善意の果てに── 3 1-59様
夏の夜は昼間と違い涼しく、過ごしやすい時間となる。しかしながら油断すると、体調を崩す原因にもなるが。
その後も何度から休憩を挟みながら山を歩き、何とか下りまで来たというところで日が暮れてしまった。
なので二人(?)は無理をせずそこで野宿をすることにした。といってもこれが初めてというわけでもなく、鎧男がモンスターであるため宿に泊まるわけにもいかず毎日野宿なのであるが。
山道から少し外れ、開けた場所を見つけると少女が辺りから集めた木の枝で火を熾し、野生の動物やモンスターが寄ってこないようにする。
だが不思議なことにこの山に入ってからというもの、野生の動物にはよく会ったがモンスターの類には一切出くわしていなかった。こういう場合、考えられるのはこの付近が魔物に棲むには適していないか、
もしくは最上級のモンスターが近辺に潜んでいて本能的に避けているかのどちらかであるが、どちらにしてもこちらに危害がないのは喜ばしい。よしんば後者だとしてもそういうモンスターは知性が高く無闇矢鱈に力を揮わないので、こちらから何か仕掛けない限り安全である。
というわけで今回の野宿は比較的に穏やかなものとなっていた。焚き火の前に肩膝を立て腰を下ろす鎧男の懐で、少女は夕食をパクついている。今日の夕食はいつだったか鎧男が獲ったうさぎの肉を焼いて塩を振りかけたシンプルなものだ。
少女は口を大きく開けてうさぎの肉にかぶりつく。表面がパリパリとして香ばしく、少女のかぶりついた断面から旨み成分たっぷりの油がじゅわっと溢れ出ていた。鎧男は固形物を食べられないが、それでも笑顔でむしゃむしゃ食べる少女を見ていると美味しそうに見えて涎が出てしまいそうである。出ないが。
そうして夕食が終わった後、そのままの体勢で少女は鎧男からお話をせがんできた。いつも夕食が終わると少女は鎧男に今まで旅してきたことの話を聞いてくるのだ。といってもその頃の鎧男は人間への憎しみで周りなど見えていなかったのでほとんど覚えておらず、かといって人間を殺した話をするなど以ての外だ。なので、うろ覚えながらも道中で出くわした凶暴な野生動物やモンスターと戦った話などを、少し脚色をつけて少女に話していた。
今日も狼の群れに囲まれ苦心しながらも立ち振舞う様を、面白おかしく話し聞かせた。少女は話を聞きながら目をきらきらと輝かせている。そして鎧男が最後の一匹を倒した所で話が終わり、少女ははうーっと長い息を吐いた。
「おじちゃんすごいね。オオカミさんいっぱいいたのにやっつけちゃうなんて」
「そうかい? おじちゃんそんなにすごいかな」
「すごいよ! おじちゃんすっごくかっこいいよ! こう、けんをふりまわしてね――」
鎧男の真似をしているのか、少女は剣を握ったように両手を丸めてぶんぶんと大きく振り回した。
その一生懸命な様に鎧男は思わず笑みが零れる。
「はっはっは、もう何十年と振ってきたからね。いやでも強くなるさ」
「そっかー……じゃあさ、おじちゃん」
「ん?」
「いつかわたしも、おじちゃんみたいにつよくなれるかな?」
「なんだい? おじちゃんみたいに強くなりたいのかい?」
「うんっ。いつかおじちゃんみたいにかっこよくモンスターをやっつけるの! それで、わたしが
おじちゃんをまもってあげるの! そしたら、おじちゃんももっとらくできるでしょ?」
「楽?」
「そうだよ。わたしがつよくなったらおじちゃんともっといろんな所にいけるでしょ?
