激すぎる。
 もし真に受けたアイドルが絶望し、助からないと悟って自殺に踏み切りでもしたらどうするのか。

「にゃ、にゃ……」

 雫の考察は『アイドルを集めて殺し合いなんて、現実的に考えてありえない』という点を除けば概ね理に適っている。
 現実的に考えてありえないというただ一点で否定することは、もちろんできた。
 だがみくは口ごもり、反論をやめてしまう――それは自分自身、心のどこかで『ドッキリは無理がある』と思っていたからにほかならない。

「で、でも……でもだからって……!」

 みくは『なるほど。これはやっぱり殺し合いだったんだにゃ!』と雫の発言を受け入れることはできない。

「だってみくには……みくのバッグには、こんなものが入っていたんだにゃ!
 雫ちゃんが言うとおりこれが本物の殺し合いだっていうんなら、こんなものは必要ないはずにゃ!」

 そう言ってみくが取り出したのは、『ドッキリ大成功』と書かれたプラカードとビデオカメラだった。
 これはみくに与えられた支給品であり、彼女がドッキリの仕掛け人として選ばれた唯一の証拠品でもある。
 ――と本人は思っているが、雫は違う。むしろこれらの支給品は、疑念を駆り立てる材料となるのだ。

「実を言うと……放送を聞く前から、薄々感づいてはいたんですよねー。でも、みくさんが動揺すると危ないと思ってー」
「し、雫ちゃん?」
「でも言わせてもらいますー。ここで勘違いしたまま進んでいったら、もっと危ないと思いますからー」
「な、なにを言ってるんだにゃ……?」
「それに支給品の話を持ち出すんなら……私のバッグには、こんなものも入っていたんですよー?」

 雫に配られた支給品は、彼女がいま身に着けている牛さん衣装の他にもう一つある。
 雫はバッグからそれを取り出し、みくに手渡した。
 両の掌で受け取ったみくは、それをしげしげと眺める。

「これは……」

 黒く無骨なそのフォルムからは、ずしりとした重みを感じる。
 それは漫画やテレビの中など目にする機会は多いが、実物にはそう滅多にお目にかかれないもの。

 名称をS&WM36『レディ・スミス』――つまり、拳銃である。

 がくがくがくっ、とみくの両足が震え始めた。
 掌の中の武器、凶器、『人を殺せる道具』が、現実というものを突きつけてくる。

「これがドッキリなら、素人の私たちに本物を渡しちゃうのは……さすがにまずいと思うんですよねー」
「にゃ、にゃんで……」
「どんな事故が起こるとも限りませんしー。事故が起こらないとしても世間体的に考えて大問題ですよー」
「う、ウソにゃ……そんなことないにゃ……」
「嘘じゃなくて本当なんです。ドッキリじゃなくて現実なんです。その銃も……偽物じゃなくて本物なんですよー」

 本物? この拳銃が? みくがいま持ってるこれが?
 これに弾が入っていて? 引き金を引くと飛び出る?
 どんな風に? ドーンって? それともバーンって?
 え? え? 本当に? ウソ? これで人が殺せる?

 そんなわけない。そんなわけない。そんなわけない。
 だってこれはドッキリなんだから。殺し合いなんてウソなんだから。
 そんなわけない。そんなわけない。そんなわけ――


「これは、本物の殺し合いですー」
「そんなのっ、ウソっぱちにゃ!」


 パン、とみくの手の中で音が弾けた。
 どたん、とみくがその場に尻餅をつく。

「あいたたにゃ……」

 たまらず、お尻をさするみく。ステージ上で転んでしまったことは初めてではないが、いまの転び方は強烈だった。
 いったいなにが起こったのだろう。手を起点にものすごい反動のようなものを感じて、気づいたら尻餅をついていた。
 掌がじんわりと熱い。両肩も痛い。さっきから心臓の動きも早い気がする。先生、この症状はなんなんですかにゃ?
 博識の雫なら知っているかもしれない。みくは床にお尻をつけたまま、視線をついっと上にやった。

「えっ」

 目の前には雫が立っている。それは先ほどから変わりない。
 しかしどうしたことだろう。
 雫の胸元は赤く変色していて、彼女の着ている衣装を盛大に汚している。
 白と黒の見事な斑模様が……赤く、汚れている。

