善意の果てに── 2 1-59様
鎧男と少女の出会いは血塗られたものだった。
生まれた原因は人間のどろどろとした念によるものであったが、鎧男はその『人間の念』ではなくちゃんと『自分自身』としての確固とした人格があった。それでも、宿った念の元となった人間がどんな人生を送ったか知らないが、人間への激しい憎悪もまた鎧男にしっかり取り込まれていたが。
憎くて憎くて、何十人という命を息絶えさせていった。殺しすぎて、白銀の輝きを放っていた両刃剣も鎧も、斬ったり返り血を浴びたりして赤ずんでゆき、遂には鈍い闇色が全身を染め上げるほどになってしまっていた。
――あの日も、鎧男は憎しみのままに人を斬った。人里離れた小さな小屋で暮らす、若い夫婦だった。
外で薪を割っていた夫を首からばっさり斬りおとし、家の中で昼食の準備をしていた妻は肩から脇腹にかけて袈裟斬り。ものの十数秒の出来事だった。
妻を殺した部屋には、剣から零れ落ちる血の跳ねた音が小さいはずがやけに大きく聞こえる。
斬っても斬っても湧いてくる人間への殺意。
その矛先を探し彷徨い、見つけ、殺す。
それでも心の芯では黒い感情は薄れず、むしろどんどん上塗りされていく。
激情の中に僅かにある冷静なところで鎧男は、自分は死ぬまでこうして生き続けるのだな、と嘆いていた。
部屋に佇んでいた鎧男は、いつまでもこうしていても仕方がないと、もうすでに湧き始めた新たな悪意を向けるべき人間を探すべく、小屋を出ようとした。
その時だった。玄関とは反対のドアが開いたのは。
(まだ人間がいた!?)
玄関へと体を向けていた鎧男は慌てて振り向いた。
振り向いた先、開いたドアから現れたのは赤ん坊だった。
ちゃんと閉めていなかったのだろうドアの向こう、赤ん坊のいた部屋には様々なおもちゃがそこら中に散らばっていた。きっと、そのおもちゃで遊んでいたが飽きて、母親いる方へ行こうとしたのだろう。
いっぱいいっぱいで立って歩く赤ん坊は、よちよちと拙い足取りで母親の方へと近付く。
「ままぁ、ままぁ」
舌足らずな喋り方で必死に母親を呼ぶ。しかし母親はもう既に事切れている。鎧男が殺したから。
母親の返り血で染まる床を赤ん坊はぺたぺた進んでいく。やっとの思いですぐ傍に辿り着くと、今度は母親の腕をゆさゆさと揺らした。まだ幼いその子は母親がどういう状態なのかよく分かっていないようだった。しかし何度も揺らし、呼びかけるうちに幼いなりに理解し始めたのだろう、呼びかける声に段々と震えを帯び始めていた。
と、そこに至ってようやく鎧男は自分の違和感に気づいた。
赤ん坊を、憎いと思っていない。
いつもの自分であったなら、ドアから現れた瞬間に四肢を切り刻んでいたはず。
だというのに、つい先程まで抱いていた人間への負の感情が嘘のように、綺麗さっぱり消えていたのだ。
それだけではない、鎧男は赤ん坊を哀れみ、そして後悔していた。赤ん坊がこれから親も居らず一人寂しくこの小屋でのたれ死ぬことに。そして、その親を自分が殺してしまったことに。
気が付けば鎧男は赤ん坊を抱え、あやすように背中をとんとんと叩いていた。子供をあやすなんてことをしたことない鎧男は多少ぎこちなくも、一生懸命に赤ん坊をあやした。
最初は知らない人(モンスターだが)に抱きかかえられ泣き喚いて暴れていた赤ん坊だったが、泣き疲れたか次第に大人しくなって眠りに落ちた。安らかな寝息を聞きながら、鎧男は誓った。
この子は自分が育てよう。それが、この子の親を殺してしまった自分なりの罪滅ぼしだ。
――それは宿った人間の念に僅かに残っていた良心か、はたまた鎧男自身が潜在的に持っていたものか。
とにかく、鎧男はモンスターとして致命的な欠陥を持ってしまった。