わたしね、
その後も何度から休憩を挟みながら山を歩き、何とか下りまで来たというところで日が暮れてしまった。
なので二人(?)は無理をせずそこで野宿をすることにした。といってもこれが初めてというわけでもなく、鎧男がモンスターであるため宿に泊まるわけにもいかず毎日野宿なのであるが。
山道から少し外れ、開けた場所を見つけると少女が辺りから集めた木の枝で火を熾し、野生の動物やモンスターが寄ってこないようにする。
だが不思議なことにこの山に入ってからというもの、野生の動物にはよく会ったがモンスターの類には一切出くわしていなかった。こういう場合、考えられるのはこの付近が魔物に棲むには適していないか、
もしくは最上級のモンスターが近辺に潜んでいて本能的に避けているかのどちらかであるが、どちらにしてもこちらに危害がないのは喜ばしい。よしんば後者だとしてもそういうモンスターは知性が高く無闇矢鱈に力を揮わないので、こちらから何か仕掛けない限り安全である。
というわけで今回の野宿は比較的に穏やかなものとなっていた。焚き火の前に肩膝を立て腰を下ろす鎧男の懐で、少女は夕食をパクついている。今日の夕食はいつだったか鎧男が獲ったうさぎの肉を焼いて塩を振りかけたシンプルなものだ。
少女は口を大きく開けてうさぎの肉にかぶりつく。表面がパリパリとして香ばしく、少女のかぶりついた断面から旨み成分たっぷりの油がじゅわっと溢れ出ていた。鎧男は固形物を食べられないが、それでも笑顔でむしゃむしゃ食べる少女を見ていると美味しそうに見えて涎が出てしまいそうである。出ないが。
そうして夕食が終わった後、そのままの体勢で少女は鎧男からお話をせがんできた。いつも夕食が終わると少女は鎧男に今まで旅してきたことの話を聞いてくるのだ。といってもその頃の鎧男は人間への憎しみで周りなど見えていなかったのでほとんど覚えておらず、かといって人間を殺した話をするなど以ての外だ。なので、うろ覚えながらも道中で出くわした凶暴な野生動物やモンスターと戦った話などを、少し脚色をつけて少女に話していた。
今日も狼の群れに囲まれ苦心しながらも立ち振舞う様を、面白おかしく話し聞かせた。少女は話を聞きながら目をきらきらと輝かせている。そして鎧男が最後の一匹を倒した所で話が終わり、少女ははうーっと長い息を吐いた。
「おじちゃんすごいね。オオカミさんいっぱいいたのにやっつけちゃうなんて」
「そうかい? おじちゃんそんなにすごいかな」
「すごいよ! おじちゃんすっごくかっこいいよ! こう、けんをふりまわしてね――」
鎧男の真似をしているのか、少女は剣を握ったように両手を丸めてぶんぶんと大きく振り回した。
その一生懸命な様に鎧男は思わず笑みが零れる。
「はっはっは、もう何十年と振ってきたからね。いやでも強くなるさ」
「そっかー……じゃあさ、おじちゃん」
「ん?」
「いつかわたしも、おじちゃんみたいにつよくなれるかな?」
「なんだい? おじちゃんみたいに強くなりたいのかい?」
「うんっ。いつかおじちゃんみたいにかっこよくモンスターをやっつけるの! それで、わたしが
おじちゃんをまもってあげるの! そしたら、おじちゃんももっとらくできるでしょ?」
「楽?」
「そうだよ。わたしがつよくなったらおじちゃんともっといろんな所にいけるでしょ?
わたしね、
ずっと、ずぅーっと! おじちゃんといっしょにもっといろんな所をたびしたいんだっ!」
返事は、すぐにできなかった。
無邪気に微笑みかける少女にどう答えれば良いのか、鎧男は分からなかった。
焚き火の中の木がパチッと弾ける。
「……おじちゃん? だいじょうぶ?」
先程まで明るく話していた少女も、鎧男が何も言ってくれないことを不審に思ったのか、少しトーンを落として話しかけてくる。焚き火の揺らめくのに合わせて、少女の影も危うく蠢く。
「……ごめんごめん。でもそう簡単に守られるほどおじちゃんも弱くはないさ」
「あーっ! おじちゃんむりだとおもってるんでしょ! ぜったいおじちゃんよりつよくなるもん!」
鎧男の言葉に機嫌を損ねたのか、少女は頬をぷくーっと膨らませてぷいっとそっぽを向いてしまった。
「あーごめん。ほら、ほっぺを膨らませるのはやめなさい。せっかくの可愛い顔が台無しだ」
鎧男は優しく少女の頭を撫で上げた。少女の美しい栗色の髪を傷めないようにゆっくりと。
少女も怒らせていた顔を緩ませていき、十秒もしないうちに鎧男の胸に頭を預けてくすぐったそうに撫でられていた。
それからしばらくそうしていたら、少女の瞼が半分ほど閉じかけてうつらうつらと首を漕ぎ始めた。
時折あくびも混じる。そろそろ就寝の時間だ。
「寝るかい?」
「うん……ねるぅ」
今にも寝入ってしまいそうな少女をなんとか足からどかし、少女用の床を敷いて寝させる準備を整えると、そこに少女を導いて布を掛けてあげる。
「それじゃ、おやすみ」
「うん、おやすみなさぁい」
就寝の挨拶をした後、もう一度小さくあくびをかいて少女は瞼を完全に閉じた。