「も、もう! 雫ちゃんってばなにしてるのにゃ! せっかくの牛さん衣装がだいなしにゃ!」
「あー、えっとー」

 みくがあざけるように言うと、雫はへなへなとその場にへたり込んだ。
 そしてそのまま、ゆっくりと横になる。
 みくには雫がなにをしているのかわからなかった。
 胸元が赤くなっている理由も、彼女の顔から生気が失せようとしている理由も。

「わたしー……撃たれちゃったみたいですー」

 いつになく弱々しい声。
 撃たれた。なにに。誰に。どこに。
 胸を? 銃で? 誰に? え、みくに?
 手元の銃を眺める。
 弾が減ってる? 見てもわかんない。
 手が震えているのは? この肩の痛みは?
 銃を撃ったから? 雫ちゃんを撃ったから?
 違う!
 つい、引き金を引いちゃっただけなんだ!
 撃つ気なんてなかった!
 だけど引き金を引けば、弾は出る!
 偶然、本当に偶然!
 たまたまそれが雫ちゃんに当たっちゃっただけで!
 たまたまだから!

「ハー、スハー、ハー」

 呼吸は乱れ、両の眼はギラギラと血走っている。みくの頭の中が真っ白になった。
 落ち着け。落ち着いて。これはなにかの間違い。落ち着いてリセットボタンを押そう。
 大丈夫。きっと自分には秘められた力が眠ってる。少しだけ時間を巻き戻すことができる。
 クイックセーブしたから。したはずだから。クイックロードなんてお手の物だから。やり直し。
 ……早くっ。早くやり直して。雫ちゃん。雫ちゃんの身体から血が。手遅れに。手遅れになる――

「――しっ、しし、雫チャン!」

 現実逃避は長くは続かなかった。
 気づけば、みくは雫のもとに駆け寄っていた。
 だって、このまま現実逃避を続けていたら本当の意味で手遅れになってしまうから。
 でも、たぶんもう手遅れだった。
 医者でも保健委員でもないみくに雫の怪我の度合いを見ることなんてできない。
 だけどこれだけはわかる――雫の出血具合が『ものすごい』ということだけは。

「待っててにゃ! いま、いま救急車呼んであげるからっ!」

 傷口を手で押さえつけ、息荒く呼吸する雫。
 そんな彼女の目の前で、みくは必至に荷物を漁った。
 鞄を逆さにして食料や名簿などを床にバラ撒き、携帯電話を探す。
 だがどこにもない。
 藁にも縋る思いで情報端末を操作した。
 これでは電話はかけられない。
 スマートフォンっぽいからいけるかと思った。
 駄目だった。

「大丈夫ですよー……心臓には届いてませんからー」
「えっ……ホントかにゃ?」
「はいー。ほら、私って、胸に脂肪が集まってるのでー……」
「って、自慢かにゃ!」

 案外、大丈夫なのかもしれないとみくは思った。
 雫は苦しそうな顔を浮かべてこそいるが、このように軽口を言える余裕は残っているらしい。
 ならたぶん大丈夫だ。きっとこの出血だって、時が経てば自然に止まるに違いない。

「けふっ」

 雫が口から血を吐いた。
 血は胸の穴からいまも流れ続けてるのに、口からも出た。
 大丈夫なんかじゃなかった。
 雫は助からない。
 雫ちゃんは……死んじゃうんだ。

「ごめんなさいっ。ごめんなさいにゃ」

 …………みくが、殺しちゃったんだ。

「そんなつもりじゃなかったんだにゃ。あれは本物なんかじゃないって。そう思っただけでぇ……」

 逃れられない現実を思うと、目から涙が溢れてきた。
 もう終わりだ。なにもかも終わりだ。アイドルとしての人生も。真人間としての人生も。
 この島から出たら裁判にかけられて、刑務所に入れられて、雫の家族にいっぱい謝って、それで死刑にされるんだ。
 いや、その前にここで死ぬ。誰かに殺される。だってこれは殺し合いだから。ドッキリなんかじゃない本物だから。

