人外と人間

人外アパート OLとシオカラトンボ 完

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OLとシオカラトンボ 完 859 ◆93FwBoL6s.様

 久し振りの快晴だった。
 数日間に渡って降り続いた雨が止み、分厚い雲が途切れ、待ち侘びていた日差しが空から落ちていた。湿気が多かったせいで重たくなっていた羽も乾燥して軽さを取り戻し、水の匂いが残る風を切り裂いていた。眼下に広がる街並みでは、屋根や雨樋に溜まった雨水がきらきらと輝いていて、時折複眼を刺してきた。空の色はシオカラの外骨格よりも若干濃いが、複眼よりも薄いが、高度を高く保てば馴染んでしまうだろう。
 シオカラがほづみから呼び出しを受けたのは今朝で、素っ気ない文章のメールが携帯電話に届いていた。ヤンマは茜を連れてデートに出掛けてしまったし、ヤンマからは何度となく付いてくるなと念を押されていた。かといって、家にいても退屈なだけだ。暇を持て余していたところだったので、願ってもない呼び出しだった。
 古めかしいアパートの屋根が見えたので、シオカラは頭を下げてくるりと旋回してから、高度を下げていった。何の気なしにアパートの裏手に回ると、二階のベランダでは、アビゲイルが山のような洗濯物を干していた。

「あら」

 銀色の女性型全身鎧、アビゲイルは祐介のシャツを持ったまま、シオカラを見上げた。

「おはよう、シオカラ君」
「おはようっす、アビーさん」

 シオカラはアビゲイルの前でホバリングし、目線を合わせた。

「良いお天気ね。これなら、洗濯物だってきっとすぐに乾いちゃうわ。ここのところ、雨が続いていたせいですっかり溜まっちゃったのよ」

 アビゲイルは濡れた服が詰まっている洗濯カゴを示してから、シオカラを見上げた。

「それで、今日は何の御用かしら? ヤンマさんと茜ちゃんは、早くからお出掛けしているんだけど」
「ああ、それなら知ってるっす。それに、今日は兄貴とダベりに来たんじゃないんで」
「あら、そうなの」

 アビゲイルが少し訝しげに首を傾げると、下方から声が掛かった。

「来たなら来たって言いなさいよ、あんたは」

 シオカラが複眼を向けると、一階右端の部屋の掃き出し窓からほづみが顔を出していた。

「あ、すんません。つか、今日は何の用っすか?」

 シオカラが平謝りすると、ほづみは部屋の中を指した。

「見りゃ解るわよ」
「あら、まぁ」

 二人を見比べたアビゲイルは、なんとなく事を察したらしく、マスクに手を添えて微笑んだ。

「それじゃ、お赤飯でも炊こうかしら」
「えっ、ちょっ、それは、つかマジヤバすぎっす! 百歩譲ってオムライスっす!」
「解ったわ。二人の分も用意するから、お昼、食べに来てね」

 うふふふふ、と、アビゲイルはシオカラを見つめた。明らかに楽しんでいる。
「え、あ、はいっす」

 シオカラはぎちぎちと顎を軋ませていたが、降下し、ほづみの部屋である一階右端の部屋の前に降りた。

「んで、お姉さん。今日は一体…」

 シオカラはほづみの部屋を覗き込み、途端に理解した。手狭な部屋中に、物という物が溢れ返っていた。押し入れからは段ボール箱や衣装ケースが引っ張り出され、全ての窓が開かれ、煙幕のように埃が漂っていた。下両足を拭ってから部屋に入り、段ボール箱を掻き分けて、シオカラは部屋の中心に立つほづみに近付いた。

「引っ越しでもするんすか?」
「大掃除よ。荒れ放題だったし、なんかこう、ムラムラっと来ちゃったのよ」

 箱の海の中で仁王立ちしているほづみは長い髪を一括りに結んでいて、野暮ったい赤のジャージを着ていた。胸元には名札が縫い付けられていたと思しき針の後が残っていて、左の二の腕にも校名と思しきネームがある。その格好に相応しくすっぴんだったが、化粧が落とされていても、ほづみの顔立ちには目を引くものがあった。