鎧男は焚き火を挟んで反対の方へ腰を下ろす。カシャンと鎧同士がかち合った。ここからは寝ずの番をして少女を守ることになる。焚き火で野生の動物は寄ってこないだろうしモンスターもいないようだが、油断は禁物である。気を引き締めて――と、
「あっ……そうだ」
少女は何か思い出したように起き上がり、鎧男の側へと駆け寄ってきた。なんだろうと鎧男が思っていると少女は鎧男の前に立ち、そして徐に背伸びをして――
「ちゅ……。えへへ、おやすみのきす、わすれてた」
寝惚け眼で見上げ舌を出して照れくさそうにはにかむと、少女は恥ずかしそうに元いた場所に戻って布を顔まで掛ける。
「それじゃ、ほんとうにおやすみ……」
半分だけ顔を出してそれだけ言うと少女はそっぽを向いて眠りに入った。
「……」
鎧男は少女の一連の動きが終わり、やっと少女が口付けした自分の額をそっと撫でる。
感覚のない鎧男だが、何故かそこだけぽかぽかと暖かく感じた。
それから気を取り直し、鎧男は寝ずの番を続けた。鎧男は眠気も感じないため、一日中ずっと起きていることなど容易い。こういった部分は自分がモンスターであって良かったと思えるところだ。
眠りもせずに夜は退屈ではないかと思うだろうが、星を眺めているだけでも楽しいものである。
その日その日で顔を変える夜空は見ていて飽きることはない。
そしてなによりも、少女の寝顔を見ていると自分も今日一日彼女を守れたことに安心感を得る。
今、少女は寝返りを打って鎧男の方へ顔を向けている。楽しい夢でも見ているのだろうか、口許には微笑みが浮かんでいた。
無邪気に微笑みかける少女にどう答えれば良いのか、鎧男は分からなかった。
焚き火の中の木がパチッと弾ける。
「……おじちゃん? だいじょうぶ?」
先程まで明るく話していた少女も、鎧男が何も言ってくれないことを不審に思ったのか、少しトーンを落として話しかけてくる。焚き火の揺らめくのに合わせて、少女の影も危うく蠢く。
「……ごめんごめん。でもそう簡単に守られるほどおじちゃんも弱くはないさ」
「あーっ! おじちゃんむりだとおもってるんでしょ! ぜったいおじちゃんよりつよくなるもん!」
鎧男の言葉に機嫌を損ねたのか、少女は頬をぷくーっと膨らませてぷいっとそっぽを向いてしまった。
「あーごめん。ほら、ほっぺを膨らませるのはやめなさい。せっかくの可愛い顔が台無しだ」
鎧男は優しく少女の頭を撫で上げた。少女の美しい栗色の髪を傷めないようにゆっくりと。
少女も怒らせていた顔を緩ませていき、十秒もしないうちに鎧男の胸に頭を預けてくすぐったそうに撫でられていた。
それからしばらくそうしていたら、少女の瞼が半分ほど閉じかけてうつらうつらと首を漕ぎ始めた。
時折あくびも混じる。そろそろ就寝の時間だ。
「寝るかい?」
「うん……ねるぅ」
今にも寝入ってしまいそうな少女をなんとか足からどかし、少女用の床を敷いて寝させる準備を整えると、そこに少女を導いて布を掛けてあげる。
「それじゃ、おやすみ」
「うん、おやすみなさぁい」
就寝の挨拶をした後、もう一度小さくあくびをかいて少女は瞼を完全に閉じた。
鎧男は焚き火を挟んで反対の方へ腰を下ろす。カシャンと鎧同士がかち合った。ここからは寝ずの番をして少女を守ることになる。焚き火で野生の動物は寄ってこないだろうしモンスターもいないようだが、油断は禁物である。気を引き締めて――と、
「あっ……そうだ」
少女は何か思い出したように起き上がり、鎧男の側へと駆け寄ってきた。なんだろうと鎧男が思っていると少女は鎧男の前に立ち、そして徐に背伸びをして――
「ちゅ……。えへへ、おやすみのきす、わすれてた」
寝惚け眼で見上げ舌を出して照れくさそうにはにかむと、少女は恥ずかしそうに元いた場所に戻って布を顔まで掛ける。
「それじゃ、ほんとうにおやすみ……」
半分だけ顔を出してそれだけ言うと少女はそっぽを向いて眠りに入った。
「……」
鎧男は少女の一連の動きが終わり、やっと少女が口付けした自分の額をそっと撫でる。
感覚のない鎧男だが、何故かそこだけぽかぽかと暖かく感じた。
それから気を取り直し、鎧男は寝ずの番を続けた。鎧男は眠気も感じないため、一日中ずっと起きていることなど容易い。こういった部分は自分がモンスターであって良かったと思えるところだ。
眠りもせずに夜は退屈ではないかと思うだろうが、星を眺めているだけでも楽しいものである。
その日その日で顔を変える夜空は見ていて飽きることはない。
そしてなによりも、少女の寝顔を見ていると自分も今日一日彼女を守れたことに安心感を得る。
今、少女は寝返りを打って鎧男の方へ顔を向けている。楽しい夢でも見ているのだろうか、口許には微笑みが浮かんでいた。
少女の寝顔を眺めて内心穏やかな気持ちになりながらも、鎧男は考える。自分はいつまでこうしていられるだろうか、と。
さきほど少女に言われた言葉が蘇る。
――いつかおじちゃんみたいにかっこよくモンスターをやっつけるの!