「ごめんなさい、ごめんなさいにゃあ……」

 ぼろぼろと泣きながら、みくは必至に謝り続けた。
 謝ったってしょうがないのに、それでも謝るしかなかった。

「……みくさんはー」

 雫が、血まみれになった唇を動かし言葉を紡ぐ。

「みくさんはー……命が消える瞬間を見たことがありますかー……?」

 唐突な質問に、みくは「えっ」と間の抜けた声で返す。
 命が消える瞬間を見たことがあるか。
 その質問の意味を分解し、咀嚼する――

「……そんなのないにゃ。人が死ぬところなんてっ」
「私は、たくさんありますー」

 予想外の言葉が返ってきた。
 えっ。だって雫はアイドルだ。みくと同じ女の子だ。なのにそんな、たくさんだなんて。

「し、雫ちゃんの家は葬儀屋さんかなにかなのかにゃ?」
「違いますよー。ほら、言ったじゃないですか……私の家は、牧場なんです」

 そういえばそうだった。
 ホテルで出会ってからの六時間。時間はたっぷりあったので、お互いのことをいっぱい話した。
 アイドルとして主にどんな活動をしているか。影響を受けた人は誰か。目指すものはなにか。
 好きな食べ物はなにか。プロデューサーはどんな人か。趣味とか特技とか、家族構成とかも。

「実家では、たくさんの死を見てきました。牛さんの、豚さんの、鶏さんの……命が、消えっ、けふっ」
「雫ちゃん! 無理して喋ることないにゃ!」
「……平気ですよー。それよりも、みくさん――」

 雫はみくの手を握り、とろんとした眼差しを向けてくる。

「命あるものは、いつか死にます」

 いままさに命を落とそうとしている者の、あまりにも重い言葉だった。
 みくは、雫の手を両手でぎゅっと握りしめる。

「だから、私ももうすぐ死ぬと思います」

 ――どうか。
 どうか神様。
 現実逃避はもうしません。
 奇跡を、奇跡をください。
 奇跡を起こして、雫ちゃんを助けてください。
 どうか――

「神様に祈っても……どうにもなりません。奇跡なんて、起こりません。生き物の命って、そういうものです」

 雫は、達観していた。
 ただ死にゆく自分に絶望しているわけではない。
 命というものを、死というものを、そして生きるということを知っている者の風格があった。

「わかんないんにゃ……だって、雫ちゃんの言ってる命は家畜のことにゃ!? 人間とは違うにゃ!」
「それはー……そのとおりなんですよねー。でも、命は等しいものだと私は思いますー」
「違うにゃ、ぜーんぜん違うにゃ! みくだってそれくらい知ってるにゃ!」
「違いませんよー。牛さんも豚さんも、生きるために一生懸命で……でも」
「でも人間の都合で死んじゃうにゃ! 食べるために殺されちゃうにゃ! 食べられないのも殺されちゃうにゃ!?」
「ですねー。食用にできなかったり、ミルクの出ない牛さんは、処分されてしまいますしー……」
「そういうことにゃ! つまり無駄死にってことにゃ! 雫ちゃんも、みくが殺しちゃったから――」
「無駄じゃありませんよ」

 雫の声は、依然として弱々しい。が、みくの手を握る力はだけは強く。
 懸命に、残りの命をすべてこの掌に込めようと、そんな想いが感じられる。

「無駄じゃありません。ううん……無駄に、しないでください。みくさんが、私の命に意味を持たせてください」
「みくが……?」
「はいー……ほら、私って見てのとおり牛さんですからー。きっと食べたらおいしいですー」
「カニバリズムにゃ!? 雫ちゃん、どこまでが冗談でどこまでが本気かわかんないにゃ!」
「ごめんなさいー。私も、なんだか意識が朦朧としちゃってー……カルシウムが足りてませんねー」
「足りてるにゃ! むしろ足りすぎにゃ! こんだけ育っててミルクが足りないなんて言わせないにゃ!」

 みくが雫の乳房をわしづかみにする。その柔らかさは健在だった。だが掌は血で濡れた。
 熱くぬめっとした感触。ああ、紛れもない人の血だ。みくは唇をきつく噛み、涙をのむ。

「……みくは」

 もし、みくが本当に牛だったならば。
 せめてもの供養として、おいしく食べてあげるのが正解なのだろうか。
 だけどそれはできない。だって雫は人間だから。食べてあげることは供養にはならない。

「勘違いで雫ちゃんの命を奪って……みくはこの先どうしたらいいのかにゃ……?」

 雫の命に意味を持たせる。
 与えられた命題の答えは、一人では見つけられない。
 困り顔のみくに、雫は笑みを浮かべる。

「私……みくさんが『これはドッキリだ』って言ってくれたとき、すごくホッとしたんですー」

 出血の影響だろう。顔面は蒼白だ。
 ただその笑みは、とても胸に風穴を開けている人間のものとは思えない。

「でも……でもでもでも! これは雫ちゃんの言うとおり、ドッキリなんかじゃなかったにゃ!」
「そうですねー。だけど、これが本当にドッキリだったら……殺し合いにはならないんじゃないかって」
「なっ……なにを言ってるのにゃ?」
「私、思ったんですー。みくさんが――ガハッ! ゲェっ!」