「それ、いつのっすか?」

 シオカラがジャージを指すと、ほづみは襟元を引っ張った。

「高校の時のやつ。丈夫だし、使い勝手が良いから取ってあるの。下は体操着じゃないけどね」
「あ、ああ、そうっすか…」
「あんたはリアルに高校生でしょうが、体操着姿の女子なんて腐るほど見てるでしょ」

 若干落ち込んだシオカラにほづみが顔をしかめると、シオカラはきちきちと顎を擦らせた。

「いやあ…あれはあれっすよ。だから、これもこれなんすよ…」
「先に言っておくけど、ブルマなんて置いてないからね。ていうか、もう尻が入らないのよ」
「んじゃ、履いたことはあるんすね。その歳で」
「実家でね。使えるかどうか試してみたけど、案の定よ」

 ほづみはシオカラに歩み寄ると、ゴミが詰まった袋を押し付けた。

「とりあえず、これ、玄関の方に置いてきて」
「了解っす」
「必要なものといらないものを分けるのも手伝ってよね。見ての通り物が多いから、一日仕事になると思うけど」
「それなら大丈夫っすよ」

 シオカラはほづみから渡された半透明の袋を見下ろし、その真下に押し込められているものに気付いた。

「なんすか、これ?」

 綺麗な装丁の平べったい冊子で、サイズは大きいが、そのくせ厚みはなく、ページも一ページのみだった。ゴミ袋を持ち上げて裏面を見てみると、写真館の名前と電話番号が印刷されていた。ということは、これは。

「お見合い写真」

 しれっと言い放ったほづみに、シオカラは顔面にゴミ袋を落とし、それが足元に転げ落ちた後に驚いた。
「え、え、え、えええええっ!?」
「ちなみに見合う日は今日で、世間の底辺を這いずる貧乏人には一生縁がないブルジョア御用達のホテルが舞台」
「ええええええええ?」
「相手は専務の息子」
「ええええ、ええ、ええええ…?」
「結婚すれば間違いなく玉の輿だし、その息子ってのがまた評判が良いのよ。大人しくて顔も良くて賢くて」
「え、え、え、え、え…」
「でも、行かない。大掃除がしたいから」
「えー…?」

 シオカラがぐりっと首を捻ると、ほづみはシオカラを小突いた。

「だから、さっさとそのゴミ捨ててきてよ。仕事は山ほどあるんだから」
「でも、お姉さん、それっていいんすか?」

 恐る恐るゴミ袋を拾ったシオカラに、ほづみはにんまりした。

「いいから、大掃除してんじゃないのよ。こんなに天気が良いんだから、何もしないのは勿体ないでしょ」
「はいっすー…」

 シオカラは不可解な思いを感じながらも、玄関の扉を開けてゴミ袋を置いてから、部屋の中に戻った。短い廊下にまで溢れ出している段ボール箱には、少し投げやりな字で内容物の名前が書き記されていた。服や本が詰まった箱に混じって、シオカラであっても聞いたことがあるブランド名がいくつか記されていた。爪先でガムテープを引き千切り、その中の一つを開けてみると、案の定そのブランドのバッグが入っていた。

「あの、お姉さん、これって」

 シオカラがバッグの入った箱を指すと、ほづみは雑誌の束を括りながら答えた。

「売る」
「でも、勿体なくないっすか?」
「もう使わないし、本当はそんなに欲しくなかったし」
「じゃあ、なんで買ったんすか? こういうのって、一個十何万ってするんすよね?」
「まあ、色々あったのよ。私も若かったから」