――それで、わたしがおじちゃんをまもってあげるの!
――わたしね、ずっと、ずぅーっと! おじちゃんといっしょにいろんな所をたびしたいんだっ!
「ずっと、か……」
鎧男の声に自嘲の色が混じる。
それはありえないのだ、絶対に。
鎧男は人の魂を喰らって今まで生きてきていた。人間を殺し、その不幸のどん底に沈んだ暗い魂を自身に取り込み、生き永らえてきていた。
しかし少女と出会い、『善意』というものに目覚めた鎧男は以前のように人間を殺さなくなった。
それは鎧男自身が人間への殺意を覚えなくなってしまったこともあるが、何より少女を悲しませたくなかったというのが一番である。今は狩った動物の魂を取り込んで何とか凌いでいるが、それも長くは持たない。動物の魂では人間の魂ほど強い負の感情を持たないからだ。
そうして鎧男は自分の体が徐々に弱まっていくのを感じ取っていた。今は気にならない程度の微弱なものであるが、やがて己を蝕んでいき最後には――。
そこまで考えて鎧男は頭を横に振り、思考を停止させる。考えたくないことだ。できることなら、自分だってこうしてずっと少女とともに歩んでいきたい。
しかし考えなければならない。自分がいなくなる日はそう遠くないのだから。できる限りのことは彼女に教えようと思う。この世界で生きる術を、戦う術を。せめて少女が一人で立って生きられる年頃になるまでは見届けなければならない。
鎧男は後悔したくなかった。自分に『善意』が目覚めたことに。
例えその果てにあるものが悲しい別れであったとしても――。
さきほど少女に言われた言葉が蘇る。
――いつかおじちゃんみたいにかっこよくモンスターをやっつけるの!
――それで、わたしがおじちゃんをまもってあげるの!
――わたしね、ずっと、ずぅーっと! おじちゃんといっしょにいろんな所をたびしたいんだっ!
「ずっと、か……」
鎧男の声に自嘲の色が混じる。
それはありえないのだ、絶対に。
鎧男は人の魂を喰らって今まで生きてきていた。人間を殺し、その不幸のどん底に沈んだ暗い魂を自身に取り込み、生き永らえてきていた。
しかし少女と出会い、『善意』というものに目覚めた鎧男は以前のように人間を殺さなくなった。
それは鎧男自身が人間への殺意を覚えなくなってしまったこともあるが、何より少女を悲しませたくなかったというのが一番である。今は狩った動物の魂を取り込んで何とか凌いでいるが、それも長くは持たない。動物の魂では人間の魂ほど強い負の感情を持たないからだ。
そうして鎧男は自分の体が徐々に弱まっていくのを感じ取っていた。今は気にならない程度の微弱なものであるが、やがて己を蝕んでいき最後には――。
そこまで考えて鎧男は頭を横に振り、思考を停止させる。考えたくないことだ。できることなら、自分だってこうしてずっと少女とともに歩んでいきたい。
しかし考えなければならない。自分がいなくなる日はそう遠くないのだから。できる限りのことは彼女に教えようと思う。この世界で生きる術を、戦う術を。せめて少女が一人で立って生きられる年頃になるまでは見届けなければならない。
鎧男は後悔したくなかった。自分に『善意』が目覚めたことに。
例えその果てにあるものが悲しい別れであったとしても――。