 そこで、雫が盛大に血を吐いた。仰向けの彼女の口から噴き出る鮮血。それはもう噴火のようだった。
 唇はもちろんのこと、頬が、目元が、おでこまでが血しぶきに見舞われる。
 胸の出血は一向に止まる気配がない。いつの間にか、雫とみくの足元には血だまりのプールができあがっていた。

「……ご、ごめんなさい。えーっと……ああ、そうそう。ドッキリでホッとしたって話でしたー」

 もはやかける言葉も見当たらない。そんなみくに、雫は語り続ける。

「もし、私が余計なことを言わなかったら……みくさんと私は、きっとドッキリだと思い続けてましたよねー?」
「雫ちゃん……もう」
「他のみんなも、そうだったらー……みんなが揃って、これをドッキリだと思い続けていたらー……」
「もう……お願いだから、喋らないで……」
「……殺し合いには、ならないんじゃないかって。そう思うんですー」

 雫の言いたいことは充分に伝わった。
 要するに、みんなが勘違いをすれば。
 島に集められたアイドル60人、死んでしまったアイドルを除いて45人、みくと雫も除いて43人。
 その43人に『これは殺し合いじゃなくてドッキリなんだ』と勘違いしてもらえれば。
 この殺し合いは成立しなくなる。
 理屈はわかる。
 だけど。

「――無理にゃ!」

 みくは声を張り上げた。
 雫の発案は、否定するしかない無理難題だった。

「みくは……みくはもう、これをドッキリだなんて思えないにゃ! だって、目の前で雫ちゃんが死にそうなのに!
 みくがこの手で、雫ちゃんを殺してしまったのに! それなのに、他のみんなにドッキリだったなんて言えないにゃ!
 それに、他にも死んじゃった子はいるにゃ! 誰かを殺しちゃった子もきっといるにゃ! いまさらドッキリはないにゃあ!」

 後悔と懺悔の慟哭が、屋外ステージ上に響き渡る。
 みくの涙を見ながら、雫は考えるように「んー」と唸った。
 やがて「あっ」と声にする。

「みくさん……私、ひらめきましたー」
「……えっ?」
「私が死んじゃったのは、撮影中の不幸な事故なんですよー」

 みくには、雫がなにを言っているのかわからなかった。

「撮影用の小道具に、偶然ホンモノの拳銃が紛れててー……それが偶然、暴発しちゃってー……それで死んじゃったんです、私」
「……ありえないにゃ」
「他のみんなも、きっとそんな感じでー……運がなかったんですよー。みくさんに責任はありません。スタッフさんのせいにしましょー」
「ありえないにゃあ! そんな作り話でっ、そんな屁理屈でっ、命を奪うことが許されるわけないにゃあ!」
「みくさんって、すごいですよねー」

 ……うん? あれ?
 なんか、唐突に褒められた気がした。
 会話の流れにおかしさを感じながら、みくは雫と見つめ合う。

「なにがすごいのかにゃ?」
「みくさんって、こんなときでも語尾に『にゃ』をつけるんですね」

 言われて気がついた。
 目の前で、雫が息絶えようとしている。なのに自分は、不真面目に語尾に『にゃ』なんてつけて。
 このわざとらしい口調は、アイドル前川みくとしてのキャラ作りのためのものだ。
 半ば口癖になってはいるが、絶対にオフにできないというわけではない。それなのに。

「だいじょうぶ……みくさんの心は、きっとまだアイドルでいれてるんです」

 みくの、アイドル。
 みくのアイドルってなんだろう?
 アイドルの前川みくってどんな子だろう?