 古雑誌の束を外に出してから、ほづみはシオカラを見やった。

「その辺の箱、全部開けておいて。売る前に虫干ししておきたいから」
「了解っすー…」

 ますます不可解な気分を募らせながら、シオカラはほづみに命じられるまま、段ボール箱を開けていった。開ければ開けるほど、ブランド物が顔を出す。バッグ、アクセサリー、服、それらが入っていたであろう紙袋。余程金を掛けなければ、ここまでは買えないだろう。妙齢の彼女が安普請に住む理由が、なんとなく解った。だが、それを売ってしまうのは惜しくはないのだろうか。シオカラはほづみの横顔を見つつ、悩んでしまった。
 衣装ケースを開けて中身を確認したほづみは、一瞬顔をしかめてから、大量の服を引っ張り出し始めた。大半をゴミ袋に押し込み、残したものは物干し竿に引っ掛けてから、また新たな衣装ケースを開けていた。二個目の衣装ケースから出てきたのは服ではなく、湿気を含んで膨らんだ冊子だったが、開けずに捨てた。複眼の端に掠めた冊子の表紙を凝視したシオカラは、見知らぬ男の名前が書かれていることを知覚した。有り体に考えて、あれは昔の男の写真だろう。開けもしないということは、余程ダメな男だったに違いない。
 そこまで見てしまうと、シオカラといえども察した。この大掃除は、ほづみの過去を整理するためのものだ。だから、昔に買い集めた服やバッグや元彼の写真を捨てていて、ほづみの表情もどことなく晴れやかだった。そんな作業に自分が付き合っていいものか、と少々躊躇いつつ、シオカラは黙々と段ボール箱を開け続けた。
 昆虫人間の利点は、カッターナイフがいらないことだ。
 そうこうしているうちに、時間が過ぎた。
 朝方に始めた作業は昼前になっても終わらず、段ボール箱の中身を出したが、まだ数個が残っている。中身を整理しても、その次は埃だらけの部屋の掃除が待っているので、過去の大掃除は当分続きそうだった。当然、肉体労働に終始していたほづみとシオカラは空腹になり、シオカラはアビゲイルからの誘いを伝えた。ほづみは躊躇うかと思われたが、意外にも素直に誘いを受け、汗と埃を流してから祐介の部屋を訪れた。
 アビゲイルは喜んで二人を出迎えたが、祐介は試験勉強に精を出していたために事の次第を知らなかった。なので、少しばかり戸惑ったようだが、アビゲイルから説明されるとすぐに納得し、ほづみを出迎えてくれた。
 居間のテーブルには、アビゲイルの言葉通りにオムライスが三人分並び、ケチャップで絵が書かれていた。祐介のものは正視するのが憚られるほど可愛らしいハート、シオカラのものには出来の良いトンボの似顔絵。そして、ほづみのものには、幼女だったら間違いなく喜んでいたであろうデザインの花の絵が描かれていた。三人からなんともいえない感情の視線を注がれたが、アビゲイルは悪びれることもなく、にこにこしていた。

「うふふふふふ」
「祐介兄さん、アビーさんっていつもこうなんすか?」

 半熟卵と甘酸っぱいチキンライスをスプーンに載せたシオカラは、顎の中に入れた。

「うん、弁当もこんな感じ…。作ってくれる以上、文句は言えないけどさ」

 祐介はハートが恥ずかしくてたまらないのか、ケチャップの絵を崩すように食べていた。

「でも、おいしいわね」

 ほづみはオムライスを食べながら、感嘆した。ほづみが同じように作っても、こうは上手くいかないだろう。程良く火の通った卵もさることながらチキンライスが絶妙で、べたつきがちなケチャップの水分が飛んでいる。タマネギの微塵切りも食感を残しながらも甘みが出ていて、具の混ぜ方も均一でどこを崩しても混じっている。バターが多めに入っているらしく、ケチャップの酸味がまろやかになっていて、卵の味と見事に馴染んでいる。オムライスに添えられているコールスローサラダも、野菜のたっぷり入ったコンソメスープも当然おいしかった。

「これは才能だわー…」

 ほづみが実直な感想を漏らすと、アビゲイルは笑んだ。

「気に入って下さって嬉しいですわ」
「良かったら、後でお裾分けも受け取ってもらえませんか。おいしいんですけど、量があるから余って余って」

 祐介が苦笑すると、アビゲイルは言い返した。

「だって、量を作らないとおいしく出来ないんだから仕方ないじゃない」
「喜んで。うちの冷蔵庫、今、空っぽなのよ。ここんとこ、ろくなものを食べてなかったから」

 ほづみが快諾すると、祐介はシオカラに向いた。

「お前の方も頼むよ、シオカラ。でないと、うちの冷蔵庫が壊れる」
「マジ了解っすー。てか、アビーさんの料理、うちでも評判良いっすから、マジもらうっす」

 シオカラはぎちぎちと顎を鳴らしてから、オムライスを掻き込んだ。歯がないので、ほとんど丸呑みなのだ。ヤンマもトンボなので同じ食べ方をするが、消化不良を起こさないのだろうか、と祐介はいつも思ってしまう。だが、きっと大丈夫なのだろう。肉食の昆虫人間の消化液は、昆虫の外骨格など消化出来てしまうのだから。