『善意』という欠陥を。
生まれた原因は人間のどろどろとした念によるものであったが、鎧男はその『人間の念』ではなくちゃんと『自分自身』としての確固とした人格があった。それでも、宿った念の元となった人間がどんな人生を送ったか知らないが、人間への激しい憎悪もまた鎧男にしっかり取り込まれていたが。
憎くて憎くて、何十人という命を息絶えさせていった。殺しすぎて、白銀の輝きを放っていた両刃剣も鎧も、斬ったり返り血を浴びたりして赤ずんでゆき、遂には鈍い闇色が全身を染め上げるほどになってしまっていた。
――あの日も、鎧男は憎しみのままに人を斬った。人里離れた小さな小屋で暮らす、若い夫婦だった。
外で薪を割っていた夫を首からばっさり斬りおとし、家の中で昼食の準備をしていた妻は肩から脇腹にかけて袈裟斬り。ものの十数秒の出来事だった。
妻を殺した部屋には、剣から零れ落ちる血の跳ねた音が小さいはずがやけに大きく聞こえる。
斬っても斬っても湧いてくる人間への殺意。
その矛先を探し彷徨い、見つけ、殺す。
それでも心の芯では黒い感情は薄れず、むしろどんどん上塗りされていく。
激情の中に僅かにある冷静なところで鎧男は、自分は死ぬまでこうして生き続けるのだな、と嘆いていた。
部屋に佇んでいた鎧男は、いつまでもこうしていても仕方がないと、もうすでに湧き始めた新たな悪意を向けるべき人間を探すべく、小屋を出ようとした。
その時だった。玄関とは反対のドアが開いたのは。
(まだ人間がいた!?)
玄関へと体を向けていた鎧男は慌てて振り向いた。
振り向いた先、開いたドアから現れたのは赤ん坊だった。
ちゃんと閉めていなかったのだろうドアの向こう、赤ん坊のいた部屋には様々なおもちゃがそこら中に散らばっていた。きっと、そのおもちゃで遊んでいたが飽きて、母親いる方へ行こうとしたのだろう。
いっぱいいっぱいで立って歩く赤ん坊は、よちよちと拙い足取りで母親の方へと近付く。
「ままぁ、ままぁ」
舌足らずな喋り方で必死に母親を呼ぶ。しかし母親はもう既に事切れている。鎧男が殺したから。
母親の返り血で染まる床を赤ん坊はぺたぺた進んでいく。やっとの思いですぐ傍に辿り着くと、今度は母親の腕をゆさゆさと揺らした。まだ幼いその子は母親がどういう状態なのかよく分かっていないようだった。しかし何度も揺らし、呼びかけるうちに幼いなりに理解し始めたのだろう、呼びかける声に段々と震えを帯び始めていた。
と、そこに至ってようやく鎧男は自分の違和感に気づいた。
赤ん坊を、憎いと思っていない。
いつもの自分であったなら、ドアから現れた瞬間に四肢を切り刻んでいたはず。
だというのに、つい先程まで抱いていた人間への負の感情が嘘のように、綺麗さっぱり消えていたのだ。
それだけではない、鎧男は赤ん坊を哀れみ、そして後悔していた。赤ん坊がこれから親も居らず一人寂しくこの小屋でのたれ死ぬことに。そして、その親を自分が殺してしまったことに。
気が付けば鎧男は赤ん坊を抱え、あやすように背中をとんとんと叩いていた。子供をあやすなんてことをしたことない鎧男は多少ぎこちなくも、一生懸命に赤ん坊をあやした。
最初は知らない人(モンスターだが)に抱きかかえられ泣き喚いて暴れていた赤ん坊だったが、泣き疲れたか次第に大人しくなって眠りに落ちた。安らかな寝息を聞きながら、鎧男は誓った。
この子は自分が育てよう。それが、この子の親を殺してしまった自分なりの罪滅ぼしだ。
――それは宿った人間の念に僅かに残っていた良心か、はたまた鎧男自身が潜在的に持っていたものか。
とにかく、鎧男はモンスターとして致命的な欠陥を持ってしまった。
『善意』という欠陥を。