「みくは、殺し合いが嫌で、ドッキリだったらいいなって思って、みんなにも安心してもらいたくてっ」
「できますよー、みくさんならー……ああ、そっかー」

 その答えは、目の前の女の子が持っていた。
 及川雫が、前川みくの前で想いを口にする。

「ドッキリって言われて、ホッとして……私たぶんあのとき、みくさんのファンになっちゃったんですねー」

 どんどんか細くなっていく声を聞き取ろうと、みくは雫の口元に顔を寄せた。
 荒い息遣いどうしようもなく心を乱す。
 この期に及んでまた、自分にできることはなにもないのかと嘆いた。

「みくさん。命の話なんてしてごめんなさい。私の言いたいことは、もっと単純だったんです」

 掌から伝わってくる熱は、弱く。
 込めれた力も、弱く。
 だけど最期の想いだけは、強く。

「アイドルでいてください。みくさんの思うアイドルで、みんなを安心させてあげてください……ファンからの、ささやかなお願いです」

 雫は。
 及川雫という女の子は、そうやって死んでいった。

 言葉を口にする体力もなくなって、しだいに呼吸も途切れていった。
 最終的には血も吐かなくなり、出血もいつの間にか止まっていた。
 穏やかな死だった。

 みくは。
 前川みくという女の子は、大いに泣いた。

 血塗られたステージの真ん中で、雫を抱えながらわんわん泣いた。
 身体と服は血まみれになり、死に逝く者のにおいが染みついてしまった。
 生きてる実感がした。

 どうしようもないにゃあ。

 でも。
 だけど。
 それでも。

 生きないといけないんだにゃあ。

 生きようと思った。
 思いながら泣き続けた。



 ◇ ◇ ◇



「にゃん♪ にゃん♪ にゃん♪」

 あれからたっぷり二時間は経過したと思う。
 一時間ほど泣き続けて、もう一時間は事後処理に奔走した。
 事後処理なんて書くとまるで事件の犯人みたいだが、それは誤解である。

 及川雫は前川みくが撃った銃が原因で死亡した。
 でもそれは不幸な事故だった。
 そういうことにする。
 ――そういうことにすることこそが、雫への贖罪だから。

「プロデューサーチャン! みくの新しい衣装がセクシーにカワイクなったにゃあ☆」

 泣き終えたみくはまず舞台上を離れ、ライブステージ備えつけの更衣室へと脚を運んだ。
 そこのシャワー室でシャワーを浴び、身体にこびりついた汗や血やにおいを洗い流す。
 隅々まで綺麗になった後は、更衣室に置いてあった衣装を拝借しそれに衣装チェンジ。

 纏うネコさん衣装はセクシー系で露出が多い。なんと胸元がぱっくり開き、谷間が見えてしまっていた。
 黒をメインに、赤のリボンやピンクのフリル、ネコっぽい鈴で飾ったスタイルはかなりアダルトチックと言える。
 そして頭にはカチューシャタイプのネコミミ。おしりにはネコしっぽ。完璧なまでのセクシーキャットがここに顕現した。

「見せすぎかにゃあ? プロデューサーチャンに怒られそうにゃ……でもみくはこれでいくにゃあ!」

 出発の準備を終えたみくは、最後にステージの上にのぼった。
 ステージ上には、依然として雫の遺体が置かれたままである。
 寒くないように、更衣室にあったブランケットをかけてあげてはいるけれど。
 いまのみくに、彼女を真っ当に葬ることはできない。
 そのすべを持っていないから――という理由の他にも、優先してやるべきことがあるから――という理由が一つ。

「いってくるにゃ、雫ちゃん。セクシーキュートなみくの魅力で、みんなをいっぱい安心させてあげるんだからっ」

 『ドッキリ大成功』と書かれたプラカードを胸に抱き、いまはまだデイパックの中にしまっておく。
 無茶かもしれないけど。無謀かもしれないけれど。
 それでもやってみようと思った。なによりも彼女のために。アイドル前川みくを応援してくれるファンのために。

「さ~て、いっくぞー!」

 みくは駆け出した。
 この殺し合いは現実で、みんなはきっとつらい想いをしている。
 だから『これはドッキリだよ』って教えてあげるんだ。そして安心させてあげるんだ。『もう大丈夫だよ』って。
 それが、みくのアイドルだからっ!


「みくは自分を曲げないよ!」



【B-2 屋外ライブステージ/一日目 午前】

【前川みく】
【装備:セクシーキャットなステージ衣装、『ドッキリ大成功』と書かれたプラカード、ビデオカメラ、S&WM36レディ・スミス(4/5)】
【所持品:基本支給品一式】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:みんなを安心させて(騙して)、この殺し合いを本物の『ドッキリ』にする。
1:みくは自分を曲げないよ!

※雫の基本支給品一式と牛さん衣装は、彼女が持ったままB-2の屋外ライブステージに放置されています。


【及川雫 死亡】


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及川雫 死亡
及川雫補完エピソード:~~さんといっしょ

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最終更新:2014年02月27日 21:14