「祐介君、だったっけ?」

 ほづみに声を掛けられ、祐介は返事をした。
「あ、はい」
「あなたの彼女、きっといいお嫁さんになるわね。大事にしなさいよ」
「ええ、もちろん」

 祐介は照れながらも、頷いた。すると、祐介の傍に座るアビゲイルは俯いて肩を縮め、マスクを押さえた。照れ合う二人が微笑ましくてたまらず、ほづみはにやけながら、オムライスが冷めないうちに食べ続けた。
 ほづみは、二人に対して捻くれた感情を抱かない自分に安堵した。少し前なら、憎しみすら覚えただろう。だから、もう大丈夫だ。これも全てシオカラのおかげだ、とほづみは、サラダを食べに掛かる彼を見やった。シオカラは複眼の側面でほづみの視線に気付き、触覚を向けてきたので、ほづみは笑みを返してやった。
 少しどころか、かなり照れくさかったが。


 大掃除を終えた頃には、日が暮れ始めていた。
 箱という箱を開け、物という物を出し、埃という埃にまみれたほづみとシオカラは、達成感を味わっていた。玄関前には、翌朝に出さなければならない燃えるゴミの入った袋が山と積まれ、燃えないゴミも多かった。虫干しされた革製のバッグや靴も部屋の中に回収され、床には掃除機の後に雑巾掛けも行って徹底した。だが、台所周りまではさすがに出来なかったので、それは後日改めて、ということで今日の大掃除は終了した。
 高台から見下ろすと、見慣れた街も変わって見える。ほづみは吹き付ける風に目を細め、髪を押さえていた。今し方まで自分がいたアパートは遙か遠くになり、無数の家並みの中に紛れ、判別が付けづらくなっていた。オモチャのように小さくなった私鉄の電車が線路を辿って走っていて、甲高い警笛が風に乗って聞こえてきた。かなりの高さにいるが、恐怖は感じず、爽快感に包まれる。ほづみは伸びをして背骨を鳴らし、ため息を吐いた。

「気持ちいいわねー、高いところって」
「そうっすそうっす、マジ最高なんすから」

 ほづみの背後に立つシオカラは、四枚の羽と触覚を強い風に靡かせていた。

「私、人間じゃなくて羽のある生き物に生まれれば良かった」

 ほづみが唇を尖らせると、シオカラはきりきりと顎を擦らせた。

「そうっすねー。でも、俺っちは人間もいいなーって思うっすよ」
「どこが?」
「んー、まあ、なんていうのかな、こう…」
「だから、まとめてから話しなさいよ」
「すんません」

 シオカラは半笑いで謝ってから、ほづみを見下ろした。

「つか、なんで急に飛びたくなったんすか? まあ、俺っちの力でも、お姉さんぐらいなら抱えて飛べるから別に問題はないっつーか、マジ嬉しかったんすけど」
「色々あったから、とにかくすっきりしたかったのよ」

 ほづみは西日に焼かれる街を見つめていたが、シオカラに振り返った。

「ありがとう」
「いや、俺っちは、別に大したことはしてないっすよ?」

 シオカラが顔を伏せて顎をがちがちと打ち鳴らすと、ほづみは笑みを零した。

「今から考えてみると、私、馬鹿だったわ。後輩がどんどん結婚するからって、焦って適当な男を見繕おうとして、挙げ句にあの様よ。私は本当に結婚したかったわけじゃなくて、周りに合わせようとしていただけなんだし。大体、結婚して幸せになるんだったら、誰も離婚なんてしないっての。散々苦労して就活して、やっと就職した会社だから未練はちょっとだけあるけど、もういいや。明日にでも辞めるわ。お見合いも蹴っちゃったしね。でも、まあなんとかなるでしょ。不況だけど、仕事は選り好みしなきゃいくらでもあるんだし」

 ほづみはシオカラに向き直り、ジャージのポケットから動物園で買ったキーホルダーを取り出した。

「あげる」
「どうもっす」
 シオカラはほづみの手からキーホルダーを受け取り、その先に付いているものを確かめ、きょとんとした。

「なんすか、これ?」
「どこをどう見ても合い鍵でしょうが。大掃除したのも、それを探すためよ。不動産屋に頼むと金掛かるしね」
「でも、なんでまた俺っちに合い鍵なんか」

 パンダのレリーフが施されたキーホルダーに付いた鍵を掲げたシオカラが不思議がると、ほづみは呟いた。

「彼女になれ、って言ったじゃないの」
「え、んじゃあ、お姉さん、いいんすか!?」

 シオカラがぎょっとすると、ほづみは変な顔をした。

「自分から言っておいてキョドるな、理不尽な」
「えー、でも、いきなり合い鍵っすかー、なんかもうマジヤバいっすねー…」
「だからって、別に同棲しろとかそういうんじゃないから。その辺は勘違いしないでよね」
「もちろんっす、俺っちにはまだ学校があるっすから!」
「…それと」

 ほづみはシオカラとの距離を狭めると、顎を掴み、ぐいっと引き寄せた。

「前言撤回。私、あんたのこと、好きだわ」

 皮膚感覚のない顎に、乾いた唇が接した。ほづみがかかとを下ろすと、シオカラは顎を開いた。

「…俺っちもっす」
「だから、いい加減に名前で呼んでよね。浅い仲じゃないんだし」

 ほづみがシオカラと目を合わせると、シオカラは触覚を立てた。

「じゃあ、ほづみんで」
「オタ臭すぎるから却下。普通に呼びゃいいのよ」
「可愛いじゃないっすか、ほづみん。つか、それ以外に思いつかないんすけど」
「だから、下手に捻ろうとするなっての。私も捻らないから、シオ」
「四文字の名前を二文字に縮めるのも、マジどうかと思うんすけど」
「あんたのセンスよりはマシだ、シオ」
「えぇー…」
「それぐらい妥協しろっての」
「解ったっすよ、ほづー」
「私はB級アイドルか!」

 ほづみは声を上げた拍子にシオカラを張り倒すと、シオカラは不満げに顎を鳴らした。

「我が侭放題っすねー」
「どっちがだ」
「了解、りょーかいっす。俺っちとしてはつまんないっすけど、どうしても嫌だってんなら普通に呼ぶっすよ」

 渋々納得したシオカラに、ほづみは胸を張った。
「解りゃいいのよ、シオ」
「解ったっすよー、ほづっちー」
「だぁかぁらぁっ!」

 ほづみはシオカラの呼び方に苛立ったが、これ以上からかわれるのは癪だったので、苛立ちを押さえた。シオカラは得意げにきちきちと顎を軽く擦り合わせていて、高校生と言うよりも小学生男子のようだった。だが、何もしないままでは気が収まらなかったので、ほづみはシオカラを一発引っぱたいてから傍に立った。シオカラは叩かれた頭頂部をさすっていたが、ほづみを上中両足で抱えると、四枚の透き通った羽を広げた。
 びいいいいん、と空気が鳴る。シオカラはビルの屋上を踏み切り、浮上し、ほづみと共に風に身を任せた。不規則に入り乱れるビル風を読み、滑らかに空を切りながら、シオカラは触覚に感じる匂いに高揚していた。
 ほづみが傍にいる。ほづみの体温が外骨格に染みる。世界中でほづみの匂いを感じているのは自分だけだ。そう思うだけで、やたらに嬉しくなる。ほづみを窺うと、ほづみは高さに怯えるどころか、とても楽しそうだった。彼女とはどこまで行けるか解らないが、だからこそ、どこまでも行けるのだとシオカラは根拠もなく確信した。
 茜色の街並みに、青空の欠片が吸い込まれていった。





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